第4話


 暗い。

 世界が闇に閉ざされていた。

 濃密な闇だ。

 天には暗雲がたちこめ、地には荒涼とした風景がひろがっている。

 渇いた大地に、空から一粒の光が舞い落ちてきた。

 淡い光玉だ。

 ひび割れた大地にゆっくりと光が着地する。

 ふいに、光があふれ出す。

 光の中に膝を抱えた少女がいた。

 彼女が、ゆっくりとした動作で立ち上がった。

 その背には、白銀の羽が幾重にも折りかさなっていた。

 しばらく空を見つめたあと、彼女は羽をひろげ、ふわりと空に舞い上がった。

 空中を飛翔しつつ、彼女が口をひらいた。

 歌。

 静かな音階がつらなってゆく。

 楽しげであった。

 旋律が次々と紡ぎ出され、彼女は歌にあわせて空間を飛び回った。

 あるときは速く、またあるときは遅く、ときには弧や円を描き、音に命じられるまま嬉々として空を飛んでいる。

 彼女は歌う喜びを、もてる総ての表現であらわしていた。

 清らかな歌声が荒れ果てた世界に満ちていく。

 すると、彼女の声にひかれ、邪な意識をもった暗闇が集ってきた。

 闇の素が凝って、巨大な黒雲が生まれる。

 何も気づかない彼女が、黒雲のそばを通りかかった。

 黒雲が動いた。

 飛び出した青黒い触手が彼女をからめとる。

 必死に身もだえしたが、からみついた触手は彼女を離さない。

 さらに巨大な二本の触手が彼女の両足をとらえた。

 絶望の思いが彼女の顔に浮かぶ。

 這っていき、太股までしばりあげると、彼女を逆さまにぶら下げた。

 環状動物を思わす触手が、次々と彼女の体を覆いつくす。

 触手が、恐怖感を味あわせようとするかのように、彼女の足首に少しづつ力を加えていく。

 絶叫。


『ミラアァーーー!』

 ランスは自分の声で目が覚めた。

 ベッドの上で、汗だくになっている自分を見つける。

 まわりはのっぺりとした白い壁に囲まれていた。

「起きたか」

 ランスは、声のした方に顔を向けようとした。すると、体中がギシギシとなり、激痛が全身をかけめぐった。

「動くな。全治一ヶ月だ」

 バリーの声だ。

「俺も第四層には長いこといるが、素手でマフィアに殴りこむ奴は初めてだ」

 腫れあがった眼をわずかに開け、ランスは、さらに髭がのびたバリーの顔をながめた。

 目は充血し、疲れた様子がみてとれる。

 彼にミラの容体を訊ねようとしたが、顎がぐらついて言葉がうまく綴れなかった。

「ミラか?」

 ランスが小さくうなずく。

「言いそびれたが、実は彼女の体内から多量のヘヴンが検出された。聞いたことがあるだろう、一粒でパラダイス行きの例のやつだ。多分、ミラを簡単に気絶させないよう、リンチにかける前にやったんだろうがな。わざとかは知らんが、分量を間違えてくれたおかげで、彼女の頭は真っ白になっちまった……」

 時々、思い出したように葉巻をふかしつつ、バリーがランスに向かい話している。

「ミラのことを忘れろとは言わん。だが、やつらにたてつくんだったら、この四層では生活できないという現実を直視しろ、ランス。彼女はもう、元の体にはもどらんのだ」

 それだけ言うと、バリーは病室を出ていった。

 ランスは動かなかった。

 ただ、ぼんやりとした意識の中で、バリーの言葉を繰り返していた。

(なんていったっけ、ミ、ミラが、元に、もどらん。どういう意味だ。ミラはミラじゃないか)

 なんとか起き上がると、ランスは壁を伝い、ミラの病室に入っていった。

 膝がガクガクと震えている。

 部屋の時計は、午前二時を過ぎていた。

 ベッドの上に彼女がいた。

 腕の部分の包帯がとれている。

 以前の彼女を白くか細い指のみが思い出させてくれた。

 かるく手にとってみると、自分では小さいと思っていたランスの手にミラのきれいな指がすっぽりとおさまった。

 ランスの耳に、微かな音がミラの口元から聞こえてきた。

 空気が唇を通るときの擦過音だった。

 ミラが歌っているのだ。

 でたらめな歌を、ランスは静かに聞いていた。

 彼女の瞳は、どこか彼方を見つめている。


「先生、バリー先生」

 掃除婦の女性が、バリーのいる院長室にかけこんできた。

「大変です。ランス先生が、ミラさんをホバーカーに乗せて出ていきました。止めようとしたら、銃をつきつけられて」

「なんだと!」

 バリーは巨体を揺らしながら、ミラの病室へと走っていった。

 ついてみると、そこには取り外された機械のコードがあるだけで、ミラの姿はどこにも見当たらなかった。


「ーーコチラハ、シティ・ポリス情報局。全層ノ、パトロール隊員及ビ、エアーコマンドニ告グ。第四層ニオイテ、レベル5ノ事件発生。画面ニアル、ホバーカーノ乗員ヲ逮捕セヨ。クリカエスーー」

