出発。(その11)

「タクヤか? 本当にタクヤなんだな!」

 老人がわめいている。老人が隼人はやとの鼻先に銃口を向け喚いている。

「タクヤくん、返事をするんだ!」

 軽トラックの前で叔父の風田かぜた孝一こういちが叫んだ。

 とにかく話を合わせろ……そう言っているのだ。

 隼人は小さな声で「は、はい。タクヤです」と言った。

 老人が疑うように目を細めた。

「本当か? どこか雰囲気が違うようにも見えるが……本当にタクヤなんだな?」

「ほ、本当です。だ、だから、銃をおろしてください」

 落ち着け、落ち着け……隼人は心の中で自分に言い聞かせた。

 さっき老人が自分の服を引っ張ったとき、意外にその力が弱いことに気づいた。

 小学生の自分でも、何とか五分五分に持ち込めそうなくらいの力だ。

 スニーカーの底で老人の腹を蹴ったら、あっけなく手を放してよろよろと後ろに下がった。やりようによっては目の前の老人に勝てるということだ。

 ……素手ならば……銃さえなければ……何とか銃を取り上げる事ができれば。

「ぼ、ぼくはタクヤです。本当です。だからお祖父じいさん、僕に銃を向けないで。銃をおろしてください」

 隼人の言葉に老人が一瞬迷う。

「本当にタクヤなのか? しかし、奴らは……宇宙人は巧妙だ……巧妙に化ける。わしだまされた……そうだ……証拠を見せろ。お前がタクヤだという証拠を見せるんだ」

「証拠……?」


 * * *


「やばいですよ」

 禄坊ろくぼう太史ふとし風田かぜたに向かって耳打ちした。

「その場しのぎの演技なんて、いずれバレますよ。だいたい隼人くんと死んだタクヤくんは、背格好こそ似ているけど、顔つきが全然違う。弦四河げんしかわの爺さん、今はタクヤくんの顔も思い出せないようだけど……何かの拍子ひょうしに記憶が戻らないとも限らない。早く何とかしないと」

 しょせん時間稼ぎは時間稼ぎ……次の行動に出なければ、いずれ隼人の演技は破綻はたんする。風田にも分かっていた。分かっていたが、精神が壊れてしまった人間に対し何を言えばいいのか、どんな行動に出れば良いというのか。

 風田はハイブリッド・カー越しにSUVを見た。

 角度のせいか距離なのか、SUVのフロントガラスには五月の青い空が映り込んでいて、車内の様子は全く分からなかった。

(大剛原さん、あんただけが頼りだ……拳銃を持っている、あんただけが……)


 * * *


「大剛原さん、もう一度言います、逃げましょう」

 棘乃森とげのもりれいが後部座席から重ねる。

「自分に危害を加える人間を殺しても『正当防衛』です……だったら、銃を突きつけられた人間を見捨てて逃げるのも『正当防衛』の一種でしょう? 助けようとすればこっちの身が危ないんだから……」

「小娘は黙ってろ!」

 大剛原に怒声を浴びせられ玲が「ひっ」と悲鳴をあげた。

 もう一度、こんどは押し殺すような声で大剛原が言った。

「ちょ、ちょっと黙っていてくれないか……」

 額にじっとりと浮かんだ脂汗を手の甲でぬぐう。

 五センチだけ下げた窓ガラスの隙間すきまから、猟銃を持った老人の叫び声が聞こえてきた。

「本物のタクヤだというのなら、何か証拠を見せろ! さあ! 早く!」

 詳しい状況は分からなかったが、老人は隼人に銃を突き付けながら「タクヤ」「宇宙人」「化ける」「だまされんぞ」などと意味不明の言葉を連呼していた。

 どうやら隼人と別の少年を取り違えているようだった。

(隼人くんは、老人を刺激しないように話を合わせているのか……しかし)

