第40話 Frieden―和議―

 急行軍でプファルツ領に入ったゲッツたちは、プファルツ選帝侯せんていこうの居城ハイデルベルク城を素通りして、ジッキンゲンの居城エーベルンブルク城に向かった。


「それにしても、エーリヒ殿。どこを見回しても葬式、葬式……。今回の戦争は、人が死に過ぎましたな」


「うむ……。そうだな、ゲッツ殿」


 プファルツ領の都市や村では、戦争の犠牲となった人々の葬式があちこちで行なわれていて、鈍色にびいろの空にはカラスの群れが薄気味悪く飛んでいた。


 エーリヒが心苦しそうな顔をしているのは、葬式は戦死した兵士が四割、帝国軍のランツクネヒト隊の略奪で命を奪われた市民や村人たちが六割だと道中で泊まった宿の主人から聞いたからである。


「ミュンヘン公とプファルツ父子の争いのために、罪のない命を奪い過ぎた。ローマ王も心を痛めておられる。早くいくさを終わらさねばならない。……おや? あそこにいるのは、プファルツ選帝侯の侍従長じじゅうちょうフィリップ・フォン・クローンベルク殿ではないか?」


 エーリヒが指差した方角をゲッツが見ると、顔中しわだらけの白髪の老人がこれまた年老いた馬にまたがり、村でとり行われている葬式の様子をやるせなさそうな顔をして見つめていたのである。そのかたわらには若い騎士がいて、こちらはずいぶんと怒っているように見えた。


「うん? あれは、ジッキンゲンだ! おーい、ジッキンゲン! そんなところで何をやっているんだぁー!?」


 ゲッツが大声でそう呼ぶと、ジッキンゲンはこちらに気がつき、馬腹を軽く蹴ってゲッツたちの元に駆け寄って来た。ジッキンゲンと一緒にいたクローンベルクは、ゆっくり、ゆっくりと馬を歩ませてジッキンゲンの後を追い、


「ジッキンゲン殿。珍しい鉄の義手をしておられるその御仁ごじんは、おぬしの知り合いか?」


 と、老人のわりには意外と元気溌剌はつらつとした声で問うた。ただし、しゃべるたびにつばが飛んで汚い。


「この人は俺の義兄弟ですよ、クローンベルク殿。……おーい、ゲッツの兄貴! その手はどうしたんだ? というか、ここはいちおう敵地なのに、何しに来たんだ? あっ、そうだ、俺の城に来てご馳走ちそうを食べるか?」


「いっぺんに色んな質問をするなよ、ジッキンゲン。相変わらず、落ち着きのない奴だなぁ。この手は、ランツフートの戦で右手を失ったから、義手をつけているんだよ。ここに来たのは、お前に頼みたいことがあって来たんだ。それから、腹が減っているから、お前の城で何か食わせろ」


「よしきた! ついでに、俺の愛する妻も紹介しよう! クローンベルク殿も、どうぞ我が城に来てくだされ!」


 ジッキンゲンは陽気に笑い、ゲッツたちを居城のエーベルンブルク城へと案内した。


 道中、ジッキンゲンは、明るく振る舞いながらも、ゲッツの右手をチラチラと見て一瞬痛ましそうな表情をすることがあったが、ゲッツに詳しいことを聞こうとはしなかった。


 ゲッツがすでに立ち直っている様子なのに余計なことを自分が言ったら、義兄の心の傷を掘り返してしまうかも知れないと考えているのだろう。


 優しい奴だなとゲッツは思った。



            *   *   *



 エーベルンブルク城の居館に招かれたゲッツたちは、ジッキンゲンの妻ヘートヴィヒの歓待を受けた。


「夫が実の兄のごとくお慕いしているゲッツ様にお会いできて、私も本当に嬉しく思いますわ。さあさあ、どうぞ遠慮なくお召し上がりください。全て、私が腕によりをかけて作った手料理ですので」


 鷹揚おうような喋り方をするわりにはテキパキとしているヘートヴィヒは、侍女たちに次々と料理を運ぶように指示を与え、自身も肉や魚の料理を手際よく食卓に並べていった。


「おいおい、ジッキンゲン。さすがの俺も、奥方殿にこんな侍女のような真似をやらせてしまったら、恐縮しちまうぜ」


「ゲッツの兄貴。ヘートヴィヒは働き者で、自分でできることは何でもやりたいと思う性分なんだ。俺たちは結婚した時、一度きりしかない人生で縁あって結ばれたのだから夫婦で色んなことに挑戦しよう、お互いにできることを分担して助け合おうと約束したんだよ。それで、今、俺は鉱山開発に挑んでいて、ヘートヴィヒにはこの城の増築工事を任せている」


