自己言及のパラドックス
歌鳥
(全編)
自己言及のパラドックス
中三の春休み。図書館に行く準備をしていたら、由佳里からメールが届いた。
『大事な話があるの。すぐ家に来て』
絵文字も顔文字もない、いつになく真面目なメールだった。
由佳里の家に行ってみると、同じくメールで呼び出された舞がもう来ていた。由佳里はなにも言わず、私たちの前にコーヒーとお菓子を置いてから、おごそかに口を開いた。
「あたし、北海道に引っ越すことになったんだ。一学期から転校す」
「エイプリルフール」
「……」
舞が途中で遮ったので、由佳里は絶句してしまった。ぽかんと口を開いたまま、ぼーっと舞を見つめる。
「いただきます」
舞はすました顔で、お行儀よく手を合わせてから、ぽりぽりとクッキーを食べはじめた。
「ぷっ」
こらえきれなくなって、私は吹き出した。
「……あ~もうなんだよぉおおおおっ」
ようやく我に返った由佳里が、叫びながら床を転げ回った。
「夕べ寝ないで考えたのに! 絶対ひっかかると思ったのに~!」
「寝ないで考えるから、その程度のことしか思いつかないんだよ」
私はそう慰めたけど、由佳里はあまり慰められなかったようだった。
「頭きた。眠い。寝る」
一方的に宣言して、服のままベッドにもぐりこんだ。
「由佳里ちゃん、寝るならちゃんと着替えないと」
舞がズレたことを口にする。私はクッキーをつまんだ。
「舞、今日の気分は?」
「黄色。由佳里ちゃん見てたら、楽しくなってきた」
「だよね。見てて飽きないよね、この子」
などと、舞と楽しく会話していたら、やがて由佳里がむくっと起き上がった。
「悔しくて眠れない」
「だったら起きてなよ」
私が手招きすると、由佳里は素直にベッドを降りてきた。ぬるくなったコーヒーを一気飲みして、ばりばり音を立てながらクッキーにむさぼりつく。
「ゆっくり食べないと、体に悪いよ」
舞は両手でクッキーを持って、ちまちまとリスみたいな食べ方。
「だいたい、そんな嘘に騙されるわけないじゃない。由佳里が約束守る子だってこと、私も舞も知ってるんだから。私たちと同じ高校行くって、由佳里、そう約束したじゃない」
私がそう言うと、舞もクッキーをぽりぽり噛み砕きながら、こくこくとうなずいた。
「むぅ~~~~~」
由佳里は納得できないらしかった。眉間に皺を寄せながら、残りのクッキーをほとんど一人で食べきってしまうと、ベッドの横の目覚まし時計をぴっと指さした。
「まだ三時間あるもん。お昼までに絶対、すっごい嘘ついてやるんだから!」
“エイプリルフールで嘘をついていいのは午前中だけ”というのは、その数年前に舞から教わっていた。それを知らなかった私が夕方に嘘をついてしまい、舞に涙目で抗議されたのは、苦い思い出。
「あ、もう九時過ぎたんだ」
私は今日の予定を思い出した。
「ねえ、図書館行かない? 私勉強するつもりで、参考書持ってきてるんだ」
「ん、なら私取りにいかないと」
「こらぁー、シカトすんなぁー」
由佳里はむくれたが、そのくせあっさりと私たちの話題についてきた。
「行くんならお昼食べてからにしようよ。一緒にご飯食べよ。お母さんに頼んでくるから」
その後はしばらくおしゃべりしてから、由佳里の家でお昼をごちそうになり、舞の家を経由して、図書館に行った。その帰り、住宅街の小径を歩いているところで、いきなり由佳里が頭をかかえてうずくまった。
「由佳里? なにしてるの?」
「……嘘つくの忘れてた」
私は舞と顔を見あわせて、苦笑いした。
「はいはい残念でした。また来年ね」
「悔しいなー。こんなはずじゃなかったのになー」
小声でぶつぶつとつぶやく。これだけねちねちと粘着するのは、由佳里にしてはめずらしい。
「切れ味鋭い嘘で二人を騙して、焦ったところでネタばらしして、『なーんだーびっくりしたー』『すっかり騙されたよー。さすが由佳里ちゃん、すごーい』って賞賛されるはずだったのに」
「仮に騙されはしても、賞賛はしないから」
「おっかしいなー。どこでミスったんだろう。この嘘つきの天才、キング・オブ・嘘つきと近所でも評判の由佳里ちゃんが」
私がなにか皮肉を言ってやろうとしたら、
「それ、自己言及のパラドックスだから」
と、舞に先を越された。
「……へ?」
耳慣れない言葉を聞いて、由佳里がきょとんとする。
「自己言及のパラドックス。いまの由佳里ちゃんの言葉は、嘘でも本当でもない」
舞が追加で説明した。けど、由佳里も私もついていけない。
「それ、どういう意味なわけ?」
舞は難しい本を読むのが好きだ。
みんなで図書館に行くと、由佳里は雑誌やスポーツ関連の本、私は小説を読む。その間、舞は図鑑とか、大人が読むような数学や物理の本を読んでいる。
この“自己言及のパラドックス”という言葉も、そこから得た知識らしい。
「つまりね、嘘つきの由佳里ちゃんが嘘つきを自称するとね……」
口下手の舞が懸命に、身振り手振りを交えて説明してくれた結果、どうにか私にも理解できた。
つまり――もし由佳里が嘘つきなら、『自分は嘘つきだ』という由佳里の言葉も嘘になって、すなわち由佳里は嘘つきじゃない。
由佳里が嘘つきでないとすると、『自分は嘘つきだ』という言葉は事実に反するから、嘘。由佳里は嘘をついたんだから、嘘つきになる。どちらにせよ矛盾が生じて、これが“自己言及のパラドックス”。
「つまり、どっちに転んでも、由佳里の言葉はあてにならない、ってわけね」
「そそ」
うまく説明できたのが嬉しいらしく、舞は何度もこくこくうなずいた。
「えっと、よーするに、あたしはものすっごい嘘つきだ、ってことでいい?」
「ん……ぜんぜん違うけど、だいたいそんな感じ」
由佳里は理解できていないらしかった。舞も諦めて、説明を放棄したようだ。
「そっかそっか、パラドックスかぁー」
もっともらしくうなずいてから、由佳里はにかっと笑った。
「だったら、来年のエイプリルフールはとんでもないことになっちゃうね。あたしの嘘で、二人ともひっくりかえっちゃうよ!」
「実は進学できませんでした、っていう嘘だけはやめてよね。笑えないから」
冗談のつもりで言ったのだけれど、あまり冗談になっていなかった。
「それは……大丈夫だよ、きっと」
由佳里は笑顔をひきつらせてから、不安を振り払うみたいに大声をあげた。
「とにかく! 来年の四月一日、覚悟しときなよ。この嘘つき大王の由佳里ちゃんが、とんでもない嘘ついて、世界をひっくりかえしてあげるんだから!」
――由佳里は本当に、嘘つきの天才だった。
一年後の四月一日。由佳里は一年越しの嘘をついて、私と舞の世界をひっくりかえした。
自己言及のパラドックス 歌鳥 @songbird
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