わたくし、お姑さまとたたかいます(結)
うふふ。
旅をしていたころのことを思い出しますねえ。あのころはこんなこと、日常茶飯事でしたもの。
そういえば、とある港町を領地にする貴族さまのご令嬢が誘拐されるということがございました。たまたま近くの宿に宿泊していたので捜索をお手伝いいたしましたが、結局は身分違いの恋を成就させるための茶番だったのです。今回もそんなオチだったら楽なのですが、どうもそういう雰囲気ではございませんねえ。
しかし、どうしましょうか。この男たちを強引に張っ倒してしまってもいいのですが、万が一にも魔王さまや妹さまを傷つけるわけにはいきません。
ここはまず、平和的に話し合いでの解決を目指してみましょう。
「あのう。魔王さまを誘拐なさったことには目をつむりますので、大人しくお返しいただけませんか」
「そんなもん、ハイと言うわけねえだろ」
まあ、この返答は予測しておりました。
ここは人情に訴えてみましょう。
「奥さんやお子さんが悲しみますよ」
「ハッ。いねえよ」
まあ、確かにこんなことを平気でしてのけるひとですもの。真っ当な家庭を持っているとは思えません。
では、わたくしのとっておきの秘策を披露しましょうか。
「ではうちの豚を一頭さしあげます。どうですか。破格でしょう?」
「てめえ、おれたちを馬鹿にしてんのか!」
奥の手だったのに、なぜかすごく怒られてしまいました。どうしてかしら。うちの豚は美味しいと評判でございますのに。
しかし、やはり無理でしたね。わかってはいましたけれど、わたくしこのような交渉は得意ではございません。旅のころは、こういうことはすべて老師さまにお任せしておりましたもの。
どうしましょう。お金で解決できるならそうしておりますが、生憎と昼間に使ってしまったせいで、いまは手持ちがほとんどないのです。豚を売ったお代はございますが、これを渡してしまうとお母さまからまた陰湿ないじめを受けることになってしまいます。こんなことなら、いっそわたくしを誘拐してくれたほうが楽でしたのに。
あら。そういえば大事なことを聞くのを忘れていましたわ。
「では、一つお聞きしてもよろしいですか」
すると背の高いほうが答えました。
「こ、今度はなんだよ?」
「なぜ魔王さまを誘拐なさったのですか? わたくしのお金が目的なのでしょう」
すると、うしろの小太りなほうが答えました。
「変な格好の男が言ったんだよ。そっちの子どもを狙ったほうがいいってな。この仕事もそいつが言い出しっぺのくせに、肝心なときにいやしねえ」
「まあ、分け前もやるつもりはねえけどな。ガハハ」
変な男のひと?
どうもきな臭いことになってきましたね。どうやら、このおふたりを
「へっへ。しかし近くで見ると、なかなかの別嬪じゃねえか」
と、小太りなほうがわたくしたちに近寄ってきます。妹さまがひっと小さな悲鳴を上げて、わたくしの腕を掴みました。そのご様子に気をよくしたのか、男は彼女に手を伸ばします。
「うへへ、そんなに怖がるなよ。なにも悪いようにしようってんじゃねえさ。ちょいとおれと遊んでくれりゃあ……」
ぞくぞくっと背筋に悪寒が走りました。
その瞬間、右腕が動いていました。裏拳が男の鼻先にめり込むと、目をぐるぐると回して倒れてしまいます。
一瞬、静寂が建物を包みました。
あら。やっちゃいました。
「あ、あ、あ、あんた。なにやってんのよ! お兄さまが捕まってるのよ!」
妹さまが怒鳴りました。だってしょうがないではないですか。生理的に受けつけなかったんですもの。それに、あのまま放っておいたら妹さまの綺麗な肌に、あの気持ちの悪い男の手が触れていたのですよ。そんなことになったら魔王さまに申し訳が立ちませんわ。
でも、これですっきりしましたね。やはりわたくし、あまり考え事には向かないたちのようです。
「て、てめえ、こいつがどうなってもいいのか!」
背の高いほうが、魔王さまの首筋にナイフをあてて叫びました。しかしその声色は焦りがにじみ、さっきまでの優位感はなくなっております。
わたくし、にっこりと微笑み返しました。
「あなたさまこそ、無事に済むとは思わないでくださいね」
わたくし、右腕に大地の精霊の力を降ろしました。そのこぶしで、思い切り地面を叩きます。その衝撃が一瞬にして建物全体に広がって――古くなった壁に、ピシッと亀裂が走りました。
「は?」
男が呆けたように天井を見上げました。亀裂は一瞬にしてそこまで到達すると、大きな振動とともにガラガラと崩れました。
「ぎゃああああああああああ」
一瞬ののち、ズシンッと建物が崩れ落ちました。そしてわたくしは、その瓦礫の上に立っておりました。もちろん、両脇には魔王さまと妹さまをしっかりと抱えております。
