平成天狗と友人たち

 どうなっている。

 天狗は変装して逃げ込んだ非会員制インターネットカフェで頭を抱えていた。


 二〇××年、あまりに雑多で、あまりに賑やかな街、東京。

 人間とは異なる姿に恐れられるならまだしもコスプレだなんだと指を指され、行くところ行くところで歓声を上げられるとはまるで考えていなかった。おそらくは前の時代に赴いた友人たちが悪戯に適当な噂を流したのだろうとは推論がつく。事実、物理入力装置を用いたコンピュータで調べてみると、自分のモデルにしたと思しき情報がわらわらと出てくるものだから、天狗は閉口した。


 その中でもっとも困ったのは、ずいぶん自分の能力が高く見積もられていたことであった。

 曰く、流星のように空を飛ぶ、だとか、曰く、何でもできるし何でも知っている、だとか。あまりに荒唐無稽な流言飛語に天狗は歯噛みし、五人の友人を思い浮かべた。


 おそらくは鬼かミノタウロスだな、メデューサという可能性もあるが……。


 鬼はその気弱さから自分をずいぶん神聖視していたし、ミノタウロスやメデューサは悪戯を仕掛けてくることが多かった。

 苛立ちを感じながらも、しかし、それはあくまで表層のものだ。彼らはかけがえのない友人である。


 こうしてごみのように廃棄される謂われはまったくない。


 今度こそ、天狗の中に怒りの炎が燃える。頭の中にあるのはあの科学者だ。冷たい、人を愚弄するような顔の男。彼の部下の手引きにより、タイムマシンの管理権限を簒奪することができたが、問題はここからである。

 天狗が探していたのは、命令に忠実で、かつ、淡泊な人間だった。科学者を殺し、その出来事を忘れ去るような人間。だが、この平和な時代ではそういった非情さを持つ人間は表には現れず、また、いたとしても私利私欲でタイムマシンを強奪される可能性は捨てきれなかった。


 今、天狗の乗ってきたタイムマシンの管理権限は限定クローズという形式になっている。つまり、あの科学者以外なら誰でも使える、という形だ。所有権限の仮登録はできたため、時空の狭間に隠すことができたが、もし殺されでもしたらその権限も宙に浮いてしまう。詳細は知らなかったが、強欲な人間に渡すべきではない装置であることだけは理解できていた。


 人間を殺すために、人間を頼らなければならない。


 その大きな矛盾に、天狗は拳を握り、机を強く叩いた。大きな音が反響し、周囲の視線が集まる。それが煩わしくて、金も払わずに退散した。



 当初の予定とずれてしまっている。

 道を歩きながら、天狗は煩悶に唇を噛む。当初は、パニックになったところで現れる警察でも攫おうと思っていたのだ。警察なら武器と正義感を持っている。言葉巧みに、コミックショーさながら、事実を脚色すれば手駒を獲得できるはずだった。

 しかし、現実は「これ」である。

 一歩外に出れば好意的な視線が投げかけられる。写真を撮るシャッター音ばかりか、「一緒に撮ってもいいですか」と言われるほどで、心底辟易した天狗は一目散に走り出した。その途中で公園を見つけ、その茂みの中に隠れる。居心地はよくなかったが、周囲から完全に死角となっており、騒ぎが遠ざかったのを確認して黙考を始めた。


 もっと古い時代に飛ぶか。

 天狗がキャラクタライズされていない時代ならば相応しい人間がいるかもしれない。だが、そうしたとき、今度は武器の調達が困難となる。


 どうしようもない束縛に天狗は歯ぎしりをした。人の乗ったタイムマシンは安全性を確保するために起点生成観測機が作動している時空にしか飛ぶことができないのだ。つまり、科学者を殺すためにはその機械が確実に作動しているあの瞬間にしか移動するしかないのである。さらに、同一座標での競合を防ぐために時間的猶予が設けられている。科学者が異変に気付いていることは予測できる以上、何か策を用意しなければこの好機をふいにしてしまうのは自明だった。

 天狗は八方塞がりの状況に舌打ちをする。一度集中が途切れてしまえば耳元を飛ぶ虫の音がうるさくて堪らず、立ち上がった。


 そのときである。

「あっ」という素っ頓狂な声が、背後で響いた。

 先ほどまで誰もいなかったはずなのに、と天狗は驚きを隠すことができない。振り向くと三十代くらいだろうか、いやに軽薄そうな男が立ち尽くし、天狗をじろじろと見つめていた。その後ろには白い髭を生やした老人が見慣れない乗り物に乗っている。