「ぶっ! 城の工事監督を妻にやらせているのか!?」


 ゲッツが驚き、口に含んでいたビールを吹き出した。ビールが顔にかかったエーリヒが思いきり眉をしかめる。


「あらあら、そんなに驚くことでしょうか? 男にできて女にできないことなんて、世の中にはそんなにないと思いますが。……あっ、女にできて男にできないことならありましたわ。子を産むことです」


「……ジッキンゲン。おっとりしているように見えてずいぶんと頼もしい嫁さんをもらったじゃねぇか。おっちょこちょいで頼りないお前にはピッタリな伴侶はんりょだ」


「ゲッツの兄貴に俺の愛妻あいさいを褒めてもらえて、嬉しいぜ。そうさ、俺にはもったいないくらいの良妻りょうさいだよ。愛してるぜ、ヘートヴィヒ!」


「私もですわ、旦那様」


 ジッキンゲンとヘートヴィヒは、ゲッツたちの目の前でひっしと抱き合うと、ぶちゅー、ぶちゅーと濃厚な接吻せっぷんを始めた。


 一同、あっ気にとられ、まだ十代でうぶなエッボは、その光景を赤面しながら見つめていた。まだ新婚とはいえ、情熱的過ぎる夫婦だった。


「こほん、こほん……こほん!」


 エーリヒが、いまだに接吻を続けている二人から目を反らしながらせき払いをすると、ゲッツは、


(ああ、そうだ! そろそろ本題に入らないといけねえ!)


 と気づき、


「お楽しみの最中に悪いが、俺の話を聞いてくれないか?」


 と、ジッキンゲンに言った。


「ああ、いいぜ。ゲッツの兄貴の頼みなら、ヘートヴィヒをくれという頼み以外なら何でも聞くさ」


 ようやくヘートヴィヒの唇から自分の唇を離したジッキンゲンがそう言って笑うと、ゲッツは義弟の冗談を無視して単刀直入にこう切り出したのである。


「ローマ王は、この戦を早期に終わらせるため、プファルツ選帝侯との和議を望んでいる。和平交渉に応じるように、お前が主君を説得してくれ。お前だって、これ以上、戦争が続くのは望まないだろう? どこの村に行っても葬式をやっているじゃねぇか」


「む……。和議か……」


 ジッキンゲンも真面目な顔になり、プファルツ選帝侯の老臣で侍従長をつとめているクローンベルクと顔を見合わせてうなずき合った。


「実は、わしらも和議を結ばねばと話し合っておったところなのじゃ」


「そうなんだよ、兄貴。……葬式をできる家はまだいいが、金がなくて葬式代を払えない民たちがたくさんいるんだ。教会の腐れ坊主どもは、葬式を死者のとむらいの儀式とは思わず、金もうけだと考えている。だから、貧しい人々がいくら懇願こんがんしても、教会は『葬式をして欲しいのなら、金を払え』と彼らを冷たく突き放すんだ。俺は、家族の葬式ができなくて困っている領民たちに金を与え、何とか葬式をさせてやることができたが……プファルツ領にはそういう人々がまだたくさんいる。何の大義名分もないこの戦争が長引いたら、家族のために葬式もしてやれない哀れな民たちがもっと増えることだろう」


「そう考えるのならば、プファルツ選帝侯に和議をすすめて欲しい。お前の家は、選帝侯の家臣の中でも強い発言力を持っているんだろ」


 ゲッツがそう言うと、ジッキンゲンは「俺もそうしようと考えてはいるのだが……」と歯切れの悪い返事をした。


「プファルツの殿様も、ご子息のループレヒト様を亡くして気落ちし、戦う気力を失っているはずだ。だが、いまだに抵抗を続けているクーフシュタイン城には、殿様の孫のオットー・ハインリヒ様とフリップ様がいる。ループレヒト様の遺臣たちは、若様たちを手放そうとはしないだろう。殿様が、幼い孫を見捨てて、ローマ王と和議を結ぶかどうか難しいところだな……」


