第2話 彼女の敵

『私……これからどうなっちゃうの』

 どっぷりと泥沼に浸かるようにな疲れが沙羅を襲っていたが、伸ばせる手足も寝転ぶ体も今はなかった。

朝まで自分の物だった体は今や他人の物になっている。

 サライ・ザーナと名乗る少女のものに。

沙羅という肉体はサライに奪われ、沙羅という存在はその身の中にある心一部になっていた。

『こんな地獄ってありなの!! こんな罰は嫌よ!!』

「うるさいな、死者は黙ってジャハンナへと降れ!! 生者の足をひっぱるな!!」

 涙も出ない存在になった沙羅の声は、肉体を持ったサライの頭に響くらしい。

絆創膏で肌色を覆った手が何度も額を叩く、沙羅を追い出そうと

「いったいいつまで頭の中にいるつもりなんだ。死者よ往ね!!」

『これが地獄からの刑罰なんだからしかたないでしょう!! そんなことより私の体で好き勝手しないでよ!! 貴女いったい何がしたいのよ!!』

 昼間から向こう、心の沙羅は叫びっぱなしだった。

自分だったら絶対にしないようなことを、肉体を持ったサライはやったから。

沙羅の心身一致した状態ならば、破天荒すぎて失神しただろうことを。

 そして今何度目かの質問に同じ答えを返してくる。

彼女の望んだ生の果てを

「することは決まっている。私は誇り高きミルド族の戦士!! 祖国ミルディスタン樹立の戦いにこの身と命の全てを捧げるだけ!!」

 沙羅が理解したのは、自分の体に生を得たサライが日本人ではなかったということと、そして彼女の祖国が戦争をしているということ。

それだけは痛いほどによくわかった。

『それはわかったけど……ねぇ、ここは日本で戦争なんかないの。だから私のいうこと聞いてよ』

「それを決めるのも私だ、沙羅には関係のないことだ」

 体もない、手足もうごかせない、自分がどこに存在しているのかもわからない。

心もとない存在になった今、どこにあるかわからない胃が痛い。

『あの死神……なんて刑罰、なんて地獄なのよ……』

 沙羅の苦難は始まったばかりだ。



「図らずも、それが貴女に与えられた地獄なのです」

 落下から自分が自分でない、この異常に気がついた。

そこからどうして良いかわからない軽めのパニックにいた沙羅の前に現れたのは、スーツ姿が板についたサラリーマン的死神だった

『死神……』

「説明が不足していたみたいなのでやってきました」

 黒縁メガネの地味スーツは目の前に立って指を振っている。

チッチッと舌打ちを同期させるという嫌みたらしさで

『これはどういうことなの? 私は地獄に行くことを拒否らなかった善良な悪人でしょう!!』

 自殺は大罪、わかっていてやったから地獄行きは謹んで引き受ける。

四の五の文句を言って刑罰から逃げようとする小悪党とは違い、真っ向勝負で地獄へウエルカムだった沙羅なのに変な形で生きている。

これに怒らない理由はない。

『なんで私は生きてるのよ!!』

 鞭打たれるような痛みが奪われたはずの体の各所から走り、電気ショックを受けるようになんども引き付けを巻き起こす。

体もないのにやたら痛いという現象は勘弁ならないものだった。

 こんな不可解な罰を受ける筋合いはないと怒鳴る沙羅に、スーツは大げさなゼスチャーをしてみせる、肩をすくめ両手を横に

「生きてませんよ。やれやれお嬢さん、地獄舐めてもらっちゃあこまりますよ。貴女程度の罪で簡単に落ちられる場所じゃないんですよ」

『自殺したのよ!! 大罪なんでしょう!!』

 浮遊空間、いつの間にか自分らしき霊体が死神スーツの前にいる。

やっと身振り手振りで怒りを伝えるがスーツはつまらんと顔を背けるばかり

「ええ自殺は大罪ですけど、貴女様は体を譲ることでちょっぴり減刑されましたので。というか、東洋人の自殺は海外のそれに比べると実に質が悪い、簡単に死ぬし、簡単に解放されるという幻想さえ持っている。反省していただきたいのですよ」

