わたくし、実家に帰らせていただきます(3)



 と、そこで奥の部屋に引っ込んでいたお父さまが顔を出しました。どうやら、お母さまの大声が気になってきたようですね。

 というか、この方は娘がお婿さんを連れてきたというのに、どうして出迎えてくださらなかったのでしょうか。わたくし、その程度?

 あら。お父さま、豚を抱えてらっしゃいます。あの子は確か、昨日の放牧でわたくしの手袋を盗んでいった困ったくんですね。どうしたのでしょうか。


「病気か」


 魔王さまが言いました。

 すると、お父さまはうなずきます。そして人差し指を口の前に立てました。静かにしろ、だそうです。このお父さま、女婿よりも豚のほうが心配なのですね。わかってはいましたけれど、実際に目の前に突きつけられると現実が重たいです。

 しかし、魔王さま。どうしてわかったのでしょうか。もう一か月以上も毎日欠かさずお余話をしているわたくしでも気づきませんでした。


「余はこのツノを介して、動物の声が聞けるのだ」


 頭にちょこんと残ったツノ。あら、まあ。魔族のツノって、てっきりお洒落だと思っていたのですが、そんなこともできたのですね。そういえば旅の途中も魔族のツノは魔術師に高く売れました。きっと強い魔力がこもっているのでしょう。

 でも、これで納得です。魔物ってみんな言葉が違うのに、どうして一致団結できているのかしらと不思議に思ってましたが、こういうテレパシーを持つひとがいるのですね。

 すると、魔王さまの言葉にお父さまが反応しました。無言で豚を魔王さまへ差し出します。


「なに。熱が止まらない? どれ、見せてみろ」


 あら。動物って人間も含まれるのですね。そういえば、さっきからわたくし、しゃべってもいないのに魔王さまからお返事がありました。それはこういうからくりでしたか。

 あらあら。これはけっこう大変なことなのではないのでしょうか。つまり、わたくしがお風呂で最初に二の腕を洗うこととか、朝は日課の豊胸マッサージをしていることとか、ぜんぶ筒抜けになってしまうということですもの。

 ちらり。

 魔王さま、お顔を真っ赤にしていらっしゃいます。どうやら、嘘をつけない方らしいですね。いやん。


「……えっち」


「し、仕方なかろう! 魔王のころは制御できたが、いまはすべての声が勝手に聞こえてくるのだ」


 なるほど、なるほど。これはおもしろ……、もとい、ご災難です。

 まあ、いいのですけれどね。いまさら魔王さまに隠すことなどございませんし。それにわたくし、口下手なのでむしろ好都合といえます。うふふ。やっぱりわたくしたち、お似合いですわ。

 その間にも、魔王さまの診断は続いております。


「蛇の毒だな。どこかで噛まれたのだろう」


 見れば、確かに内股のあたりに噛み跡がございました。肌が紫色に変色しております。

 まあ、大変。お薬はございますが、果たして人間のものが効くのでしょうか。わたくしたちがあたふたしていますと、ふいに魔王さまが豚の傷口に手をかざしました。

 あら不思議。手のひらが仄かな光を放ったと思いますと、みるみるうちに傷口が塞がっていきます。こころなしが豚の血色もよくなっています。しばらくすると、豚はぶひぶひと鳴き声をあげて、ぴょんと地上に降り立ちました。さっきまで、あんなにぐったりとしていたのが嘘のようです。

 これにはお父さまとお母さまもびっくりしておりました。もちろん、わたくしもです。まるで旅のころに何度もお余話になった僧侶さまの回復魔法のようでした。

 豚を癒す魔王さま。なんと前衛的な光景なのでしょうか。


「いまのは余の魔力をこいつに注いで、本来の治癒力を高めてやっただけだ。このくらいなら、いまの姿でも事足りる」


 何気なく言いますが、実は回復魔法とはすごく難しいものなのです。神職に就いたものでも、才能がなければ一生かけても最低ランクのものすら使えません。しかも、そっちのほうが圧倒的に多いらしいです。旅の仲間だった僧侶さまは救いようのない色ボケ神官でしたけど、僧侶としてはとってもすごいおひとなのですね。

 ちなみにわたくし、魔法もいくつか学びましたが、結局回復系の呪文は習得できませんでした。自分の魔力を他者の中で操るというのは、見るよりもずっとセンスを問われます。一度、お師匠さまの肩こりを治そうとして、うっかり骨折させてしまってからというもの、修行すら禁止されてしまいました。その点、攻撃魔法はいいですよね。玉投げのように、敵に放っておしまいですもの。あとは当たるか当たらないか、女神さまに判断を委ねるだけです。

 しかし、お父さま。長年、豚の世話しかしてこなかったくせに、こんな単純なことを見落とすなんて。せっかくお婿さんとの顔合わせなのに、これではわたくし、とっても恥ずかしいです。


「いや、この生物は分厚い脂肪のせいで、毒を身体の中に通さない仕組みになっているらしい。父上どのが気づかなかったのも無理はない」


 あら。そうだったのですか。魔王さま、ご自身の聡明さをアピールしながら、さりげなくお父さまをフォローしましたね。とてもいいです。ときには男にも、そんな狡猾さが必要だと思いますわ。


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