出会いは白馬と共に①
ぐわんぐわんと頭が揺れる。肩の高さ程の金髪を一つに結いポニーテールにしている青年は初めてかもしれない乗馬に体が追いつけないでいた。普段からも白い顔はより一層青白くなり、晴天の空とは裏腹に淀んだ瞳は、何かぐるぐるしていた。
早く動く景色を見ながらレイ・クロイツはなぜ自分が今こんな状況になったのかを考えていた。おかしい、自分が馬に乗りながら街を疾走していることもそうだし、自分が今必死にしがみ付いている、手綱を引く少女が「いいですよ、エウラマ! そのまま風と一体になるのです!」と言いながら白馬を走らせていることもそうだ。街中の人々が奇異な眼差しを向けてくる。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。レイの記憶は昨日まで遡る。
◆
そこは薄暗い部屋だった。小さい白熱電球を一つ天井にぶら下げただけの部屋は、書物を読むには少し苦労しそうだ。だが、何度いっても部屋主は薄暗いところが落ち着くからと話を聞き入れてはくれなかった。
この前の暗殺任務から一週間が経っていた。枢機卿の特務で暗殺をこなす青年、レイ・クロイツは上司に呼ばれこの部屋に来ていた。もちろん部屋主とは上司の事で、薄暗いところが好きな一風変わった人物である。書斎机を挟んでそこに座る女性は、膝元で気持ちよさそうに丸くなっている黒猫を撫でながらおもむろに口を開いた。
「この前はご苦労、今回は潜入の期間が長かったから疲れただろう。私もレイが居なくて暇だったよ」
そして薄く笑う上司は長い黒髪も相まってより一層不気味に見えた。これは何かありそうだなと、この上司と共に過ごしてきた七年間を思いながら何か思案してみたが、この人間にその手の策は通用しないことを思い出した。
「いえ、暗殺対象自体は全く脅威では無かったので特務としては楽だったのですが、一芝居打つのには少し骨が折れました。それより司令」
「二人きりの時は母さんでも構わないぞ? それともフレンドリーにクリスちゃんでもいいが」
言葉を遮って妙な事を言ってきた。そう、目の前に座る女性はクリス・クロイツ。レイの義母に当たる人物だ。かなり年齢が離れているはずなのに異様に若い。まるで魔女のようだと彼は思う。
なんやかんや色々あって彼にとっては義理の母というより上司という印象が強い。そして決してクリスちゃんと呼ぶような間柄ではないと思っている。
「司令……
とりあえず上司の戯言を無視して、レイは気になる事を聞いてみた。クリスは無視されたのも気にならないようで、すらすらと話し始めた。
「
作成者の長々とした説明を聞きながら、やはり駄目かと落ち込むレイ。
「いや、不都合というか……なんで『
レイは昨夜のミーナという女性を思い浮かべ、複雑な心境になる。罪悪感があるわけではないのだが、深い接吻の記憶がどうしても頭から抜けきれない。
「なんだ、例の結界を発動させていた娘のことを気にしているのか? 君にしては珍しいな。他者に興味を持つなんて、なんだ~惚れたか?」
「いや違います。何故魔力を吸収するのに接吻が必要なのかを聞いています」
「レイ君よ。接吻というのは行為自体はただの愛情表現のように思えるが、あれは立派な儀式になりうる事の一つなんだよ。ほれ誓いのキスというやつがあるだろう。接吻、接吻と馬鹿にしていけないチューは偉大なのだよ、チューは」
何故わざわざチューと言い換えたのは置いとくとして、この人と会話するとどうも論点がずれていくような気がしてならないレイは、上司の話に流されないように言葉を返してみる。
「それで魔力の吸収には接吻が不可欠ということなんですね」
「いや、そんなことないぞ?」
「ないのかよ!」
「いや、ほら、仕事柄出会いが少ないであろう息子の事を想ってだな……」
