スピン



 同じことを、繰り返している。

 肌に馴染んだ行動パターンを繰り返している。

 ほとんど選択の余地のない状況で、考えることもなく同じことを、繰り返している。

「飲み過ぎだね、体に良くないよ」

 まだ半分ほど残っているチューハイの缶を取り上げて、テーブルから遠ざける。そのへんに置き忘れられた空き缶を回収してキッチンの床で踏み潰す。テーブルの方に戻るついでに、ブランケットを手に取りほとんど酔いつぶれている彼の背中に掛ける。毎度毎度繰り返している選択にほとんど迷うことはない。それがときどき、すごく怖くなる。

「俺はさ、俺なんてさ」

 赤い顔をしてくだを巻いている彼の手を握る。

「そんなことないよ、ひろきくんはよくがんばってるよ」

 テレビ画面にBBCとNHKが共同で作成した動物の番組が映っている。彼は家に帰ればドキュメンタリーを見ながらアルコールを煽るのが習慣で、私は彼が飲み過ぎないように頃合いを見計らって缶を取り上げるのが仕事だ。

「すごいね、絶壁だね」

「よく撮れたね。ドローンかな」

 同じことを、繰り返している。バカみたいに。同じことを繰り返している。画面の中の動物たちのほうがまだ選択の自由がある。同じ場所にとどまって単純作業に甘んじている私たちと比べれば、自然の中の彼らのほうがよほど高等な生き方をしているように見えた。



 思えば子供の頃から同じことをしているのだ。帰ってきた父親のグラスにアルコールを注ぐ。酔いつぶれた父親の飲み過ぎを注意しては、酔っ払ってナーバスになった父の背中をさする。物心ついた時から繰り返している行動パターンだった。改善しようにも、体に染み付いていて、多分もう手放すことのできない習慣。


 ひろきくんは父に少し似ていた。顔が、とか体格が、とかそういうレベルではなくて、仕草とか考え方とか感情表現の仕方が、よく似ている。男性のマザコンは世間の人々がよく指摘するところだけれども、私にも十分すぎるほどファザコンの要素があるのかもしれなかった。

 喧嘩の仕方だって、昔どこかで見た感じだ、と思う。デジャビュ、というよりも自ら好んで幼い頃に目にした場面を再現しているようにも感じる。ひろきくんは気に入らなことがあると年甲斐もなく拗ねる。多分自分の感情を言語化することに慣れていないのだ。それはそれで仕方のないことだと思う。男性には感情を表出する機会がそもそもお公に認められていないように思える。それでも、まるで幼いころに見た夫婦げんかの直後の父のように、ひとり背中を丸めてアルコールを煽るひろきくんの姿を見ると、なんだか偶然とは思えなくて、私はときどき背筋が寒くなる。

「ごめんね、傷ついた?」

 そんなふうに彼に歩み寄る私の姿も、いつか見た母にだぶる。

 同じこと、同じことばかり。


 もしも私が度重なる衝突にくたびれてひろきくんの元を去ったとして、あるいはひろきくんが私の不甲斐なさに不安を抱えてどこか他の女性の元へ走ったところで、結局私はまたどこかで同じようなことを繰り返すのだと思う。自分が惹かれる人はきっとまた違うようで同じ、同じようで違うひろきくんで、お父さんで、それはもうどうしようもなく抗いがたいことなのだ。相手が変われば状況は変わる、なんて思うのはきっと正しいけど間違っている。私が変わらなければ結局また同じ結果が待っているだけなんだろう。確信めいた予感がある。


 たとえば。私たちは丸いボールで凸凹の地面を転がっている。サイズはまちまちで大きいのもあれば小さいのもある。転がり始めのスピードや重さ、色なんかは自由に変えることができるけれども、私たちは決して自分の転がる地面を選べないし、地形を変えることもできない。地面にはときどき穴が穿たれている。転がる先でサイズに応じた穴に落ちる。くぼんだところから出られない。生きるというのはそういうことなんだと思う。進行方向とは逆向きのスピンをかけてイレギュラーな動きを見せかけることは出来ても、盤上の条件を自ら作り変えることはできない。そのうちみんな適当なところで動きを止めて、それからそこで、完全に止まってしまう。


 本当にそうだろうか?私は自分で自分を変えたくないだけなのかもしれない。他の可能性を追求することを放棄している。自分が停滞している理由をもっともらしく飾り立てたいだけではないのだろうか。

 私たちはクレーターに嵌ってしまってお互いに互いの周りを回転している。ときどき他のボールやなにか別の要素がぶつかって、私たちは窪地から弾き出されてしまうかもしれないし、あるいはどちらか片一方が転がり落ちてきた他のボールと入れ替わってしまうかもしれない。

 不変なものなんて何もなくて、私はただこの場所が盤石なんだと信じたいだけなのかもしれない。


「まりちゃん」

 ひろきくんが私の名前を呼ぶ。

「ずっと一緒にいようね」

 酔っ払って子供みたいなことを言っている。私は黙って微笑んでひろきくんの指先を握る。これは本当に私の望んだ行動なのだろうか?私がそうしたいからそうしているのか、あるいは、最も軋轢の少ない方法に転がっているのか。私にはわからない。私には、わからない。

 それでも握り締めた指先の温かさや、不意に投げかけられた言葉の生む熱のようなものは、確かに私の心臓の奥を温めた。ずっと、の指す意味が曖昧で不確かでも、私の行動が信用に足らなくても、それでも、この心臓の温かさは本物のように思えた。

「ずっと一緒に、いようね」

 呟いたら涙が滲んだ。ひろきくんの寝息が私のすぐ側で聞こえている。

 言葉に表現しようのない単純な幸福と、それからどうしようもない孤独と不安。


 


©2017 aze_michi

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