わたくし、お婿さんをもらいます(結)



 そして、翌朝のことです。

 結局、お母さまに逆らえずに、その貴族さまのお屋敷まで来てしまいました。胃袋を掴まれているというのは、こうもひとを弱くしてしまうものなのですね。とりあえずお話だけして、やんわりとお断りするつもりです。


 その貴族さまの屋敷にたどり着き、わたくしは目を丸くいたしました。


 まあ、立派な廃墟。


 なんとか口に出さずにいられました。わたくし、とても偉いです。

 いままで何度も貴族さまのお屋敷にお邪魔しましたが、こんなに古い屋敷に住んでいる方は初めてです。貴族さまはなによりも見た目を気にしますもの。たとえ食べ物がなくともメイドの衣服はぴかぴかにします。そもそも、屋根に無数の穴が開いた建物を住居と呼んでいいのでしょうか。わたくし不安になってまいりました。


 しかしこの門、とても汚いです。ほこりもかぶっているし、変なこけも生えています。まるで何十年も手入れがされていない様子です。玄関はお家の顔と言いますが、こんな見た目では……。


 あら。既視感。

 どこかで同じようなことを思った記憶がありますね。いったい、どこだったかしら。

 すると、わたくしの気持ちが顔に書いてあったのでしょうか。騎士さまが苦笑なさいました。


「ハハハ。申し訳ありませんな。なにせ、先日、この古びた屋敷を買い取ってきたばかりなので掃除が済んでおりません。それに、我が主は他人の目には頓着がありませんでなあ。前の屋敷ではメイドがおりましたが、いまは募集をかけている段階ですので」


 まあ、それはそれは。

 しかし、他にひとが見当たりませんね。いくら引っ越してきたばかりだとは言っても、警備の兵士がいないのはおかしいです。


「あのう。他の騎士さまは?」


「いえ、わたしのみです」


 あら。

 貴族なのに、部下がひとりだけ。つくづく奇妙なお方です。

 やがて、大広間にたどり着きました。その扉の前で、騎士さまは深々とお辞儀をなさいます。


「我が主は、この部屋でお待ちです」


 そうおっしゃいますと、扉を開けてくれました。

 わたくし、ひとりで足を踏み入れます。質素な調度品しかない部屋の上座に、ひとりの男性がおりました。


「来たか。勇者よ」


 あら。ずいぶん小柄な方なのですね。というか、声がとてもお若いです。もしかしたら、まだ成人なさっていないかもしれません。


 まだ子どもの貴族さまに求婚される行き遅れの女。

 とっても背徳的です。


 いえ、そんなことを考えている場合ではありません。確かに彼のお年のほうも気になるのですが、それよりも気になることがございます。


「あのう。なぜフードでお顔を隠していらっしゃるのですか?」


 貴族さまはなぜかマントですっぽりとご自身の姿を隠していらっしゃったのです。いったい、どうなさったのでしょうか。


「……顔を見せることはできない」


 まあ。

 困ってしまいました。どうせお断りするつもりですが、せめてお顔を見せていただかなければお返事のしようもないですもの。

 ……うーん。やっぱり、同じようなことを思った記憶が。どこだったかしら。

 そう思っていると、ふいに彼が歩み寄ってきました。


「勇者よ。余の妻になれ」


「申し訳ございませんが、お断りいたします」


 わたくし、はっきりとお答えいたしました。さすがに世界を旅していたので、いまさら貴族さまに引けを取ることはございません。

 彼の表情はわかりません。怒っているのでしょうか。それとも、悲しんでいるのでしょうか。

すると、貴族さまは静かに問いました。


「……理由はなんだ?」


 あら。

 わたくし、困ってしまいました。まさかそんなことを聞かれるなんて思いもしませんでしたもの。

 先日、お母さまにはああ言いましたが、実は王宮暮らしの間も、同じようなことが多々ありました。

 いくら行き遅れだとはいえ、貴族さまたちが勇者の肩書きを見逃すはずはありません。その毎日のような求婚騒動に疲れ切ったわたくしは、こうして雲隠れするように故郷へと戻ってきてしまったのが真相なのです。