「おかしいだろ! 相手の魔力を吸うことから始まる出会いってなんだよ! 怖いわ!」
興奮して敬語が取れていることも忘れて言葉を発するレイ。その青白い顔は怒気により少しだけ赤くなってるようにも見えた。
「まぁ、そう怒るな息子よ」
そんなレイにはお構いなしといった表情のクリスは、ニコニコしながら変わらず猫を撫でている。
「そもそも魔力を吸収するのが嫌なら、他にいくらでも手はあっただろう。君には他人の魔導回路に自分の魔力を流し込める魔術だって持っているし、最悪その少女を刺殺してしまっても、君らしいと思うがね」
「まぁ、そうなんですが……」
レイは確かなことを言われ、反撃の言葉を失った。
「ワインに薬を仕込んで眠らせ、その前に魔力を吸収して発動を解除……まぁ何にせよ、君が血を見ない結果を選んだということが重要なことだ」
「そう、なんですかね」
何か上手い事言いまとめられたような気もするが、これ以上足をすくわれる訳にもいかないので、レイは黙っていることにした。
「なあ息子よ。結果自分が何故そのような行動をとったのか、君は分からないというよりは知らないんだ」
ふいにクリスがそんな言葉を投げかける。
「どういうことですか?」
「まぁ簡単に言えば、ないようであるわけだ。君の中に情や想いは存在している、ただそれが何かを知らない。心で想うことが頭で理解出来ていないだけさ」
「ないようである……また、認識の話ですか?」
認識――この上司がよくする会話の中にこの認識の話がある。レイは七年間クリスと一緒に暮らし、耳にたこが出来るほどこの類の話を聞かされてきた。
「そうだ。君の中に動機はないように思えるが、心のそれを頭で認識することで君の中に動機はあることになるのだよ」
クリスの膝元にいる猫が急に起き上がり、彼女の膝元からジャンプして床に降り立った。羽虫でも見つけたのか、宙を掻き始めた。
「まぁ、私の研究分野の話を長々と聞かされるのは飽きただろう。そろそろ本題に入ろうか」
クリスはそう言うと椅子から立ち上がり、黒い礼服の袂から折り畳まれた一枚の紙を取り出した。それを一直線にレイに投げつけてくる。魔術でも使用しようしているのか、その紙は狂うことなく彼の手元へと届いた。
レイは届いた紙を広げた。そこには角に東西南北を現す記号が記された地図だった。右端には『ロンダル』と書かれている。
「これは、首都の地図ですか?」
「ああそうだ、ディアレ王国で最も広い区画である首都ロンダルの地図だ。いや君は外をあまり知らないからな、地図があった方が何かと便利だと思ってね」
「何故、このタイミングでその話が出てくるんですか?」
疑問を投げかけるレイにクリスは不敵な笑みを浮かべ、言い放った。
「簡単に言えば君はクビだ」
――時が止まった。レイは状況が掴めず。疑問を頭に浮かべながら聞き直した。
「クビ?」
「いやだからクビだってば。ばいばーい」
「なんで!?」
レイの声が部屋に響く。いきなりのクビ宣言。他に仕事のあてもない彼は頭を抱える。確かに色々危うい人生ではあったがとうとう路頭に迷う時がきたようだ。
「まぁ正確に言えば特務から外れて貰うということだ。後任も見つかったことだし、君にはこれから長期的な別の任務をこなしてもらう」
「ということは別に枢機卿をクビになるということではない訳ですね?」
「ああ、そうだ」
ほっと安堵するレイ。路頭に迷うと思ったがどうやらそういうことでもないらしい。
「あんな言い方されたら、勘違いもしますよ。それで長期的な別の任務とは何ですか?」
黒猫は羽虫と格闘することに飽きたのか、気付けばその場で丸くなっていた。
「これは失礼した。私のお茶目なところが出てしまった」
クリスはわざとらしく咳払いすると続けて言った。