 付け焼き刃の演技じゃあ、長くはたんぞ……大剛原は思った。

「そうだ!」

 猟銃の老人が裏返った声で叫んだ。

「誕生日だ! 誕生日を言ってみろ! 本物のタクヤならすぐに答えられるはずだ!」

 隼人少年の顔から汗がどっと噴き出した。明らかに動揺していた。


 * * *


 弦四河の言葉を聞いて、軽トラックの前に立つ二人の男……風田と太史の顔が同時にゆがんだ。

 まずい……老人の質問に、隼人少年は答えられない。答えられる訳がない。

「か、風田さん……」

「ああ。完全に詰んじまった」

「そ……そんな……何か考えてくださいよ。このままだと隼人くんは……」

「分かってるよ、そんな事! 禄坊くんこそ、そのタクヤとかいう少年と知り合いなら誕生日くらい憶えていないのか?」

「知ってる訳ないじゃないですか! それほど親しかった訳でも無いし……なんか無いんですか? 起死回生、一発逆転的な……」

 太史に言われ、風田はもう一度SUVを見た。

(他力本願みたいだが……大剛原さん……もう、あんたしかいない! 頼む!)


 * * *


 SUVの車内に老人の声が響いた。

「さあ! どうした! 自分の誕生日も言えないか!」

 タクヤというのが誰なのか分からない。隼人が誕生日を知っているとも思えない。

(このままでは……隼人くんは……頭のおかしな老人に頭を撃たれて死ぬ……)

 フロントガラスの向こう、ハイブリッド・カーのわきに立つ老人と少年を、大剛原は凝視しつづけた。

 老人が猟銃を構えなおし、銃床に頬を当て、至近距離から少年の頭に狙いを定めた。

 少年は必死で歯を食いしばり涙をこらえていた。

 黙って老人を睨み返す少年の瞳には、覚悟の光があった。

 SUVの運転席で、大剛原が「くそっ」と小さくつぶやいた。

 ホルスターを開け、リボルバーを右手に持つ。

「父さん!」

 助手席で娘が驚いたような声を上げた。

「すまんな、結衣……日本という国が無くなったと決まった訳じゃない。もし国が存在するのなら……その可能性が少しでもあるのなら、私はまだ警察官だ。善良な市民を助ける義務がある」

 後部座席から玲の「ちっ」という舌打ちが聞こえたが、大剛原はえてそれを無視した。

 SUVのイグニッション・キーをポケットから出して娘に渡す。

「万が一、何かあったらクルマの運転を頼む。猟銃の銃口がこちらを向いたら、頭をダッシュボードより低くするんだ……自動車は鉄の塊だ。窓ガラスより姿勢を低くしていれば、銃弾が貫通することは無い」

「で、でも父さん……その銃には、もう……」

「それ以上、言っては駄目だ」

 大剛原は結衣の口元に軽く手のひらを当て、首を横に振った。

 そして娘を安心させるため、できるだけ気安く聞こえるように、軽口を叩くようにして言った。

「可能性に賭けてみるさ……奴は銃を操作しているし、一応、日本語を理解しているようだ。つまり知性が残っているって事だ……『噛みつき魔』ではない。それに賭けてみる」

 結衣に言い返すひまを与えず、大剛原はドアを開け、開けたそのドアを盾にして銃を構え、大声で叫んだ。

「警察だ! 今すぐ猟銃を捨てろ!」

 老人がビクッと体を震わせ、振り返って大剛原を見た。

 驚きで目蓋まぶたが大きく開いていた。

 相変わらず猟銃の銃口は隼人の鼻先にあった。

「猟銃を捨てろと言っている!」

 いきなり老人が猟銃を大剛原に向けた。

 そして、すぐに隼人の頭に銃口を戻した。

 戻した直後、今度は、軽トラックの前に立つ風田たちに銃口を向ける。

 隼人、大剛原、隼人、風田、隼人、大剛原……老人は忙しく猟銃の標的ターゲットを変えながら、三歩後ろへ下がった。

(危ないな……)

