悲しいは美味しい

©2016 aze_michi


 ご飯を食べにおいで、と言われたのでいつもとは違う駅で降りて、レミさんのマンションに向かった。レミさんには昔お世話になったことがあって、今でも時々食事をごちそうになる。レミさんは三十八歳、私は二十六歳。一回りの歳の差を超えて、私たちは馬が合う。下手をすると同じ年の女友達よりも気を使わずに過ごすことができる。


 マンションの十二階。インターホンを押すと、いつもみたいに底抜けに明るい声がして、扉が開く。レミさんはいつもと変わらない笑顔で迎えてくれる。部屋の奥からふんわりとおいしそうな香りが漂ってきた。


 部屋に通されるとテーブルの上にはすでにサラダや何品かのおかずが並べられている。真ん中には花を生けた花瓶が飾られていた。


「なにかのお祝いですか? すごく豪華ですけど」


 私はコートを脱いでハンガーに掛ける。


「いや、お祝いってほどじゃないんだけど。たまには花でも買おうかなと思って」


「女子力ですね」


 私は笑う。レミさんも笑う。


 レミさんは美人ではないけど雰囲気のある人だと思う。いつも笑っていて、可愛い。


「にしても品数がやばいですね」


 私はサラダのラディッシュをつまみながら、キッチンで作業しているレミさんの手元を覗き込んだ。牛すじ肉の赤ワイン煮込み。私は瓶の残りを指差して聞く。


「それ残り今日飲むんですか?」


「飲んでもいいけど」


 レミさんは笑う。母親とも違う、なんというか程よい距離感。他人同士の遠慮もあれば、世代を超えた心配や同情もしてくれる。この包み込むような包容力。どうして未だ独身なのか理解できない。人間性と情の厚さ、レミさんは本当に優れた女性だと思う。もっというと料理が上手い。下手な外食をするよりレミさんの料理のほうがよっぽど上手いこともある。もとが凝り性なのか、レミさんはなにかにハマるとそれなりに極めてしまう。なにをさせても器用で本当にうらやましい。


「ソラちゃん今日は彼氏は?」


「ラインだけして、あとは放置です。最近また上手く行ってないんですよね。昨日も喧嘩ですよ」


「それはそれは。もうすこし煮こむのにかかるし、先食べてていいよ」


「じゃあサラダだけ。生野菜から食べると太りにくいってホントですかね?」


 私は白い取皿に野菜を載せる。みずみずしくて美味しそうだ。大皿のそばには、何種類かのドレッシングが並べられている。私はマヨネーズベースのごまドレッシングを選ぶ。健康志向のサラダが台無しな気もするけど、塩コショウだけで野菜を食べるなんて、私には信じられない。


 それにしても今日は作り過ぎなんじゃないかと思った。とてもじゃないけど女二人で食べきれる量ではない。


「これ隆平さんの分も込みの量ですか?」


 レミさんがふと手元を止めて私を見た。困ったような笑顔を見せる。


「ちょっと作りすぎちゃったね。ついなんか、買い込みすぎたかな」


「野菜高くないですか?私は最近もやしとかねぎしか食ってないです」


 圧力鍋の蓋を閉めて、レミさんは手を洗う。濡れた手をエプロンで拭って、カウンターキッチンの奥からこちらに移動してきた。


「ダメだよ、野菜とか食べないと。五年後後悔するから」


「そうなんですよね。でも自分で作るのもめんどくさくて」


「今度教えようか?」


「あー、うん、今度。そのうち」


 やる気がないにも程がある、と言ってレミさんは笑った。受験勉強の時に出てきた和訳の問題に、今日食べたものが明日の自分を作る。とか言うのがあって、今になってみるとそれは正しいのかもしれない、と思い始めている。私はコンビニのパンやお弁当ばかり食べていて、つまり今、自分のことを大切にできていないのかもしれない。