「選帝侯の心情は我々も理解しているつもりだ。しかし、もはや大勢は決し、選帝侯に勝ち目はない。不利な戦争を続けたら、敗戦後に各城や都市たちから選帝侯に請求される賠償金の額は増していく一方だぞ。主君のためにも、ジッキンゲン殿には選帝侯を説き伏せて欲しいのだ。それに、クーフシュタイン城を攻め落としても、王様は幼い公子たちの命は奪わないとおっしゃっている」


 エーリヒがそう言うと、クローンベルクが「じゃが、あの狡猾公こうかつこうが若様たちを謀殺するのでは……」と呟いた。どうやら、プファルツ領にまでミュンヘン公アルブレヒトがループレヒト夫妻を暗殺したという噂は伝わっているようだった。


 ゲッツたちがそう言い合って揉めていると、ヘートヴィヒがふと思いついたようにこんなことを言いだした。


「和議を結んだ後、プファルツの殿様が、若様たちの救出隊を派遣して、ローマ王のクーフシュタイン城攻めに加わればいいのではないのですか? プファルツ軍が帝国軍側として戦場に現れて、城に立て籠もる将兵たちに降伏をするように勧告すれば、彼らも戦意を失って城を明け渡すかも知れません。そうすれば、プファルツ軍が若様たちを安全に保護できます。もしも降伏せず、城攻めとなっても、狡猾公の軍よりも先にプファルツ軍が城内に突入して若様たちの身柄を確保すればいいのです」


「お、おいおい、ヘートヴィヒ。あの城に立て籠もっているのは、ループレヒト様の家来たちなんだぞ。殿様にご子息の家来を討伐させろというのか? 亡き主君への忠義を最後まで貫こうとする、騎士道精神にあふれた者たちなのに……」


 ジッキンゲンが妻の突拍子とっぴょうしもない発言に驚くと、ヘートヴィヒはにこやかに微笑みながら「旦那様、それは違いますわ」と言った。


「自分たちの意地を貫くために、幼き命を危険にさらし、旗頭はたがしらとして利用しようとしている者たちのことを私は忠義の臣だとは思いません。旦那様がいつもおっしゃっているではありませんか。『騎士とは、か弱き者たちの味方でなければならない』と。彼らは、旦那様の信じる騎士道精神とはかけ離れていますよ。城を占拠し、戦争を長引かせている暴徒ですわ」


「む、むむ……。そうだな。たしかに、そなたの言う通りだ……」


「きっと、天国のループレヒト様とエリーザベト様も、幼い息子たちが戦の矢面に立つことは望んでいないはずです。何としてでも助けて差し上げなければ。幼い若様たちを……」


 ヘートヴィヒが夫の手を握ってそう言うと、ジッキンゲンは大きく首を縦に振って決断し、こう宣言したのである。


「……よし! 分かった、ヘートヴィヒ! プファルツの殿様に進言してみる! この俺が公子救出隊の隊長となり、若様を城よりお救い申し上げるゆえ、殿は安心してローマ王と和議を結んでくだされとな!」


 ジッキンゲンは、欲深よくぶかで領土を得るためならば他人を簡単に陥れる主君プファルツ選帝侯のために立ち上がるのではない。常に弱者の味方となって行動するという信念を持つこの男にとって、今救うべきなのは、戦争の長期化に苦しむ民たちと幼い公子二人だった。


(ヴォルムスの街で、見ず知らずの町娘のために、大男の騎士に勝負を挑んでいたガキの頃と何も変わっていないんだな、こいつは)


 ゲッツはそう思い、ジッキンゲンに感心するのであった。


 子どもの頃に抱いていた理想や信念などというものは、大人になったら忘れたり、挫折して捨ててしまったりするのが普通だ。それなのに、ジッキンゲンの心は、少年の日のままなのである。彼が純粋な人間だからこそ、自分が抱く信念に疑いを持たないのだろう。


(フルンツベルクといい、このジッキンゲンといい、俺の友には見習うべき男がたくさんいる。それは、幸福なことなのだろうな。顔を合わせるたびに、俺はこいつの友として恥ずかしくない男になれているかと自分に問い、お互いに高め合うことができるのだから)


 そんなふうに考えたゲッツは、ジッキンゲンと握手をして、


「義弟よ。お前に全てを任せたぜ」


 と、彼に和平交渉の成否をゆだねるのであった。



            *   *   *



 ローマ王の側近エーリヒは、和平交渉の使者としてプファルツ選帝侯の居城ハイデルベルクにジッキンゲン、クローンベルクとともに訪れ、選帝侯にマクシミリアンとの和議をすすめた。