「ロンダルには私の知人が運営している魔導養成所がある。まぁ養成所とは言っても、才ある若い魔導士達を、来るかもしれない戦いの時に備えてより育成し、制御下に置くことが目的とは言えるが」
クリスの意図が掴めないレイはとりあえず様子を見てみることにする。
「君にはそこへ通ってもらう」
思わず「は?」と声に出してしまう。本当にこの上司は突拍子がない。どこかで破天荒な上司に苦労しているとある騎士団兵長を思い浮かべながら、彼はそう思った。
「いや司令。なぜ俺がわざわざそこへ通わなくてはならないんですか? 俺は魔導士と言えるのか微妙なとこだと思いますが」
「気にすることはない。その知人とは旧知の中でね、私の頼みならと快く引き受けてくれたのだ。君は一般的な魔導士としては半人前以下だ。だが向うもそれで問題ないと言ってくれている。――それにな」
クリスは軽く上を見上げ、小さい電球を見ているようだった。だがその目はどこか遠いところを見ているようにも感じられる。
「これはさっきの話と繋がることだが……レイ、君はもっと認識を広げなければならない。ないものを確かにあるものにしてきなさい。七年間君と暮らしてきたが、どうも考えが極端な私では、君に教えてあげられることはもう無い様な気がするのさ」
その様子はどこか憂いを帯びていた。七年間共に過ごしてきたレイでも、その表情はあまり見たことのないものだった。これは冗談半分で言っているのではない、本気で言っているのだ。
「戦いの時に備えての魔導養成所と言ったがね、目指しているものがあるのだよ」
「目指しているもの?」
何と言っていいか分からなくなっていたレイに、クリスが助け舟を出したのかは分からないが話題を変えてきた。
「ああ。そこの知人はね、若い魔導士達を真に導く……何と言ったかな、そう、学園といったかな。魔導学園を作りたいと言っていた。戦争が終わって七年立つが、この国の状況は不安定なままだ。魔導養成所も裏には王政の思惑があるだろうが、知人はそれを知りながら、いつかは夢を持ち、未来のために活躍できる魔導士を導く場所にしたいと考えているようだ」
「随分と偉大な目標ですね」
「ああ、実にな……。それでね、魔導養成所は学園の先駆けとなるよう、通う者を学生とし、魔導の知識に長けた大人の者が、教師として学生に魔導を教えるそうだ。師と弟子という魔導士固有の関係ではなく教師と学生として……。他国で行われているシステムをかなり取り入れたらしい。君もこの際だ、私のような偏った知識ではなく、ちゃんと魔導を学んでみるといい」
レイは聞き覚えのない言葉に思考を巡らせる。学園、教師、学生。先進的なある国で行われているという教育というやつなのだろうか……。
「いいかい、レイ。君は明日からそこへ通い、魔導を学び、同じ学生の者と友人になり、時には助け合い、世界には色々なものがあると知ってほしいのだ。私すら知り得ない様なことにも、きっと触れることが出来るだろう」
クリスはそう言うと、椅子に座りなおした。彼女は両手で頬杖をつきながら、レイの返答を待っているようだ。彼は一度軽く溜息をついた。元より、この上司もとい枢機卿総司令もとい義母は、一度決めたことを簡単に捻じ曲げるような人間ではないのだ。
「分かりました。明日からとは急な話ですが、養成所に通うことにします」
「そうか。それは良かった。地図の印を付けたところが養成所の場所だ。」
レイは地図に付けられた青い丸印を見る。だが、印はその他にもあった。養成所とは違い、赤いバツ印のマークが付けられている。
クリスは軽く笑顔を作ると、床で丸くなっている黒猫を呼び寄せた。猫はすっと目を覚ますと、机の上に乗り、また丸くなった。
「では今のは義母からのささやかなお願いとして、次に枢機卿としての任務の話だ」
「任務……ですか?」