 第四層、RPG専門店『クライシス』の店先、シティポリスのホバーカーからマシンボイスが流れている。

 何事かと集まった野次馬たちが、群れを成して店の中を覗きこんでいる。

 まだ早朝だというのに、ゲームフリークたちの早く店に入れろという怒声が聞こえてくる。

 店内ではチェックの制服を着けた店長が、警官に向かって泣き言をいっていた。

 ゲーム機のボール状をした側面は、ずたずたに破壊され配線や中の基板がのぞいている。

 床には、犯人が用いたと思われる様々な用具が転がっていた。

「冗談じゃないですよ。こいつは仕入たばっかりの新機種なんだ。ああ、くそっ。これで、俺のクビも時間の問題だ」

 店長が蛍光ウィルスで染めたマリンブルーの髪をかきむしっている。

 なぐさめるでもなく、警官が淡々とした口調で質問を始めた。

「それでどうなんだ。何を盗られたんだ」

「私が思うに、こりゃあよっぽど中身に詳しい奴の仕業ですね。中身が巧妙にとられているんですよ。頭とゲームをシンクロさせる機器の所だけがね。まったく、あんなもの盗んで何をするんだか」

「犯人を見たと言ったな」

「ええ、今日は盗られたゲーム機の初公開なもんで、いろいろと準備が必要だったんです。それで早めに店にやってきたら犯人が出てきて、私の顔を見るなり、ホバーカーに飛び乗って逃げだしたんですよ」

 店長は、半分やけになりながら警官の質問に答えていた。

 メモをとりつつ、警官は本部へと送信している。


 ランスは焦っていた。

 もう、RPG店での犯行がばれているはずだ。急がなければならない。

 彼は、直径二メートルほどのチューブの中にいた。

 ライトで照らしだされた薄明りの中、ランスは床下から通信用光ファイバーケーブルに取り付けられている検査用のボックスを相手に、基盤やコンピュータとの結線を行っていた。

 彼の顔には汗がつたい、顎の先から雫となって落ちてゆく。

 ランスが隣に視線を向ける。

 横には、ミラが静かに眠っていた。彼女の頭部には、RPG用のヘルメット内部の機器がむき出しに取りつけられ、そこから露出したコードがのびている。

 彼女の容体に変化がないのを確かめると、ランスは再び機械に向き直った。

 このとき、振り向いた拍子に落としてしまったコードの束を、ランスはさして気にとめなかった。

 一本のコードの表面に、毛先ほどの赤い光点がついていることも。


「緊急事態発生!緊急事態発生!」

 第一層中央情報局のドーム状の巨大なスクリーンが覆っている室内に、オペレーターのわずかにうわずった声が響きわたった。

 いつもは分割され、地上の天候状態や動力炉の動作状況が写っているはずのメインスクリーン上に、第一層の拡大された断面図が写し出されている。その細かな図面の中央部あたりに、赤色の小円が点滅していた。

 スクリーンに写っている箇所を見て、黒人の局長が目を剥く。

「ち、中央コンピューター専用回線の中だと。セキュリティシステムはどうなっとるんだ!」

 いつもは静寂を保っている室内に、局長の怒声が響いている。

「分かりません、今はまだ情報が不足しています。ただ、何者かが中央コンピューターの専用回線内に設けられている点検用の箇所より、中央コンピューターへ侵入を試みているようです」

「中央コンピューターだと……」

 局長の無骨な顔が、次第に力を失っていく。

 彼は数年前に起こった大惨事、テロリストグループ『ルナベース人民開放軍』による破壊活動を思い出していた。

「シティ・ポリス……、いやコマンド・ポリスを出せ。緊急時における特別権限を行使する。レベル3扱いだ」

 局長の力の抜けた声。

 オペレーターは冷静な声で了解と応え、最優先情報としてコマンド・ポリスの部署へと送信した。

「緊急連絡。第一層、中央コンピュータ専用ケーブル内ニ侵入者アリ。コマンドポリスノ出動ヲ要請スル。コレハ、レベル3ノ扱イトミナス。ヨッテ、犯罪者ノ『ナイオン』ニオケル生存権ヲ剥奪、発見シダイ抹殺セヨ……クリカエス……」

 出動要請から四分後、数人のコマンド・ポリスが、チューブ内の通路を走っていた。

 彼らはその重装備をものともせず、軽々と走っている。

 暗視野スコープや、重火器を装備した体からは人間らしい動きが消え、しなやかな肉食獣の気配が発散されている。

 彼らはランスのもとへ向かい、刻一刻と近づいていった。



「あと少しだ」

 ランスは、汗を腕でぬぐいミラに声をかけた。手だけはせわしく動いている。彼のまわりには、コードが網の目のようにのたくっている。結線を終えると壁にFD(フィルム・ディスプレイ)をはりつけ、改造を加えたブレインマシンインターフェィスであるヘッドセットを頭につける。