 帝国軍に領内をさんざんに荒らされた挙句、将来を期待していた息子を失って、心身ともに疲れ果てていたプファルツ選帝侯は最初から和平の話に心動かされたが、すぐには首を縦に振らなかった。


「孫たちが、クーフシュタイン城にいる。わしが見捨てたら、あの子たちはミュンヘン公に殺されるだろう」


 自分が狡猾公アルブレヒトと同じように、様々なあくどいやり方で領土を拡大してきただけに、選帝侯にはよく分かるのである。アルブレヒトは、ランツフートの継承権を得るためならば小さな命でも何の躊躇ためらいもなくみ取るであろうと。


「ご心配には及びません。俺が公子救出隊を率い、クーフシュタイン城に向かいます。必ずや、ミュンヘン公の手に渡る前に若様たちを救出してみせます」


 ジッキンゲンがそう進言すると、選帝侯は露骨に嫌そうな顔をした。それは、公子の救出隊という名目ではあるが、実質的にローマ王マクシミリアンの城攻めに加わるということだ。つまり、自分がマクシミリアンに膝を屈したことになる。それは嫌だった。


「殿! この期に及んで、何を悩んでおられる! 我らはすでに負けているのですぞ! 今はできるだけ被害を最小限におさえ、領地の復興を目指すのです! そのためには、早期の和平成立と一族の未来をになわれる公子たちを救い出さねばな!」


 老臣クローンベルクが、プファルツ選帝侯の顔にぶわっと唾を飛ばしながら、まるで子どもを叱るように怒鳴ると、選帝侯は「う、うむむぅ……」とうなった。


 選帝侯はよわい五十六だが、クローンベルクは十歳以上年上で、寝小便たれだった選帝侯の子ども時代のこともよく知っている。だから、このじいさんにだけは頭が上がらないのだ。


「し、しかし、ループレヒトの家臣たちを切り捨てたら、儂の世間における評判が……」


「あの者たちは、若様たちを勝手に連れ去りました。ローマ王だけでなく、殿にとっても彼らは反逆者なのです! 慈悲は不要!」


「わ、分かった……。耳元で怒鳴るな、クローンベルク。和議に応じ、公子たちの救出隊の隊長にジッキンゲンを任命しよう」


 ついに折れたプファルツ選帝侯は、ローマ王との和議を決心するのであった。こうして、神聖ローマ帝国の領内でローマ王マクシミリアンに歯向かっている反逆者は、クーフシュタイン城の将兵たちだけになったのである。



            *   *   *



 和議が成立すると、ゲッツたちは、ジッキンゲンの公子救出隊とともにクーフシュタイン城へと向かった。


 早馬で「和議成る」の報を受けたマクシミリアンの帝国軍も、決戦の地へと進軍していた。その帝国軍の先鋒をつとめていたのは、フルンツベルク率いるランツクネヒト隊である。


 かくして、「忠誠最後の騎士」として世界史にその名を刻むことになる神聖ローマ帝国君主マクシミリアンの元に、この後に到来する宗教改革の時代のドイツで大いに歴史と世の人々を騒がせることになる三人の豪傑がクーフシュタイン城に集うことになった。その豪傑とは、


 一人目は、生涯を帝国への忠義に捧げ、後にパヴィアの戦いでフランス王フランソワ一世を捕虜にする大戦果を上げることになる、「ランツクネヒトの父」ゲオルク・フォン・フルンツベルク。


 二人目は、後年に宗教改革の思想家フッテンの盟友となり、没落していく騎士たちの首領として騎士戦争という反乱を起こし、圧政で民衆を苦しめる帝国の諸侯たちと教会勢力に勝負を挑んだフランツ・フォン・ジッキンゲン。


 そして、最後の三人目は、八十二年の生涯において数多あまたの強大な諸侯や帝国自由都市に私闘フェーデで喧嘩を売り続け、自由を渇望かつぼうしたドイツ中の農民たちが一斉蜂起ほうきして帝国に激震が走ったドイツ農民戦争で反乱軍の隊長となったゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン。


 人呼んで、鉄腕ゲッツである。


 この男たちが、一人は帝国への忠義のため、一人はか弱き者を守るため、一人は愛する女のために、これから一命をして戦うことになるのである。

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