 逃げるべきか。


 しかし、その逡巡すら、無駄な時間だった。軽薄そうな男は天狗が反応するより素早く距離を詰める。そして、手を握ると同時に、高い声を上げた。


「天狗じゃん! すげえ! やっぱ神通力とかあんの?」


 歳の割にずいぶんと分別がない。振り払おうとしたが、彼の手の拘束は強く、逃げることができなかった。

 男はさまざまな感想を捲し立てた後、何を思ったのか、奇妙な服を渡してきた。見慣れない服だったが、なぜか放り捨てる気にもなれない。ひとまず受け取ると、彼は満足そうな笑みを浮かべた。

 天狗は手の中にある服に目を落とす。前方から「会えてよかったよ」と聞こえ、顔を上げると同時に腹の底から声が突き抜けた。


「なっ……!」


 目の前には誰もいない。ごちゃごちゃとうるさかった男も、白髭の老人も、消え失せているのだ。白昼夢でも見ていたのか、と疑うが、渡された服は現実感を伴って手の上にある。しばらく困惑した後、天狗の頭に残っていたのは見慣れない、平べったい乗り物だった。


 あれは、別時空のタイムマシンだったりはしないか。


 あまりに荒唐無稽な想像を、しかし、切り捨てることができない。一歩踏みだし、草の生えた地面を観察する。あの乗り物があった辺りの草が押しつぶされたようにひしゃげている。今し方起こったことが現実であると改めて認識し、そして、確信した。


 今の二人は時空移動者だ。


 天狗はあの科学者が説明した時空移動の基礎理論を思い返す。

「不揃いのパスタ」と喩えられる全時空総覧図。

 あの科学者が提唱した理論の中において空間は点として扱われ、滑らかな連続性、つまり、時間という仮想尺度で線となる。そうやって得られた時空という概念は量子力学的見地から複製され、可能性を獲得し、面を形成する。だが、その面は究極的にはあくまで点でしかなく、不安定なものだ。ずれた点は連続性を解決するために引き延ばされ、それが「不揃いのパスタ」と呼ばれる状態となる。


 今、出会った二人は別の時空の――おそらく、あの科学者に対して恨みを持つ――人間だ。そうでなければ「会えてよかった」と言うはずがない。


 天狗は確信と言うべきか、祈りと言うべきか、曖昧な感情を抱いたまま、手に持った服の中を探った。ごわごわとした、白い服をまさぐっていると指先に硬い感触が当たった。硬貨よりも一回り大きな、卵大の物質だ。腹の部分には押してくれと言わんばかりの膨らみがある。

 別の時空の武器だろうか。そう思った天狗は両端の延長線上に身体が来ないようにその装置を掲げ、木の枝を狙い、ボタンを押した。音も衝撃もない。だが、独りでに枝が折れ、ぽとりと地面に落ちた。反比例するように天狗の興奮が爆発する。


 では、この服は暴力抑制装置を阻害する特殊な衣服なのではないか?


 天狗はもう疑うことはしなかった。白い和装に身を包む。別段、変わった感触はなかったが、きっとそういうものなのだろう。そう決めつけてタイムマシンを呼び寄せた。影が膨らむようなさりげなさで天狗の身長より大きな装置が出現する。素早く乗り込むと、記憶してあった時空座標を入力し、作動させた。

 待っててくれ、みんな――。

 今、あの科学者を殺して、解放するから。


          〇


 タイムマシンから出て初めに目に入ったのは、諦念を顔に浮かべた科学者だった。今の事態を予測していたようではあったが、部屋の中に護衛らしき姿はない。


 罠でもあるのか?


