わたくし、実家に帰らせていただきます(6)



 あれからというもの、魔王さまはすっかり塞ぎ込んでしまわれました。

 一応はお部屋から出てこられます。しかし食事もまったくとらず、口数も少なくなってしまいました。豚の放牧はお手伝いしてくださるのですが、いつも空を眺めて憂鬱そうにため息をついておられます。

 きっと、あの空に生前の子豚を思い浮かべていらっしゃるのでしょう。その痛ましい姿を見ていると、わたくしまで泣きそうな気持になってしまいます。


 こころを読むというから、てっきり理解していただけているものだと思いましたが、どうもわたくしが考えるテレパシーとは勝手が違うようですね。そのあたりをしっかりと確認しなかったわたくしのミスでした。

 しかし、いくら後悔しても子豚が戻ってくることはございません。あの子はいまや、わたくしたちのお腹に収まってしまったのですから。それに、いまさら我が家の家業を変えるわけにはいきませんもの。わたくしは冒険者として稼げるかもしれませんが、お父さま方はもう転職など無理なのです。


 あぁ、しかしそんな理屈など、いまの魔王さまには関係のないことですよね。ただ魔王さまの胸の中は、子豚を守れなかった罪悪感と、わたくしたちへの憎しみにあふれていることでしょう。

 わたくしたちの新婚生活、さっそく離婚の危機です。



 ―*―



 ある夜。魔王さまはやはりあまりお食事をとりませんでした。自室に籠ってしまった彼を心配したお母さまが、パンと豆のスープをご用意いたしました。


「ほら。これを部屋の前に置いておきなさい」


 わたくし感動いたしました。こんな面倒くさいお婿さんにも、まごころで接してくださいます。お母さまたちにとって、魔王さまはもう家族の一員なのですね。

 でもお母さま。わたくしが幼いころに近所の女の子を泣かせて帰ってきたとき、そんなお優しいことはしてくださいませんでしたわよね。話も聞かずにわたくしを部屋から引きずり出すと、彼女の家の前で土下座させました。彼女がわたくしのお人形を壊して喧嘩になったのですよ。あのことはわたくし、いまだに根に持っております。


「魔王さま」


 お部屋の前で呼びかけますが、お返事はありません。それでもわたくし、めげずに声をかけ続けます。


「パンと豆のスープを置いておきます。ぜんぶ作物しか使っておりません。どうかこれを食べて、ご自愛なさってください」


 しかしいくら待っても、その扉が開くことはありませんでした。仕方なくお母さまの言いつけの通り、それをお部屋の前に置いて自室へと戻りました。

 夜中、わたくしが眠れずにいますと、隣の部屋の扉が開く音がいたしました。そして、食器の音が聞こえます。

 あぁ、よかった。魔王さま、お食事だけでもとってくださるのですね。わたくし安心して眠ることができます。



 翌朝、魔王さまのお部屋の前を通ると、空になった食器が置かれていました。パンもスープも空っぽです。わたくし、ホッとしてそれをキッチンへ持って行きました。

 でも、はて。どうして食器の底に土がついているのでしょうか。それに心なしか、食べ方が汚いように思われます。あんなに上品にお食事をしていた魔王さまが、こんなにスープやパンのかすを散らばせているなどおかしいです。

 もしかして、食器を使うのもまどろっこしいくらいにお腹を空かせていたのでしょうか。これからは、毎日ちゃんとお食事を届けなければいけませんね。



 そのまま、数日が経ちました。

 あれから毎夜、わたくしは魔王さまの部屋の前にパンとスープを用意するようになりました。わたくしたちが寝静まると、魔王さまは部屋を出てそれをお食べになるようです。

 しかし困ったことに、魔王さまのお顔は優れません。というよりも、日に日に顔色が悪くなっているようです。おかしいです。もしかして、人間の作物は身体に合わないのでしょうか。

 ある夜、わたくしはずっと起きていました。息をひそめていると、やはり魔王さまがお部屋から出てこられます。わたくし、そっと部屋の扉を開けて様子をうかがいました。

 すると魔王さま、わたくしの用意した食事を持って、なぜか家の外へと出ていったのです。てっきり家の中で食べていたと思っていたので、わたくしびっくりしてしまいました。

 いったい、なにをしていらっしゃるのでしょうか。

 わたくし、そっとあとを尾けていきました。もしかして、他の女性とのお会いになっているのでしょうか。まさか。魔王さまに限って、そんなことは……。


 でも、もしかしたら、という思いもございます。魔王さまだって普通の男性ですもの。わたくしのような行き遅れではなく、もっと若い娘のほうがいいのかもしれません。今度の子豚事件で、とうとうわたくしに愛想を尽かしてしまったのかも。

 どうしましょう。わたくし、涙が出てきてしまいました。

 落ち着きなさい、わたくし。まだそうと決まったわけではございません。そもそも、女性との逢引きにパンとスープを持参する殿方など前代未聞です。遠い西の森に不思議な部族が暮らしておりましたが、彼らは女性へのプロポーズに巨大ガマガエルの燻製を贈っておりました。正直に言って、いまの魔王さまはそれよりもへんてこな行動だと思います。

 と、魔王さま。なぜかお家の裏に回っていってしまいました。壁一枚を隔てた向こうには、わたくしのお部屋がございます。


 まさか、こんなところで浮気相手と?


 信じられません。わたくし、さすがにそれは許すことができません。

 こっそりと耳を澄まします。あぁ、はしたないです。これではまるで、わたくしが不義の女のようではございませんか。


「あぁ、今夜もよく来たな」


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