〈行進〉「人外☆タイムトラベル」

起:科学者の孤独

 それ、厳密に言えば、タイムトラベルではないですよね。


 被験者の一人から飛んだ質問に科学者は溜息を堪えた。わざわざ便宜的な名称で言い換えてやったのだ、そこを論点にされるのは気にくわなかった。


「……きみたちはれきが大きさで呼称を変えることは知っているか?」


 科学者の質問に、六人の被験者は顔を顰める。一人、ろくろ首の女が代表するように長ったらしい首を振った。


「れき?」

「岩石の破片だ。二ミリメートルから四ミリは細礫さいれき、四ミリメートルから六十四ミリメートルのものを中礫……というように、きみたちが『小石』と呼んでいるものも実は詳細に区分されている。それと同じだよ、いちいち正式な呼称を使用するのはかえって理解を妨げる」

「でも、あたしは小石って言われると大きさはどのくらいー? って気になっちゃうけど」


 そう自慢げに言ったのは髪が蛇になっている女だった。知り合いのマッドサイエンティストが最高傑作と称する彼女は、メデューサと名付けられ、正対した人間を石へと変える能力などを持っている。


「……きみは岩石の専門家だからね、そうかもしれない」


 頷きながら、科学者は煩わしく思う。そこが本題ではないのだ、と。

 ――タイムマシン。

 もちろんそれはあくまでも便宜的な名称である。そもそも時間には流れなど存在せず、観測者の集合的無意識が一種の総意をもって変遷しているに過ぎない以上、タイムマシンと呼ぶのが誤りであることなど百も承知だった。

 科学者はその天才的な頭脳で試行錯誤の日々を振り返る。その天才性ゆえに記憶の反芻も一瞬である。アインシュタインの特殊相対性理論はなんら関係なかったこと、倫理的問題への議論、賞賛と非難の声、それらはまたたく間に過ぎ去っていった。頭の中に残ったのは「不揃いのパスタ」、この現象を説明するための理論図一つのみになり、やがてそれも消え去る。


 重要なのは今、である。理解者がいない、という孤独に構っていられる暇はない。彼は目の前にいる六人の被験者に目を向けた。

 選ばれたのは女が三人、男が三人。人間に近く、だが、人間ではない生物たち。人権などは付与されていない、哀れな者たちはそれぞれ別の感情を持って科学者を見つめ返していた。好奇心に目を輝かせている者もいれば、興味などないように振る舞っている者もいる。

 その中で不安げに一人、手を上げている。いちばん気弱な、赤い表皮と角を持つ大男、つまるところ、鬼だった。


「あの……帰ってこれない、ということはないですよね……怖い生き物がいたりとか」


 科学者は顔色一つ変えず、返す。


「心配しないでくれたまえ、きみたちの行動すべてはこちらで補足している。帰還はスイッチ一つで可能だ。それに調べたところあちらにはきみたちのような生き物は観測できなかった」


 ほっ、と鬼は胸を撫で下ろす。その一方で、もっとも素行の悪い牛面の男、ミノタウロスは不満そうに大声を出した。


「なあよお、それ、帰ってこなきゃいけねえの?」

「……どういう意味だ?」

「どういう意味も何も、行った先が面白いとこだったらそこに残りたくなるかもしれねえだろ?」

「……少なくともお前にその許可を出すかは分からんな。問題児だと聞いている」


 冗談を言ったつもりはなかったが、そこで緊張した空気は和らいだ。この不可思議な生物たちは友情と表現すべき連帯感を互いに有しているらしく、「また始まった」と言いたげな笑い声を上げていた。

 ちょっとした騒ぎが収まるのを待って、科学者は大きく咳払いをした。


「さて、行きたい場所に希望などはあるか? さほど難しい条件でなければ聞いてやってもいいが」


 その問いに真っ先に手を上げたのは人魚である。人魚は主張するように一度、尾びれで床を叩き、慎ましやかな音を鳴らしたあと、静かに意見を表明した。


「私は水のあるところに送ってくだされば……」

「水……きみは淡水魚との合成だったな。じゃあ、湖にでも送ってやろう」


 その後は再び騒がしくなった。ミノタウロスが人一倍大きな声で叫び、メデューサは指折り希望時空をいくつも挙げる。ろくろ首は呟くような声ではあるが、座ったまま耳元まで顔を近づけてくるものだから、科学者は顔を顰めてしまった。