 天狗は訝るが、確認する術はない。まずは手に入れた装備の性能を確かめるため、武器を科学者へと向けた。

 あの枝のように折ってやる。

 そう念じてボタンを押すと、科学者の左腕が乾いた音を立ててひしゃげた。だが、彼は膝を突いただけで悲鳴を押し殺している。その強情さに苛立ちが増し、天狗は一歩近づいた。


「……待ち侘びたよ、こんな施設に閉じ込めて、挙げ句の果てに廃棄したお前を痛めつけるこの瞬間を、な」


 だが、脅しの文句にも科学者は表情を崩さなかった。まるで当然の帰結かのように薄い笑みを浮かべたまま、じっと視線を返してきている。そのさまに、天狗の腹の中で炎がちりちりと爆ぜた。


「何か言う言葉はないのか? 許してくれ、だとか、謝罪の言葉は!」

「……何を言ったところで意味がないようにも思えるがね」

「正解だ」天狗は小さく笑い、頷いた。「だが、お前がみっともなく許しを請う姿を見たくもある」


 それは真実の思いでもあったし、ちゃちな脅迫とも言えた。

 生み出されたこと自体には感謝している。だが、今まで人として扱われなかった日々を考えると素直に受け入れることはできなかった。この科学者は暴力的な振る舞いこそしたことはないが、部下の行いを黙認してきたのだ。

 憎き男の最期の瞬間、その到来を前に天狗の肺が震える。武器を構えたまま、彼は怒鳴った。


「何か言ってみろ! お前たち人間はなんでそんなに傲慢でいられるんだ! なんのために……なんのために俺たちを生み出した? なんのために俺たちは生かされていたんだ!」


 静寂が室内に落ちる。

 およそ十秒の沈黙の後、科学者は口を開いた。


「生み出された理由など俺に分かるわけもない。俺は預かっただけだ」

「……だろうな」

「生きてきた理由など、勝手に見つけろ。そのためにのだ」


 科学者の真っ直ぐとした視線がぶつかる。深い皺が刻まれた顔、総白髪の初老の男とは思えない鷹のような目つきに、天狗は気圧され、そして、彼の言ったことが理解できず、立ち尽くした。


 ――逃がした?


「どういう、ことだ……?」

「言葉の通りだ。お前たちの処分が決まり、それを避けるために別の時空に送った、それだけだ」

「嘘を吐くな!」


 天狗は激昂を吐き出す。真実のわけがない、ただそれだけを信じて詰め寄る。そして、胸ぐらを掴もうとしたところで、身体の動きが硬直した。罠か、と混乱が脳内に落ち、遅れて暴力抑制装置が作動したのだと悟る。

 同時に、今身に着けているスーツが意味をなしていないことを理解した。


「な、何が……」


 天狗の思考はパニックに陥っている。

 この服がただの服であるならばあの二人組はなんだったのか。科学者の言葉は真実なのか。そして、部屋の外から聞こえてくる足音が誰のものなのか。

 暴力抑制装置によって与えられる肉体の硬直は思考すらも制限する。目を見開いたまま、果てしなく長い五秒が過ぎ、身体に自由が戻ったとき、科学者が叫んだ。


「何でもいい、殺すなら殺せ! さっさとここから離れろ!」


 一瞬の迷い、その空白に扉の解錠音が響き渡った。

 部屋の中に若い男が入ってくる。その顔を見て、天狗は安堵した。この一件をお膳立てした人物だ、真実を知るならばまずは話を聞いてからでも遅くはない。

 そう考えた瞬間、顔面が引き攣る。

 若い男の手に握られた拳銃、その銃口は天狗へと向けられていた。


「――役立たずが」


 裏切りを示す一言に目の前が暗くなり、同時に胸に衝撃が走った。

 だが、痛みはない。天狗は後方へと倒れながら、自分の目を疑った。

 地面に伏せていたはずの科学者の手が伸びている。突き飛ばされた、と悟り、同時に周囲に血液が飛び散っていくさまが、ゆっくりと見えた。宙を舞う赤い点は重力と慣性に従って天狗の頬に付着する。

 叫び声が喉を通り抜けていた。

 科学者の胸に空いた穴を押さえ、若い男を睨む。


「どういう、どういうつもりだ!」

「見て分かるだろう? その男は危険だ。それを証明し、計画を止めるために愚かなお前と牛面うしづらを利用した、それだけだ。どちらにせよ、お前も殺すが……順番が逆になったな」


 冷たい声色に後悔が重くのし掛かる。男の言葉だけで、科学者が真実を語っていたのだと気付く。

 どうすればいい――

 天狗は混乱の中、己の右手に握られた武器の存在を思い出した。あのとき、渡された服は意味がなかった。しかし、これだけは本物のはずだ。腕を真っ直ぐ、拳銃を構える男へと向け、ボタンに指を当てる。どこかへ行ってくれ。それだけを願い強く指を押し込んだ。


