やさしくさわって。 1

 今日もまた夜になる。暗闇の中ぼくは目を閉じる。頭の中をぐるぐると駆け巡る感情。動悸。

 息苦しさを紛らわすためにぼくは枕元のスマホに手を伸ばした。液晶画面の明るさが不安を忘れさせてくれる。

 めまぐるしく移り変わる情報。日常の瑣末な不安なんて吹き飛ばすような衝撃的なニュース。そこらじゅうに散らばった誰かの日常の破片。それでも、喉の奥に引っかかったような息苦しさの正体はわからないままで。


「セックスしたい」


 画面に向けて、ぼくはつぶやく。


「別にいいよ」


 彼女が応える。


「今から来れる?」


「三十分以内に着く」


 彼女とは、以前アルバイトしていた居酒屋で出会った。彼女はぼくよりふたつ年下で、都内の女子大に通っていた。上京してきたばかりだという彼女はぼくにとって、ただの働き先の後輩に過ぎなかった。特に可愛いとも思わなかったし、要領の悪い子が入ってきたな、という印象しかなかったのだ。


 それが、どうしてこんな関係になったのか、自分にもわからない。バイトを辞め、しばらく彼女とはなんの関わりもないまま過ごしていたのだけど、辞めてから一ヶ月ほど経った頃、唐突に彼女から個人的な相談を受た。それは自分も辞める、辞めないで悩んでいるのだが話を聞いて欲しいとかで、パートのおばさんのひとりに目をつけられて困っているとか、同期の女の子が香水や化粧ポーチを真似してきて不気味だとか、とりとめもない愚痴を聞いている間に、いつの間にか一緒に飯を食う話になっていた。会って、食事をして、アルコールを摂取し、その後訪れたカラオケボックスの中で一線を超えてしまったのがそもそもの始まりだった。


 彼女には本命の彼氏がいて、ぼくには誰もいない。

 彼女には異性、同性問わずたくさんの友達がいて、ぼくには友達がいない。

 彼女には心配してくれる温かい実家があって、ぼくには継父と実母の待つ薄ら寒い故郷しかない。

 実の父親とはもう十年も連絡が途絶えていた。

 彼女といると惨めな気持ちになって泣きそうになる。

 彼女としていると自分の惨めな気分が和らいでリア充の彼氏ざまぁとかいった気分になる。

 そしてそんな自分の屈折した姿が本当に嫌になって、息苦しくて仕方がなくなるのだ。


 なのになぜ。ぼくは時々彼女に会いたくなる。

 ひとりが辛くて、心が折れそうな夜。ぼくは彼女の声が聞きたくなる。

 実際のところはぼくにだってわかっているのだ。ひとりだから辛いのではない。ひとりだから寂しいのではない。欠けている何かから目をそらすための寂しさに蓋をするため、ぼくにはぬくもりが必要だ。


 健全ではないなぁ。そう思う。けれどもぼくには人を愛することよりもまず、自分を愛することのほうが重要だった。そのために彼女を利用しているような気もして、ときどき罪悪感に苛まれることもある。

 連絡を断つべきだ。そのように思って実行しようとしたことも何度かあった。でもしばらく連絡をとらないでいると、彼女の方から連絡が来る。


「だいじょうぶ?」


「ちゃんと食べてる?ごはん作りに行こうか?」


 そのあたたかい言葉にぼくの決心はゆらぎ、今日までずるずると関係は続いている。

 きっかけもなしに繋がったぼくたちは、同じように終わるきっかけも掴みあぐねているのかもしれない。


<つづく>


©2016 aze_michi

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