魔王さま、勇者に婿入りなさるのですか!?
@nana777
勇者を引退したら魔王が婿入りしてきました
勇者と魔王、対峙する
広い草原に、一組の男女がいた。
ふたりは向かい合いながら、お互いを睨み合っていた。まるでこれから、果し合いでもするかのような緊張感を漂わせている。
「――ご覚悟はよろしいでしょうか」
女が真剣な様子で言った。
可憐な見た目の女性だった。太陽を浴びて金色に輝く髪が、春の風になでられてさわさわと揺れる。たれ目がちで、生来のおっとりした性格がうかがえた。どこぞの村娘と同じような服装だが、なぜか彼女の周りには神秘的な雰囲気が漂っているように思えた。
「わ、わかった。いつでもくるといい」
対する男の声は、少しばかり緊張しているようだった。こちらはまだ少年と言って差し支えない歳のようだった。しかしその黒髪と凛々しい顔つきは、彼が聡明な男であるとうかがわせる。ただ気になる点をいえば、その頭に小さな角のようなものがのっていることだった。
男の手には分厚い鉄の刃が握られており、切っ先がわずかに震えている。
ふたりの間には、一頭の豚が横たえてあった。
それはもう丸々太った豚で、見ているだけでよだれの落ちそうなほど立派な個体だった。豚は眠っている様子で、ぴくりとも動かない。本来なら大の男が10人で動かすようなものでもあるが、なぜかここにはふたりしかいなかった。
それはともかくとして、男は恐る恐るという様子で刃を構えた。豚の喉に切っ先を向ける。そして急所を突くべく、腕に力を込めた。
……しかし、その刃が豚の喉を突き破ることはなかった。
男の手から刃が零れ落ちる。彼はその目に涙をためて、眠ったままの豚にすがりついた。
「できない!」
それを見た女が、呆れたように叫んだ。
「もう、魔王さま!」
魔王と呼ばれた男は、必死に言い返した。
「しかし、勇者よ! この
勇者と呼ばれた女が、ハアと小さくため息をつく。
「いい加減、売り物の豚に名前をつけるのはやめてくださいませ。それに、その恋人なら、数日前にすでに出荷いたしました」
「なんだと!?」
魔王の頬に、一筋の涙が流れる。握りしめた拳が震え、彼は珍しく怒りに任せて勇者を罵倒した。
「鬼! 悪魔! この魔王!」
「落ち着いてください。魔王はあなたさまです」
勇者はそれを冷静にたしなめると、やれやれと額に手をあてる。
「もう、今日こそは魔王さまに豚を潰すことを乗り越えていただこうと思いましたのに。わたくしのお父さまも、いつまでも健康ではいられないのですよ?」
「わ、わかっておる! しかし、いざ目の前にすると、どうしても耐えられないのだ。なにも知らずに眠るこいつを殺すなど、余にはできない……」
「これまで多くの人間たちと戦ってきた魔王さまが、その程度でなにを狼狽えるのですか」
「その程度だと! だいたい、潰すとはどういうことだ! それが我らの糧となる、生きとし生けるものへの手向けの言葉か!?」
「それは先祖代々、使われてきた言葉だからしょうがないのです」
勇者はなにかを決意したようにうなずいた。
「いいでしょう。魔王さまがそのつもりなら、わたくしにも考えがございます」
「な、なんだ?」
「わたくし、魔王さまがおひとりで豚を潰すことができるようになるまで、僧侶さまのところでご厄介になります。魔王さまにお会いできないのは辛いですが、それも魔王さまのことを思えば致し方ないこと。それでもよろしいのですか?」
「うぐ……っ」
魔王は刃を拾った。それを握りしめると、先ほどのように刃を豚へ向ける。
「さあ、魔王さま。お覚悟を!」
魔王はごくりと喉を鳴らした。ぎゅっと目をつむると、その刃を豚の喉へと突き刺――せなかった。
魔王は切っ先が届く寸前に、それをうしろのほうへと思い切り放り投げてしまったのだ。
「よ、余にはできない!」
「もう、魔王さま!」
結局、そのまま日が暮れてしまった。勇者は豚を小屋の中に戻すと、めそめそと泣く魔王を連れて我が家へ帰るのだった。
「す、すまない。しかし、余は、余は……」
「わかっております。魔王さまはお優しいですものね」
「じゃあ、勇者よ。余を放って僧侶のもとになど行かないでくれるな?」
「いえ、それとこれとは話が別でございます」
勇者は家にたどり着くと、荷物をまとめて扉を開けた。
「それでは魔王さま。しばしのお別れにございます。わたくし、できるだけ早く迎えに来てくださることを祈っておりますので」
「ゆ、勇者よ! 明日だ、明日こそは頑張るから!」
「いいえ。そのお言葉に何度ほだされたことか。わたくし、いよいよ我慢がなりません」
「ま、待ってくれぇーっ!」
村の周囲の家々から、またかまたかと野次馬がのぞいている。今夜も勇者と魔王の新居には、にぎやかな声が響いているのだった。
――この物語は、勇者を引退したとある女性が、彼女を娶るために人間になった魔王との新婚生活をつづった日記のようなものである。
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