わたくし、家庭を脅かす存在に立ち向かいます(2)



 大変です!


 とうとう剣士さまが、わたくしの勇者の称号を奪うためにやってきました!


 わたくしこれまで、剣士さまのことなどすっかり忘れておりました。だって勇者とは世界を平和に導くもの。世界が平和になったのに、そんなもののために戦いを挑んでくるなど酔狂の極みではございませんか。そのため、わたくし彼への対策をひとつも考えていなかったのです。

 予期せぬ災害への備えを怠るなど、これでは魔王さまの伴侶失格ですわ。


 い、いえ。わたくし落ち着くのです。あれからもう一年も経ちました。確かにあのころは剣士さまも若かったかもしれません。称号よりも実績が大事だと気づかない青二才でも、いまではきっと立派な精神を宿していらっしゃいますわ。だって見ればわかります。この一年で、想像もできないような鍛錬を積んだもののオーラを纏っておりますもの。

 とりあえず、さりげなく剣士さまに探りを入れることにいたします。


「け、剣士さま。一年ぶりでございますねえ」


「おう。そうだな」


 その裏表のないさわやかな笑顔は、昔と変わらないご様子でした。

 あぁ、やっぱり杞憂でございましたね。やはり剣士さま、わたくしを打倒する目的でやってきたのではないのでしょう。きっと、近くを通ったから顔でも見にきたのですわ。そうに違いありません。

 そうとなれば、きちんとおもてなししなければいけませんね。せっかく僧侶さまもいらっしゃるのだし、久しぶりに昔話に花を咲かせましょう。

 先日から焼き菓子の練習をしていて正解でした。いまこそわたくしの料理の上達ぶりを披露するときです。

 と、なぜか剣士さまがわたくしの顔をじろじろと見ておりました。目が合うと、ぷいっとそっぽを向かれます。


「おまえ、その、なんだ……」


 はて、いったいどうしたのでしょうか。なにかほっぺたにでもついているのかしら。

 そう思っていると、彼はなぜか恥ずかしそうに頬を染められました。


「……お、女らしくなったよな」


 がーん。


 わたくし、その言葉を頭の中で反芻いたします。女らしくなった。そんなこと、旅のころは決して言われたことがございませんでした。


 あぁ、なんということでしょうか。


 確かにこの一年、ろくに鍛錬もせずに過ごしておりました。確かに剣士さまからすれば、なまって見えても仕方がないかもしれません。


「そ、そんなにわたくし、勇者らしくなくなりましたか?」


「は? いや。おまえは、もともと勇者らしくはねえけどよ」


 ががーん。


 なんということでしょう。自分が平和ボケしたのは自覚しておりますが、言うに事欠いて過去のわたくしすらも否定するなんて。


 ……でも、これではっきりしましたね。


 剣士さまは、やはりわたくしから勇者の称号を奪い取るためにやってきたのです。堕落したわたくしを見て、ご自身の勝利を確信したのでしょう。かつての仲間と戦うなど心苦しいことですが、きっとそうしなければお互いが納得できないのだと思います。

 だってわたくし、まだ剣士さまなどに負けるほど耄碌もうろくしてはございません。


「剣士さま。一年前のお約束を果たすために、いらっしゃったのですね」


 すると彼は、とてもうれしそうに破顔いたしました。


「お、おう! 憶えててくれたのか!」


「もちろんでございます」


 本当はさっき思い出したのですが、ここははったりをかましておきましょう。戦いはすでに始まっているのです。

 わたくしはエプロンを脱ぐと、それを僧侶さまに渡しました。


「さあ。こちらへ」


「お、おい。どこに連れてくんだよ」


「それはもちろん、ふたりだけになれる場所ですわ」


「い、いきなり!?」


「ご不満でも?」


「い、いやいや! ぜんぜんねえけど……。思ったより積極的なんだな」


 まあ、わたくしこれでも勇者としてのプライドはございますもの。それをないがしろにされて黙っていては、これまで助けてくださった方々にも申し訳が立ちませんわ。


「この先に、広い草原がございます。普段はわたくしが放牧に使っている場所ですので誰もいませんし、大きな声を出しても気づかれることもないでしょう。そこなら本気でやっても、誰にも迷惑はかかりませんわ」


 するとなぜか、剣士さまがお顔を真っ赤にして狼狽えられました。


「そ、草原で!? おまえ、けっこう大胆なんだな……」


 さすがです。戦いを前に興奮を抑えきれないご様子ですね。やはり剣士さまは戦うために生まれてきた生粋の戦士なのでしょう。

 しかしなぜか、次の瞬間には急に小さなお声になりました。僧侶さまをちらちらと気にしながら、もごもごとおっしゃいます。


「いや、でもさ。そういうのはちゃんと手順を踏んでだな……」


 ……この期に及んでわたくしの心配をなさるなんて余裕ですね。

 ぎゅっと歯を食いしばりました。まさか剣士さまに、それほど甘く見られるなんて屈辱ですもの。


「ご安心ください。わたくし先日も同じようなことがありました。身体がなまっているということはございませんわ」


「だ、誰とだよ!」


 誰、とはまた妙な物言いでございます。でもまあ、確かにご自分の決闘相手の戦歴は気になるものでございますよね。旅のときも西の国の違法賭博の闘技大会に参加しましたが、あのとき決勝戦ではさすがに相手の経歴に冷や汗をかいたものです。それにしてもあのときは驚きました。まさかあの闘技場に、あんな大変なものを保管しているなど……。

 と、また脱線するところでしたわ。いまは剣士さまの質問にお答えしなければいけません。


「ええっと、確か町の荒くれものでしたけれど。二人がかりでしたが、わたくしにとっては赤子同然でしたわ」


「ま、マジかよ……」


 あら。

 どうして剣士さま、そんなに悲しそうなお顔をするのかしら。

 あぁ、なるほど。仮にも勇者であるわたくしが、片田舎の盗人ごときに精霊の力を使ったことが気に喰わないのですね。でもあのときは魔王さまたちを守るために必死でした。大切なひとを守れないプライドなど、必要ございませんものね。


「……勇者どの」


 僧侶さまが、なぜか見かねた風に割り込んでまいりました。


「僧侶さま。止めないでくださいませ。勇者にはやらねばならぬ戦いが……」


「いえ、そういうことではなくてですね」


 あら。それではいったい、どういうことなのかしら。


「たぶん、双方に深い誤解があると思うのですが……」


 誤解とは?

 わたくしが首をかしげていると、そこへ家の中から魔王さまのお声がいたしました。寝間着姿のまま、どたどたと走ってまいります。


「す、すまん、勇者よ! こんな時間まで眠ってしまった。はやく豚之助たちの餌を持って行かなければ……」


 あら。わたくしたちの声で起こしてしまったようですね。

 でもご安心ください。今日は久しぶりにお父さまが豚のお世話をすると言って小屋へ向かいました。魔王さまには今日一日、お休みをしていただこうとしていたのですよ。


「そ、そうか。お父上どのに気を遣わせてしまったな」


 そこでふと、剣士さまがお聞きになりました。


「おい、勇者。そいつは?」


 あ。そういえば剣士さま、行方知れずでしたのでお手紙を送っておりませんでしたね。


「わたくしの旦那さまでございます」


 その瞬間、剣士さまのお顔が凍りつかれました。

 なぜか僧侶さまが額に手をあて、疲れたようにつぶやきました。


「……勇者どのに、女神の加護があらんことを」


 あら?



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