新石器ろくろ首の教え
コンプレックス。
ろくろ首にとって、彼女をろくろ首たらしめるその長い首はあまりに醜いものでしかなかった。黄金比などとは口が裂けても言えない、だらしなく伸びた首。幼い頃から特に仲良くしていたメデューサの顔は目鼻立ちが通った美しい造形をしているし、人魚の丸みを帯びたフォルムはとても女性的だ。
だが、自分は――。
ろくろ首は「だからかもしれない」と考える。だから自分は「美」という基準がまだ曖昧な時代を選んだのではないか、と。
〇
時は新石器時代。旧石器時代が終わり、磨製石器が使用され始めた頃。
元来「磨く」という行為は美しさではなく、機能を追求するための手段だったのだな、とろくろ首は周りを囲む男たちの手元を見ながら悠長に考えていた。太い木の枝に尖った石をくくりつけただけのあまりに簡素な槍。高床式倉庫の柱に背をつけ、ろくろ首は座ったまま両手を挙げてじっと男たちを見つめた。
彼女が落ち着いていられたのは彼らがその武器を突きつけてこなかったからである。偶然行き着いた集落の人々はろくろ首の外見を目にして、何か思うところがあったらしい、確かめるように言葉を発してきた。何度も繰り返され、それを注意深く聞いているうちに何らかの文法を掴み取る。ろくろ首は慎重に彼らの言葉を真似てみた。
「アー……バ……? ナア、ガ、……ロクロ?」
おお、と歓声が上がる。発音がおかしくとも意味は取れたのだろう、彼らはロクロ、ロクロ、と口々に繰り返した。
何だか悪い気はしない。ろくろ首がはにかんでいると十歳ほどの少女が恐る恐るといった具合で近づいてきた。少女は「アー バ ナア ガ マパ」と口にし、それから、静かに訊ねてきた。
「ナー ガ ハ? ヒタカ?」
草を編んだ紐で括られた少女の髪が、揺れる。神妙な顔をしているものだから適当に返してはならぬ気がして、ろくろ首は言葉に詰まってしまった。考え込み、翻訳装置を起動するのはどうだろう、と思い至る。脳に埋め込まれたマイクロチップは聴覚情報や視覚情報を言語と結びつけ、発声器官に電気信号を送るのだ。
いくらなんでもこの時代の言葉は翻訳できないだろう。
もしかしたら少しは手助けになってくれるかもしれない。
相反する二つの感情を抱きながらスイッチを入れ、少女にもう一度訊ねるよう促す。諦めの方が強かったものの、どうやらある程度は解析されている言語だったようで、少女の言葉は意味を伴って脳内に反響した。
「ロクロさま、あなたは神さまでしょうか、それとも神さまの使いでしょうか?」
予想だにしない質問にろくろ首は狼狽する。
わたしはそんな偉い存在じゃない。神さまどころか、人権すらなくて、みそっかすなんです。
そう言いたくて堪らなかったが、誰も自分のことを知らない時代に来てまで己を卑下するのも何だか馬鹿らしく、俯いて質問に答えた。
「えっと、あの……わたし、ただのろくろ首です……」
当然、翻訳装置はその言葉を訳しきれない。ただ、救いだったのは、あるいは少し過剰だったのかもしれないが、とにかく、集落の人々はろくろ首の言葉を神が用いる言語だと考えたようだった。
あれよあれよという間に歓迎の宴の用意が始まり、夜の訪れとともに集落の中央にある広場には火が焚かれる。
煌々と燃える火炎を囲って、人々は歌を歌い、舞いを踊った。収穫期後だったのだろう、ろくろ首には栗やウサギなどの食料、キイチゴらしき果実を発酵させて作った酒などが振る舞われる。味気はなかったが、その厚遇に彼女は嬉しくて堪らなくなり、酒を煽った。
度数は低くとも酒は酒、アルコールに慣れていなかったろくろ首は見事に酔っ払い、酒気に任せて返礼の歌を歌った。伸縮する首は高音から低音まで、幅広い音域を奏でる。集落の人々はいちようにそのメロディに驚いたようで、より手厚くろくろ首に自然の恵みを献げる。ろくろ首は気をよくし、再び歌を歌う。
集落に流れる歌声はいつまでも続き、気付けば一月近くが経過していた。
〇
「ロクロさま、おはようございます!」
十五メートルほどの高さの建物、その上で歌を歌っていたろくろ首は少女の声を耳にして、我に返った。いつの間に昇ってきたのだろう、世話係に任命されたマパという名の少女は快活な笑みを浮かべ、ろくろ首が首を縮めるさまを見守っていた。
ろくろ首ははにかみ、答える。
「……マパ、おはよう」既に脳内の翻訳装置はこの集落で用いられる言葉を学習している。「今日も元気ね」
「ロクロさまのお歌を聞いているんですもん。おばあちゃんもロクロさまのお歌を聴きながらだと仕事が捗ると言ってますよ」
「ありがと、でも、歌うばっかりでいいのかな? 歌なら私の友達の方が得意だったんだけど……」
ろくろ首にとっては本心の言葉である。だが、マパにとっては謙遜に受け取られたらしい、少女らしい快活な笑みを浮かべて、ぶんぶんと首を横に振った。
「ロクロさまの歌声は大地の響きであり、天のさざめきってみんな言ってます! あたしも好きですよ!」
