出立前夜(3)
店主がテレビの音量を、少しだけ大きくした。耳に飛び込んでくる賑やかな音声に、幹太は畳に手をつくと腰を捻った。民放のクイズ番組らしく、派手なセットの中にたくさんの芸能人たちがずらりと顔を揃えている。
「穣さ、ああいう人たちには会ったことがあるのか」
机に向き直り声をかけると、丁度麺を咀嚼していたらしい穣が顔を上げる。その気の抜けた表情が、テレビで見かける時の凛とした表情とは全く違って、思わず口の端で笑ってしまう。
「ああ、何人かは。アナウンサーとかリポーターとかは特に、良く顔を合わせるな」
「ふぅん……」
最近は週に一度、テレビで穣の姿を見かけるようになった。国営放送が木曜日の夜、宇宙に関連する番組で穣を扱うようになったからだ。訓練内容から日々の生活まで、密着に近い取材だろうに、テレビの中の穣はいつも笑顔で、時に真剣だ。
日本人として唯一の、選抜宇宙飛行士。宇宙での超長期航海を、宇宙工学で支える若き青年。頭脳明晰、質実剛健、コミュニケーション能力はとても高く、顔も平均よりは整っている。そんな折り紙付きの好青年は、お茶の間を賑わすアイドルほどとは言わないものの、なかなか著名で評価も高いらしい。特に、母親世代に。
そいつが今、目の前で呑気にラーメンをすすっている。
「……どうした」
「いや」
適当に誤魔化して笑みを浮かべ、幹太は視線を逸らした。いつの間に厨房から出てきていたのか、店主はカウンターの椅子に腰かけ、テレビにくぎ付けになっている。
「テレビって、宇宙でも見られるのか?」
「さあな。地球から離れていって、どこまで受信できるかじゃないか。あとはあんまり暇もなさそうだし」
適当に発した質問に、穣の律儀な答えが返ってくる。視線を店主から入り口付近の本棚に移し、尚も問いかけを続ける。
「じゃあ、本や漫画なんかは」
「一応、電子書籍に目いっぱい詰め込んで持っていくつもりだ。あとは紙媒体でも」
「何を読むんだ、見せろよ」
「あー……家の荷物の中だな。紙の本はもう送ったし」
「まさか百科事典とか、専門書とかじゃないだろうな」
「それは共用の資料として、電子版が持ち込まれる予定だったな」
「うへぇ」
苦笑をこぼす。昔、小学校の図書館で宇宙の図鑑を食いつくように眺めていた、穣の姿が思い出される。そうだ、あの頃から、こいつは宙に興味を示していた。
家族旅行で行ったキャンプで、天の川と衛星を見たと興奮して語っていた姿。星を見たいと言い続け、小遣いを貯めて天体望遠鏡を買った時の自慢気な表情。深夜に屋根に上って、あやうく転がり落ちそうになって怒られたという話。山のような知識を身に着け、熱くロマンを語る時の目の輝き。県内有数の進学校の、合格発表の前でガッツポーズを見せていた、広い背中。宇宙飛行士養成機関への切符をもぎ取ったと電話してきたときの、あの上ずった声。
小さい頃からずっと見てきたからこそ、分かる。知っている。穣は決して特別な人間ではないことを。
走馬灯のように駆け抜けた記憶に、小さく息を吐いたところで、背後のテレビからひときわ大きな音楽が鳴った。
「賑やかだな」
聞こえた声に視線を動かすと、穣が手を止めてテレビを眺めていた。幹太ももう一度、首を捻る。最近デビューしたアイドルグループの服を着た少女が質問に答えている。
「はいはーい! えっとー、答えはー……」
少女が発した単語は、耳慣れないものだった。漫画のタイトルか、曲名か。お題を聞いていなかったから、何のことかわからない。わずかな間ののちに、ファンファーレが鳴り響く。派手なBGMや歓声と共に、ポニーテールの少女が飛び上がって喜んでいる。
点数が入ったところで、CMへと画面が移った。新型の車が宇宙に向かって飛び出し、流れ星と並走しながら月の表面へ着陸すると、荒れた地面をひた走る。遠くにはCGで作ったらしい、月面基地の姿が見えた。
「はい、問題。星が流れる理由を答えなさい」
ふと思い立って、幹太は穣へと声をかけた。スープをすくっていた穣の手が止まり、瞳がまっすぐこちらを見る。
「何だそりゃ」
「宇宙飛行士なら簡単に答えられるだろ。正解をどうぞ、武田穣さん」
「お前、酔っぱらってるな」
ちらりとテレビへ視線を送った後、面倒くさそうな声で応対しながらも、穣の顔には微笑が浮かぶ。
「どのレベルで解答すりゃいいんだ? 彗星とは何か、からか?」
「あー、面倒くさそうな答え」
「お前が出題したんだろうに」
穣の回答は聞かないまま、幹太は再びテレビへと顔を向けた。おい、聞いているのか、という声が聞こえたような気がしたが、あえて無視した。
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