戦国メデューサの困惑

 やっぱり、男って命を賭けて戦っているところがいちばんかっこいいと思うのよ。

 メデューサが希望時空として室町時代末期を選んだのはそれが理由だった。男たちが一国の覇権を争って鎬を削る、生が華々しく燃えた時代――。


 西暦一五六五年、六月十七日。

 メデューサは京都を歩いていた。そこらでさっとかっぱらった着物に身を包み、蛇の頭髪を見られないように頭巾を被っている。目立たないように、と店先にあった面を盗んできたはいいが、あろうことか天狗の面でつける気にはなれなかった。結果、宝石のように美しい瞳やその美貌は露わになったままだ。そのせいか、往来を行く人々の視線は彼女の歩みに引き摺られていた。


 メデューサの目的地は二条御所である。彼女は勉や学といった文字が嫌いであったが、それでも歴史だけは愛好していた。そのおかげで、この日、何が起こるか、既に知ることができている。

 永禄の政変――

 室町幕府第十三代将軍、足利義輝あしかがよしてる松永久秀まつながひさひでらの謀略によって命を落とした日である。「剣聖将軍」と謳われる義輝の最期の勇姿が果たして真実であったのか、真実であるならこの目で見たい、というのがメデューサの希望だった。あまりに物見遊山甚だしい、と自覚していたものの、彼女は一つの強い意志により、その思いを忘れることにした。


 まあ、いっか、減るもんじゃないし。


 すなわち、責任放棄である。とはいえ見物だけであるなら、彼女の言い分も誤りというわけではない。普段から口うるさく生活態度を注意してくる天狗がそばにいないこともあり、足取りは軽かった。

 二条御所に辿りついたメデューサは素早く番の男たちを石化させ、門をくぐり抜ける。門扉はあってないようなものであったため、さほど難しいことではなかった。そして、術を解いて木の上に身を隠し、じっとそのときを待つことにした。


 それからどれほどの時間が過ぎただろうか。

 にわかに御所内が騒がしくなったのはうつらうつらと船をこぎ始めた頃である。目を覚ましたメデューサは息を潜めて木の葉の隙間から顔を出した。


「ああ、もう、見えにくいなあ」


 鉄砲の音が鳴り響いたのはそう愚痴をこぼした瞬間だった。四方の門から押し寄せてきた軍勢が奇声とも雄叫びとも取れない声を発している。びりびりと空気中を伝わった振動がメデューサの肌を叩いた。


「始まった……」


 興奮が喉元までせり上がり、ともすれば歓声を上げそうにもなる。時代が変わる日、その熱気はメデューサの血液を炙り、沸騰させるほどに熱くしていた。

 眼下は混乱に満ちている。御所から飛び出してきた一人の男が振るった鎌槍は赤い血を飛び散らせ、その一方で、侵入してきた軍勢が砂埃を巻き上げて建物の中に突入する。先ほどまで門と殿中の間を奔走していた男が無念の形相で腹を切っているのが辛うじて見えた。

 眼下に渦巻く異様な興奮――その熱波に当てられたメデューサの身体が火照る。同時に胸の内に一寸の後悔も芽生える。


 見ていたところで減るものではない。だが、野次馬のような気軽さで来るべき場所ではなかったのではないか?


 その思いにメデューサは拳を強く握った。戦いはまばたき一度ごとに苛烈さを増していて、もはやこの場を離れることはできそうにもない。

 唾を飲み込む。粘性の強い唾は固体のような確かさで喉を通っていった。


 殿中から一人の男が現れたのはそのときである。

 上背はないが、その男は離れた樹上にいるメデューサすら圧倒させるほどの覇気を放っていた。薙刀を手にする姿は威風堂々としており、一目見ただけで「剣聖将軍」足利義輝であることが理解できた。

 彼は雄叫びを上げ、手近にいた兵を切り払った。動揺のざわめきが広がり、一瞬の空白が場を支配する。時が止まった御所内、だが、義輝だけはその束縛から逃れていた。あっという間に正面にいた兵士に迫ると、薙刀を袈裟切りに振るった。悲鳴と血液が飛び散る。それをきっかけに再び騒乱が沸き起こった。


