第40話 新たなる道
拙作「噺家奇談」の番外編です。
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梅雨が明けそうだった。お陽様が朝から元気に照りつけていて、俺はハンカチで額の汗を拭うと目的の会場を目指してた。そこは新宿箪笥会館といって三百人ほどが入る区営の貸しホールだった。今日、ここで立山流の落語会が開かれるのだ。
その落語会に出演する噺家で、先月、落語界に復帰した噺家を見るのが目的だった。噺家の名前は立山三語楼。二年ほど前までは協会の一番大きな派閥の一門に居た噺家だった。師匠と対立して破門されたのだ。それを、十五年程前に協会と対立して一問ごと脱退して新たに自分の協会を立ち上げた立山談三に拾われたのだった。
尤も、ここまでは世間で言われている範疇である。噺家ではないが、しがない落語雑誌の記者の俺は勿論色々な事を知っている。三語楼がやむにやまれず師匠に盾をついた事や、その師匠と談三が仲の良くないこと等を……。
だが、本当はそんな事はどうでも良かったのだ。あの噺が聴ける。前途有望と言われた彼の噺を再び聴けるならどこでも行くつもりだった。
噂は意外な所から伝わって来た。浅草の寄席に取材に行った時に、馴染みの噺家の三圓亭圓光という噺家から聴いたのだった。
「神山さん、知ってます? 才太郎兄さん帰って来るそうですよ。しかも立山流だそうです。さすがにこっちの協会では無理だったのでしょうね」
才太郎というのは三語楼の前の名前だ。破門になったので協会にこの名前の噺家は居ない。
「そうか、帰って来るのか、それは楽しみだな」
俺が正直な感想を言うと圓光は眉をひそめて
「俺から聴いたって言わないで下さいね。噂が立つと色々と面倒くさいですから」
「ああ、判っているよ。俺も記者の端くれだ。裏は取るよ」
その日はそれだけを聴いて浅草を後にして、あるアパートに足を向けた。住所を変えていなければ、彼はそこに住んでいるはずだった。
場末のアパートは前と同じ場所に立っていた。この辺りは再開発とは無縁なのだろう。狭い路地には幾つもの鉢植えが並んでいた。その路地を梅雨の湿った風が抜けて行った。見上げれば洗濯物が幾つも竿になびいていた。
部屋の前で表札を確認する。変わっていなかった。彼の本名と並んで噺家としての名も掲げてあった。その名前は立山三語楼……圓光の話は本当だったのだ。
確認だけして、そのまま帰ろうと思っていたら、不意にドアが開いた。顔を覗かせたのは表札の本人だった
「あ……神山さん……どうしてここへ」
戸惑いと、招かざる者への視線が痛いほど伝わって来た。
「噂聴いてね。それで確かめに来たんだ。確認だけして帰ろうとしたんだけどね」
「そうでしたか、表に人の気配を感じたので、ドアを開けてみたんです。新聞の集金人のこともありますからね」
「集金人じゃ無いが、もっとタチが悪いかもな。こうなったら事情を訊いて帰りたいな」
元より本気で言った訳ではない。そのついでみたいな気持ちだった。だが三語楼は俺の思いとは逆に
「いいですよ。色々と話したい事もありますし、神山さんなら話しても良いしね。それに俺奥さんのファンだし」
「女房は関係ないだろう」
「言い訳なんて何でも良いんですよ。近くのファミレスでも行きましょう」
そう言って三語楼は一旦部屋に入って着替えて出て来た。
「寝間着じゃしょうが無いですからね」
二人が入った先は歩いて五分ほどの場所のファミレスだった。平日の夕方なので空いていて、一番奥に通された。俺はアイスコーヒーを頼むと三語楼は
「今日何も食べていないんですよ。いいですか?」
そうネダって来たので頷くとハンバーグセットを頼んだ。そう高いものではない。俺も済ませておきたかったが、薫が待ってると思いここは我慢して飲み物だけにした。
「実は、談三師匠からは破門直後から声を掛けて貰っていたんですよ。『その気があるなら俺の所でやり直さないか』って」
以前より、談三師は彼のことを高く評価していた。自分の独演会でも
「俺の所に来れば良かったんだ」
と語っていたし、ある時なぞはゲストで呼んだこともあった。だから前から関係は良かったのだ。
「直ぐに行けば良かったじゃない」
俺はアイスコーヒーを飲みながら茶化すように言うと
「とんでもないですよ。そんなことしたら、落語界全体から弾かれてしまいますよ。だから二年という冷却期間を置いたんです。まあ、その間に自分を見つめ直したり反省したりしてましたけどね」
「それで自分から頼んだの?」
「まさか、談吾兄さんから声を掛けられたんですよ。それも偶然に」
三語楼は出てきたハンバーグをパクつきながら
「でもね、やはり迷ったんですよ。以前の一門と余りにも違うから」
そう言って、最初から順調ではなかったことを話した。夏の陽は長い、まだ外は明るかった。
「で、どうして決意したの」
「それは、色々ありましたけど、やはりもう一度落語がしたい。お客の前で噺がしたい。という純粋な気持ちです。それだけと言っても良いくらいです」
それは嘘ではないのだろう。だが俺はそれだけでは無いと思っていた。他には何があるのか? それは復帰の高座で見せてくれるのだろうか?
