八犬伝
羽翼綾人
第1話 小さな与四郎(一)
小さな村に大きな屋敷があり、その向かいに小さな屋敷があった。小さな屋敷には大きな楠があり、その枝葉を微風が揺さぶる。濡れ縁には小さな与四郎が寝そべりながら、庭先の仔猫たちを眺めていた。
じゃれあう仔猫たちの姿に、与四郎は、小さな両の手に幼げな頬を支えながら、
おまえらはまだちっちゃいのう––
と微笑んだ。
与四郎は十一歳の少年である。
にも関わらず、自分がもういっぱしの大人だと思っていた。先年、父の申し付けにより元服の儀を果たし、名前を幼名・
「いいか、与四郎。武士は殺生をする悪しき生き物。おまえはこれまで十年もの間、草木や五穀のみならず魚肉を喰らい、数々の殺生によって生き長らえてきた。これからもそうすることになろう。そればかりか腰に大小を帯び、凡下の憎しみを集めながら生きていく。善行をいくらなしても、悪である本質は消すことができない。よく聞け、与四郎。悪は卑しくてはならぬ。栄えてもならぬ。死すべきときが来たら、他人の手を借りることなく自ら自裁せよ。それが武士として生まれた者の習いであるぞ」
幼い与四郎に、父の話はまだ難しかったが、本人は神妙な顔で話に聞き入り、なんとなく武士というものがわかった気がした。
それからというもの与四郎は万物の生き死にに強い関心をもつようになった。
まだ悪をしらぬ幼い命、特に小さな命が無邪気に戯れる姿には、自然と笑みがこぼれるようになった。
汚れなき命よ、むやみにその罪深さを
と、心のうちで仔猫たちにやさしい声をかけるが、むろん当の本人が言葉の意味をそれほど深くは理解していない。ただ、なんとなくそれらしい気持ちになって、午後の陽気を満喫するおのれの身の上を渋くする気分を味わっていた。
二匹の仔猫は好奇心いっぱいに見開かれた瞳と、まだ身にあまる大きな手を開きながら、取っ組み合い、ばたんばたんと転げていた。
実に楽しげである。与四郎の胸のうちに、甘いものを口いっぱいに含んだような多幸感が広がる。
そこへまたもう一匹の仔猫が口に一本の巻物をくわえて近づいてきた。仔猫たちの目には曇りがない。多分かれらがおのれの罪深さをしることは永遠にないだろう。
鈴の鳴るような声があがり、巻物がころころと陽だまりに転がった。仔猫たちはしばらくそれを凝視し、広がり終えるのをみると、背中をしならせて躍りかかった。巻物はたちどころにして、びりびりと破り割かれ、無数の紙片と化していく。
「おい、悪さはいかんぞ。こら、こらったら!」
立ち上がった与四郎が悪戯をやめさせようと仔猫たちを追い払おうとしていると、どたどたと足音が近づいてきた。
八犬伝 羽翼綾人 @uyoku
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