 だが、腕の骨が折れる音は響かない。

 深い絶望に激痛を想像し、目を瞑る。心の中で友人たちと科学者に謝罪し、奥歯を噛みしめたとき、異変に気付いた。


 銃声が一向に鳴らないのだ。

 ゆっくりと瞼を開ける。先ほどまで拳銃の引き金に指をかけていた若い男は確かにいる。しかし、そこにいるだけだった。瞳からは光が失われ、両腕をだらりと垂らしている。半開きになった口からは涎がこぼれていて、意識がないようにも思えた。


「……おい、どうした?」


 若い男は反応を示さない。それどころか、踵を返して部屋を出て行ってしまった。扉の施錠音が響き、部屋の中には静寂が訪れる。

 何が起こった?

 疑問が脳内を支配し、手の中にある装置に目を落とす。そこに付着した血液を見てようやく、天狗は科学者のことを思い出した。すぐ隣で仰向けに倒れている科学者へと手を伸ばす。


「おい、大丈夫か」


 揺り動かしたが、反応は薄い。何かを呟くように口がぱくぱくと動いているのだけが分かり、天狗は耳を科学者の口元へと近づけた。


「メ……デューサを、呼んでくれ」

「メデューサ? なんであいつを……」

「いいから、頼む……」


 どうでもいいことを今際の際に瀕している科学者が言うはずがない。天狗は頷き、メデューサのタイムマシンに繋がるコンソールを操作した。管理権限を奪ったときに操作方法は学んでいる。簡単な入力をするだけで、その場に卵形のタイムマシンが現れた。


「メデューサ!」


 叫ぶと同時に扉が開く。見慣れない服に身を包んだメデューサは勢いよく飛び出してきて、憤慨を滲ませた。


「ちょっと、今いいところだったんだけど」そして、彼女はすぐに異変を認識し、顔を歪めた。「って、え、何これ、どうなってんの?」

「説明は後でする! お前を呼べってこいつが言ったんだ! 何か知らないか?」

「えっと、ああ、治せってことね。でも……」

「できるのか?」

「うん、まあ。でも、なんでこんなやつ助けなきゃいけないの?」

「いいから頼む!」


 天狗には何が正解か、もう分からない。だが、今、ここで科学者を見捨てたら大切な真実へ辿り着けない気がしてならなかった。血に濡れた床に手をつけ、額をぶつける。目にしたことのない光景だったのだろう、メデューサは大きな狼狽を見せた。


「わ、分かった、分かったから! ……仕方ないなあ」


 彼女はそういうと、腰につけていた短刀で右の首筋に傷を入れた。赤い血液が垂れ、科学者の身体に落ちる。その瞬間、天狗の目の前から科学者が消え失せた。しかし、驚きの声を上げる間もなく、再び現れる。彼の胸に空いていた穴は夢だったかのように塞がっていた。


「……いったい何が」

 天狗の怪訝な声にメデューサは首を振る。「あたしにもわかんないけど……あ、起きるよ」


 床に倒れている科学者は鈍い呻き声を漏らし、ゆっくりと瞼を開いた。天狗の口から溜息が漏れ、それから彼は自分が安堵していることを知る。


「……おい、大丈夫か」

「ああ……なんとかなったようだな。メデューサ、助かった」

「別にいいけど……あ、そうだ。ね、これってなんなの? 血を垂らしたら復活するやつ」

「時空の狭間に肉体の補修装置を置いている。お前の血液にはその発信機能があるのだ」

「ああ、なるほど、分からないや」


 あっけらかんとしたメデューサの物言いに天狗の身体から力が抜ける。天狗自身、それほど理解しておらず、指示を仰ぐために科学者へと目を向けた。


「私が死んでから何があったか……それは後で訊くことにするか。まずはここから避難しなければ」

「あ、あたしのとこ、今、国取りしてるから行かない方がいいかも」

 天狗はその言葉に眉を顰める。「おい、メデューサ、おまえ、何してるんだ」

「なんだっていいでしょ? あと、もっと和っぽい感じに『めでうさ』って呼んでくれない?」メデューサは誇らしげに肩を竦め、壁の画面に顔を近づけた。「で、どこ行く? どうせだったら誰かのとこに行かない?」


