第2章.わたくし、実家に帰らせていただきます
わたくし、実家に帰らせていただきます(1)
それは、わたくしが魔王城から凱旋したあとのことだそうです。
一般のひとからは、まるで魔王軍が前触れもなく消えていったように見えておりました。かくいうわたくしも、そのひとりです。
しかし実のところ、それは計画的なことだったのです。魔王さまは城から姿を消すと、秘密裏に各国の王族と面会し、人間と魔族の和平を申し出たのだそうです。戦況は五分ではありましたが、人間側はこれ以上の長期戦争は不利になると踏み、その申し出を受けたのでした。
そして魔王さまが和平の条件として人間側に提示したのは、たったひとつのことでした。
『余に人間の貴族の地位を寄こせ』
はじめは各国の王さま方も戸惑いました。どうして魔王はそんなことを言うのだろうか。その真意を知るものは、きっといなかったでしょう。
それ自体は、難しいことではありません。ひとりの市民権で魔物たちがいなくなると考えれば、きっと破格なお買い物だったでしょう。ただ、あの強大な魔力を持つ魔王をぽんと野に放つのはとってもリスキーでした。
そこで人間の王族はこんな条件を提示しました。
『貴様が人間に危害を加えない証明が欲しい』
真っ当な意見だと思います。魔王さまは少し悩んだ末、ある決断をなさいました。それは人間が信仰する女神さまの封印術をご自身に施すことでした。
再び召喚された女神さまは、魔王さまに封印術を施しました。これにより、魔王さまはその魔力のほとんどを抑えられてしまいました。しかし、あまりに強い魔力のため、完全に封印することはできず、この小さなツノから、ほんの少しだけ魔力が漏れだしてしまうのだそうです。
まあ、これだけでは大した被害はでません。いまでは本当に、少しだけ魔力の強い人間の少年になってしまったのです。
その経緯だけでも驚きなのに、そうまでして人間界にやってきた目的を聞いて、わたくしはさらにびっくりしてしました。
まさか、わたくしを娶るためだけに、この方が魔族の地位も故郷もすべてを捨てていらしたとは思わないではないですか。魔王城で対峙したあのとき、こころ惹かれたのはわたくしだけではなかったのですね。
しかし、まあ。なんて破天荒なひと。こんなトップをお持ちになった魔族の方々に同情いたします。
とはいえ、わたくしもひとのことはいえません。この方に焦がれるあまり、どんな貴族や王族の結婚の申し出も袖にしてしまったのですから。まあ、似たもの夫婦ということなのでしょうか。悪い気はしませんねえ。
しかし、はて。
もしわたくしが本当に断ってしまった場合、いったいどうするおつもりだったのでしょうか。わたくしの旦那さまは、本当におかしな方です。
ということで、わたくしたちの新婚生活が始まりました。
まずは手始めに、わたくし三つ指つけて頭を下げました。
「実家に帰らせていただきます」
「な、なんでだ!」
魔王さまが涙目になって訴えます。なんだか、そのお顔を見ていると、こう、勇者らしからぬ不思議な高揚感が湧き上がってきます。わたくし、いったいどうしたのかしら。
まあ、それは冗談として。
このまま結婚生活に入るには、いろいろと準備が必要なのです。
まずはお父さまとお母さまに結婚のご報告をいたします。たとえ出戻りの厄介もの扱いされていましても、一応は同居人が結婚を決めたなら報告をしなければいけません。
次に、結婚するならば領主さまに届け出を――あ。これは魔王さまがそうなので問題はありませんね。あとは今日の豚のお世話と、実家のお掃除と、畑の雑草を抜かなければいけません。
あら。こうして見ると、わたくしけっこう忙しいですね。
「そ、そうか。余を捨てるつもりではないのだな」
こんな冗談を真に受けるなんて、案外、可愛らしいひとなのですね。ますます好きになってしまいそうです。
「まあ。それでもわたくし、この屋敷に住むつもりはございませんけれど」
「な、なにが不満だ。申してみよ!」
なに、とおっしゃいますと。
まず立地が悪いです。ここは水源が遠いので、土がとても貧弱なのです。これでは作物が育たないし、家畜も飼えません。この周辺に集落がないのは、そういう理由で祖先がわたくしたちの村などに移動していったからなのです。
そしてなによりも、この穴だらけの屋根でしょうか。さっき、暖かい光が差し込んで神秘的、とか思っておりましたが、なんのことはございません。屋根に穴が開いていて朝陽が差し込んでいただけなのでした。
外から見た様子だと、きっと、どのお部屋もこんな感じなのでしょう。旅をしていたころは野宿も辞さなかったわたくしですけれど、新婚生活が雨ざらしというのはいただけませんね。
そもそも、どうしてこんな廃きょ――コホンコホン、こんなアグレッシブなお宅を選んだのでしょうか。そういえば、魔王城も意図的に汚く見せていた節がございます。もしこれが魔王さまのご趣味なのだとしたら、本当に三つ指つけてさようならを検討しなければなりません。
「……こういうおどろおどろしい建物が、魔界では流行っておる」
あら、まあ。
「お世話になりま――」
「待て、待ってくれ!」
わたくしが本気だと悟ったのでしょうね。魔王さまが慌てて引き留めにかかります。
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