 正気を失い、忙しく猟銃を振る老人を見て、大剛原は思った。

(あれでは、いつ引金ひきがねに掛けた指に力が入るか……銃弾が何処どこへ飛んでいくか分かったもんじゃない)

 流れ弾がSUVに当たらないとも限らない。確かにクルマは鉄の塊だが、窓ガラスに銃弾が当たれば、中の人間も危険にさらされる。

 老人の注意をSUVかららすため、大剛原は少しずつ足を動かし、自分の体をクルマから離していった。


 * * *


「やりましたね。これで弦四河老人と我々の立場は五分五分だ」

 太史が、風田に言った。

「跳びあがる猫の頭を撃ち抜いたゲートボール場での一件を見ても、大剛原さんの銃の腕前は相当な物だ……一方、弦四河の爺さんも、衰えてしまったとは言え猟師ハンターとしての技術は確かです……狙った標的を外さない確実性が両方にあるとすれば、あとはで勝負が決まる……度胸を決めた方の勝ちです」

 太史の言葉を聞いても、風田は太史ほどには楽観的になれなかった。

(度胸を決めた方が勝ち……か……逆に言えばってことだ)

 リボルバーを老人に向かって突き出す大剛原を見た。

(大剛原さん……『正当防衛』なんてものは、しょせん後付あとづけの屁理屈なんだ……要するに『どっちを殺してどっちを生かすかを決める』って事だ……さあ! 覚悟を決めてくれ! あの猟銃ジジイを殺して、隼人を……俺の甥を救ってくれ!)

 その時、大剛原が老人に向かって叫んだ。

「猟銃を子供に向けちゃいけない! そんな事をするもんじゃあない! さあ、ゆっくりと銃を地面に置きなさい」

 大剛原の説得を聞いて、太史があきれ顔になった。

「何やってるんだ。今さらあの爺さんに説得なんてくわけないだろう。先に引金を引いた方が勝ちだって、分かんないのか?」

 弦四河老人が、隼人に向けていた銃口をいきなり大剛原に振った。

「貴様、宇宙人だろう!」

 老人が大剛原に向かって叫ぶ。

「警察官なんかに化けやがって! わしだまされんぞ!」

 ドンッ!

 ……田園と森の境界にショットガンの銃声が響いた。


 * * *


(撃ちやがった! あの野郎! 本当に撃ちやがった!)

 左の肩で何かが爆発したような衝撃を受け、のけり、アスファルトの上に仰向あおむけに倒れながら、大剛原は思った。

(くそ! 何が宇宙人だ! 完全にイカれてやがる)

 左肩が熱い……骨が砕け、筋肉がズタズタに裂け、ちぎれた血管から心臓の鼓動に合わせて血液が溢れ出ているのが分かった。

「父さん!」

 娘の悲鳴が聞こえた。

 SUVを見た。

 我を忘れた結衣が助手席から飛び出し、大剛原へ駆け寄ろうとしている。

「来るな!」

 痛みをこらえ、精一杯の声で叫んだ。

 頭を起こし、老人を見た。

 結衣に銃口を向けていた。

(いけない!)

 それだけは駄目だ。結衣だけは……

 もう一度、叫ぶ。

「こっちだ! 貴様の相手は、この俺だ!」

 拳銃を持ったままアスファルトの上に右手を突き、立ち上がる。

 左の肩から先の感覚が無い。左腕が体の横でブラブラしているのが視界の端に見えた。

 右手を老人に突き出す。

(風田くん! 禄坊くん! 誰でも良い! 気づいてくれ! あと一発! あと一発撃てば、あの猟銃は……)

「あああああ!」

 自分に注意を向けさせるため、大剛原は叫びながら老人の方へ歩き出した。

 猟銃の銃口が、結衣から大剛原へ移った。

 ドンッ……

 銃声と同時に視界が真っ暗になった。

 視界も、音も、痛みも、思考も、何も、無くなった。


 * * *


 大剛原の右目から入ったスラッグ弾は、脳をき回し、頭蓋骨を砕き、血と骨と髪の毛と脳漿をまき散らしながら後頭部から飛び出し、水田の上を通過して何処どこかへ飛んで行った。

