天空の塔

タイトル:為政者の悩み

キャッチコピー:退屈という癒やしがたい病


 人間には多くの悩みがある。それは一国の王といえど変わりはない。いや、むしろ国を治める立場である以上、普通の人間よりもその機会は多いだろう。

 これはそんな王の退屈にまつわる物語である。


――――――――――――――――――――――――――


「暇である」と王は主張した。

 為政者の言葉としては相応しくないのかもしれない。だが、それは決して否定できない事実だった。

 国家運営は順調であればあるほど為政者の負担を減らし、下手に手を出すとかえって新しい不満をもたらす。そのため、王は特にやることもなく、どうやって隙間だらけの時間を過ごすか、大いに悩んでいた。

 側近の男は「ふむ」と一度唸り、提案する。


「他の国から娯楽を取り寄せましょうか」

「馬鹿者、今までろくなものがなかったろうが」

「では国中の美女を集めて享楽の宴、というものはどうでしょう」

「女など飽きるほど抱いたではないか。もう美女も醜女も分からぬ」


 王は体内で暴れる煩悶に操られ、執務室の中を歩き回る。さまざまな書類が載せられた机、国の歴史を綴ったいくつかの本とそれらが収められた本棚、隅には意匠の凝らされた花瓶があり、花が生けられている。壁にしつらえられた大きな窓からは地上を覗くことができた。

 誰しもが感嘆を上げずにはいられない品々と風景……だが、それらのすべては王にとって曖昧にぼやけたものでしかなかった。


「まったくもって不満だ。何かが足りぬ」

「何か、とは……」

「何か、とは何かだ。わしの日々を鮮明にする何かがたらんのだ」


 側近の眉がぴくりと動く。彼の表情にはありありとした困惑が浮かんでいたが、王は申し訳ないと思うこともなく、命令を下した。退屈を解消するために必要なものを用意せよ――その漠然とした、理不尽とも取れる言葉に従い、側近はすぐに行動を開始する。翌日から毎日、国王の住まう天空の塔にさまざまな娯楽が運び込まれるようになった。


 まず届けられたのは調達のしやすい国内のものだ。だが、そこには王の琴線に触れるものは存在しなかった。大道芸は何がすごいのかとんと理解できず、小説は読むのが苦痛になるものしかない。国内一と言われる美女と一夜をともにしても感慨深さなどは欠片もなく、欲求が満たされることはなかった。


 しかし、これは織り込み済みのことでもある。もともと国内にある娯楽などあらゆるものを試していたのだ、王はすぐさま国外に幾人かの人間を送ることに決めた。

 世界は広い……価値観を異にする外国ならば別の結果が得られることだろう。

 ――そう考えていただけに、王の落胆は大きかった。


 最初に机に並べられたのは美食や珍味の類である。だが、そのほとんどは以前口にしたことのあるものばかりで、真新しさはなかった。まがりなりにも王はその地位に相応しい生活をしていたのだから当然だった。

 次に勧められたのは翻訳のいらない創作物だ。絵画や無声映画、音楽、超人的な身体能力を疲労する人々の映像。その豊富なラインナップに王は歓喜を見せたが、その気持ちもすぐに冷めていった。絵画はさまざまな色使いのもので珍しいと思ったものの抽象画ばかり、無声映画もまるでストーリーが分からない。音楽は既に多くのものを漁っていたため代わり映えはなかったし、びっくり人間と言われても大して驚きはしなかった。鉄の球を飲み下す荒技も火の上を歩く妙技も目にしたことがあったからだ。

 求める物を得られない王はついに憤慨し、側近を強く怒鳴りつけた。


「どうなっているのだ! ちっともわしの願いは叶えられないではないか!」

「……申し訳ありません。方々に手を尽くしているのですが」

「努力の過程など聞いておらん! 結果を見せよ、と言っておるのだ! もしこれから三日以内に結果を出せなければどうなるか、覚悟しておけ!」


 王の言葉に側近たちは震え上がり、調達班の増員が決定した。それまでの倍以上の人員が集められ、その集会の場で側近は「王がこれまでにどんなものを試し、どんな感想を抱いたか」を詳らかに告げた。多くのものは困惑に顔を歪めている。