「期待していいかな?」
「何をですか?」
「復帰の高座を。そこに本当の答えがあるんだろう」
俺の言葉を聞いた三語楼は苦笑いを浮かべて
「参ったな……決して嘘は言っていませんよ」
そう逃げの返事をした。本当の心の底にあるものは、正直には言えないほど純粋で恥ずかしいものなのだと、俺は想像出来ていた。それを判った上で言ったのだ。
「期待してるぜ」
そう言って立ち上がって、レシートを握ってレジに向かった。後ろから「ごちそうさまです」という声が聞こえた。
程なくして復帰の高座の情報が流れて来た。尤も俺には三語楼自身から連絡があり切符が二枚送られて来た。一枚は薫の分だろう。行くかと尋ねるまでもなく、本人は行くつもりらしい。このところ、女優業は休みで暇を持て余していたところだった。
「落語を聞かないと体がなまってく気がするの」
そんな冗談みたいなことを最近は本気で言う。
「だって、本当に良い高座は貴金属みたいな大事なものだし、何というかな、価値としてはプラチナに劣らないと思うの」
プラチナは大げさだと思う。俺にとっては体を巡る血みたいな存在ではないかと考えた。これも考えすぎだとは思う。
新宿でも箪笥会館は坂の多い街にある。階段を一段一段昇って行く。薫は少し遅れ気味だ。やはり体が辛いらしい。
「無理せずに家で休んでいたら良かったんじゃないのか?」
こんなことを言っても決して「そうだ」とは言わないと判っていても、つい口に出してしまう。
「大丈夫よ。丁度いい運動だと思うし、体重が増えすぎるのも良くないし。でも今年の夏は一番暑いと思う」
白い帽子の下で真っ赤な顔をして、それでも活き活きとした表情を忘れなかった。薫にとって生の落語と接する事は、芝居と言う世界から二つの世界を繋がった窓を通して見ることなのだろう。そこから覗く世界は刺激的で普段、芝居の世界に慣れた彼女にとっては十分に意義のあることなのだと理解した。
最期に長い階段を昇ってようやく箪笥会館に到着した。会場の表には『立山流定期落語会』と書いた一枚看板が立てられていた。その脇には出演者を書いたポスターが貼られていた。
今日は総帥の談三師は出ない。その代わり四天王と呼ばれる人気者が揃って出演する。三語楼は言わば、ゲスト的な扱いとなっていた。それはそうだろう、つい先日に一門に入ったばかりなのだ。メインではあろうはずがない。それでも、出番は仲入りとなっていた。つまりトリに次ぐ重要な出番となっている。
四天王のうち、一番入門が新しい三笑がサラ口で登場した。彼は古典を新しい価値で構成し直して演じるので若い人に人気があった。
その次が、らく三で、彼自身が多くの弟子を持っている。若い頃に真打に昇進して常に人気者の位置を保っている。今日は得意の古典演目を演じてお客を楽しませた。
そしてその次が三語楼だ。開口一番で三語楼が立山一門に入った事と本日が、一門として初めての高座であることが説明されていた。
出囃子が変わっていた。以前は「三下りさわぎ」というちょっと変わった出囃子だったが、なんでも総帥談三師が変えた方が良いという鶴の一声で変わったそうだ。新しい出囃子は「元禄花見踊り」となっていた。この出囃子に変えたという事の意味をどれだけのお客が判っているだろうかと俺は思った。この出囃子はその昔、今は鬼籍に入ってしまったが、談三師が落語家で唯一と言って良いほどの仲が良かった噺家が使っていた出囃子だったからだ。これだけでも三語楼が立山一門では優遇されていると思った。
その出囃子に乗って三語楼が袖から登場して来た。今日のお客は三語楼を見に来た者も多いのはと思った。拍手の仕方でそれが判った。