 善戦。

 その一言で片付けるには義輝の姿はあまりにも美しかった。舞いを踊るかのように動き、そのたびに一人また一人と敵が倒れていく。メデューサは命の華を散らすさまから目を離せない。気付けば、人となりなど知らない男の奮闘に涙を流していた。

 しかし、多勢に無勢極まりないその戦いはいずれ終わりが来る。

 左右から襲ってくる剣戟に足利義輝は堪らずに後ろに下がっていた。殿中に戻り、薙刀を構え直したところで部屋の障子が吹き飛ばされる。別の門から突入してきた兵たちが増援に来たのである。


「あ――」


 メデューサの声は宙に放たれ、その瞬間、義輝の身体は刀に貫かれた。ぐらりと足下が崩れ、畳の上に倒れる。好機を狙った男が上段に構えた刀を振り下ろすと、義輝の首から激しい血飛沫が舞った。


 気付けば、足が動いていた。


 頭の中にあったさまざまな感情は隅に押しやられている。歴史を改編することになるのではないか、という疑問など考えていられない。メデューサが考えていたのはただ一つ、「助けたい」というどこまでも直情的な思いだけだった。


「うわっ、なんだ!」「女だ!」「捕まえろ!」


 向けられた敵意に石化の術をかける。詰め寄ってきた男たちは一瞬固まり、武器を取り落とした。そのうちから刀を一つ拾う。メデューサは頭巾を取り去り、頭髪の蛇を露わにする。捕まえられた瞬間、弱い毒を送り込み、追撃を逃れると辛うじて義輝のもとへと辿りついた。

 まだ、首は繋がっている。

 メデューサはだらだらと畳を濡らす血液を厭わずに義輝を抱え上げ、何も考えずに足を動かした。


 この場から離れるのだ。

 意志の外からの命令に従い、身体が動く。迫ってくる男たちを軽く石化させ、走っているうちになんとか逃げおおせることに成功した。

 鬱蒼とした森の中、メデューサは義輝の身体を草の上に横たえる。一度息を吐き、それから自分の腰を探った。天狗の面を落としていることに気がついたが、別に惜しくもない。拾ってきた刀を持つと、震える手で右の首筋に刃先を当てた。


 ――メデューサの血液には二つの作用があるとされる。彼女は歴史を学ぶ最中、己のモデルとなった神話も読んだことがあった。

 左の首から流れる血は人を殺し、右の首から流れる血は人を蘇生させる。その力を持っている確信などはなかったが、自分を生み出したマッドサイエンティストは完璧主義の男だった。もしかしたら、という期待に、刃先を埋め込む。

 野次馬のように覗き込んだ、その迂闊さを贖うために。

 ぷつり、と肌を破った刀に血が伝っていく。刀身の途中で垂れ、義輝の身体に触れた瞬間、彼の身体が消え失せた。


「……は?」


 目の前の光景を信じることができず、困惑する。しかし、それもさほど長い時間のことではなかった。

 光の粒子が出現し、それが飽和したとき、義輝の身体が再び現れたのである。傷は消え去り、顔の血色もよい。何が何だか分からなかったが、とにかく、命は助かったようだ。メデューサは深く溜息を吐き、その場にへたり込んだ。