 だが、どういうわけか、大きな笑い声を上げた者がいた。

 笑ったのは二十代半ばほどの青年である。彼は一度別命で国外を訪れたことがあると語り、確固たる口調で言った。


「なるほど、私なら本日中に陛下のお眼鏡にかなうものを手に入れてご覧に入れましょう」

「……あー、つまり、すぐにでも陛下の望みを叶えられる、ということか?」

「私に任せてくだされば簡単なことです」


 あまりに自信満々な態度はかえって不信感をもたらす。側近は何度も自信の理由、つまり、王の欲求を満たせるものの正体を訊ねたが、結局青年は答えることなく旅立っていった。

 それを誰よりも喜んだのは王である。自分でも何を求めているか断言できずにいた彼は期待に胸を膨らませ、大言壮語した青年の帰還を待った。

 だが、一日経っても青年は帰ってこない。二日目にも連絡はなく、ついに約束の三日目が訪れた。王は激昂し机を強く叩く。その音は鋭く、側近や侍従、すべての者に圧力を加えるには十分な大きさで天空の塔の中で響き渡った。


「どうなっている! 一日で帰ってくると言ったのではないか!」

「そ、そのはずですが……」

「日没までだ!」王は椅子を蹴り上げ、叫ぶ。「日没までに帰ってこなければ貴様らに罪を償ってもらうぞ!」


 王は怒りにくらんだ瞳で太陽を睨みつける。ぼんやりと光を発する太陽は糸に引かれたように沈んでいき、橙の色味を増していく。その姿が海に沈みかけた時、執務室の扉が叩かれた。


「陛下、例の男が帰って参りました!」

「早く通せ!」


 執務室に入ってきた青年は丁重に謝罪したもののどうにも真心が感じられず、王はさらに怒りを深めた。椅子に座ったまま、顎で持ってきたものを差し出すように伝える。そして机の上に手のひらに載りそうなほどの箱が置かれた。


「……なんだ、これは」

「それがきっと陛下の求めていた何かです」

「こんなちっぽけなものが、だと? 貴様、私を愚弄しているのか?」


 王は憤りを眼差しに込めたが、青年は平然としている。


「山椒は小粒でもぴりりと辛い、小さな頭に偉大な機知、世界にはさまざまな言葉がございます」

「……もし、つまらぬものであればその首、叩き切るからな」


 王は低い声で脅し、目の前に置かれた細長い直方体を手に取る。重さはまるで感じなかった。中に何かが入っているなどとも信じられぬくらいだ。そして、箱を開ける。同時に素っ頓狂な声が漏れた。


「……なんだ、これは? がらくたにしか見えないが」

「それはこうやって使うのです」


 机へと歩み寄った青年は箱の中身を手に取り、王へと近づける。

 王が快哉の叫びを上げたのは間もなくのことだった。


「なんだ、これは!」


 王はあまりの感激に立ち上がり、室内を早足に歩き回った。だが、内側から生まれた感情はいくらも発散することができず、声となって口から漏れていく。

 世界が変わったような気分だった。何度も目にしたはずの侍従の女が絶世の美女に見え、何度も目を通したはずの本は筆舌に尽くしがたい名著に感じる。あらゆる美術品は夕日に輝き、その繊細な美しさを力強く語っていた。王は窓にへばりつき、眼下に広がる風景を眺める。遠くには夕暮れに揺れる海、足下には汗を流す国民たちの姿。

 狂喜する王の耳に自信を漲らせた青年の言葉が届く。


「陛下、それは『眼鏡』と言いましてですね……」

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