わたくし、実家に帰らせていただきます(5)
お食事の用意が済むまで、魔王さまは居間でお父さまとチェスに興じておりました。さすがは魔王さま、ボードゲームもできるのですね。お父さまも遊び相手ができて嬉しそうです。
やがて夕食になると、四人でテーブルに並びました。家族がひとり増えただけのなのに、食卓が華やいだように思えます。お母さまの嫌味もございませんし、わたくし、とてもこころが安らかです。
ワインを注いだグラスを持ち、魔王さまは感動した様子でおっしゃいました。
「実は余は、人間の食事というものが初めてなのだ」
「そうなのですか?」
「うむ。これまではツノに魔力が残っておったから腹が空かなかった。昼間に子豚と母上どのに魔力を使ったので、こうして腹が空いたらしい」
あら。それは申し訳ないことをしました。
「いいや。こうして腹が空いたからこそ、新しい経験ができる。なによりも、愛する勇者の手料理を口にできるのだ。これだけでも人間になった甲斐がある」
いやですわ。お父さまたちの前なのに、こんなに堂々と惚気られてはわたくしも恥ずかしいです。でも、それはわたくしも同じ気持ちです。わたくし、魔王さまのためにこしらえた料理を切り分け、その前に差し出しました。
「ほう。これが勇者のつくった料理か」
つくった、と言われると、照れてしまいすね。わたくし、ただ材料に香味料を詰め込んで焼き上げただけですので。
「この娘、料理はこれしかつくれないのよ。いくら強くなっても、女としての基本ができないとねえ。無事に結婚できたんだし、これからバシバシ仕込んであげなくちゃ」
お母さまはいつも一言多いです。しょうがないではないですか。いつも魔物のうごめく世界を渡り歩いていたのです。材料も足りないし、のんびりした食事などつくっている時間もありません。あのころはただの草木すら美味に感じることもありました。やはり空腹が最高の調味料なのでしょう。
でも、これからは本気でお母さまに教わってみようと思います。料理などちっとも興味はありませんでしたが、つくってあげたい相手ができるだけで、こうも眩しい輝きを放つのですね。
魔王さまはそれをナイフで切り、口に運びました。やはり上に立つものとは、食事ひとつにも気品が漂います。
「うまい」
「あら。お上手ですねえ」
「世辞など言うものか。やはり勇者はいい妻になるぞ」
あら、まあ。嬉しいことを言ってくださいますね。魔王さまのほうこそ、いい旦那さまになられると思いますよ。
魔王さまは食事を続けながらおっしゃいました。
「ちなみに、この食材はなんだ?」
あら。そういえばお教えしていませんでしたね。これは家業にも関わることなので、きちんとご説明しておかなければいけません。わたくし、さっきから魔王さまが嬉しそうに食べていらっしゃるお肉料理――子豚の香味焼きをお見せしました。
「さっきの子豚ですよ」
――カラン、とフォークが床に落ちました。
まだ潰すには早かったのですが、ずいぶんお気に召していたので選んでみました。しかし魔王さまの反応は、わたくしの予想とは違ったのです。
魔王さまはお顔を凍りつかせておりました。息も絶え絶えにつぶやきます。
「な、なぜ殺したのだ……」
あら。もしかして魔族には家畜がいないのでしょうか。
「か、家畜、とは?」
「ええっと。簡単に言うと、食べるために育てる動物のことですわ」
そういえば、魔族は他者の魔力を吸うとおっしゃっていましたね。豚を見たことがないということでしたが、確かに魔力のない生物を育てるなど理に適っておりません。まさか魔王さま、魔王のくせにグロテスクは苦手なのかしら。
まあ、ちょっと考えればそうですよね。魔王さまほどの魔力で吹き飛ばしてしまえば、死体も残りませんもの。わたくし、うっかりでした。
いつぞやの旅の途中、魔物とはこういった豚などの野生動物が知性を持って進化した存在だと聞いたことがございます。考えたくはありませんが、魔王さまの遠い祖先と豚の祖先は同じだったのかもしれません。
となると、事態は恐ろしいことです。魔王さまからしたら、婿入りした初日にカニバリズムをご経験させられた感じなのでしょう。わたくしも旅の途中でそういう部族と接触したことがございますが、あのときは慣れるのにすごく時間がかかりました。そう考えると、確かにショッキングですね。
「や、野蛮だ。……野蛮だあ――――っ!」
魔王さま、大泣きです。そのまま居間を飛び出してしまいました。わたくし、どうしていいかわからずにあたふたしてしまいます。魔王さまの幹部たちと闘ったときですら、こんなに慌てたことはございません。
そして夜中、魔王さまは寝室に閉じこもり、子豚への供養の言葉を述べ続けておりました。わたくし隣の部屋で眠りながら、自分の罪に押しつぶされそうでした。
でも、しょうがないではないですか。おいしいのですもの。
こうして新婚初日の夜は、とても気まずい思い出になってしまったのです。
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