なつやすみをもういちど

 お盆の時期になると、家の近所にあの子がやってくる。都心からやってきたあの子は色白で、手足も細くて、無口でおとなしい。


 ぼくたちが沢で魚を釣ったり水遊びをするのをおばあさんに連れられて、おっかなびっくり眺めながら、少しずつ親しくなる。多分あの子は人見知りで、自分からうまく話しかけに来られない性格だった。一週間かけて徐々に話せるようになり、やっとこさ慣れたところで、また自分の家に帰っていく。


 夏休みはだから嫌いではなかった。いつもあの子に、会えたから。

 うちのばあさんの計らいで、一緒にすいかを食べたり、花火をしたり、虫を採ったりした。


 あれは何年目のことだっただろう。いつもは一週間ほどで帰ってしまうあの子が、一ヶ月近くも村で過ごしたことがあった。さすがに一ヶ月も一緒に過ごすと、余所者という意識も消えて、まるで幼友達の中に最初から彼女がいたように感じることさえあった。ぼくたちは朝から日が沈むまでずっと辺りを駆けまわっては、ただ日々を過ごした。人見知りな彼女もだんだんと打ち解けて、真っ白だった肌もどんどん黒くなって、ぼくたちは確かに、友達だった。


 学校の話をしたり、ホラー映画を観たり、水を掛けあったり。ぼくたちは人に言わせると、兄妹のようだった。

 ぼくだって、自分の後をついてまわる彼女のことが、嫌いではなかった。


 今思うと、初恋だったのかもしれない。それに気がつくにはぼくはあまりに幼すぎたのだ。


 長くて濃密な夏休みが終わると、あの子は車に乗って、村を離れていった。


「また会おうな」


 窓から覗き込むと、あの子は車の中で何度も頷いた。


「また来年、会おうな」


 そう大声で叫びながら、ぼくは走り去る車の後方で、大きく大きく手を振った。

 赤い車が見えなくなるまで、いつまでも手を、振っていた。


 けれどもその次の年、あの子は帰ってこなかった。

 ばあさんに聞いたところ、両親が離婚して、帰省どころではないのだという。

 次の次の年も、彼女は帰ってこなかった。ぼくは無い頭を絞って、無愛想なはがきを書いた。汚い文字で白いケント紙を汚しだだけのようなはがきは、届け先の住所が間違っているとか言って帰ってきた。寂しさは怒りにも似た激しさでぼくの頭の中を支配した。そしてそれも段々、薄れていった。


 気がつくとあの子のことを思い出すこともなくなっていた。意識的に思い出すまいとしていたのかもしれない。


「これいいね、この写真」


 彼女に言われるまで、頭の中でホコリをかぶっていた記憶は、忘れ去られたままだった。

 彼女の持ち上げた写真の中では、でこぼこに千切れたスイカにかぶりつくぼくと、いとこが写っている。

 ブルーシートをベタベタに汚して、目隠しの手ぬぐいを首にかけて、口に黒いタネをつけて。


「ああ、いいでしょ、俺いい笑顔だなー、バカだったんだね、この頃はさ」


「スイカ割り?いいなー。私やったこと無い」


「今度やろうよ、スイカ割り。ここの縁側広いから、汚しても全然いいよ」


「うそ、ほんとに?やった」


「近所の子供呼んで、やろう」


 写真の中にあの子はいない。あの子がいなくなった次の年に撮ったものだ。


 なのにぼくはとても幸せそうに、真っ赤なスイカにかぶりついている。悩みなんてなにひとつない、と言った顔をして。


「あの子と食べたスイカ、ホントは美味しくなかったんだ」


「え?」


 成長しすぎて中にすが入っていて、しがしがしてて、まずかった。

 なのに。今も思い出すのは、まずかったあのスイカの味。写真の中のスイカのことなんてなにひとつ覚えていなかったのに、記憶の中にあるのは、あの子と食べたあのスイカなのに。


「なんでもない」


 ぼくは彼女に微笑む。ぼくたちはこの秋結婚して、ひとつの姓を名乗る。

 

 来年の夏からずっと、ぼくは彼女と一緒にここに帰ってくることになるだろう。


 もうぼくがあの子の帰ってくるのを待つこともない。


 そういえば彼女の初恋はいつだったんだろう。まだそんな話を聞いたこともなかった。相手の男にぼくの面影はあるのか。


 ぼくは彼女を見つめる。人見知りなど微塵もなくて、浅黒い肌の健康的な彼女にあの子の面影なんてなかった。でもきっと初恋なんてそんなものだ。初恋なんてーー


 気づいた時には遅すぎる。そんなものなんだ、きっと。


©2016 aze_michi

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