 天狗は頷き、壁に表示された画面へと視線を移す。真っ先に目についたのは人魚である。彼女は広い板張りの上で泳ぐように転がっているところだった。


「ここにしよう、暇そうだしな」


 彼の提案に反対する者は誰もいない。天狗たち三人は二つのタイムマシンに別れて乗り、人魚のいる飛鳥時代へと飛んだ。管理権限を持つ科学者が消えたことで部屋の電源が落ちる。事前に用意されたプログラムにより座標の記憶が消去されていくのが、計器類の反応から分かった。


        〇


 飛鳥時代、琵琶湖にほど近い山の上、人魚のために建設された寺の中、天狗や科学者たち七人は久々に一堂に介していた。

 まずは全員を呼んで事情を説明した方がいい、という判断の下、科学者に呼び寄せてもらったのだが、一度死んでも傲慢な性格は治っておらず、了解を取ることなく呼び出す形になってしまった。


 ろくろ首は土まみれで両手に縄を握っており、ミノタウロスは歯の痕がついた林檎を持っている。鬼だけは寝間着で、聞いてみると眠りに就くところだったようだ。

 天狗はそれぞれの顔を眺める。時間が主観による観測だというせいか、全員が少しだけ大人びているようにも見えた。事実、過ごした年月にずれがあったところに鑑みると傲慢な科学者の理論にはまだ隙間があるのかもしれない。


 考えるべきことは多い。しかし、天狗はまず事情を説明することにした。これまでの生活ともはや疑い得ない科学者の献身、そして、自分が直面した危機。全員が驚いているようではあったが、それなりの納得を示したため、議論にはならずに終わった。


「では」と人魚が首を傾げる。「誤解を解くために集めた、ということですか?」

「そうだな、一応、言っておいた方がいいと思ってな」

「……あの、じゃあ、これからどうするつもりなの?」


 ろくろ首の問いに天狗は俯く。追っ手が来る可能性は低いがありえない話ではない。沈黙し、考えていると、メデューサが手を上げた。


「もうしょうがないからうちで面倒を見てあげようか? あたし、今、あやかしの国にいるんだけどさ」

「え?」


 真っ先に反応したのは鬼だ。彼は大きくまばたきをして、メデューサに訊ねる。


「メデューサちゃん、あやかしの国知ってるの?」

「知ってるも何も、もはや女帝みたいなもんだけど。名前なんだっけ、グラ、グラ……」


 顎に手を当てて記憶を辿っているメデューサを無視して鬼は天狗へと目を向けた。


「名前はおいといて、たぶん、そこなら隠れられると思うよ。タイムマシンで移動できなければ、の話だけど……」


 全員の視線が科学者へと集まる。彼は少し考えた後、珍しく自信なさげではあるが、小さく頷いた。起点生成観測機にも限界があるのだろう。鬼の説明によると物理的な現象ではなく、何かしらの超常的な現象に頼っているらしく、ひとまず、目的地は地の底にあるというあやかしの国へと決まった。

 一人、興味なさそうにしていたミノタウロスは欠伸をしながら、「まだ何もしてないから、終わったらタイムマシンに乗せろよ」と言っている。そのさまに苦笑した人魚は一度咳払いして、訊ねた。


「で、どうやってそこに行くのでしょうか。タイムマシンでは行けないんですよね」


 今度はメデューサに注目が集まる。しかし、彼女は大真面目な顔で「なんであたしを見るの?」と眉を上げた。


「お前が言い出したんだろうが」と天狗は詰め寄る。

「提案したけど、あ、っていうか、そしたらあたし戻れないじゃん」

 全員が落胆仕掛しかけたとき、鬼が手を上げた。「ぼく、その術式、教えてもらってるから大丈夫だよ。ただ必要なものが二つあって」

「何が必要なんだ?」

「うん、教えてもらったのは本式だけだから……縄が必要なんだけど。古くから伝わる神聖さの象徴なんだって」

「縄?」


 声を上げたのはろくろ首だ。土器でも作っていたのか、土まみれの彼女の手には縄が握られている。その手柄が誇らしくなったのだろうか、「私が考えたんだけど……縄で模様つけるのが流行ってて……」と頬を染めた。


