見えない壁

タイトル:情け無用! 異種工事対決!

キャッチコピー:破壊者が勝つか、創造者が勝つか……運命のゴングが今!


 20XX年、二人の男が立ち上がった。

 一人は壁を作り上げ、もう一人は壁を崩そうと試みる。

 今、彼らは互いのプライドを賭けて激突する。ルールはただ一つ、制限時間内に壁を破り、一歩でも外に出られるか。

 妨害も助力もなんでもあり、能力、人脈、すべてを駆使して勝利を掴め!


――――――――――――――――――――――――――


「あーっと! 王者、壁を作らない! 仁王立ちだ! まるで己こそが最強の壁と言わんばかりの態度! これには挑戦者も戸惑っている!」


 戸惑うわけがあるか。

 挑戦者である若い男は奥歯を噛みしめ、目の前に立ちはだかる王者を睨む。二メートル近い背の丈、隆起した筋肉は岩のように引き締まっていて、体重も楽に百キログラムは超えているだろう。

 王者の戦法――向かってくる挑戦者を羽交い締めにし、その間に手下に壁を作らせるという戦い方は既に仲間たちから聞き及んでいた。彼らの敗北を無駄にしないためにも自分は勝たなければいけない。挑戦者は手に持っていたスコップを脇に置き、構えた。


 スコップはあくまで穴を穿つ道具だ。かつて仲間の一人が武器として使ったこともあったが、結果は無残なものに終わっている。

 己の肉体のみで王者を超えなければならない。

 挑戦者は決意を固め、じりじりと近づいていった。その間も王者の手下たちは壁を強固なものにしている。


「さあさあ、挑戦者が徐々に接近していく! 腕っ節自慢の若者はどう挑戦者に立ち向かうのか!」


 打撃も投げも、挑戦者の頭の中にはなかった。王者との体格差は一回り以上もあり、そのどちらも通用しないことなど承知していたからだ。

 挑戦者が選択したのは絞め技である。いかに筋肉を鍛えても関節や血管は鍛えられない。体格差を覆すためには人体の構造を攻めるのがもっとも得策だと考えていた。挑戦者は低く構え、飛び出すタイミングを窺う。王者は隙だらけではあったが、それが逆に不気味で地面を蹴ることができなかった。


 唾を飲み込む。その音がやけに大きく聞こえる。

 次の瞬間、王者の腕がぴくりと動いた。それだけで背中に冷や汗が流れる。飛び退かぬよう堪えるのでやっとだった。

 王者は手を伸ばし、人差し指を動かす――来いよ、とそう言っているのだ。挑発ではない、時間切れでも彼の勝利となる。単純な催促だった。


「挑戦者、どうした!? このまま動けずお見合いで終了するつもりなのか!」


 実況の煽りに観客席からブーイングが飛ぶ。金持ちで権力のある人間はいつもこうだ。必死に挑戦する者を嘲笑い、娯楽として扱う。賭けも行われているらしく、罵声じみた汚い声が垂れ流されていた。

 黙って見てろ――挑戦者は意を決し、地面を蹴った。

 反応した王者が拳を叩きつけてくる、その風圧が頬を掠める。強力な一撃を躱した挑戦者は素早く王者の腕を絡め取り、思い切り捻り上げた。

 正確には、捻り上げようとした。

 だが、王者の右腕はびくともしない。挑戦者が磨き上げてきた技は王者の筋肉の前ではまるで意味をなさなかったのである。しがみついた挑戦者をものともせず、王者は腕を掲げる。歓声が爆ぜるように大きくなった。


「あーっと、まるで大人と子どもの争いだ! 王者、余裕の笑みを浮かべているぅ!」


 逃げなければ――挑戦者がそう認識すると同時に爆発音にも似た轟音が響いた。王者が挑戦者を地面へと叩きつけたのだ。後頭部から貫いた衝撃に挑戦者の意識が、一瞬、途切れる。限界まで歪んだ皮膚が割れ、痛みと血液が噴出する。挑戦者には呻き声を上げる余裕すらなかった。

