第39話 Publikum―謁見―
一方、ループレヒトの残党軍が逃げ込んだクーフシュタイン城では、城の主のピーンツェナウアーが、
(何という奴らを引き入れてしまったのだ……!)
と、激しく後悔していた。
ランツフートを占拠したローマ王マクシミリアンは、自分を裏切ったイン川沿いの諸城に対して使者を送り、
「今、降伏すれば、罪は問わない」
と、再び王に従うようにと迫り、城主たちは「もはやプファルツ
だが、クーフシュタイン城だけは違った。降伏をすすめる使者が来る前にクリストフらループレヒトの遺臣たちとケヒリらボヘミア兵たちがクーフシュタイン城に到着し、ピーンツェナウアーは彼らを城内に受け入れてしまっていたのだ。
しかも、彼らはループレヒトの遺児二人をランツフートから連れ去り、この幼児たちを
(これでは、もはや降伏はできない。完全に判断を誤った。こうなったら戦うしかないが……)
クーフシュタイン城に籠るピーンツェナウアー直属の兵の数は七十数人である。ループレヒトの残党軍は、途中で兵士たちのほとんどが脱走し、二百人程度になっていた。ボヘミア傭兵隊も、ランツフート近郊でフルンツベルク率いるランツクネヒト隊によってたくさん討ち取られ、また、戦場に伴っていた妻子を連れて故郷のボヘミアへ帰ろうと脱走する者まで出てしまい、百五十人足らずになっていた。
城の総兵力は、およそ四百二十数人。
(この数は、まずい)
ピーンツェナウアーは、兵力が少なくて困っているのではない。逆に、この城で籠城戦をするには多過ぎて頭を悩ましているのだ。
この当時のヨーロッパでは、平時の城はごく少数の兵しかいない。籠城して戦う時でも、城内には数十人の兵だけだった。小規模の城だと、もっと少ない。
城は様々な工夫や罠により、それだけの数で守れるように造られていたのである。
(何とか食糧を確保しないと、戦う前にみんな飢え死にだ)
そんなふうにピーンツェナウアーが悩んでいた時、不思議なことが起きた。
ループレヒトの残党軍が城に入った二日後の朝、城の前に大量の食糧が置かれていたのである。しかも、翌日も、さらに次の日も、食糧は夜の間に次々と城の前に運び込まれて来た。
(いったい、誰がこんなことを? 我らに協力してくれる勢力がまだいるということなのか……?)
ピーンツェナウアーはそんな期待をわずかにして、ならばまだ戦えるかも知れないとようやく腹をくくるのであった。
だが、クーフシュタイン城に密かに食糧を運んでいたのは、盗賊騎士クンツだったのである。クンツは、ループレヒトを暗殺した後にクリストフと再会し、
「
と、狡猾公に利用されていたことに気づいて激怒し、その後はミュンヘンに戻らず、ランツフート近くの都市に潜んでケヒリに負わされた傷の治療に専念していた。そして、ループレヒトの残党軍がクーフシュタインに逃げ込んだと知ると、何度も自らの手で陥れてしまった友クリストフを救おうと独自な行動を取り始めたのである。
クーフシュタイン城にはたくさんの兵士が籠城しているため、食糧に困っているだろうと思い、イン川沿いの町や村で略奪を働いて、罪なき人々を殺して奪った食べ物を城に運んでいたのであった。
クンツという人間は、本人が善行を積んでいるつもりでも悪行を重ねてしまう、ある意味では哀しい男であると言えるかも知れない。
* * *
「クーフシュタインを攻める前に、プファルツ選帝侯と和議を結ぶ」
ランツフートのトラウスニッツ城で開かれた軍議において、マクシミリアンは諸将にそう宣言した。
マクシミリアンがクーフシュタイン城を攻撃している間に、背後からプファルツ軍が襲って来る可能性がある。ならば、
「ですが、クーフシュタイン城に立て籠もるループレヒトの遺臣たちは、ループレヒトの遺児二人を旗頭にしています。幼い孫たちを見捨てて、プファルツ選帝侯は和議に応じるでしょうか」
そう発言したのは、ブランデンブルク
「
「お言葉ですが、王様。恐らく、プファルツ選帝侯は信じないでしょう。王様をではなく、ミュンヘン公を信じることができないのです。
「ぶ、無礼な! いくら辺境伯の息子でも、
狡猾公アルブレヒトが激怒すると、カジミールは、
「私がそう言っているのではありません。民たちがそう言っているのです」
と、しれっと言った。そして、アルブレヒトのことなど構わずに、マクシミリアンにこう言上したのである。
「プファルツ選帝侯を説き伏せるためには、こちら側から使者を送るだけでなく、プファルツ選帝侯の家来たちの中で強い発言力を有した者を味方につけて、共に説得する必要があるでしょう」