 反省しろと、死んでから。

自殺に理由なんて千差万別、息苦しい人生からおさらばしたかったり、死なないと死ぬより酷い目に合いそうな時の逃避行だったり。

それこそ自分の自由だろと言いたくなる。

『反省なんてしなていし!! 減刑なんて望んでないわよ!! いいから体も殺してよ!!』

 深く考えないで体を放棄した。

というかあの時はそれがどういうことかまったくわからなかった。

 魂と肉体が別々に死ぬなんて考えたこともなかったのだ

「ノンノ、体はすでに譲渡の契約を済ましています。生きることを望んだサライさんに。それにですね、これで減刑されたと言っても貴女の罪がなくなったわけではありませんから、サライさんの心に欠片として貴女を残したました、それが貴女への刑罰です」

『ここで!! 見てろってことなの!! 見てるだけも嫌だけどどうして痛い思いするのよ!!』

「見るのは状況を知りたいだろうという親心、痛いのは貴女様が今まで避けてきた痛みを実感するためですよ。優しさ溢れるウェットな刑罰でしょう」

「ウェット……」

「モイストの方がお好きですか?」

 あっさりと小洒落た返事、悪びれるところなど一分も見せず涼しい顔でスーツは続ける

「あのですね、何度も言いますがね、現代社会の中で自殺程度で地獄に落ちられても困るんですよ。特に貴女様のような利己的な理由での自殺はね、本当に始末が悪い」

 うんざりという顔は説明した。

「サライさんは戦場が日常だった国の人ですが人を巻き込んで自殺しました。だから同種憐れむ形で罰に服してもらうことにしたのですよ」

 えらく簡単に言ったな。

だがそれで沙羅も知った、自分の体を乗っ取ったサライも自殺した者だと。

『ちょっと!! だったらどうしてあの子が私の体をもらえるのよ!! 不公平じゃない!!』

「いいえ公平ですよ、貴女は死を願い彼女は生きることを願って自殺した。自殺の質というものですかね、まあ僅差ですが。でもご安心を最終的にはどちらも地獄行きですから」

 返す言葉もない

自分の都合で自殺をクリエイトした沙羅など鼻で笑う程度と言い飛ばされる

『つまり……これが私の地獄ってことなのね』

 力尽き愕然とする沙羅の前、スーツは満足と優しい笑みを見せていた

「わかっていただけて嬉しいです。サライさんにもお話しは通してありますから。今後は一緒に生きる意味というものを考える地獄をお楽しみください」

 こうして沙羅に下された地獄は決まった。

肉体を確保した自分自身であるサライの心の一部として生きること。

死にたがった沙羅にとって手も足も使えない生のパノラマはまさに生き地獄そのものだった。



 霜ノ沢中学校の寮は個別の部屋になっている。

それが沙羅には救いになっていた、普通なら4人部屋とかありそうな寮生空間だがここでも金持ちたちの思案が働いて個別の部屋になっている。

理由は、他者と交わることで問題を起こすより個別にしておくことが優先されたからだ

『いい、明日からは私の指示に従って生活してもらうからね!!』

 パイプベッドの端、クローゼットとの間にある小さなスペース、姿見を置いていた小さな隙間にサライは挟まるように隠れていた。

 現在沙羅の体を所有しているサライは天井照明をつけない薄暗い部屋で目を尖らせ、心に住み着いた元体所有者である沙羅の言葉を聞いている

「なんでお前に従う必要があるんだ、私は十分一人でやっていける」

『あなたのやり方だとクラスでぶつかるだけなの!! ここは日本なのよ!!』

 ここまで戻ってくるのは大変だった。

あの自殺のために用意したステージで、サライとなった沙羅の体は「転落何それおいしいの?」と言わんばかり、素早く起き上がると急に大声を出していた

「衛生兵!! 衛生兵はいないのか!!」と

 衛生兵というものが何かわからないが、自分の声がそれを呼んでいるというのに驚く。

『ちょっと!! なんで声出してるのよ!! 静かにしてよ!!』

自殺失敗のみっともない姿を見られたくないと考えている沙羅の絶叫など聞く耳持たずのサライ。

慌てて駆けつけた先生の前で、刺さっていたガラスを引き抜くという生々しい行為を平然とやってのけた。

肘の少し上、バターに差し込まれたナイフのように皮膚を裂いて綺麗に刺さったガラス、2センチは刺さっていたガラスを

