結:老人のささやかな成長

 ――今までの話、本当に本当?

 ソファの上で孫は難しい顔をして、ばたばたと足を動かしていた。半信半疑というにはやや疑いが強いのか、抗議の意を示しているようでもあり、私は言ってやる。


「本当だとも。お前はまだ小さいから分からないと思うけれど、人はいろんな経験をするものなんだ。嘘のような、御伽噺のような、そんなのも珍しくないんだよ」


 それでも孫の表情には納得の二文字はなかった。おばあちゃんに聞いてくる、そう言うが早いか、彼は跳ねるようにリビングを去って行く。私はその後ろ姿を見送って、伸びをした。

 ずいぶん長い間、語ってしまった。

 最近の面白かったこと、という話題は何度もせがまれると無理難題となってしまう。遡っているうちに十歳の頃まで到達するとは思わなかった。先ほどまで窓の外には青空があったはずなのに、今は藍色が広がっている。目を凝らせば星の瞬きすらも見えるような濃さだった。


 高層マンションの比較的上層に位置するこの部屋からは発展した東京を一望することができる。林立したビル、その隙間を縫うようにして遺伝子改良されたドラゴンが飛んでいる。散歩ならぬをしているのだろう。無灯火は危ないというのに近頃の若者はそのスリルを楽しんでいるようだ。


 私は嘆息し、窓ガラスにスモークを入れるよう頼んだ。音声認識を認識した管理システムは素早くガラスを曇らせ、外界の景色を遮断する。テレビを点けるように言うと窓に映像が表示される。孫の好きそうな番組を適当に、と指示しようとして、やめた。あの子は休みの日になるとヒーローものの番組ばかり見ている。私にとってあの類の番組は朝にやっているもので、夕食時に見るものではなかった。


 しかし、チャンネルが百も二百もあると逆に不便だ。私が若かったときは地上波の放送局は両手の指があれば足りる程度だったのに。技術の進歩で余暇が増えたからといってこんなに参入されても困りものである。しばらく迷っていると管理システムは人数や料理の音などを感知し、家族の団らんに相応しい番組を自動選択した。


 テレビにはちょうどコマーシャルが映し出されていた。筋骨隆々とした男が三人、人間と異世界の蜥蜴属人と地底帝国グラリオスの怪人がにこやかな笑みで「きみも黒龍覇王会へ!」と呼びかけてくるものだから、失笑が漏れた。私が二十歳だったときはまだ地球防衛軍にしか伝えられてなかったというのに、こんなに一般化するとは。


 ソファの上で目を瞑り、もう一度、人生を反芻する。


 十歳の時、私は近所の爺さんのもとへと足繁く通っていた。「嘘を吐くな、誠実に生きろ」と言われ、真面目に生きているうちに地球防衛軍に所属することになった。あの鬼教官の忠告を思い出す。肩の力を抜け――そのせいで、というのは忍びないが、三十のときの私はずいぶん気が抜けていた。父親をとっちめに風俗店に向かったというのに、最終的に変な男と酒を飲みにいってしまったくらいだ。


 しかし、彼のおかげで妻と出会えたのだから、幸運というしかない。四十のときには「つまらない」という理由で夫婦仲が悪くなったが――ああ、そういえば、あのおでんの屋台で出会った若者はまだ元気だろうか。彼がいなければ私と妻は離婚していた可能性もある。まさか、彼からもらった地図に従って妻と旅行しているうちにかつてドラゴンたちがいたあの世界へ迷い込んでしまうとは思わなかったが。


 あのときの「悪いこと」は貴重な経験だ。魔王として選ばれた私は妻とともに、かわいらしい悪戯に勤しんでいた。なぜだかねじ曲がって伝わったせいで殺されそうになってしまったが、結局死ななかったのだからよいことにしよう。それにあの青年がいなければ日本に帰ることもできなかったのだ。


 勇者、と呼ばれていたあの青年はその手腕を発揮し、この世界までもを変えてしまった。地底帝国グラリオスの人たちには知恵の薬を、異世界の人々には素晴らしい技術を、そして、地上の人間には出会いを、何より私には新たな仕事を与えてくれた。

 私はクローゼットにしまい込んでいる何でも入る袋を思い出す。かつてあの中に閉じ込められたときは忌々しかったが、あれと魔法のおかげでサンタクロースは現実のものとなったのだから文句が言えるはずもない。


 長い、七十年にも及ぶ人生を思い返しているとそれだけで愉快だった。知らず、笑みが漏れる。リビングに料理を運んできていた妻は、私を見ると不審そうに眉を顰めた。


「何を一人で楽しそうにしているんですか?」

「いやね、昔のことを思い出してたんだよ」

「あ、そうだ、またあの子に嘘を仰ったでしょう?」

「嘘じゃないよ、ただ主人公を変えただけなんだから」

「やあねえ、恰好つけて。そういうところ、直した方がいいですよ」


 妻は眉を上げ、笑いながらそう言った。彼女は私の癖を知っているのだ。他人の忠告を素直に受け入れるのに十年近くかかってしまう悪癖を。

 きっと「恰好つけるな」という彼女の言葉を聞き入れるのもそのくらい時間がかかってしまうはずだ。まあ、しかし、この瞬間にそう思えるだけでも私はささやかながら成長しているのだろう。

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