「なるほど。しかし、プファルツ領の貴族たちの中に、我らに協力してくれそうな者がいるだろうか」
「一人、います。フランツ・フォン・ジッキンゲンというプファルツ領内で複数の城を持っている騎士が、我が軍のゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンと
「ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン……。耳にしたことがある名だな。その者をここへ連れて参れ」
マクシミリアンがそう命令すると、
「はい、それがしはここにおります」
と、広間の柱が震えるほどの大声とともにゲッツが現れ、ローマ王の前で
(そなたに言われた通りにしたぞ。これでいいのだな)
カジミールが、ゲッツに使われて面白くなさそうな顔をしながら目配せをすると、ゲッツはカジミールにニヤリと笑った。
(さすがは、性格は悪いが弁舌巧みなカジミール様だ)
ゲッツは、自分にとって大一番の勝負であるこの戦争に勝つためならば、馬の合わないカジミールでも利用してやろうと考えていたのである。カジミールはカジミールで、他人の遺産相続をめぐる戦いにいつまでも付き合わされるのが嫌で、さっさとランツフート継承戦争にケリをつけたいと思っていたからゲッツに協力したのだ。
「そなた、どこかで見たことのある顔だ。一度、余と会っているか」
「はい。それがし、昔に二度、王様のお姿をお見かけしたことがあります。一度目は、六年前のフランス遠征で軍の指揮をとる王様を遠くから拝見しただけでした。ですが、翌年のスイス戦争のみぎりには、コンスタンツ市外の陣で王様にお声をかけていただきました」
「……ああ、思い出したぞ。あの異様に長い槍を抱えていた見習い騎士か。余が『そなたはなぜそんなにも長い槍を持っているのだ』と問うたら、『俺はめっぽう気が短くて負けず嫌いなので、仲間の誰よりも先に敵の胴体を串刺しにできる長槍を
マクシミリアンには、言葉を交わしているだけで人を包み込むような不思議な包容力がある。マクシミリアンに感慨深そうに懐かしまれると、ローマ王への忠誠心などほとんどないゲッツでさえ、(ローマ王に再会を喜んでもらえて、嬉しい)と思ってしまった。
「ありがたき幸せ。されど、それがしは今でも猪のままです。このように右手を失っても、戦場に立つことを望んだのですから」
「鉄の義手……。なるほど、そなたは鉄腕の騎士か。……それで、ジッキンゲンという男は、プファルツ選帝侯を説得できるのか」
「はい。俺の義弟ジッキンゲンの家は、プファルツ領内の有数の鉱山を所有している資産家というだけでなく、父親の代からフランス王との
これらの情報は、昔、ゲッツがジッキンゲンから直接聞いた内容と、ジッキンゲンの領地に援軍として駆けつけて実際に内情を見てきたゲッツの兄二人から聞いた内容を合わせたものだった。
ジッキンゲンは、鉱山が近くにあるエーベルンブルク城だけでなく、フランス領近くのカイザースラウルテンという都市の近郊にラントストゥール城を所有している。プファルツ選帝侯の命令を受けたジッキンゲン家は、この拠点を窓口にしてフランスとの様々な交渉を行なっていたのである。そういった経緯から、フランス王家はジッキンゲン家に対して信頼感を抱き、そして、ジッキンゲン家を取り込んで帝国打倒の足掛かりにしようという下心を持っていた。
これは後々の話になるが、ジッキンゲンが行なった
そんなフランスとの折衝役であるジッキンゲンの言葉ならば、フランス王を後ろ盾にして帝国内における勢力を拡大したいと考えているプファルツ選帝侯は耳を傾けるはずだ。
(お調子者の義弟だが、実は結構な大物なのかも知れない)
そう気づいたゲッツは、ジッキンゲンの力を借りてプファルツ選帝侯を和平へと傾けさせようと考えたのだ。プファルツ選帝侯がローマ王と和議を結べば、クーフシュタイン城は完全に孤立して大いに士気が下がるだろう。
「もしも和議が成立しなければ、責任を取って、それがしの残った左手を切り落として王様に献上いたしましょう」
ゲッツがそう豪語すると、マクシミリアンは苦笑しながら「そんなごつごつとした手はいらぬ」と言った。
「うむ……。そこまでの覚悟ならば、
「ははっ!」
かくして、ゲッツは自らの手勢とタラカー一味とともにエーリヒを護衛しながらプファルツ領へと向かったのである。
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