第2話

 ゴルドレンドの妹が死んだその日、僕らは山の斜面でいつものように遊んでいた。僕らがゴルドレンドの家の羊を追い回して遊んでいる間、ゴルドレンドの妹は草原に座って花を摘んでいた。

 ゴルドレンドの妹は兄に似て、金の髪にくりくりとした目をしたかわいらしい子だった。年が離れていたので、ゴルドレンドは妹を大事にしていたし、彼女もゴルドレンドを心の底から慕っていた。

 ちょうどゴルドレンドの妹が花の冠を完成させて兄を呼んだときだった。

 警報が谷間に鳴り響いた。

 一瞬で体中に緊張が走った。


 警報装置はドラゴンのすみかの洞窟を望む高台に設置されていた。そこには若い大人が交代で見張りについていて、太陽の上っている間はずっとドラゴンの襲撃を警戒していた。もし洞窟のあたりから飛び立つ巨大な影が見えると、見張り役は急いで見張り台から飛び降り、壕の中に隠れそこに置いてある警報装置を動かすのだ。

 警報装置のハンドルをまわすと、中にある金属製のベルと歯車がけたたましい音をたてる。それがラッパのような口で拡大され、巨大な音となって村に響き渡り、住民にドラゴンの襲撃を知らせることになっていた。今その音が聞こえたのである。


 もたもたしていたら待っているのは確実な死だ。

 ゴルドレンドは急いで羊を集めると、壕を目指して一気に駆け出した。

 彼の家の羊も心得たもので彼の後をついていくのだが、羊というものは元来愚鈍な生き物で、中々思うように動いてはくれない。

 ゴルドレンドは、それでもできる限りの羊を避難させようとした。僕も彼を必死で手伝った。

 なんとか羊の半分を壕に入れた所だった。一緒に逃げていたゴルドレンドの妹の叫び声があがると共に、彼女の姿が視界から消えた。

 ゴルドレンドが顔色を変えて妹の消えたあたりに駆けつける。妹は草地のくぼみに足を取られ地面に倒れていた。ゴルドレンドが必死に立たせようとするも、足をくじいてしまったらしく、妹は大きな声で泣いている。

 急いで僕も駆け寄ったが、子供の力だ。いくら妹が小さいからと言っても担いで移動することは難しかった。

 二人がかりで両脇を抱え込んで、やっと立たせることはできたけれど、走ることはできなかった。壕まではまだかなりの距離がある。焦りだけがましていく。恐怖と緊張で足下がふらついていた。

 壕まで大分近くまで来れたと思ったその時、緑の草地に死の巨大な影が落ちた。ドラゴンだ。低い凶暴なうなり声がすぐそばまで迫っていた。

 壕まであと少し。僕とゴルドレンドは精一杯の大股で小さな段差を飛び越えた。

 あと数歩。後ろから地面を通してドシンと言う振動が伝わってきた。ドラゴンが草地に着陸したに違いない。

 あと、二歩。呼吸は恐怖と疲れで異常なほど早く、喉の奥で血の味がした。足が自分のものじゃないみたいだった。

 最後の一飛び。僕らは壕の入り口に到着した。やった! 全身を安堵感が包んだ。しかしその一瞬、その気のゆるみが取り返しのつかない結果を生んでしまった。


 突然妹の体が強い力で宙に引っ張られた。人間の物ではない力に僕は思わず叫び声を上げ、腕を離してしまった。その反動で転がりながら後ろを見た僕の目に飛び込んできたのは、ゴツゴツとしたドラゴンの鼻先と、その顎に服を引っ張られて宙をまうゴルドレンドの妹の姿だった。

「やめろーーーーっ!」

 ゴルドレンドが叫んで妹を取り返そうと手を伸ばす。しかし、その手が届くと言う瞬間、ドラゴンは頭を大きく振りかぶり、彼女を宙で振り回した。彼女の甲高い悲鳴が響く。

 ゴルドレンドはドラゴンに向かって一直線に駆け出そうとしたが、壕から大慌てで出てきた彼の父親が、それを止めた。ゴル卜レンドは抵抗したが、父親は彼をドラゴンから引き離した。さもなくばゴルドレンドはそのままドラゴンに殺されていただろう。


 その次の瞬間はまるでスローモーションのように見えた。ドラゴンは妹を振り回すのに飽きたのか、突然口から妹を離し、宙に向かって放り投げた。くるくると回りながら落ちてくる妹に向かって、ドラゴンの凶暴な牙が迫る。そして、次の瞬間。