「血が大げさに出るな、消毒はしたいがまずは止血だ」

 自分を上から見るばかりの生徒ではラチが明かぬ気がついたのか、サライは一階の窓にかかるカーテンを引っ張り引き裂いた

『ちょっとちょっと!! 器物損壊とか何してるのよ!!』

「止血だ、まずは止めないといけない」

 自分が自分に答えた。そう感じたが目の前で起こっていることにただ目を回すばかりだ。

 それ以上に回りの目が痛かった。

自分の名前を口々に出す、クラスの生徒たち。

笑い声も聞こえれば、当然のようにヤジも聞こえる、耳を塞ぎたくても塞げないというまさに地獄を味わった。

 一連の被害を被った心が救われたのは、保険の先生が来て手早く保健室に連れ去ってくれたこと。

サライという少女が自分の日常からかけ離れたところから来ていることを嫌という程痛感した。



 幸いにして言葉は日本語になっているおかげで会話はできるのだが、ただできるだけだった。

サライの言う事がわからないというのが最高に苦痛であった

『ねえ、なんで電気つけないの。部屋暗いでしょう』

 保健医に連れられ自室に戻ったサライだが、一度電気をつけた後すぐに消して今の状態である。

何かに怯えたかのように狭い間に身を固め、目だけが活発に動いている。

穴倉から外を見る動物みたいに

『あのさー、疲れているのならベッドで寝てよ、明日学校休んで寝ていいから』

「明るくすれば敵を呼び込むだろう、寝てなどいられない」

『なんでよ……敵って何? 部屋の鍵をかけておけば誰も入って来ないわよ』

「鍵? そんなの蹴破られて終わりだろ。そんなことよりここには銃はないのか?」

 ハア? どんだけ世界観違うのよ。

ていうか厨二病なの? 本気でそう思う回答

『銃なんてあるわけないじゃない、ここは日本よ、今どきの外国人ならそのぐらい知ってるでしょう?』

「知らん、ここはヤバーン《日本》なのか。詳しくは知らないぞ」

『えー、いま日本って人気なんでしょう。旅したい国ナンバー1とか、田舎の子なの? とにかく敵とかいないから、寝るなら制服脱いでよ』

 心に沙羅がいることをサライは理解しているようだが、互いの接点を見つけるのは難しかった。

死因には沙羅も触れたくなかったし、サライはやけにギラギラした感じで怖いし。

話題の合わなそうな子から、完全に話題の合わない子だとわかって困り果てる

「ナイフはないのか?」

『持ってない、カッターならあるけど』

「どこだ」

 指差すができない今、聞かれることは言葉にして返さないといけないという煩わしさ

『机の引き出し、一番上の右側』

 聞くや否や飛びつくように机の引き出しを開ける、それこそ引き出しを投げ出す勢いで引き、ゴミを捨てるように中を漁り、取り出したカッターを抱いて元の隙間に戻る

『ちょっと……ねえ、サライちゃん、あなたどういう生活してきたのよ』

 俊敏にして大げさな動作、ガサツを通り越した物の扱い、呆れるしかない

「普通だ、常に敵に警戒するのは当たり前のことだ」

 敵、口を開けばそういうサライ

『さっきから言ってるその敵って何?』

 もう聞くしかない、このおかしな厨二病患者の妄想で何が敵になっているのかを。

しびれを切らした口調で尋ねた沙羅に、サライは一度深く息を吸うと答えた

「ミルドの敵、我が民族を迫害する者達全て」

『ミルドって?』

「カライスに背をスリアに前を抑えられ我が民族は瀕死である。私は誇り高きミルドの戦士としてミルディスタン《ミルド人の国》を再び大地に作る尖兵なり!!」

 国を作る。それがサライの願い。

何か途方もない者に体を取られた、そういう後悔が浮かべど最早自分では何もできない沙羅

『そう……とりあえず今日は寝ようよ』

 寝て、目覚めればこの悪夢は去っている。

披露が安直な自分をより戻しそう考えていた。そうであって欲しかった、しかし現実は非情な朝を連れてくる。

フル回転の翌日、沙羅は人生史上初めて人殺しを望む、本気でサライを殺したくなるのだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ミルドの花 @810in

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