結:百年紙飛行機
今日こそ告白しよう。
僕のその決意は、いつもとまったく同じ強度で、先輩を見た途端にぼろぼろになった。放課後の屋上、紙飛行機を飛ばす先輩は夕日を浴びて美しく、決まって僕の口を糊付けしてしまうのだ。
恥ずかしさをごまかすために、僕は腰を下ろしてスマートフォンでソーシャルゲームを始める。画面の中で先輩に似た、長い黒髪のキャラクターが飛び跳ねていて、鼓舞されたわけじゃないけれど、ひとまずジャブを打ってみることにした。
「先輩もスマートフォンにしましょうよ。その携帯、もう長いですよね」
「だから、しない、って言ってるじゃない」
「でも、いろいろ遊べますよ」
「スマートフォンはすぐに壊れる」
先輩は、況んやわたしをや、と口ずさんで、僕に向かって携帯電話を放り投げた。いわゆるガラケーと呼ばれるようになった旧式の携帯電話は女子が持つにはあまりに武骨なデザインをしていた。いかにも「衝撃を吸収します」と言いたげなフォルム。なんとかキャッチすると、先輩はうっとりと微笑んだ。
「……わたし、物を投げるのが好きじゃない?」
「先天性投擲症ですね?」
「変な病名つけないでよ」
そう言ったものの、先輩は不満そうにはしていなかった。むしろ自慢げに、僕の愛する笑みを浮かべている。それだけで胸がぎゅっと締めつけられて、声を上げそうになった。
先輩は気にせず、話を戻す。
「だからすぐ画面が割れるスマートフォンはだめなのよ」
「そうかもしれないですけど」
「ってことで、はい、返して」
「投げたの先輩じゃないですか」
「キャッチしたのはきみでしょ」
僕は面倒臭そうなふりをする。でも心の中は浮き立っていた。自然と先輩の隣に並べるのだ、それ以上反論するつもりなど毛ほどもなかった。先輩は携帯電話を受け取ると「ありがとう」と言って屈み、足下から紙飛行機を拾った。
ゆっくりと放られた紙飛行機は夕日に向かって進んでいく。
多くの人が先輩を変人と言っていた。
綺麗なのに何かを投げることにしか興味がない変人。
一年生の頃、球技大会でソフトボールに出場し、賞賛され、バッターボックスで泣き崩れたという逸話もあるそうだ。投げられたボールを打つことなんてできない、と。僕はその姿を直接見たわけじゃないけれど、想像することは容易かった。先輩とこの屋上で出会ってからもう一年近くが経過しているけれど、本当に投げることにしか興味がないように見えたから。
何がそこまで楽しいのだろうか。
僕は足下にうずたかく積まれている紙飛行機を手に取る。僕の知っている折り方とは異なっていて、広げてみると、不可解なものが書かれていた。
「先輩」
「なあに?」
「これ、なんでこんなの書いてるんですか?」
紙飛行機の内側には先輩らしい整った字で「公園に行け」と記されていたのだ。屋上から見える景色、小さな公園が遠くにあったけれど、そこまで届くように願いを込めているとでも言うのだろうか。
それを言うと先輩は「違うよ」と軽快に否定し、そして、突拍子もないことを言った。
「わたしね、未来が見えるのよ」
「え?」
「あ、信じてないでしょ」
「それは」と口ごもる。恋心を差し引かずとも即座に信じるのは難しかった。僕が口を噤んでいると先輩は自慢げに続けた。
「こうしてね、物を投げ続けてると、頭がすべてを計算するようになるの。それがどんどん進んでいってわたしは百年後の未来でさえも見えるようになった」
そして、先輩はさまざまな話をした。
ロボットに労働を任せるようになった時代のこと――街を走り続ける男、先輩と同じで何かを投げることが好きな女性、ついてないおじさん、三人の高校生、無駄に張り合う老夫婦と孫、そして、お節介な犬の話。
あまりに眉唾で顔を顰めていると、先輩はもう一度「信じてないでしょ」と僕の肩を小突いてきた。はい、と頷くのも躊躇われ、「それで」と訊き返す。
「それで、その人たちはどうなるんですか」
「あれ、興味あるの?」
「まあ」先輩の話すことならだいたい、何でも。「それなりに」
しょうがないなあ、と先輩は悪戯っぽく笑い、再び語り始める。
〇
――まずはわたしの子孫である投擲症の女性と、街を走り回っている男の人の話からしようか。
二人は紙飛行機越しに見つめ合ったけど、仕事があるし、すぐにどうなる、ってわけでもなかったの。ただ、男の人はその紙飛行機を拾ってね、そこに書かれているのが「公園に行け」って言葉。もちろん何を示しているのか分からないから無視するわよね。
翌日、その男の人はやっぱり仕事をしてたんだけど、そこで一匹の犬と出会うの。見れば紙飛行機を口に咥えている。なんだか微笑ましくなって、紙飛行機をもらおうとしたら、大変なことに仕事道具を持って行かれる。手の中にあるのは紙飛行機だけ。やっぱりそこにも「公園に行け」って書かれてる。
「それで、公園に行くんですか?」
――その犬が公園に住んでいるのは有名なのよ。で、男の人が行くと、公園の中央でボールを頭にぶつけようとしているおじさんがいる。男の人はその理由なんて分からないからボールをキャッチしちゃうの。
「おじさんにとっては、運が悪いことに」
――そう。で、そのおじさんは我慢ならない。だって頭にボールをぶつけなきゃ勝負に負けちゃうんだもの。どうにかしないと、って周りを見渡したら自分の両親と姪っ子が三人の男の子と野球をしている。それに混ぜてもらおうと声をかけるのは自然じゃない?
