[6]
ホーガンは銃とナイフを持ち、マーカスは応援を呼ぶ術のない状況だった。
「動いたら、撃つ」マーカスはあまり威厳のない金切り声を放った。
ホーガンは聞き入れなかった。それまではいつも被疑者はマーカスが本気だと信じ、大人しく言うことを聞いた。乱暴な口調の命令と、銃と、警察バッジがものを言って、いつも相手を止まらせることができた。だが、ホーガンは止まらなかった。ニヤりと笑っただけだった。ひきつった笑みを浮かべたまま、ナイフを突き出し、半歩前へ進んだ。
「止まれ!」マーカスは数回叫んだ。ハチドリのように震え、身体を出入りするすべての空気が口を通った。けれども、ホーガンは奇妙な薄笑いを浮かべて、進み続けた。
マーカスはホーガンに向かって自分の声とは思えないかすれ声で叫び、「止まれ、さもないと発砲する」と警告した。決定的な瞬間だった。銃はナイフと同じくくらい脅威になった。そして、ホーガンはマーカスを襲いかかれる距離に迫り、低い下卑た声で「やってみろよ」とささやいた。
恐怖の匂いが鼻を突き、ホーガンの双眸が硬い茶色の石から暗い深淵に変わったとき、「お前・・・」と呟き、その足が止まった。「あのときのガキか?」と続けたとき、マーカスは発砲した。
学校の射撃場で教わった通りに、2発撃った。すばやく確実に、両腕を伸ばして左手で右手を支える。急所の胸を狙った。弾は命中し、ホーガンは衝撃で数歩あとずさり、真っ赤な血の花びらが飛び散った。暗い眼が大きく見開かれ、光がさっと射し込んだ。ホーガンは前によろめいて、銃とナイフを落とした。それからふらりとマーカスに倒れかかり、血がマーカスの手と制服を濡らした。マーカスは両腕でホーガンを受け止めたまま、地面に座り込んだ。
ジェフリー・ホーガンの死に際、マーカスの中で何かが動いた。体内を温かい光が勢いよく駆けめぐった。やがてそれは去り、マーカスは自分の中の新しい感覚に頭がくらくらした。ゴボゴボと流れ出ていた血と空気が絶え、ホーガンの全身が痙攣をやめた時、マーカスの全身を走る温かい震えは肺の中で静止した。
内部調査課は、マーカスを潔白と判断した。全員一致で、マーカスの発砲は正当防衛だと結論づけた。それはブラッドリー巡査に落ち度はなく、他に選択肢はなかったというのが武器審査委員会の見解だった。
委員会の聴取から数か月が経ったころ、マーカスはパトロールに向かう途中、署の廊下でキャシディに呼び止められた。
「DNAが一致したぞ」
「何の話です?」
「7年前、ザ・ボトムズの一軒家に武装強盗が押し入り、家にいた男女2人を射殺した後、現金や貴金属を奪って逃走した。被害者は、リチャードとメアリーのブラッドリー夫妻。夫妻には息子が1人いて、その日はたまたま近所のパーティーに出ていて、家には不在だった」
キャシディはマーカスの前に立ち、タバコを吸い始めた。
「強盗犯は家の冷蔵庫から、ビール缶1本を失敬して、そいつを飲んだ。その空き缶の飲み口から唾液が検出され、そのDNAデータは今日まで冷凍保存されていた。今回、そのDNAとホーガンのDNAと一致したわけだ」
「それで?」
「家の異常を発見したのは、ブラッドリー夫妻の1人息子だった。ところが、その息子は家に帰る途中、近所の交差点で不審な男とぶつかった。荒い息づかいが分かるほど、近い距離だった」
キャシディは、短くなったタバコを開いていた窓から投げ捨てた。
「お前、ホーガンを知ってたな?」
キャシディが、マーカスの胸に食らいついた。
「どうなんだ?」
「・・・当たり前じゃないですか」
マーカスは呟くように言った。
「ここにいるんですよ」こめかみをトントンと叩いた。「あいつが、いつまでも・・・」
キャシディの手をさっと振り払うと、マーカスは廊下を歩き出した。その背中に、キャシディの怒号が飛ぶ。
「見届けてやるぞ!貴様が、どんな警官になるか!俺の眼が黒いうちは、絶対に死ぬんじゃねぇぞ!分かったか、この野郎!」
仮面の警官 伊藤 薫 @tayki
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