「そうかなあ……もっと働いた方がいい気がするけど……」
「いいんですよ、見張りだってしていただいてますし!」
しかし、そう言われても居心地の悪さを感じる。日々命を賭けて男の人たちは獣を狩ってきて、女の人は木の実を採ってきたり、縄を編んだりしている。それに比べれば自分の役目は軽微なものに思えてならず、騙しているような気分になっているのも事実だった。
櫓の上から集落を見渡す。ぽつぽつと竪穴式住居、草葺きの家が並んでいて、広場がその中央にある。女の人は採集以外は広場に集まっていることが多く、その中にはマパの母や祖母の姿があった。母や祖母、といってもまだ若い。二十代、三十代くらいだろう。彼女たちは何か話をしながら土をこねているところだった。
「……ねえ、マパ、わたしもあれ、やってみたいなあ」
「土器作りですか? そんなことさせられませんよ、ロクロさまの指はすべすべで土いじりにはふさわしくありません!」
しかし、それは怠け者の象徴だったはずだ。ろくろ首は唇を噛みしめ、それから、一世一代の勇気を振り絞って普段はしない命令をした。
「マパ、……わたしはあれをやります。反対しないでね」
「え、あの、ロクロさま?」
「……いいでしょ? わたしだって、みんなと何かしてみたいの……だめ?」
ろくろ首は小首を傾げる。威圧するために首を伸ばしていたため、小首と言うには語弊がある状態ではあったが、そのおかげかマパは反論できずに黙り、やがて、小さく首を縦に動かした。「わかりました」と蚊の泣くような声で頷き、ともに広場まで行くことになった。
「これ、マジやばくない?」「うん、パない」「めちゃかわー」
広場では土器作りに励む女たちがいる。その飾りつけの出来を競っているようだ。ろくろ首が声をかけると、一心不乱に作業していた彼女たちは一斉に背筋を伸ばした。
「ロ、ロ、ロ、ロクロさま、どうかしました?」
「……わたしも……それをやってみたくて」
女たちはろくろ首の指と己の手元にある土器に視線を往復させる。それから同時に首を振った。
「ロクロさまにこんなことはさせられません!」
しかし、ろくろ首も引くつもりはない。「わたしがやりたいの……いいでしょ?」と静かに、強く主張すると女たちも拒否することが憚られたのか、最終的には反対する者は誰もいなくなった。
ふふん、見てろよー。
ろくろ首はほくそ笑み、成形途中の土塊に触れる。手先の器用さだけには自信があったのだ。それだけなら友人たちの間でもいちばん成績がよく、その自信通り、あっという間に円筒型の土器ができあがった。周囲にいる女たちは土器の歪みない形状に感嘆の声を上げている。
「すごい、ロクロさま、まじやばい」「器用すぎて笑えるんですけど」「パない」
だが、ろくろ首は満足しない。周りにある土器にはそれぞれさまざまなな装飾が施されている。何かいい装飾方法はないものかと思案に入った。女たちの手元にはへら代わりに利用しているのだろう、細い木の板が転がっているもののそれを使う気にはなれなかった。
何か独自の――そこまで考えたところで、ひらめく。
「ちょっと待っててくださいね」
「どうかしたんですか?」
マパの疑問に曖昧な答えを返し、ろくろ首は土器を持って草葺きの家の裏へと回った。辺りを見回して誰もいないことを確認すると首を伸ばす。ある程度の長さを確認したところで何度もねじる。その状態の首を土器の下部に当てると、滑らかだった器に模様が生まれた。
うん、これは結構面白いんじゃないかな。
咄嗟の思いつきにしてはなかなかの出来栄えに感じ、ろくろ首は浮き足立ちながら広場へと戻った。彼女たちの中央に土器を置く。その瞬間、顔を顰めていた女たちから高い歓声が響いた。
「なにこれー! おしゃれー!」「ロクロさま、センスあるー!」「パないー!」
「でしょ?」
「これ、どうやって作ったんですか?」
答えてやろうか、焦らしてやろうか。
意地の悪い顔つきを作ってろくろ首がたっぷりともったいぶっているとマパが「あ」と間延びした声を発した。
「ロクロさま、首に土がついてます」
「あ」
「……なるほど、ロクロさまの首の模様ですね!」
まさかすぐさま看破されるとは思っていなかったため、ろくろ首の顔は見る間に赤くなっていく。だが、周りを囲む女たちにとってはこの模様をどうやって再現するかの方が重要だったようだ。かしましい声が響き、やがて女たちは「縄を用いればいいのでは」という結論に至った。
以来、この集落では土器に縄を押しつけて模様をつける装飾法が流行した。それどころか、近隣の集落にも飛び火し、ついには当時の日本列島における一大ムーブメントになったのである。
そうなるとはまだ知らないろくろ首はわずかな面映ゆさと、その何倍もの誇らしさにほくそ笑む。みんなはなんて言うだろうか。同時に別の時代へと飛び立った友人たちのことを思い出しながら、彼女は帰還の日を楽しみにする。
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