ふう。危なかった。
懐かしいですねえ。旅のころはこういうことをするたびに剣士さまや僧侶さまから叱られたものです。見られていないところで本当によかったです。
まあ、けが人もいなかったですし、大目に見てもらいましょう。たまにははめをはずさないと、主婦もストレスが溜まってしまいますものね。
男たちは気を失っておりました。外に蹴飛ばした衝撃で骨の一本か二本が折れているかもしれませんが、まあ命が助かっただけでも儲けものですよね。このまま置いておけば、あとで自警団の方々が捕まえてくださるでしょう。
ふと見ると、妹さまががくがくと震えておりました。
「あ、あり得ない……、あり得ない……」
あら。いつもの強気な態度がすっかり鳴りを潜めていらっしゃいますね。いつもこうなら可愛らしいのですけれど。
でもまあ、ずいぶん恐い目を見せてしまったようですし、わたくしを出涸らしと呼んだことはこれでチャラにしてあげようと思います。うふふ。
……さて、と。
逃げなきゃ。
魔王さまたちを抱えて路地裏を走っていきました。そのとき、ふと向こうの建物の屋上に、人影があるように思えました。
あの赤いマントは……。
―*―
その翌日のことです。
無事にすべての用事を済ませたわたくしたちは、村に帰るために町を出ました。妹さまもついていらっしゃいますが、昨夜からまったく口を利かれておりません。
分かれ道にさしかかったところで、魔王さまが彼女におっしゃいました。
「妹よ。余はまだ魔界に戻るつもりはない。爺やにもそう伝えておいてくれ」
「…………」
彼女はぎゅっとこぶしを握りしめられました。
「なぜですか。どうしてあんな目に遭ってまで、その女とともにいることを望むのですか。前のお兄さまなら、あんな連中に捕まるなどあり得ませんでした。そんなに弱くなって苦しくはないのですか」
魔王さまは微笑みました。
「余は強かった。確かに魔王と祭り上げられてからというもの、みなが余を畏れ慕った。余もそれに応えるべく、さらなる力を求めた。その結果には満足しているし、魔族を捨てることに未練がないと言えばうそになる」
「では……」
「しかし、当時に寂しくもあった」
そう言って、魔王さまは妹さまの頭を優しくなでられます。
「みなが見ているのは魔王であって、誰も余のことを見ているものはいなかった。慕われこそすれ、気を許せるものはいなかったのだ。そんな余にまったく物怖じをしない人間が勇者だった。まったく驚いたぞ。初対面で余の顔が悪いなどと決めつけてきたものは他にはいなかった」
そういえばそんなこともありましたねえ。もう、嫌ですわ。そんな昔のことを蒸し返すなんて、魔王さまもおひとが悪いです。
わたくしがそう思っていると、魔王さまと目が合いました。
「皮肉なものだな。弱くなったからこそ、こうして余はかけがえのないものを手に入れた。いまは勇者に助けられてばかりだが、いつか人間として余が勇者を支えられるようになりたいのだ」
「…………」
妹さまは黙っていらっしゃいました。
やがて諦めたのか、小さなため息をつかれます。
「わかりました……」
わかってくださったようです。とりあえず一安心でしょう。魔王さまが無理やりにでも連れ戻される未来は避けられました。
しかし、彼女は素直に魔界へは帰りませんでした。
「でも、わたしは勇者など認めてはいません」
そうして、とんでもないことをおっしゃったのです。
「わたしも人間界に残って、お兄さまにふさわしい人間か見定めます」
「え?」
そうして魔王さまの腕に飛びつきました。
「い、妹よ!?」
「わたしは決めました。お兄さま、このわたしがついている以上、昨夜のようなことは起こりませんのでご安心ください」
「い、いや。そういうことではなくて……」
「じゃあ、いったいなにが不満なのですか」
「いや、それは……」
魔王さま、なぜかお顔を真っ赤にしてもにょもにょと口ごもっていらっしゃいますね。可愛らしいとは思いますが、やはりまだ頼りになる旦那さまからは程遠いようです。
「勇者。あんたも覚悟しなさいよね!」
あらあら。大変でなことになってまいりましたね。
でも、きっとこれもよき妻になるための試練なのですよね。そう思うと、俄然やる気が湧いてきましたわ。
こうしてわたくしと妹さまの、長きたたかいの火ぶたは切られたのです。
まあ、さしあたっての問題点を申しますと。
妹さま、寝るところはどうするおつもりなのでしょうねえ。
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