 ゴギン、とゴルドレンドの妹の骨が砕ける音が響いた。それと同時に真っ赤な鮮血が飛び散り僕らの顔を服を汚した。ゴルドレンドの絶叫が虚しく響いた。

 ゴルドレンドの父親は彼を無理矢理壕の中に引っ張り込むと、急いで壕の蓋を閉めた。壕の蓋は鉄でできている。もしこの蓋がなければ、ドラゴンの吐く炎によってこの壕は無惨なオーブンと化してしまうだろう。閂をかけてから初めてゴルドレンドの父親は泣いた。思えば彼が一番つらい決断をしたのだろう。息子を救う代わりに彼は娘を犠牲にしたのだ。もっとも、どうやったところで、あの状況では救い出すことは出来なかっただろう。だとしても、割り切れるものではない。娘と自分とを隔てた重たい鉄の蓋に寄りかかり、ゴルドレンドの父親は泣いた。

 ゴルドレンドは冷たい地面に顔を埋めて泣いていた。


 警報が止まった。ドラゴンが去っていったことを見張り台が確認したということだ。外に出た僕らが見たものはおびただしい血の山と、その中に浮かぶ妹の服の切れ端と、そしてちぎれ飛んだ花の冠の破片だけだった。

 ドラゴンは逃げ遅れた羊を多く殺していった。その多くが手もつけられないまま、無惨な躯となって地面に転がっていた。ドラゴンはよく自分が食べる以上の生き物を殺す。それは猫が小鳥を捕るようなもので、食欲よりも半ば遊びとしての行為だった。

 中にはドラゴンの炎を浴びてひどい火傷を負っている羊も居た。ドラゴンの炎は厄介で、一度発せられた炎はあわれなターゲットの体にまとわりつき、確実に標的を焼き殺す。水をかけてもぱっと飛び散り被害を拡大するので、建物に回るともう手が付けられなくなる。その羊ももう長くなく、ゴルドレンドの父親はその羊を処分した。

 ゴルドレンドは妹の血で汚れた地面を呆然と見つめていた。その手にはさっきまで妹が作っていた花の冠の破片が、指が白くなるまで握りしめられていた。


 妹の葬儀は亡骸がないまま行われた。葬儀に姿を現したゴルドレンドはもう泣いてはいなかった。ただその瞳の中には強い決意と憎しみがしっかりと宿っていた。葬儀の後、ゴルドレンドは僕に向かってはっきりと言った。

「僕はあいつを殺す」

「殺すって、ドラゴンを?」

「そうだ。俺達の村は、もう何十年もドラゴンに苦しめられてきたんだ。ドラゴン相手にただ逃げ惑うのはもうたくさんだ」

「でも、ドラゴンを倒すなんてものはお話の中の世界だけだよ。選ばれし勇者が、ドラゴンを退治して凱旋する。そんなお話はもう腐るほどあるさ。でも、実際考えてもみてよ。あの巨大な怪物に、僕たちが勝てるわけ無いじゃないか!」

「いいや、勝てる」ゴルドレンドは言い切ってみせた。

「おとぎ話の主人公じゃなくてもドラゴンは倒せるさ。計略を練って十分な準備を整えれば不可能じゃない。だけど、それには多くの準備が必要だ。いいか? 俺たちはまだ小さい。力も弱い。まだまだ解らないことが多い。だから今から力をつけよう。ドラゴンを倒せるほどの力を」

 五年だ。とゴルドレンドは片手を広げて見せた。

「五年間でドラゴンを倒すための準備を整える。俺はこれからしばらくしたら勉強の為に村を出ようと思う。もうちょっと大きい町に行って、そして必要な知識を得て帰ってくる。この村の大人達に言っても、反対されるのが関の山だ。なぜあえてドラゴンを怒らせるようなことをするのかってね。だから俺は町に出る」

 ゴルドレンドは忍耐強く、一度決めたことは絶対にやり遂げる男だった。だから僕は彼の言っている内容がまるで夢物語のようなことであっても、彼の言葉を信じる気になったのだ。しかし、それにしてもドラゴンを倒すだなんて。今考えれば大それたことを考えたものだと思う。しかし子供ならではの無謀が、僕らにその計画を実行させた。

「ああ、解ったよゴルドレンド。本気なんだね。……で、その間僕は何をしていれば良い?」

「君は鍛冶屋の修行を続けてくれ、ドラゴンを倒す為には武器が必要だ。それも特別強い武器が」

 約束だ。五年後また会おう。

 そうゴルドレンドと僕は約束をかわし、数日後、宣言通りゴルドレンドは村を去っていった。

 思えば、ゴルドレンドの人生が変わってしまったのはその時からだった。それからゴルドレンドの人生は全て彼の妹の復讐の為に存在するようになった。もはや彼の人生の目的は彼の為の物では無くなってしまった。人生の全てを犠牲にしてでも、彼はドラゴンの息の根を止めようとしたのだ。

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