序章.わたくし、勇者を引退します

わたくし、勇者を引退します(1)



 拝啓。

 故郷のお父さま、お母さま。

 近頃、どのようにお過ごしでしょうか。

 いまは秋の入口ですから、村はずれの森には豚の餌になるどんぐりがたくさん落ちていることでしょう。村での生活を思い出すと、わたくしも胸が絞めつけられるような気がします。この物寂しい気分というものが、郷愁の念というものでしょうか。

 わたくしが勇者として神託を受けたのは、15歳のころでしたね。世界を平和にするために旅立ち、はやいもので10年近くが経ちました。

 定期的に文を送っていますが、果たしてちゃんと届いているものか。それが心配でなりません。わたくしにできるのは、ただ信じることのみです。

 しかし、そんなお手紙も、これで最後となるでしょう。

 わたくしはいま、この旅の終着地点である魔王城にやってきております。ここに来るまで、いろいろなことがありました。魔王の幹部が守る結界の封印を破ったり、手強い魔物がうごめく山をのぼったりと、どれも大変なものです。しかしこうして仲間のひとりも欠けることなく、無事に到着することができました。

 これもひとえに、わたくしたちの旅の安全を祈ってくださるお父さまとお母さま、そして世界中の平和を願うみなさまの恩恵が――。

 

 あら。

 

 わたくしの肩をつんつんするのは、どなたでしょうか。

 振り返りますと、旅の仲間である僧侶さまがわたくしを見ていました。普段はとても凛々しい方ですが、お酒を飲まれると彼氏のできないことを愚痴ったりと、可愛い一面を見せてくれる女性です。


「あの、勇者どの」


「はい。なんでしょう」


「……大変、申し上げにくいことなのですが」


 彼女をはじめとする旅の仲間たちが微妙な顔でわたくしを見ていらっしゃいます。みなさま、どうしてそのようなお顔をしていらっしゃるのでしょうか。わたくし、なにか粗相をしてしまったつもりはありませんが。

 なにぶん田舎育ちなもので、世の常識というものに疎いのです。この旅でも、ずいぶん苦労をいたしました。


 たとえば、二年前に立ち寄った西の王国に迎えられたときことです。

 わたくし、その国の王子さま――ええっと、確かお名前は、ミロだかパロだかいうお名前だったと記憶していますが。……あぁ、もしかしたらサンバかルンバだったかもしれませんね。


「あぁ、懐かしい。そういえば、あのことをお父さまたちにご報告するのを忘れていました。ちょっとお待ちください。そのことをささっと書いてから……」


「だあ――――っ!」


 突然、剣士さまが雄叫びを上げられました。突然のことに、わたくしはびっくりしてしまいます。

 この剣士さま。とても強く天賦の才をお持ちなのですが、まだお若いゆえに精神状態が不安定な部分があります。戦闘では頼りになりますが、このようにいきなり怒りだすのが玉に瑕ですね。

 と、彼はなにか懇願するように言いました。


「なんで、てめえは魔王城の真ん前で故郷への手紙を書いてるんだよ!」


 あら。

 眼前には、魔王が住むという巨大な城がそびえております。すでにこの城門だけで、わたくしの故郷の教会よりも大きいです。その大きさに、わたくしはただ呆然とするばかりでした。いったい、どれほど大きな魔物がいれば、こんなに大きな門をつくれるのでしょうね。


 しかし、なぜ剣士さまはこんなに怒っていらっしゃるのでしょうか。

 だって、これが運命の最終決戦というやつです。もしかしたら、わたくし、生きて帰れないかもしれません。ならばせめて、故郷の両親に言葉を送ることこそ親孝行というものではないでしょうか。

 魔法使いの老師さまが、コホンと咳をします。この方は魔導の森で出会った、それはもう人徳のある方です。わたくし、お恥ずかしながら、すでに亡くなったお爺さまの面影を重ねてしまっております。


「そもそも、どうやって届けるおつもりですかな」


「あら。そういえば」


 わたくしとしたことが、すっかり失念しておりました。

 ここは魔王領のど真ん中。人間の通信経路が届いている可能性は極めて低いのです。さすがは老師さまです。このようなことに気が回るとは感服いたします。いくら強くなっても、この方には頭が上がりませんね。

 しかし、これは参りました。こうなるとわかっていたら、先日に宿泊した村で書くべきでしたね。しかし、あのときはどうも筆が乗らなくて、結局書けなかったのです。こういうものは、やはりライブ感が重要だと思われます。

 しかし、こうしていい感じに書けたのですから、ここで捨てるのはもったいない気がします。なにか方法はないものでしょうか。

 あ。そうです。なにも難しいことはありませんでした。


「みなさま。ちょっとわたくし、ふもとの村まで行って手紙を出してまいります」


「待てこらあ――――っ!」


 あら。

 今日はよく怒られます。やはり最終決戦を目の前にして、みなさまも気が昂ぶっておられるのでしょうか。臆するよりいいことだとは思いますが、冷静さを欠いては命を落とす危険があります。

 ここはわたしが大人な対応で、みなさまの頭を冷やしてあげるべきですね。なんといっても、わたくしはこのパーティのリーダーですから。


「わかりました。みなさまの意見を尊重いたします」


 みなさまはホッとしたご様子でした。

 そうですね。いくらわたくしが山育ちだとはいえ、ここまでの往復は丸一日かかってしまうでしょう。その間、こんな楽しみもないところで待ちぼうけなど、退屈で仕方がないはずですよね。

 他人のことを思いやる。勇者の基本ですわ。


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