「で、もう一つは?」


 メデューサの問いに、鬼は申し訳なさそうに顔を顰めた。


「為政者が管理している通行証」

「は? それ、なにで、どうやれば手に入るの?」

「縄の模様が入った布なんだけど……」


 今し方まで強かった鬼の勢いが急速に萎む。身体までぎゅっと縮こめていて、その情けなさに誰もが溜息を吐いた。メデューサは怒りかやるせなさで、蛇の頭髪を蠢かせながら、言う。


「義輝くんはあっちにいるしなあ……他に為政者の知り合いなんていないよ」

「あ、私、摂政のかたとお友達ですよ」

「へ? 人魚ちゃん、どういうこと?」

「湖で泳いでいるときに知り合って……豊聡耳さんと言うんですけど、たまにここにも遊びにいらっしゃいますよ」

「聖徳太子!」メデューサは立ち上がり、何をどう思ったのか、深く息を吸い込んだ。「それ、聖徳太子! あ、ここ、聖徳太子の香りがする!」

「するわけねえだろ、馬鹿か」

「はい、ミノタウロスうるさーい」

「そういえば縄の模様が入ったお召し物をこのお寺に置いていった気が……」


 人魚はそう言って尾ひれで立ち上がり、跳ねるようにして部屋を出て行った。メデューサとミノタウロスが言い合いしているのを鬼が止めている間に再び姿を表す。そこで声を上げたのはおどおどと仲裁していた鬼だった。


「霊力がある! それがあれば行けるよ!」

「よし」


 天狗は立ち上がり、全員の顔を見つめた。ろくろ首、人魚、メデューサ、鬼、ミノタウロス、そして、自分を助けてくれた科学者。これが終わったら科学者の手伝いをするのも悪くない。中にはミノタウロスをはじめ、別の時代に行ってしまうものもいるだろう。だが、その気になればいつでも会える。

 これから新たな人生が始まるのだ。

 決意と興奮、その感情に拳を握り、呼びかける。


「じゃあ、行こう! いざ、あやかしの国へ!」


 メデューサが追随して「おー!」と拳を掲げる。遅れて人魚、ろくろ首、と手を上げ、ミノタウロスは「分かった分かった」と暑苦しそうに顔の前で手を振った。

 ただ一人、鬼だけがきょとんとした顔で天狗を見つめている。


「どうしたんだ?」と天狗が訊ねると、鬼は「今から?」と返してきた。その煮え切らない態度に天狗は訝る。


「早ければ早いほどいいが」

「でも、僕が知ってるポイント、越前だよ?」

「え?」

「あやかしの国と繋がりやすい時期と土地ってのがあってさ、今の時期だと新潟なんだ」

「……人魚、ここは?」

「近江ですから、滋賀県ですね」

「歩いて行くとどのくらいかかる?」

「そもそも私、歩けません」


 え、じゃあ、どうするの? 滋賀だと半年後だったかなあ。そんな猶予あるか。私、マパを待たせてるんだけど帰れないの……? 安心しろ、一週間もあれば起点生成観測機を組み直して移動の痕跡を暗号化できる。

 それぞれが口々に言葉を放つ。急激に遠ざかった目的地にほぼ全員が困惑し、沈黙が這い寄ってくる中、一人平然としていたミノタウロスが面倒臭そうに言った。


「歩く必要なんてねえよ。俺、空間歪曲装置持ってるし」


 ミノタウロス以外の全員が硬直する。彼はそれをまるで気にしないように荒い鼻息を吐き出した。


「捕捉されないようにいろいろ弄ってるから問題ねえだろ?」


 そういうのは早く言え!

 天狗は声を大にして叫びたかったが、へそを曲げられても困るため、口の中に留めておいた。とにもかくにも問題はなさそうだ。偶然とは言え、必要なものはすべて揃っている。

 少しだけ笑い、それから手の中にある不可思議な装置に目を落とす。

 これがなんなのか、あやかしの国へ行ったら調べてみようか。超常現象を引き起こす装置なのかもしれないし、未知の技術によって作られたものかもしれない。きっと科学者も興味を持つだろう。

 ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる友人たちの姿に目を細め、これからはどうか幸せに生きられますようにと願い、拳を握った。その拍子にボタンを押したような感触がした。

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