 一瞬、結衣の視界が真っ白になった。

 何が起きたのか分からなかった。

 自分が何かを叫びながら路上に仰向あおむけに倒れた父親のところへ駆け寄った事さえ認識できなかった。

 気がついたら、アスファルトの上にひざまき、父親の体を揺すりながら「父さん、父さん」と何度も叫んでいた。


 * * *


 たて続けに鳴り響いた二つの銃声。

 銃弾は二発とも大剛原に向けて発射された……隼人が理解したのはそれだけだ。

 残響の中、すぐそばで「カシャン」という小さな金属音が聞こえた。

 振り向くと、老人の銃が二つに折れて、中から使用済みの薬莢やっきょうがポンッと後ろへ飛んで行くのが見えた。

 老人はハンターベストのポケットに左手を入れ、次の弾薬ショットシェルを取り出そうとしていた。

(今しかない!)

 少年は思った。

 銃の事は良く知らないが、引金の辺りで真っ二つに折れた今の状態では射撃が出来ないことくらいは分かった。

 体が勝手に動いた。

 二つに折れて下を向いている銃身に、無我夢中で付いた。

「離せ! 小僧! この野郎! 銃を離せ!」

 不意を突かれた老人が少年を銃から引き離そうとして、左手に持っていたショットシェルを捨て、少年の腕をつかみ、引っ張った。


 * * *


(大剛原さんが……撃たれた……)

 一発目は肩に、二発目は顔に命中したのが分かった。

 アスファルトに沈む警察官の体を呆然と見つめる以外、風田は何も出来なかった。

 突然、隣に立っていた禄坊太史が走り出した。

 そのまま弦四河老人の左腕に付く。

 いつのまにか右手の猟銃に隼人が付いていた。

「風田さん! 加勢してください! 早く!」

「え? あ、ああ……」

 我に返る。

 弦四河老人に向かって走り、そのままの勢いで老人のあごに拳を叩き込んだ。

 老人の全身から力が抜け、白目をいてその場に折れた。

 振り返って、大剛原を見た。

 仰向けに倒れた父親の胸を揺すりながら、娘が「父さん、父さん」と何度も繰り返していた。

「カシャン」という音を聞いて、風田は再度老人の方を見た。

 気絶した老人から猟銃を取りあげた太史が、銃に弾を込めて射撃状態に戻した音だった。

「上下二連発式です」

 銃口を老人に向けながら太史が言った。

「その名の通り、二発撃ったあとは、排莢と次弾の装填をする必要があります。そこがだったんだ……逆に言えば、その瞬間しか形勢逆転のチャンスは無かった……しかし、弦四河さんのような熟練者なら、それさえも三秒で終わらせてしまう。隼人くんが勇気を出してくれなかったら、可能性は無かった」

 太史の説明を半分聞き流し、風田は大剛原の死体へ歩いて行った。

 泣き続ける結衣とは死体をはさんで反対側にしゃがみ込み、大剛原の手から拳銃を取りあげた。

 むかしグアムの射撃場で遊んだ記憶を思い出しながら、シリンダーをスイングアウトさせ、五連発式の弾倉をのぞいた。

 薬莢やっきょうは二発しか入っていなかった。

 はっ、として、その二発を取り出す。

 既に使用済みだった。

(……そうか……最初から空だったのか……だから、撃てなかった……説得するしかなかったんだ)

 立ち上がった風田に、結衣が言った。

「返して……」

「え?」

「それは、お父さんの拳銃よ……返して」

「あ、ああ……そうだな。ごめん」

 リボルバーを逆手に持ち直し、結衣に渡す。

 結衣は、風田の手から銃をひったくるようにして、再び父親の胸に顔を埋め、今度は黙って泣き続けた。

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