三語楼が高座に座って静かに語りだした。医者のマクラを語っているので色々な噺が想像出来たが、どうも噺の内容からして「死神」ではないかと想像した。
「死神」と言う噺は……
お金の算段も出来ずに女房に悪態をつかれて、家を飛び出してきた男。「死んじゃおうか」と思い始めている処に、「死に方を教えてあげようか」と死神が現れた。昔からお前とは因縁があるので、金儲けの方法を教えてやる、と言う。
「死神が病人の枕元に座っていたらそいつは助からない。また、反対に足元に座っていたら助かるから、呪文を唱えて追い払え」と言い、医者になるようアドバイスを与えて消える。
この呪文が演じる噺家によって変わって来るのだ。果たして三語楼はどのような呪文にするだろうか……。
三語楼は「あじゃらかモクレン復帰だよ。テケレッツのパ!」だった。この時ばかりは聴いたお客も、喜んで拍手をしていた。
男は言われた通りやると見事に当たる。やがて名医と呼ばれ沢山の富を築くのだが、贅沢三昧でお金も無くなってしまう。
再び医者をやるのだが、今度は上手く行かない。困っているとさる大店からご隠居の治療を頼まれる。行ってみると死神は枕元にいるので困ってしまう。三千両の現金に目がくらんだ男は考えて、死神が居眠りしている間に布団を半回転させ、死神が足元に来たところで呪文を唱えてたたき出してしまう。
大金をもらい、大喜びで家路を急ぐ男は途中で死神に捕まり大量のロウソクが揺らめく洞窟へと案内される。
余りの光景に訊くとみんな人間の寿命だという。「じゃあ俺は?」と訊く男に、死神は今にも消えそうなろうそくを指差す。
曰く「お前は金に目がくらみ、自分の寿命をご隠居に売り渡したんだ。だからもう、残りの命が無いのさ。だが俺とお前の仲だから一つだけチャンスをやる。そのろうそくに火を継ぎ足せたら生き延びることが出来る。だが、ろうそくが消えればその人は死ぬ」
パニックになった男は死神から渡されたロウソクを寿命に継ぎ足そうとするが……
「ほら、消える!」
「ほら早くしろ!」
「ほ~ら……消えた!」
次の瞬間、男はばったりと倒れ、噺が終わる。次の瞬間
「なか~いり~」という前座さんの声で緞帳が降りて行く。それで噺が終わったと気がついたお客も居たほどだった。
三語楼の「死神」は良い出来で、特に最期のシーンは見事なものだった。見ているこっちが寒気を催すほどで、夏なのに寒さを感じたのは決して冷房が効き過ぎていた為では無いと思った。
終演後に楽屋に顔を出すと、真っ先に三語楼が出て来た。今日の後半の演者も三語楼に負けじ、と良い高座を見せた。今日のお客は儲けただろう。
「帰りに一杯やるか?」
飲みたそうな三語楼に誘い水を向けると
「そう来ると思って頑張ったんですよ」
そんな軽口を言ったが本当は崖っぷちに立っていたのでは無いかと思った。総帥の談三師直々に迎えられて、これで出来が悪かったら自分自身も談三師の立場も悪くなってしまう。つまり失敗は許されなかったのだ。それだけの緊張感を持って高座に望んだのだと理解した。
行きつけの店で酔いつぶれ、うたた寝をする三語楼に
「復帰、おめでとう」
そう薫が言っていたのが印象的だった。その声が耳に入ったのか、薄目を開けた三語楼に
「次も頑張れよ!」
そう言いながらグラスに酒を注ぎ足した。酒が少し溢れて受け皿に流れだした。
「溢れるほどの人気者になれば良いね」
薫の言葉に心の底から頷くのだった。
<了>
短編集置き場 まんぼう @manbou
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