わたくし、お婿さんをもらいます(3)



 ありました。

 いえ、おとぎ話ではありません。放牧していた子豚が、わたくしの手袋をくわえてどこかに隠してしまったのです。

 森の茂みを探し回り、やっと見つけたころには西の空は暗くなっていました。大変です。はやく豚たちを小屋に戻さなければ、森の狼に食べられてしまいます。


 しかし、最近は日が沈むのが早いですねえ。これが平和ボケというやつでしょうか。すでにお婆ちゃんになったような気分です。

 せっせと作業を終え、家に帰ったのは日もとっぷりと暮れたころでした。窓から明々とした灯りが漏れています。未婚の一人娘が夕食の時間に帰らないというのに、お父さまとお母さまはまったく心配していないようです。

 そういえば、わたくし仮にも勇者。そんじょそこらの男のひとが束になっても敵いませんものね。ただ、ちょっとだけ寂しい気もします。


 家の扉を開けると、どうもいつもと雰囲気が違いました。具体的に言うなら、キッチンのほうから知らない男性の声がします。たまにお父さまのご友人が飲みにいらっしゃいますけど、どうも様子が変です。なぜお母さまはお客人に敬語を使っていらっしゃるのでしょうか。

 わたくしが姿を現わすと、そこには一人の騎士さまが座っておりました。


「あぁ、勇者どのが帰られましたかな」


 まあ、立派なお髭。兜には豪華な装飾が施され、白い鎧もぴかぴかです。さぞご身分の高い御仁なのでしょう。


「どなた?」


「こら、そんな口の利き方をするものじゃありません!」


 お母さまが慌ててわたくしをたしなめます。


「この方は、さる貴族のお使いの方なのよ」


 あら、まあ。


「それは、それは。遠いところをようこそ、いらっしゃいました」


 わたくしは深くお辞儀をします。

 しかし、はて。貴族さまの使いがこんな辺鄙な村にどんなご用なのでしょうか。お父さまたちにそういう知り合いは聞きませんので、きっとわたくしにご用なのでしょう。

 しかし、わたくし、この鎧に刻まれた家紋は見たことがございません。とても不思議な形です。狼の頭に雄鹿のツノが生えたような、奇妙な動物の模様です。


 まるで、魔族の紋章のような――。


「わたしは、新しくこの土地を治めることになった領主さまの使いのものでございます。実は勇者どのがこの地に住まうと耳にしまして、我が主の命でお迎えに上がりました」


 騎士さまは礼儀正しくお辞儀をしました。

 この地域に領主さま? それは変です。このまったく旨みのない土地に貴族が着任したなど、何十年ぶりのことでしょう。魔族との戦争が決着したいま、王族たちの領地争いがここにまで及んでいるのでしょうか。

 しかし、いまはそれよりも気になることがございます。


「あのう、お迎えとは?」


「あんたを嫁にしたいという申し出だよ!」


 お母さまが興奮しながらおっしゃいました。まるでご自分が指名されたようなご様子ですね。


 わたくし、しり込みしてしまいました。まさか、ここにまでそんな輩がやってくるとは思いませんでしたので、完全に油断をしておりました。

 いったい、どこでわたくしのことを聞きつけたのでしょう。あの王国の王さま方が、わたくしの情報を売るとは思いたくはありませんが。

 しかし、どうしましょう。いえ、こういうのは変に気を持たせてはいけません。わたくし、はっきりとお返事をいたしました。


「お断りいたします」


 みなさまが目を丸くなさいます。いつも動じないお父さまですら、驚いた様子でこちらを見ております。

 あら。どうして猟銃を持つのですか。ご冗談ですわよね?


「なんてことを言うんだい! あんたみたいな行き遅れ、もらってくれる男なんていないわよ」


 いえ、そういうことではないのです。そういうことではないのですよ。

 でも、きっと説明しても無駄なのでしょうね。それどころか、この胸に秘めた思いを告げれば、この家を追い出されてしまうでしょう。追い出されるだけならまだいいです。もしかしたら、そのことが知れ渡り、王国の方々から追われることになるかもしれません。英雄から一転、大反逆者として逃亡の日々が始まります。

 まあ、わたくしこれでも勇者ですので、きっと負けることはないのでしょうね。でも、さすがにこの世界を敵に回すほとの度胸はございませんもの。所詮はただのひとりの女ということですか。

 あぁ、こういうとき、お師匠さまがいれば。きっと一も二もなく騎士さまを追い出して塩を撒いてくれるのでしょう。わたくしに理解があるとかいう話ではありません。あの方、権力者が大っ嫌いなのです。とても恐いのですが、そういった点は清々しくて好感の持てる方なのですね。

 そういえば、魔王との戦いが終わってから、まだご挨拶に伺っていませんねえ。でも、どこにいらっしゃるかわからないのです。ご職業、海賊ですし。


 ハッ。いけません。いつもの悪い癖です。いまは目の前の問題をなんとかしなければいけません。

 騎士さまはやわらかい微笑を崩さず、わたくしに提案いたしました。


「まあまあ、勇者どの。突然のことで戸惑われるかもしれませんが、どうか一度、お顔だけでも見せてはいただけませんかな。このまま手ぶらで帰っては、わたしが主に叱られてしまいます」


 うっ。

 困りました。そういう言い方をされると、とても断りづらいのです。


「あ、明日まで考えさせていただけませんか」


「ありがたい」


 あぁ、もう。

 この流されやすい性格は、どうにかならないものでしょうか。思えば10年前、魔王討伐の旅に出たときもこんな感じでした。世界を救うほど強くなっても、精神的にはちっとも成長した気がしませんねえ。


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