二章 黒髪
(1)
「いいかい玲。人は––––––」
なんにでもなれるんだよ。
「規道さん?」
はっ、と。その言葉をかけられて、私は覚醒する。
「は、はい」
視線を上げると担任の先生が私を不安げに見ていた。男性教師だ。人当たりが良く、生徒からの人気もある。
「規道さんが学校で寝てるなんて珍しいね。昨日は寝てなかったのかな」
「は、はあ。いえ、そんな事もないですが」
いや別に。寝たし。しっかり寝てたし。
白昼夢見てただけだし!!!
などと頭の中で言い訳を並べる。言い訳? いや、私何もわるいことしてませんて。昼休みに寝てただけですって。ぐうすかと。
恥?!
もしやいびきを?!
いやいやそんなまさか。私は別に寝言も言わないし。至極安らかに眠るし。
「顔色も悪いね。保健室で寝る?」
お気遣いありがとうごさいます。でも顔色は生まれつきです。いろんな人から病人のようだと言われ続けて早十三年です。
「え? 私、そんなに貧血みたいに見えますか」
「まあね。入学したばかりだから、気が張り詰めてるのかも。………何かあったら、早くいいなよ?」
あんたしつけえな!?
「ああ、はい。でも今のところは––––––」
「理魚飛鳥ってやばくねえ?!」
びくっ。
私の肩が無意識に揺れた。
先生も生徒のその言葉に少し反応して、意識を大声を出した生徒に傾けるように、視線を動かす。
「あー、あいつ? 超やばいよな。だって一度も登校せずに五教科合計四百八十取ったんだろ? 天才かよ」
「つか、そんなやつに対して先生何やってんだろうな。二組の担任頭おかしくね?」
「それな! 俺も休みてぇわ………痛っ!」
ごん。
いつの間にか私の目の前にいた先生は、クラスの男子の頭を出席簿で小突いていた。
「馬鹿野郎そんな事してみろ、先生お前の家まで押しかけるからな?!」
「うっわやべ、それまじ勘弁!」
「てか出席簿の威力やべくね?! しょーきガチで痛そうなんだけど!」
わいわいと騒ぐ。
話題はとっくに変わってしまっている。
担任の先生は生徒に受けがいい。教師内でも受けがいい。保護者内でも受けがいい。
でも私は嫌いだ。
私は立ち上がり、さも調子が悪そうにふらふら先生に近づく。
「お? どうした?」
私は作り笑いをした。私の得意技だ。顔を変えて相手を騙す。
正直、ちょっと引く。
「すみません。私、やっぱり家に帰らせて貰ってもいいですか?」
先生はきょとんとして、それから「え? ああ、やっぱり無理してたんだな」気の毒そうな顔を作った。
「荷物、持とうか?」
「いえ。歩けますので。頭に血が回らないだけです」
「そっか。じゃあ、ゆっくり休めな」
「はい」
ずる休み、ゲットだぜ。
内心心を痛めながら(大嘘)、自分のカバンを持ち、私は教室を出た。
暫く廊下を歩いて、施錠された正門の通用門から出る。
この学校はクラブ活動がそこそこ盛んで、結構な時間まで練習する部も多い。そのため、いつでも出ることができるように通用門は四桁の数字を入力して開錠するようにして、入力ボタンの上にその数字があらかじめ書かれていたりする。
この学校のセキュリティ大丈夫かな。
ブッチ軽くできるんじゃないの?
4632、開錠。
鉄製の扉を押し開けて、学校から出る。
さて。
私は軽く息をついて、纏まらない考えを整理する。これは日課だ。
そうでもしないと自分の置かれている状況がわからなくなる。
つい三ヶ月前だ。三月頃、私は突然昏睡状態から目を覚ました。
その話も後で伯母さんに聞いたものなのだが、どうやら私はかなり長い間眠っていたらしい。一ヶ月だったか二ヶ月だったか忘れたが、そのために小学校の卒業式に出られなかった事(代わりに伯母さんが受け取ったらしい。ちゃんと貰った)、友達が色紙を書いてくれた事、(正直仲よくしてくれた友達は片手の指で足りるのだけれど、私は諸事情あって引っ越す事になったからなのかクラス全員のメッセージ入りだった)、小学校の時の担任の先生が全員に手作りのキーホルダーをプレゼントしてくれた事(私も貰った。この先生は担任になった時から好きだった)などを聞いた。
そして何より、
お母さんが。
「…………」
行方不明になったらしい。どこに行ったのかわからない。でも私は。
特に何も、思わない。
思えない。
なぜかと問われればこう答える。
お母さんは、私を愛していなかったから。
いつもそうだった。抱きしめられても何をされても、それは私以外の誰かを見つめる行為で、抱きしめる行為で、口付ける行為だった。それの行為には私に対する愛情などというものは微塵も感じさせないもので、それが私を達観主義にさせてしまったのだと思う。
うん。
私が拾い子だと言われても受け入れると思うよ。
派手にクラクションを鳴らして、ベスパが私の目の前を横切った。
私の家は父親がいない。交通事故で亡くなった。
高速で車が横転して、ガソリンがどうにかなったのか、炎上した。父はそのまま帰らぬ人となった。
私はその時六歳で、全くと言っていいほど父の顔を覚えていないし、葬儀の様子も朧げにしか覚えていない。
その時もそうだ。
お母さんは、ちっとも悲しそうじゃなかった。
「家に帰ろう」
私は小さく呟いた。
今住んでいるのは伯母さんの家だ。お母さんのお姉さんらしい。お子さんが三人いらっしゃる。優しそうな夫さんが、黒い猫の世話をしている。一番上のお子さんは中学三年、下の二人は小学生。
こんな時間じゃあ誰も帰ってないだろうな。
「家に帰ろう」
馬鹿馬鹿しいと、私は思う。
私の帰る家なんて、最初からどこにもないのに。
化獣物少年アスカ 宮間 @yotutuzi
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