わたくし、実家に帰らせていただきます(7)


 やはり魔王さま、誰かに話しかけております。まさか、そんな……。

 わたくし、いますぐに逃げ出したい気持ちに駆られます。しかし耐えるのです。もしかしたら、なにか誤解が……、そう、実は村の娘に言い寄られて困っているという事情があるのかもしれません。

 魔王さま、お優しいひとですもの。きっとやんわりとお断りなさったのに、相手が気づかずに押し通されているのかもしれません。それでも決して褒められたことではございませんが、情状酌量の余地がございます。

 しかし魔王さま、耳を疑うようなことをおっしゃいました。


「おまえたちは本当に可愛いな。余のこころの支えはおまえたちだけだ」


 なんということでしょう。浮気ならいざ知らず、まさか複数の女性を囲っているなどとは。英雄色を好むとはいいますし、自分の旦那さまがおモテになるのは妻として誇らしいことです。しかしながら、わたくしのことを忘れて本当にお手をつけてしまうのは違うと思うのです。

 わたくしがこんなにも魔王さまのことで胸を痛めておりますのに、魔王さまは若い女に夢中などとは。わたくし、自分を抑えることができませんでした。


「魔王さま、いったいどういうことでしょうか!」


 わたくしが飛び出すと、魔王さまがギョッとなさいました。そして同時に、その逢引き相手がワオーンと遠吠えを上げました。


 ……わおーん?


 見れば、そこには小さな狼の子どもがいるではありませんか。しかも一匹ではございません。ぜんぶで三匹います。わたくしに怯えたように、必死に威嚇しております。


 あら。可愛い。


 あぁ、そういえば。魔王さま、こっちに来て動物を飼っているとおっしゃっていましたね。きっと、この子たちがそうなのでしょう。

 しかし、どうしてこそこそとしているのでしょうか。ちゃんと言ってくだされば、わたくしもこんなに気を揉むこともなかったのです。

 魔王さまはお顔を真っ青にして、その狼たちを背中に隠そうといたします。


「や、やめろ。こいつらは食えんぞ……!」


 あら?

 わたくし魔王さまのようなテレパシーは持っておりませんが、その一言ですべてを理解いたしました。

 どうやら魔王さま、わたくしたち人間が動物すべてを食料にしていると勘違いなさっているようなのです。それは心外ではございますが、確かに外の文化圏から見れば、豚も狼も同じように肉のついた動物ですものね。


「く、食わんのか?」


 テレパシーで通じたのでしょう。魔王さまはやっと落ち着きを取り戻したようです。わたくしは歩み寄りました。あぁ、そういえば、こうやって間近でお顔を拝見するのも、ずいぶん久しぶりのような気がします。

 わたくし、間違っていたのかもしれません。いままで魔王さまが塞ぎ込んでいたから、そっとしておこうと距離をとっておりました。しかし、それは実のところ、わたくし自身を守ろうとしていたのでしょう。

 歩み寄らなければ、ひとはぜったいに理解し合うことができません。しかし歩み合うとは、傷つくリスクが伴います。だって、完璧な人間などおりませんもの。自分の嫌な部分を好きなひとに見せるのは、とても勇気が必要なことです。それこそ世界を救うよりも、ずっと難しいのかもしれません。

 わたくしは魔王さまに嫌われるのが怖くて、理解してもらおうと歩み寄ることを躊躇っておりました。それが結果として、魔王さまを孤独にしてしまったのです。

 だって魔王さま、わたくしのためにすべてを捨ててこられたのですもの。そのわたくしが魔王さまのそばにいる努力をしなければ、このひとはきっと泣いてしまわれます。


 わたくし、魔王さまのお手を取りました。震えております。気丈に振る舞っておられますが、ご自分が弱い人間になってしまったことを不安に思っていないはずはございません。そのことすら、わたくしはいま気づかされました。


「魔王さま。わたくしども、確かに他の種族から見ましたら、とても利己的で野蛮な種族だと思うのです。しかし、これはわたくしどもが先祖代々と続けてきた生きるための方法でございます。豚を卸すのをやめることはできません。近隣の村々でも、お父さまの豚を食べるのを楽しみにしていらっしゃる方々がおります」


「…………」


「しかし、それを魔王さまが嫌がるのなら、わたくしだけでも、もう肉を食べるのはやめます。少し寂しい気もしますが、魔王さまよりも大事なことなどございませんもの。どうか、それで我慢していただけませんでしょうか」


 魔王さまはどんな思いをなさっているのでしょうか。わかってくださいなどと、虫のいい話だということはわかっております。これはわたくしのわがままなのです。魔王さまといっしょに生きていきたい。でも、人間の生活も捨てきれない。こんな中途半端なわたくしに、なにかをお願いする権利はございません。

 それなのに、魔王さまはそんなわたくしを許してくださいました。


「……いや、余も少し過敏だった。こっちの世界に来て慣れないことばかりで、疲れていたのかもしれん」


 魔王さまは柔らかく微笑みました。


「貴様は余のことなど気にせず、好きに生きてほしい。そんな貴様とともに生きるために、余はここまで来たのだ」


「魔王さま……」


 参りましたねえ。結局、また魔王さまの優しさに甘える形になってしまいました。旅をしていたときは、もっとみんなに頼りにされる勇者だったのですが。

 わたくし、好きなひとには弱気になってしまう女だったのですね。魔王さまと出会って、新しい自分に戸惑いっぱなしです。


「明日、この子たちの小屋をつくりましょうか」


「あぁ。そうしてくれると助かる」


 そうして、わたくしたちはまた一歩、お互いに近づいたのでした。


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