 だが、その中で一人、一切の反応を示さない者がいる。天狗だ。気弱な鬼ですら小さく声を上げているというのに、まだ若い彼はつまらなさそうに射貫くような視線を送ってきている。

 結局、彼の気難しそうな表情は崩れぬまま、実験開始の時が訪れた。


 起点生成観測機を希望時空へと送り、一人ずつ順番にタイムマシンの中に乗り込んでいく。壁の中央にある六分割された画面、その左右に三つずつ設置されている卵形のタイムマシンはあっという間に一つを残して埋まった。科学者はろくろ首から順番に作動させていく。その作業を五回繰り返し、天狗の順番になる。だが、彼はタイムマシンの前に立ったまま、動こうとはしなかった。

「どうした、早く乗り込みたまえ」と科学者は急かす。天狗は苛立たしげに踵で床を踏み叩いたあと、科学者へと鋭い目を向けた。


「この実験の本当の目的はなんだ?」

「……本当の目的? ただの稼働実験だ」

「嘘だね。お前の目はそれだけじゃないことを物語っている。……暴力抑制装置が頭の中に埋め込まれてなかったら無理矢理吐かせるんだけどな」


 天狗はわざとらしく溜息を吐いて、タイムマシンの中へと入っていった。扉が自動的に閉まり、動作が開始する。声を上げる猶予すら与えられず、タイムマシンは目の前から消失した。

 その瞬間、科学者の背筋が冷える。


 ――自動的に?


 そんなはずはない、と彼はコンソールを操作する。設定した覚えのない数値群に戸惑い、管理権限を確認したところで呻き声を上げた。


 ――書き換えられている!


 誰が、どうやって、さまざまな疑問が脳内を駆け巡る。だが、その答えなど考える価値もなかった。もともとこの計画には大きな非難がつきまとっていたのだ。研究所内のネットワークから独立した装置ではあるが、人の行動までは制限できない。誰かが知らぬ間に妨害し、あの若い天狗にいらぬ考えを吹き込んでいたとしたら次の行動は明白だった。

 訪れた時空で協力者を募り、この場に連れてくる。この時代の人間――もちろん彼ら六人にも――には暴力的な行動を抑制する装置が脳に埋め込まれているが、別の時空ではそのような制限がされていることもない。


 科学者は必死に管理権限の再書き換えを実行する。だが、投げかけたプログラムは強固な壁に弾かれ、一向に納得のいく結果に辿りつくことはなかった。

 頭の中につい先ほどの会話が甦る。

 スイッチ一つで被験者は帰還が可能――しかし、科学者は大きな問題がない限り、彼らをこの場に呼び戻すつもりはなかった。この実験の真の目的は彼らをこの時代から追い出すことだったからだ。

 それでも科学者は自身を慈悲深い、と認識している。見知らぬ時間に投げ出された被験者が寂しくないようにある程度生育済みの別個体を呼び寄せるための装置を持たせているからだ。それも雌雄一体ずつ、だ。その気になれば繁殖することだってできる。


 だが、天狗は間もなく帰ってくるだろう。タイムマシンは同一座標に存在することができないため、一分ほどの猶予期間を設定しているが、それももうすぐ過ぎてしまう。


 ――どうすればいい?


 その疑問は、しかし、彼の天才的な頭脳をもってしても解決することは極めて困難だった。試した方法を再度実行する無駄な時間、それは光とまったく似通った速度で過ぎ去り、そのときへと辿りついた。

 タイムマシンが出現する。

 薄く笑みを貼りつかせた天狗が扉を開き、降りてくる。

 科学者は永遠の孤独を覚悟し、目を瞑った――

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