 左の拳が叩きつけられる――地面へと。

 朦朧とする意識の中、挑戦者は間一髪で王者の攻撃を回避していた。なんとか体勢を立て直した彼は再び王者と対峙する。


「挑戦者、立ち上がった! さあ、盛り上がって参りました!」


 だが、挑戦者にはすでにその実況の声すら耳に入らない。彼の中にあるのは根源的欲求のみになっていた。

 人間の、生物の、もっとも根底にある欲求――それは生命の維持ではない。

 挑戦者の中にあるのは飽くなき勝利への渇望だった。強者と戦い、打ち倒したいというあまりに原始的な欲求は、しかし、挑戦者の意識を繋ぎ止めるどころか、脳のストッパーを外していた。

 もはや挑戦者の視界にあるのは王者のみ、鼓膜を震わせるのは王者の息づかいと筋肉の細動、肌に触れるのはかすかに揺れる空気。外界から隔絶された精神は王者の一挙手一投足すべてを脳髄へと叩き込む。そして、本能に突き動かされ、挑戦者は猛烈な勢いで王者へと襲いかかった。


 王者の右拳が迫る。挑戦者の視覚はその拳に刻まれた傷すらも捉える。風切り音が左の耳殻の中で渦巻く。右に身体を沈めた挑戦者は勢いそのまま左拳を突き上げた。

 だが、彼の攻撃は肩を掠めただけで空を切った。

 王者の口角が愉悦に歪む――同時に挑戦者も笑みを漏らしていた。交錯した腕がぶつかり、挑戦者の身体は岩のごとき王者の肩口を支点として回転する。一瞬後、挑戦者の脚は王者の首へと絡みついていた。


「あーっ、挑戦者、起死回生の後三角締めだ! がっちりと組まれたトライアングルが王者の頸動脈を締めつけている!」


 ――七秒。

 頸動脈を強く締め上げられ、血液を失った脳が意識を遮断するまでの平均時間である。人体、特に脳は驚くほどに脆く、それは王者であろうとも例外ではなかった。

 がくん、と膝が折れ、王者は前のめりに倒れる。会場が静まりかえる。実況ですら不敗の王者が倒れたことを信じられていないのか、一切の声を上げなかった。ただ一人、挑戦者のみが、雄叫びを上げている。


 誰がどう見ても完全なる勝利――単なる格闘技の試合なら、の話だ。

 挑戦者は制限時間を計っている時計を一瞥する。もう時間が迫ってきている。ここから壁を壊し、線を越えなければならない。彼はふらふらと歩き、地面に投げ置いたスコップを手に取って土の壁へと歩み寄った。

 早く――早く! 挑戦者はスコップを握りしめ、壁に突き立てる。脳に残るダメージは激しく、手には朧気な感触しかなかった。だが、掘れていることだけは認識できる。光が見えるまで腕を動かせ――彼は一心不乱に掘り進め、ついに、清浄な光と対面した。


「俺の、勝ちだ!」


 万感の思いが胸を過ぎる。傷つき、敗れ去っていった仲間たち、背中を押してくれた友人、親兄弟、彼らのためにも目の前の勝利を掴み取るのだ。

 そして、彼は光の中へと肩から突っ込んでいった。

 ――がん、と間の抜けた音が会場に響いた。

 挑戦者は衝撃でよろめき、混乱しながらも、もう一度身体をぶつけた。しかし、彼の懸命の体当たりは見えない壁によって弾き返される。

 実況の声がスピーカー越しに響いた。


「さあ、今回の商品は非常に透明度の高い、このガラス! ちょっとやそっとでは壊れない頑丈さも併せ持っています! どうぞお買い求めください! そして、次の商品は!」


 運び込まれてきた重機に歓声が上がる。

 ここからが宣伝イベント、「異種工事対決」の本番である。 

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