 そのときは申し出をお断りすると、名誉を傷つけられたと罵られたり、さらにお金を提示されたりと、まるでわたくしの意見を聞いてくださいませんでした。この方、やはり他の貴族とはどうも違うような気がいたします。


 しかし、理由ですか。

 貧乏農村に生まれたわたくしにとって、貴族の暮らしが肌に合わないというのもございます。しかし、わたくしにはある思いがありました。


「……わたくし、こころに決めた殿方がおります」


 これはお母さまやお父さま、そして実は旅の仲間にも言ったことがありません。そっと胸に秘め、墓場まで持って行くつもりでした。しかし、この方になら言ってもいいような気がするのです。

 貴族さまはなにも言わずに、じっとわたくしの言葉に耳を傾けているようでした。わたくし、柄にもなく饒舌になってしまいます。


「……報われない恋だとはわかっているのです。こんな年にもなって、身の振り方もわからない女だと馬鹿にされるかもしれません。いまはもう会うことはできませんが、あの方を想っているだけで、この胸はとても温かいのです」


 きっとこれが、初恋というものなのでしょうねえ。確かに、年頃の娘たちがあんなに一生懸命になるのもうなずけます。できれば、もっとはやくこの気持ちを知りたかったものです。


「……そうか」


 貴族さまはわたくしが本気であるのを察してくださったのでしょう。それ以上は、なにも言いませんでした。フードの隙間から、一瞬だけ、わたくしの顔を見つめます。

 その瞳を見て、わたくしは目を見張りました。


「……あら、まあ」


 金色に輝く、きれいな瞳でした。まるで吸い込まれそうなほどの、澄んだ輝きを放っております。このひとの優しさが、あふれているような気すらしました。

 この瞳は、まさか――。


「手間をかけたな。帰っていいぞ」


 そう言うと、彼は部屋を出ていこうとします。その背中に向かって、わたくし思わず声を張り上げておりました。


「お受けいたします!」


 貴族さまの足が止まりました。


「は?」


 振り返ると、彼は困惑した様子でおっしゃいました。


「余は無理に貴様をもらう気は……」


 わたくしは貴族さまに駆け寄りました。こうして並ぶと、わたくしのほうが少しだけ高いような気がします。前にお会いしたときは、彼のほうがずっと大きかったのですが。


「いえ。無理などしておりません」


 そのフードの端をつまみ、そっとめくりました。すると、その素顔――そして、とても小さくなっていますが、魔族の象徴であるツノが眼前にさらされます。


「わたくしがこころに決めた殿方とは、あなたさまですよ」


 やっぱり、そうでした。あまりの喜びに、思わず頬が緩んでしまいます。もういい年だというのに、これではまるで少女ですね。

 しかし、うふふ。こんなおとぎ話のようなことがあるなんて、思いもしませんでした。わたくしの人生も、まだまだ捨てたものではありませんねえ。


「再び会えてうれしいです。――魔王さま」


 姿かたちは、まったく変わってしまっておりました。しかしそのきれいな瞳だけは、あのときのままでした。

 そしてわたくしには、それだけで十分だったのです。


 どこからか、暖かい光が差し込んでまいりました。室内なのにおかしいです。でも、その暖かさが、わたくしたちの前途を照らしてくれているような神秘的な気持ちになります。もしかしたら、精霊たちがわたくしたちを祝福してくれているのかもしれませんね。

 ふと彼の瞳から、ぽろりと涙がこぼれました。そうなるとますます子どもっぽく見えて、わたくし、うっかり笑ってしまいました。


「ここで涙を流すのは、女であるわたくしの役目だと思うのですけれどねえ」


「う、うるさい! 余計なことを言うな!」


 初めて拝見したそのお顔は、思っていたよりもずっとお優しそうなものでした。


 どうしてあのとき去っていったのか。どうして人間になっているのか。そして、どうしてわたくしなどを妻にしようと思ったのか。

 不思議なことは山ほどございます。でもいまは、この奇跡のような再会を、そっと女神さまに感謝したいと思います。


 あら。わたくし、自分で思っていたよりもずっと乙女。



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