「自然ですかね?」
――自然よ。だって、むやみに歩いているより確率は上がるもの。でも、九人集めなきゃ試合はできない。そこで、おじさんは部下である投擲症の女性を呼び出す。ピッチャーなら喜んでやると思い込んで。
女性は渋ったけれど、ボールを打たなくてもいい、っていう条件をつけて、おじさんのもとへと向かう。そうなると、あら大変、目の前に好きな男がいるじゃない。こうなるともう一世一代の大勝負よ。必死に頼み込んで九人目のメンバーにするの。
「これでチームができましたね」
――で、相手を探していたチームと戦うことになって、当然、ピッチャーは投擲症の女性。この人はわたしの子孫だから、当然八回までパーフェクトピッチングよ。
「八回まで?」
――体力もないし、ブランクもあったからね。九回裏に相手打線に捕まっちゃって、ツーアウト満塁になる。でも、投げることが幸せだから交代しようとはしない。ここまで来たら自分の手で勝ちたい、そう思って一生懸命ボールを投げる。そして――
〇
「――見事、三振!」
僕がそう言うと、先輩はゆっくりと首を振った。
「残念、会心の一振り」
「え」
「ボールはぐんぐん伸びていく」
そんなの、あんまりだ。ここまで聞いた話のオチには相応しくない。そう思って猛抗議すると先輩はさらに絶望的なことを口にした。
「しかも、その先にはボールを頭にぶつけたいおじさんがいる」
「ちょっと待ってくださいよ! それ、絶対わざとエラーするじゃないですか!」
脳裏にその光景が浮かんだ。ようやく巡ってきたチャンスにほくそ笑み、頭を差し出す中年男性。暗澹たる気持ちに僕は頭を抱える。
先輩はそこで紙飛行機を手に取り、空へと向かって放り投げた。幅広の飛行機は落ちる気配もなく、宙をゆっくりと旋回している。
「と、思うでしょ?」
「違うんですか?」
「選手交代よ。だって、おじさんは守備を放棄してるから完全なチームメイトとは言えないもの。そうなると新たな九人目が必要になる」
「でも、もう登場人物は全員――」
そこで先輩は笑顔を作った。忘れたの、とでも言いたげな表情で、続ける。
「現れたのはかわいらしい野球のユニフォームを着たわんちゃん」
「え」
「その子は空中で見事にキャッチして、ピッチャーに駆け寄っていく。まるで散らかすなって言うみたいにね。そして、ピッチャーであるわたしの子孫にボールを渡して、アウト、ゲームセット。嬉しさのあまり、キャッチャーをしてた男の人に抱きついて、二人は交際を始めるのでした」
めでたしめでたし、と口にして先輩は手を打ち鳴らした。
僕は反応に困り、黙り込む。何と言っていいのか分からなかった。作り話にしてはディティールが細かくて、嘘だと断じることもできない。それにいつも超然としている先輩にそういった不思議な力があってもおかしくはなかったし、信じたいと思っている自分もいる。
「これが、わたしの見た、この街の未来。どう? 結構いい感じじゃない?」
「……本当なら、ですけど」
「信じてるのか、信じてないのか、どっち?」
先輩は眉を顰めて、僕に迫ってくる。綺麗な切れ長の目が僕の瞳をじっと見つめていて、恥ずかしくなり、顔を逸らした。咳払いをして、なんとか答える。
「信じてないわけじゃないですけど……でも、もっと分かりやすい話の方が信じやすいです」
「分かりやすい話って、たとえば?」
「僕の話とか、先輩の話とか」
「あら、それなら簡単じゃない」
「え」
あまりに軽々とした返事に思わず先輩の方へと振り向く。その瞬間、唇が当たり、心臓が締めつけられた。何が起こってるか分からず固まっていると、先輩はゆっくりと顔を離す。
「未来が見えるから、あなたの気持ちも見える。……嫌じゃなかったでしょ?」
「え、あの、先輩」
困惑ばかりが広がる。僕が言わなければこの関係は変わらないと思っていたのに。心臓の音がうるさく、逃げ出したくなっていた。
先輩の顔も気のせいか、それとも夕日のせいか赤らんでいる。僕の視線に気がついたのか、先輩は慌てて足下から紙飛行機を拾い、思い切り放り投げた。
紙飛行機は先輩の手から離れると、緩やかな旋回を始める。ぐるぐると、何度も円を描く。しかし、決して同じところは通らないのだ。高さと円の半径を変えながら、少しずつ移動している。
今日と明日が変わらないことなんて、ない。
今日よりも素敵な明日がきっと待っている。
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