わたくし、お姑さまとたたかいます(5)



 宿の一階が酒場でしたので、そこで夕食をとることにいたしました。ちょうど暗くなってきましたので、よき賑わいを見せております。そのテーブルに着くと、店員のお姉さんが走ってきました。褐色肌の、遊び人風の女性です。


「チィース。ご注文どうぞォー」


 わたくし、酒場の壁に掛けられたメニューを見回しました。


「妹さま。なにか嫌いなものはございますか?」


「……べつに」


 ぷいっとそっぽを向かれます。まあ、予測はできておりましたけれど。

 この外見ですし、お酒は控えたほうがいいのかしら。でも魔王さまは嗜まれますし、頼んじゃっていいですよね。いらなければわたくしが飲めばいいのですし。


「お酒と食事、なにか適当なものを。あ、この方はお肉を食べられないので、野菜を中心にお願いします」


「ハァーイ」


 と、妹さまがきょろきょろと周囲を警戒しております。とても落ち着きがないですね。いえ、それはもとからでございましたか。


「いかがしましたか」


「え!? い、いや、なにも……」


 どことなく声も震えておりますね。体調が悪いのかしら。いえ、さっきはそんな仕草は、まったくございませんでした。もしかして、魔王さまと同じように人混みが苦手なのかしら。

 あら。そういえば成り行きでお連れしてしまいましたが、魔王さまは大丈夫なのでしょうか。


「魔王さま。ご気分はいかがですか」


「いまのところは平気だ」


 確かに昼間よりもずっと顔色がいいですね。競り会場よりもひとが密集しているのに、どうしてかしら。


「酒が入ると、ひとはあまり複雑なことを考えないからな」


 あぁ、なるほど。確かにそうかもしれませんね。


「ただし、それゆえに悪事を考えているものの思考はよく聞こえるが」


 ちらり、と酒場の隅に目をやりました。そこにはふたりの男性がお酒を飲んでおりました。彼らはなぜかわたくしたちのほうを見て、ひそひそと話をしているご様子です。目が合うと、そっと視線を逸らしました。


 まあ、なんてわかりやすい。


 でも、なにを企んでいらっしゃるのでしょうか。お知り合いではありませんし、この町で恨みを買うようなことをした覚えもございませんが。

 あ、もしかして妹さまの赤毛が気になっていらっしゃるのでしょうか。確かにこの地方では珍しい色をしていらっしゃるもの。


「いや、勇者よ。やつらの狙いは妹ではない。貴様だ」


「わたくしですか?」


 それは困ってしまいます。いえ、決して怖くはないのですけれどね。

 旅のころは、それはもういろんなところで命を狙われたものです。魔族から、そして人間からも幾度となく襲撃を受けました。なんでも、わたくしが街々で悪を懲らしめたとき、彼らと裏でつながっていた貴族さまなどが逆恨みなさっていたそうですね。英雄というものは感謝されるよりもずっと恨みを買うものなのだと、そのときに学びました。

 しかし、どうしてわたくしを狙っていらっしゃるのでしょうか。


「あのものたち、どうやら昼間の競りにいたらしいな。貴様がまだ金を持っているのだと踏んでいるようだ」


「それは、それは。大変でございますねえ」


 もう。他人のお金を奪おうだなんて野蛮な方々ですね。そんなことをして稼いでも、なにひとつとして自身のためにならないのに。

 まあ、たとえあんなチンピラが襲ってこようと、わたくし負ける気はしませんけれど。だって勇者ですので。


「まあ、それでも気をつけるに越したことはないだろう」


 そうおっしゃると、魔王さまはおもむろに席を立ちました。


「あら。いかがしましたか?」


「……いや、少し手洗いに行ってくる」


 そう言って、酒場の奥へと行ってしまわれました。


 しばらくして、食事とお酒が届きました。先ほどの店員さんが、指を折りながら、たどたどしくメニューを告げます。


「チィース。ええっと、ビールとォー、串焼きとォー、魚の蒸し焼きとォー、ええっと、あと春野菜のパイとォー、なんだっけ。まあいいや。じゃあごゆっくりィー」


 なんだか。ずいぶんとやる気のない店員さんですねえ。こんなので大丈夫なのかしら。まあ、わたくしの知ったこっちゃないのでいいのですけれど。

 でも魔王さま。ずいぶんと遅いです。せっかくのお料理が冷めてしまいますわ。


「……勇者」


 そこでふと、妹さまがおっしゃいました。


「はい?」


「お兄さまは、ずっとあんな感じなのか?」


「あんな感じ、とおっしゃいますと?」


 妹さまは、ぎゅっとこぶしを握りしめておられました。


「お兄さまが人間になったのは知っていた。でも、あんなに頼りないお姿になっているなんて……」


「…………」


「昼間だってそうだ。あんな金ごときに狼狽えるお兄さまなんて見たくなかった。魔族を束ねていたころのお兄さまは、もっと格好いいひとだった。誰もが憧れ、崇拝する存在だった。あんなに小さくて、弱いひとではなかった……」


 その白い頬に、一筋の涙が流れました。


「おまえのせいで、お兄さまは堕落した。わたしはおまえを許さない!」


 わたくしはじっとその目を見つめました。

 確かにあの古城で初めてお会いしたときの魔王さまは、それはもう恐ろしいお方でした。大きな体躯に、強大な魔力。きっと世界中で、魔王さまに敵うものはひとりとしていなかったのでしょう。その圧倒的な実力とカリスマによって、魔王さまは魔族の頂点に君臨しておりました。

 みながそれを崇めるのはわかります。

 でも、わたくしはどうしても思ってしまうのです。


「いいえ。それは違いますわ」


 妹さまが目を見開きました。その瞳にぞっとするほどの敵意が満ち、魔力がゆらりと渦巻きました。


「…………」


 さすがは魔王の妹さま。そんじょそこらの魔族とはやはり格が違うようでございますね。でも、これはいけません。こんなところで魔力を爆発させられては、みなさまに被害が……。


「あのォー、いいところ申し訳ないんすけどォー」


 わたくしたち、気配もなく割り込んできた声にびっくりして飛び退きました。


「な、なんでしょうか」


 すると店員さんは、同じようにまったく緊張感のない声でおっしゃいました。


「あのォー。お連れのお兄さん、さっき男たちに連れてかれましたよォー」


 わたくしと妹さまは、思わず顔を見合わせてしまいました。


 あら、まあ。


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