第6話
――『ヘラの寵児』。
それが透の『
この世界には独自の神が存在しそれぞれに信仰を集めているが、それとは別に、向こうの世界で信仰されていた神々もなぜか、異界の神と言う形でこちらに伝わっているらしい。
そんな異界の神の一柱、ヘラ。向こうではギリシャ神話に語られる、結婚や貞淑を司る女神だ。
透はその女神ヘラと、精神の根幹が繋がってしまっている。ゆえに『ヘラの寵児』。
そのため透は魔法を唱える際、女神の莫大な神的リソースを使うことができる。本来術者が消費する魔力なども、全て女神に肩代わりしてもらえるのだ。
こと魔法に関して、透は神と同じ条件で行使できるといっても過言ではない。宣言するだけで、使いたい魔法が即座にいくらでも発動できる……もちろん、習得しているものに限られるが。
と――そこまでが、透が“当初”把握していた『
だが、まだ続きがあったのだ。
『ヘラの寵児』は『魔法のコスト』を女神に肩代わりさせる。させるが……『魔力で』と指定まではしていない。
そのことをどうか諸君らも思い出していただきたい。
つまり……女神がその気になれば、コストの支払いは女神の持つ別のリソースからということも可能だろうと言うこと――
可能というか、ぶっちゃけそうだった。
魔法によって失われるコスト。それは『貞淑』。
女神ヘラが一体何を思ってその無尽蔵の魔力を出し渋ったのかは分からない。しかし現実として、ヘラは透に自分の司る『概念』の一つを差し出した。
そして、それによって引き起こされる『ヘラの寵児』の真なる効果。
透が魔法を使うたび、『貞淑』と『淫蕩』が反転し、それがこの異世界の摂理として反映されてしまう。
要するに、エロいことが慎み深い美徳とされ、逆に貞節を重んじた言動をすればビッチと蔑まれる……という具合に、この異世界の常識が徐々に書き換わっていくのである。
不幸中の幸いと言うべきなのか何なのか、ともあれ現状『ヘラの寵児』による影響は“女性”の“服装”にのみ表れており、そのため透が魔法を使うほどこの世界の女性の布面積が減っていく、という事象が起こっているそうだ。
……という風な説明を受けて、食後部屋に戻ってから。
「よくもまあ、元からそういうものだったみたいに他人事感満載で説明してくれてたけど……つまり全部が全部あんたのせいじゃないのよ!?」
「責任逃れしてたのは否定はしないけど、でも仕方ないだろ!? 気付いた時にはもうみんな水着みたいな格好になってたんだから! 自分が魔法使ったら世界中の女の子が脱いでいくなんて普通思うかよ!?」
木製のテーブルをバンバン叩きながら怒鳴りあう京子と透。
今思えば、最初から疑って掛かるべきだったのだ。
この集落の女性が、ことごとく真夏のリゾート気分みたいな服装でいる……その異常性に、多少なりとも違和感を覚えるべきだった。
厚着は恥ずかしいことである――そんなような常識が存在する可能性自体は、まあ異世界だからで無理矢理納得もできよう。
だが、ここは雪深い山間の村だ。当然、気温は元の世界の基準で言えば氷点下まで冷え込む。
その厳しい環境下で、あんな命に関わるような服装が民俗風習として根付くはずがない……それこそ、常識を捻じ曲げてしまう何らかの作用が働いたのでもなければ。
それに、あの思春期の少年が隠し持っていたエロ動画にしてもそうだ。
あの中に映る女性たちは、厚着にもかかわらずごく自然に振舞っていた。それはつまり、あの映像が記録されていた時点では厚着は恥ずかしくはなかったということ。
おそらくあれらは、初めからエロい目的で撮られたものではないのだろう。撮影当時は本当に単なる日常の一コマだったそれが、常識転換によって一転、若い性欲の対象として収集される禁制品と化してしまった。
羞恥心という狭い範囲ではあるにしろ、世界そのものを変革させてしまう……改めて京子は『
「まったく……まさか唯一の味方だと思ってた奴が真犯人なんてね。これ以上こんな世界に居られないわ、私は日本に帰らせてもらう」
「何でそこでフラグ立てるんだよ。って言うか、それが出来ないから困ってるんだけど」
その言葉に、二人して溜息をつく。
食後の気だるい雰囲気もあってか、自然と口数も少なくなる。しばらく沈黙が続き――
「……ねえ、京子は元の世界に帰りたいんだよね」
ふと、透の口から問いがこぼれる。
「当然じゃない。これ以上脱がされてたまるもんですか」
呟くように、力なく答える京子。
「じゃあさ。一つ、相談なんだけど――」
透がもたれていたソファから体を起こす。その目は真っ直ぐに京子を見据えている。
そして、それまでとは打って変わって力強さに満ちた声で。
「僕と、旅をしてみる気はない?」
そう、誘い掛けた。
「……なに、突然?」
問われた京子も、知らず居住まいを正してしまう。
「さっき言ったよね、京子の『
まだ名前も分からない、京子の能力。それに可能性を見出しているのは、当の本人よりもむしろ透の方だった。
「……さっきも聞いたけど、ホントにそんな大層なもんなの?」
京子の認識はと言えば、精々が『便利なパッシブスキル』止まり。透がこだわる理由もいまいちピンと来ていない。
「うん。だって僕はこのノルヴィール王国っていう雪国の公用語しか話せないし。異世界だからって、異世界語なんて都合のいい統一言語はないからね」
「……そんなところでリアリティ追求されても困るんだけど」
「でも、京子は違う。君ならこの世界のどこに行っても、言語について困ることはないかもしれない」
透の異世界での生活もまた、この雪国から始まった。
必死で住民たちと意思疎通を試み、偶然出会った日本出身の異世界人の助力も得て、透は何とかこの国で不自由しないほどに言葉を習得できた。
しかし、それもこの国の中でしか通用しない。
それを痛感しているからこそだろうか。京子の能力に、希望と嫉妬の入り混じった執着を抱いてしまうのは。
「だから……僕の通訳をしてくれないかな。京子がいれば、言葉の壁で諦めてた元の世界に戻る方法を探す旅にだって出られる」
その言葉に、透自身の内側に。
秘められた熱量を感じ取るたび、京子はなぜか目を逸らしてしまう。
だから、捻くれた言葉を返してしまう。
「……第一、私がどこの言葉でも理解できる保証だってまだないじゃない。『ここの言葉だけが分かる』能力な可能性だってあるわけでしょ?」
無愛想なその言葉に、透はやれやれと嘆息し、立ち上がる。
そして、雪山でそうしたように、京子に向かって手を差し伸べ――
「じゃあ、試しに行こうか」
と、得意げに笑みを浮かべた。
キャストオフ・スペル @negi_qely
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