 ランスの視線が動くたび、FD画面上に文字が現れていく。

「ミラ、教えてあげるよ。君が公園で聞いた、僕の夢ってやつを」

 彼女の方を見るでもなく、ランスは口の中で暴れまわる痛みを無視して語り始めた。

「子供の頃、不思議だったんだ。歴史の本とかで、戦争という二文字があふれているけれども、なぜ『ごめんね』で争いが終らないんだろうってね」

 ランスが苦笑をもらす、自嘲の笑みだ。

「もし、言葉や文字を使わない、新しいコミュニケーションの方法を作り出せるのなら、誤解や食い違いのない、意識の完全な伝達手段が確立されるのなら、人々の間から争い事が少しでも消え去るかもしれない……意識の完全なる双方向伝達、僕はこれを夢みて大脳量子工学の道に入ったんだ。ナイオンに来たのは、バリー氏がいたからなんだよ。彼は学会から追放処分を受けているけど、大脳量子工学の技術ではトップクラスの権威なんだ。君にとりつけている装置も、半分ほどは彼と共同開発したものさ」

 しばらくして、ランスの指の動きが止まる。

 ふと、海洋展望台へデートした日のことを思い出した。

「ミラ。いつかは鯨に歌を教えることが出来るし、二人で月にだっていける」

 虚ろな瞳でミラを見つめる。

「夢を、君の夢をかなえてあげるよ。ミラ」

 キーの一つをランスが押した。

 フィルム・ディスプレイに、不規則な文字がでたらめに走り出す。

 それがおさまると、画面左端に小さく『CONNECT』の文字がでた。

「さあ、ミ……」

 振り返ろうとした瞬間、右方向で赤いものがはねた。

 目の前に何かが転がっている。

(腕)

(俺の腕だ)

 ランスの視線が右方向にはしる。

 奇妙な衣服を着た者たちがいた。

(持っているものは)

(銃だ)

(イ・ケ・ナ・イ)

 ランスがミラに覆いかぶさろうとする。

 指先が彼女の髪にふれた。

 背中が熱い。

 巨大なハンマーで叩かれたように、冷たい床の上へとランスの体がはじけ飛ぶ。

 肉片がとび散っていく。

「ミラ。歌、歌だ……」

 意識が途切れる。


 ランスが動かなくなるのを見て、コマンド・ポリスが銃を構えつつ前進してきた。

「チーフ、テロリストですかね」

 先頭の男が、後方の長身の男へと声をかける。

「無駄口をたたくな。スノッブとリラは男と女を調べろ。トラップに注意だ。倒れている女の体内かもしれんぞ」

 リラと呼ばれた女性のコマンド・ポリスが、慎重にミラへと近寄っていく。

 すると、ミラがうすく目蓋を開いた。女が慌てて銃を構えなおす。ミラの目蓋の隙間から、彼女の頬へとすべり落ちるものがあった。

 音楽。

 突然、コマンド・ポリスたちのインカムへ音楽がながれてきた。

 古く、懐かしい思い出を運んでくるような音色だ。頭部の特殊防護膜を取り、インカムを外しても音楽は聞こえてきた。

「これはいったい……」

 チーフと呼ばれた男が不可解な表情であたりを見まわした。

 どうやら、いたるところでこの音楽が流れているようだった。

 つづいて歌声が流れ始める。よくとおるコレンドア・ボイスだ。

 このとき、ナイオン中のどんなにささやかな音響設備からでも、この歌はながれ出してきた。

 朝食を食べかけている家族。パトロール中のシティポリス。ベットの中の恋人たち。RPGに興じている少年。会議中に頭痛薬をのみこむ市長。酔いつぶれてベンチの上に寝そべるジャンキー。犬と散歩をしている老人。混雑しはじめたリニアモーター・ステーション構内。

 人々は立ち止まり、あるいは動きを止め、様々な場所でこの歌に耳をすましていた。

 ふと、切なくなってしまうようなメロディが空気にとけている。

 歌には、もう二度と会えない恋人と一緒に歩いた風景が断片的にちりばめられていた。



  待ち合わせの公園。


  手をふる私。


  恋人との語らい。


  近くには小さなカフェ。


  子供たちの笑い声。


  回転木馬の音。


  木々の緑。


  恋人の呼ぶ声。


  きらめく日差し。


 ……だからまたいつの日か、あなたと、この場所で……。


 その日、ナイオンから発信された奇跡はサイバーネットをかけめぐり、地球と月をミラの歌声で満たしたという。

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ディーヴァ<歌姫> ガジュマル @reni

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