 私たちはテーブルについてめいめい料理をよそった。美味しそう、というか美味しい。


「どうかな」


 レミさんが不安そうに聞く。


「美味しいですよ、すごく」


 私は答える。レミさんのグラスにワインを注いだ。


「よく言うじゃん、自分の子どもとお酒を酌み交わすのが夢だ、とかって」


 レミさんが言うのを、私はサラダの蒸し鳥を頬張りながら聞く。


「私にはソラちゃんがいるから、今はそういうの、もういいかな」


「え、でも子供とか欲しくないんですか? 四十代で出産とかも結構聞きますけど」


「うーん、なんか体力保ちそうもないしねー」


 レミさんはそう言ってワインを煽った。私は自分で注いだワインをちびちびと飲みながら食事を口に運ぶ。レミさんの飲むピッチがいつもよりも早い。手酌でがんがん飲んでいる。大丈夫だろうか?そもそもお酒に強い人ではないので、少し心配になる。


「ねー、ちょっと飲み過ぎじゃないですか?」


「うん、美味しい美味しい。もう一本開けようか」


「まだ早いですよ、ねぇ、こないだ赤は悪酔いするから嫌だって言ってたじゃないですか」


 レミさんは自分の料理を自画自賛しながらどんどん飲む。新しいワインボトルを持ってきて明ける素振りを見せる。私はいよいよ心配でたまらなくなる。思わず席を立ってレミさんの行動を制止しようとする。


「隆平と別れた」


 レミさんが呟いた。私は思わず動きを止めてしまって、気まずさにどうしていいかわからなくなる。隆平さんは二歳年下のレミさんの彼氏で、多分レミさんは結婚するつもりでいたんじゃないだろうか。

 私がレミさんの腕を離したら、レミさんはまたグラスにお酒を注ぎはじめた。しかも泣いている。この人こんなに泣き上戸だっただろうか。いつも慰められてばかりだった私は、こういうときどうしたらいいのかわからない。


 あー、だから、子供はもう諦めるって、言ってたのか。ふとさっきの会話が蘇ってきて、思った。泣きながら飲むレミさんをわたしはぼんやりと眺める。涙でアイラインが流れだす。慌ててティッシュを探してきて、レミさんに手渡した。レミさんは涙を拭って更に鼻水をちんとかんだ。


「レミさん、レミさんのご飯美味しいです。私がレミさんの子供だったら毎日喜んで食べると思います」


 どう言って慰めていいのかわからない。自分の薄い人生経験が恥ずかしくなる。


「でももう子供は無理だわ、私あきらめる」


「いや、まだわかんないし、なんなら一緒に婚カツパーティー行きます?」


「ソラちゃん彼氏いるのに」


「いいんですよ、あんなのはほっとけば。レミさんのほうが大事です」


 私は椅子をレミさんの隣に引き寄せて、彼女の背中に手を添えた。


「今私のほうが大事って言った?」


「言いました。とても大事です」


「ほんとに?ほんとに言ってる?」


 レミさんが私の瞳を覗きこむ。私は固くうなずいた。

 レミさんが私の方に頭をう傾ける。涙がぼろぼろこぼれている。もとから美人じゃないのがますますブスになる。目尻のしわにファンデーションがよれている。普段よりぐっと疲れた顔に見える。だけどどこか憎めなくて、私はレミさんの手を握る。


「悲しかったら泣けばいいし、楽しかったら笑えばいいって、いつかレミさん言ってたじゃないですか」


 だけどレミさんは大人だから、多分悲しいって言えなかったんだ、と私は思った。私を出迎えてくれた時の笑顔を思い出しながら、私は目の前の白身魚のフライをつまむ。レミさんの料理はいつも美味しいけど、今日は特に美味しい気がした。きっと悲しさを忘れるために料理に集中しようとしたのかな、と私は思った。


 レミさんの悲しいはおいしい。私はワインのボトルをそっとレミさんから遠ざけた。

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