わたくし、勇者を引退します(結)



『申してみよ』


「ありがとうございます。その仮面を外して、お顔を見せていただけませんか」


 やはり、これから闘う相手のお顔を知っておくのは礼儀だと思うのです。しかし、執事の方が口を挟んできました。


「魔王さまは、この仮面を外すことはない」


「あら。お食事のときはどうするのですか」


「我々は食事などせんわ!」


「では、どうやってお腹を膨らましているのですか?」


「我らは他の生物の魔力を糧とする」


 それは便利ですね。わたくしのお父さまも豚を飼っておりますが、やはり家畜を殺すのは忍びないものです。

 でも、お顔は見せていただけないようですね。もしかしたら、なにか理由があるのかもしれません。顔を見せない理由……。


 あ。なるほど。きっとそうです。


「あの! わたくし、思うのです」


『……なんだ?』


「あなたは魔王です。誰がなんと言おうと、魔王なのです」


『ふむ?』


「人間を見てください。たくさんのひとが王を名乗り、国家間で争いをする始末です。それに比べて、魔族はあなたのもとでひとつに団結しております。種族は違えど、とても立派なことだと思います。たとえ他のひとからお顔が残念だと言われても、それは決してあなたの品位を傷つけることにならないと思――」


『…………』


 魔王が右手を掲げました。その手のひらに、とてつもない魔力が集中していきます。あまりに魔力が濃密で、空間がゆがんで見えますね。これはまずいです。なにか気に障ることを言ってしまったのでしょうか。


『……勇者と思えばこそ、客人として迎え話も聞こう。しかし道化ならば、その命に価値などないわ!』


 その魔力弾が放たれました。それはわたしの頭に命中すると、この身体を吹っ飛ばしてしまいます。うしろの壁に背中を強かに打ちつけ、わたしは一瞬、目の前が真っ白になってしまいました。


「勇者、しっかり!」


 ハッとすると、仲間たちが心配そうにわたしを揺すっていました。頭がぐわんぐわんとしますので、どうか揺らさないでほしいです。しかし、どうやら生きているようですね。ただ、女神さまの兜が粉々になってしまいました。

 困りました。これはあくまで借りものですので、冒険が終わったあとに返却しないといけないのに。


「くそ、まさか魔王がこんなに強いとは!」


「これまでのやつ、だいたい勇者どのに一撃でのされていましたからね……」


 剣士さまと僧侶さまが、わたくしを庇うように立ちます。


「これでも勇者の剣だ! 根性見せたらあ!」


 いけません。確かに剣士さまはお強いですが、魔法にはめっぽう弱いのです。それに、仮にもわたくしは勇者。仲間に守られてばかりでは故郷のお父さまたちに顔向けできないではありませんか。

 わたくしは立ち上がり、再び剣を構えました。


「魔王、勝負はここからです!」


 あら。

 それは不思議な光景でした。魔王は魔法を放った体勢のまま、ぴたりと止まってしまっています。


「魔王さま! いったい、いかがしましたか!」


 どうしたのでしょうか。執事の方が必死に肩を揺すっていますが、まったく反応がありません。 


「あの、どこかお身体が悪いのですか?」


『…………』


 わたくしも呼びかけますが、お返事がありません。どこかぼんやりと夢を見ているような様子です。もしかしてこちらを油断させる罠かとも思いましたが、あの執事の方の慌てようを見るに違うのではないでしょうか。

 これは参りました。千載一遇のチャンスですが、構えていない相手に攻撃を仕掛けるなど、勇者の風上にも置けません。


 でも、まあ?

 さっき、あの方も不意打ちを仕掛けてきましたし、おあいこですよね。


 わたくしは精霊の力を全開にして、魔王に突っ込んでいきました。剣を振りかぶり、その頭に向かって振り下ろします。


 あら。とてもきれいな瞳……。


 その金色の瞳に目を奪われた瞬間でした。急に魔王が我に返ると、わたくしの剣を叩き払いました。剣は勢いのまま床に突き刺さり、わたくしも転んでしまいます。剣も簡単には抜けませんし、魔王の目の前でとても無防備な状態になってしまいました。

 大変です。これって、絶体絶命ってやつでしょうか。


「ゆ、勇者!」


 仲間たちが駆け寄ってきますが、どうも間に合いそうもありません。

 そのとき、初めてわたくしは恐怖を覚えました。なにせ、わたくしよりも強い相手に出会ったことはありませんでしたもの。思わず町娘のように目をつむって、とどめの一撃を待つばかりでした。


 しかし、いつまで経ってもわたくし死にません。どうしたのでしょうか。それとも、あまりにも一瞬で殺されたので、苦しみの感覚すらなかったのでしょうか。そう考えると、魔王も意外と慈悲深い方なのかもしれませんね。


「……あら?」


 目を開けると、わたくしの手があります。足もあります。お化けではありませんし、どこも怪我をしていません。

 見上げると、魔王がじっとこちらを見下ろしています。やはり見間違いではありませんでした。魔王は残虐非道な男だと聞いていましたが、とても澄んだきれいな目をしていらっしゃいます。


『……興が冷めた』


 え?

 聞き違いでしょうか。しかし魔王はマントを翻して、本当に玉座の間を出ていってしまいました。残された執事の方が、慌てて追いかけていきます。


「ま、魔王さまあ――――っ!?」


 わたしたちはそのうしろ姿を、ぽかんと見送りました。剣士さまなど、あまりのことに鼻水を拭くのも忘れています。

 魔王城から、魔族の気配がどんどん消えていきます。どうやら、この城から逃げていっているようです。これはいったい、どうしたことでしょうか。


「……これは、勝ったのでしょうか」


 僧侶さまが信じられないといった様子でつぶやきました。もちろん、わたくしも同じ気持ちです。


 ――こうして100年以上続いた魔族と人間の戦争は、本当に終結してしまったのでした。



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