「ああ、特務からは外れてもらうが必要とあらば任務はこなしてもらう。枢機卿なんだから当たり前だろう」
「はい……」
養成所に通いながら枢機卿としての任務はこなせ、ということだろう。それが暗殺という特務でなくなっただけだ。
「丁度いいというか、なんというか、最近ロンダルで連続的な殺人事件が起きているのだよ」
「殺人事件……それはまた物騒ですね。もしかしてこのバツ印は?」
レイはそう言いながら何個が地図上に存在するバツ印を見た。
「物騒な世の中ではあるが、まさか王城があるロンダルでこんな事件を起こすとはね……バツ印は事件のあった場所だ、まぁ殺害現場ということだ」
クリスは丸くなっている黒猫をあやしながら、言葉を続けた。
「犯人と思われる人物は一応いる。元傭兵だがその分タチが悪い。無駄に戦闘に長けているのだよ。いろんな国を巡っては殺人を繰り返している異常者らしい。他国からも指名手配中だそうだ」
「元傭兵? なんでそんな奴が国を巡りながら殺人なんて」
「理由なぞ分からんが、狂った考えの持ち主である事は確かだろう。初犯は家族の皆殺しだったらしいしな。なんとも珍妙な魔術を使うとも聞く……元傭兵のうえに魔導に精通しているとは厄介な事だよ」
「それだと俺が捕らえるというのは難しいですね」
レイは率直な感想を述べた。彼は義母であるクリスから
「そうだ、だから君の任務は調査でいい。何か掴めたら報告する程度のものだ。無理にリッパリーと接触しようとは思わなくていい」
「分かりました」
「だがな……」
話を終わらせようとしたレイをクリスが遮る。
「一つ気になる事がある」
クリスの口調が変わった。その声音は何か大きな悪意を予期するような、暗いものだった。
「この連続的な殺人事件。まるでこの前の魔剣騒動の解決を皮切りにしたように、この一週間で七度、あの翌日から一日に一件起きている」
あの日の魔剣騒動、レイ自ら主犯である司祭を抹殺し、騎士団により魔剣と呪術は回収されたはずだ、もう既に解決している事件のはずだが。
「あの事件は解決したはずですが、何か関係が?」
「いやね……魔剣騒動では沢山の女性が捕らわれていたのは君も知っているはずだ。例の魔剣の生贄としてね……そして、このリッパリー・エンドは女性のみを狙って殺害するという特徴がある。そして今回の殺人の件だが、七件とも被害者は全員女性なのだよ」
「それはリッパリー・エンドが女性を殺害するという特徴があるだけで、魔剣騒動とは関係ないんじゃないですか? 被害者が女性だからリッパリー・エンドは容疑者として浮上した。そういうことでは?」
レイは自分の推測を述べてみた。魔剣の生贄に女性が必要だということと、リッパリーが狙うのが女性という事実が二つ重なっただけで、因果関係があるとは考えにくい。彼の中では魔剣騒動は終着しているのだ。
「確かにそうなのだが、なんともタイミングが良すぎるような気がしてね……まぁ、思い過ごしならそれに越したことはないさ」
「……分かりました。一応、魔剣との関係も考慮に入れて捜査します」
と、そこでレイはあることを思い出す。あの場は騎士団に任せたが、一体魔剣と呪術はどうなったのか、その後が気になったのだ。
「そういえば、呪術と魔剣の方は騎士団が回収したんですか?」
クリスは興味無さそうに一つあくびをすると、つられて黒猫も小さくあくびをした。人間と猫でもあくびは伝染するものなのだろうか。
「さあな。向う様は相変わらず私達をよく思ってないらしい。何の情報も入ってきてないよ」
「……」
同じ国を守る機関なら互いに協力すればいいのに、王政への信頼だとか、手柄がどうこう言って揉めているのやら……しがない枢機卿の彼にはよく分からなかった。
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