 同時にぴくり、と義輝の瞼が動く。小さな呻きを聞いたメデューサは彼の身体に手を添えて、声をかけた。


「ねえ、大丈夫?」


 目を開いた義輝と視線がぶつかる。しかし、彼は怪訝そうにメデューサを見つめただけで叫び声すら上げず、小さく息を吐いた。


「あやかしか……おれを助けたのか? 死んだと思ったが」

「あ、うん、助けたというかなんというか」

「そうか、負けたのだな……呆気ないものだ」


 義輝は上体を起こし、辺りを見つめる。その瞳にはわずかな寂寞があり、メデューサの胸はぎゅうっと締めつけられた。


「腹を切ろうとも思ったが、助けられた当人の前でかっさばくのもなんだな」

「そうだね、それはやめて欲しいかも」

「何が起こったか、なぜ助けたか……聞きたいことは色々あるが、何から言えばいいのかわからん。とりあえず一つ……そうだな、御所はどうなった」

「えっと、落ちちゃったと思う」

「……足利も終わりか。先代たちに申し訳ないな」


 とは言ったものの、足利義輝の声色にはどこか清々しさがあった。豪傑たる男の、前向きさが滲んでいるような気もした。

 しばらく間を取ったあと、彼はメデューサへと向き直る。


「お前、名は何と申す?」

「え、あの、メデューサ」

「めでうさ? 変わった名だ。どういう字だ? ……と聞いてもあやかしは字を書けんか」


 書けるけど、という主張をメデューサは飲み込んだ。本を読むのは好きだったが、字の練習を疎かにしていたため、ミミズののたくったのような字しか書けないのだ。その沈黙を肯定と受け取ったのか、義輝はしばらく考え、ぽんと手を打った。


「では、そうだな、ウサギのようにか弱いおれを助けた、ということで、愛で兎めでうさ、ということにしよう」


 足利義輝の強引な提案にメデューサは思わず笑ってしまった。気をよくしたのか、義輝もふっと微笑む。先ほどまで自分の立っていた場所から遠く離れた場所に来たような気持ちになった。


「カワイイ名前をありがとう。それにしてもずいぶんあっけらかんとしてるのね」

「まあな、くよくよしたところでどうしようもない。まずはこれからどうするかだが……ああ、まずはお前とともにあやかしの国に行くか」

「あやかしの国?」

「なんだ、そこから来たのではないのか?」


 メデューサは首を横に振る。それを目にした義輝は訝しげに唸った後、何か思いついたのか、納得したかのように首を縦に振った。


「なるほど、はぐれか。……ちょうどいい、ここは生きにくいだろうから連れて行ってやろう」

「え、は? なに言ってんの? やっぱり正気じゃなかったりしない?」

「あやかしの国とは既に千年以上の交流があるのだ。そして、お前はおれを誰だと思っている。この日本を治めていた将軍だぞ?」


 いよいよ混乱し、固まっているメデューサを横目に義輝が立ち上がる。彼は周囲を見回した後、地に落ちている刀を手にとって、そばの木に傷をつけた。五秒もすると縄を思わせる不可思議な文様が生まれ、光が生じた。


「え、なにが起こってるの?」

「この国に古くから伝わる神聖な文様だ。これを用いればあやかしの国に行ける。さあ、行くぞ、めでうさ」


 気が動転している。メデューサは慌てふためいているうちに腕を掴まれ、光の中へと引きずり込まれた。落下するような感触が内臓に満ち、強く目を瞑る。不快な感触が収まってから恐る恐る目を見開くと、そこは先ほどまでいた森の中ではなかった。

 まばたきを繰り返す。

 天には太陽と思しき光がある。だが、それを覆っているのは青い空ではなく、どこまでも繋がっている地面だった。天と地をそっくりそのままひっくり返したと言えばいいのだろうか。地平線などはなく、足下からどこまでも大地が続き、太陽の上まで到達している。


「……ここに来るのも久々だな」

 しみじみと呟く義輝に、メデューサはしがみついた。「ちょっと、なに、ここ……どうなってんの?」

「ここは地の底にあるあやかしの国だ」

「え、もう、何が何だか分からないんだけど……」

「説明はあとでゆっくりすることにして……しかし、まずいな。こちらも戦国の世であることを忘れていた」

「は?」


 メデューサは首を傾げる前に、後方で鈍い音が鳴るのを聞いた。咄嗟に振り返ると人型の何かが殴り合っており、悲鳴が喉から飛び出す。


「ちょ、ちょっと、なによ、これ!」

「まあ、まずはあやかしから身を守りながらこちらの帝の場所に向かおう」


 一切の焦りを見せない義輝は刀を構え、襲いかかってきた人型を切り伏せた。しかし、それを皮切りにわらわらとあやかしたちが集まってくる。泣きそうになりながら、メデューサはそばにいた一体を睨み、石へと変えた。


「おお、なんとも不可思議な術を使うな」

「感想はいいから、早くどうにかしてよ!」


 メデューサの叫びは高らかに地の底で響き渡る。

 ……日本の表も裏も、戦国はまだ始まったばかりだ!

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