第6章.わたくし、間男に求婚されます

わたくし、間男に求婚されます(1)



 今日も今日とて、とても穏やかな朝でございます。

 あの古城で魔王さまと初めてお会いして、ちょうど一年が経とうとしておりました。あのときは、まさかこのような時間を共に過ごしているなど思いもよりませんでしたね。

 あぁ、なんて素敵なことなのかしら。このまま、平和な時間がずっと続けばいいと思います。

 と、空っぽのお皿が差し出されました。


「勇者。おかわり」


「はい」


 お母さまのスープを注ぎ、それを渡します。相手はそれにパンを浸すと、美味しそうにかぶりつきました。

 その相手を見て、わたくしはたずねました。


「それで、どうして剣士さまが当然のようにいらっしゃるのですか?」


 ぎくり、と身体が強張りました。

 この方、あのときの怪我が癒えて数日前に出ていったはずでした。それなのに、なぜか毎朝、当然のように食卓に顔を出しては食べるだけ食べて行ってしまうのです。おかげさまで、ここ数日の我が家の食費は倍以上に膨れておりました。この引き締まったお身体のどこにそれだけの食糧が入るのでしょうか。


「し、仕方ねえだろ。僧侶と違って、おれはここに食事の当てなんてねえんだ」


 まあ、確かにこの村は辺境すぎて観光者など来ません。そのため、宿なんてお洒落なものはないのです。旅人が通りかかったときには基本的に村長が納屋を貸してあげるのですけれど、食事の世話などはさすがにしてくれません。そのため、剣士さまは食事のたびに食べ物をねだりに来るのでした。


「この村には、いつまでいらっしゃるおつもりですか?」


 剣士さまはパンを食べる手を止め、気まずそうにおっしゃいます。


「……もともと、この村で暮らすつもりだったからな」


 まあ。こんな村に出稼ぎにくるなんて酔狂もいいところですね。

 あら。魔王さまが気の毒そうに剣士さまを見ています。いったいどうしたのかしら。


「あ、いや。……なんでもない」


 魔王さま。剣士さまのことになると途端に口を閉ざしますね。なにか弱みでも握られているのかしら。あとでさりげなく聞いてみなければいけません。いざとなったら剣士さまを再び締め上げることも辞さないですよ。

 と、魔王さまがおっしゃいました。


「剣士よ。ひとつ聞かせてくれぬか?」


 剣士さま、それを聞こえないふりをなさいます。


「剣士さま」


「き、聞こえてるって! なんだよ?」


 まったく、剣士さまも、どうも魔王さまには冷たいですね。確かに魔王とは敵対していましたが、いまではこうして共存しているのです。こういうところは本当に成長しておりません。

 魔王さまは神妙なお顔で問いました。


「貴様に闇の術を仕込んだのは誰だ?」


 あら。そういえば。そのあたりのことは、結局はわからず終いでしたね。


「闇の精霊の声は誰にでも聞こえる。しかしその力は人間に操れるものではない。普通は暴走して、一瞬で精気を吸い取られるはずだ。制御するためには闇の術式が必要だが、それを貴様に教えたものがいるはず……」


「…………」


 剣士さまは最後のパンを口に詰め込みました。そして、袖をまくり上げました。その右肩には、いままで見たことのないような禍々しい刻印が記されていたのです。


「よく覚えてねえんだけどよ。あのとき、森で男と会ったんだよ。ほら、あの赤いマントを着た、手紙を運ぶ連中だ」


 それって、まさか梟さんでしょうか。


「闇の精霊に精気を吸われて死にそうになってたら、そいつが出てきて肩にこれを刻んだんだ。そして耳元で囁いた。勇者を殺せ、魔王を殺せ、貴様のすべてを奪ったやつを決して許すなってな」


「…………」


「それで気がついたら、あの豚を抱えてた。あれ以来、あいつは姿を見せねえけどな」


「……そうか」


 魔王さまも神妙なお顔で沈黙いたしました。

 いったい、どういうことなのかしら。なぜ梟さんがそのようなことを? いえ、そもそもどうしてわたくしたちの正体を知っているのかしら。そういえば、ずっと前に僧侶さまのお手紙を運んでくださった梟さん、確かわたくしのことを勇者と呼んでいました。

 どうもきな臭いことになってきました。勇者としての勘が、なにか不穏なものの到来を告げているような気がします。

 と、窓がガタガタと揺れました。

 びっくりして見ると、窓に一羽の鳩が留まっておりました。その脚には、書簡が括られております。窓を開けて、その鳩を手に取ります。



 これは旅の仲間だった老師さまの刻印です。いったい、どうしたのでしょうか。

 と、その刻印が光りました。ひとりでに封が解かれると、わたくしの前に手紙が広がりました。これは確かに、老師さまの魔法です。


『勇者どのへ。

 最近、いかがお過ごしかな。


 うわさは聞いておる。

 なんでも魔王と結婚したのだとか。正直、最初はこの耳を疑った。しかし、うぬは決して愚者ではないと知っている。うぬが自分で決めたのなら、わしは祝福しよう。


 遅くなったが、おめでとう。


 それはそうと、最近、司教には会ったかな? 会ったとしたら、わしのことは気にしておったかな? いや、別にわしが気になるということではなくて、やはりかつての伴侶が元気にしているのかを知っておくのは人間として……』


 面倒くさいのでさっさと用件まで飛ばしましょう。

 もう。老師さま、離婚してもう何十年も経つのに、いまだに司教さまに未練があるのです。ああいう男性は見ていて格好よくないですね。


 と、その手紙には衝撃的な言葉がつづっていたのです。


『これは遺言として聞いてほしい。


 ――うぬたちに、危険が迫っておる』


 わたくしたちはごくりと喉を鳴らしました。見れば、鳩の尾っぽに赤い染みがついているのを見ました。そっと匂いを嗅いでみると、それはよく知ったものでした。


 ……これは、血です。


 どくどくと心臓が脈打ちました。

 再びお手紙に目を落とそうとしたとき、家の外から大きな声が轟きました。


「王子殿下の、お成ありいいいいいいいいい」



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