第36話 Eisen-Hand―鉄腕―

 マクシミリアンがプファルツ軍に勝利したほぼ同時期、ゲッツは四年ぶりにヤークストハウゼン城に帰還していた。


 城の家来たちは、右手のないゲッツを見ると、


「おお、ゲッツ様。おいたわしや……」


 と涙を流し、ゲッツたちを城の居館に入れて、心のこもった食事を出してくれた。


 ゲッツの母マルガレータは、今朝から領内の巡察に行っていて、しばらく戻らないという。息子たちがみんな戦争に行ってしまっているため、今はマルガレータがヤークストハウゼンの領地の管理を代行していたのだ。


「ゲッツ……。すまなかった。俺は、ドロテーア殿を守るというお前さんとの約束を守れなかった。やはり、ドロテーア殿をランツフートに連れて来るべきじゃなかったんだ……。俺たちは、これからランツフートに取って返して、ドロテーア殿を連れ戻して来る」


 食事を終えた後、タラカーがそう言い、ゲッツに頭を下げた。


 カスパールからドロテーアがランツフートに行くことを自ら望んだということを聞いていたゲッツは、頭を振り、


「そんな必要はないさ、タラカーの親父。ドロテーア殿は、クリストフのそばにいることを望み、それが叶ったんだ。兄のラインハルト殿には俺からちゃんと説明しておく。ドロテーア殿は、自らの意思でランツフートに行き、クリストフの妻になったと……」


 と、どこか寂しげな声音でそう言った。それは、まるで自分に言い聞かせているようであった。だが、今度はタラカーが「いや、それは違うぜ、ゲッツ」と、首を横に振ったのである。


「俺が思うに、ドロテーア殿が命がけでランツフートに行ったのは、クリストフのためではない。きっと、お前さんのためだ。あの子は、自分ではまだ気づいていないが、お前さんが好きなんだよ」


「急に何を言いだすんだよ。そんなわけあるか。何を根拠に……」


「根拠なら、ある。ハッセルシュヴェルトがクリストフの消息をドロテーア殿に伝えた時、彼女はランツフートに行きたいだなんて一言も言わなかった。だが、お前さんの怪我の話を聞き、俺たちがゲッツを救い出そうと言い出したら、あの子は自分も行くと宣言したんだ。『あの人のことが心配だ』と言っていたが、あれはきっとクリストフのことではなく、お前さんのことなんだよ」


「ば、馬鹿な……そんな……。たとえそうであったとしても、彼女はクリストフの……」


「おい、ゲッツ。お前さん、本当にそれでいいのか? クリストフは不幸な出来事があったとはいえ、長い間、許嫁いいなずけをほったらかしにしていたんだぞ? クリストフがドロテーア殿にほんの少しでも男女の情があるのならば、そんなことはしなかったはずだ。ドロテーア殿を女として扱っていないような野郎に、いつまで遠慮している気なんだ」


「いいや、愛しているからこそ、落ちぶれてしまった自分を見せたくないと思ったのかも知れない」


「仮にそうだったとしても、女を一人にして泣かせていいという理由にはならないぜ。どれだけみじめな姿になり、地べたをいつくばってもいい。愛する女の元に駆けつけて抱き締めてやるのが、男っていうものだろう。クリストフがドロテーア殿のことを愛していようが、愛していまいが、あいつが彼女を自分の物にしたいと求めなかったという結果には変わりがない。……だが、ゲッツよ。お前さんは、ドロテーア殿を欲している。彼女も、きっとお前さんのことを心の底では欲しているんだ。お互いに求め合っているのだから、つかめよ、その愛を。迷うことはねえ」


「……そんなことを言われても、俺には右手がないんだ。好きな女のおっぱいを利き腕で揉むこともできねえ。それに、ドロテーア殿を妻にしても、俺にはもう彼女を守ってやれる力がない。俺は、クンツの野郎に鉄の義手で挑みかかって、ボコボコされたんだ。……『お前の人生は終わりだな』とあざけり笑うあいつに、『そんなことねえ!』と怒鳴って一発殴り返すことすらできなかった。……悔しい……死ぬほど悔しいが、弱くなってしまった俺は、ドロテーア殿には釣り合わねぇ」


 荒くれ者のゲッツがここまで弱音を吐くとは、よほど精神的に弱っているのだろう。クンツに一方的にやられて、心が折れてしまったのだ。タラカーやトーマス、ハッセルシュヴェルト、カスパール、エッボたちは、肩を震わせて「ちくしょう、ちくしょう」と呟いているゲッツに何と言葉をかけていいか分からず、黙り込んだ。


「坊ちゃま! ゲッツ坊ちゃまぁーーー!」


 一人の刀鍛冶が、そう喚きながら広間に入って来たのは、ちょうどそんな時であった。


「ゲッツ坊ちゃま! 見てくれ、ついにできましたよ! この世で最高の義手が完成したんだ!」



            *   *   *



「……誰だ、お前?」


 ゲッツは、ほとんど全裸のかっこうで「やったー! やったぞー!」と発狂しながら、両手を挙げて腰をくねくねし、変てこな踊りを踊っている不審人物のじいさんを胡散臭うさんくさそうな目つきで見た。そのじいさんの両手には、見たこともない新型の義手があった。


「誰って、刀鍛冶の親方ロルフですよ! 忘れちまったんですか!?」


「え……? お前、ロルフなのか!? ず、ずいぶんと変わったなぁ……」


 ゲッツの記憶にあるロルフは筋肉ムキムキのおっさんだったのだが、今のロルフは痩せ細り、頬もこけていて、昔の見る影もない変貌ぶりだった。長年に渡り、寝食を惜しんで鉄製の義肢の研究をしていたため、ガリガリに痩せてしまったのである。


「ゲッツ坊ちゃまが右手を失ってしまったと聞いて、すでに完成間近だった最新式の鋼鉄の義手を大急ぎで製造していたんです。この義手をつけたら、戦場に出ても遅れはとりません。どうか使ってください」


 ロルフが自信作の義手をゲッツに手渡そうとすると、ゲッツは左手でそれを押し返し、顔を背けた。


「……無理だ。いくら鉄の義手をつけても、昔みたいに指を自由自在に動かして剣を振るうこともできないんだ。それじゃあ、戦場で大暴れすることなんてできねぇんだよ。クンツの野郎にも勝てねぇ……」


「ゲッツ坊ちゃまに以前お渡ししたのは、まだ試作段階の鉄の義手だったんです。俺は、『この世で最高の義手を作る』という亡き殿様との約束を果たすべく、鋼鉄の義手の開発をしていました。そして、とうとう、戦士が剣を握っても不自由しない義手を生み出すことができたんです。……殿様は、鋼鉄の義手が完成したら、自分が右手を斬り落とした敵の傭兵に贈りたいと思っていました。しかし、その傭兵も行方不明で、もう死んでいることでしょう。ですから、この義手はゲッツ坊ちゃまが使うべきだと思います」


(その傭兵っていうのは、ケヒリのことだな……。だが、あいつは右腕を腐らせて全部切り落としてしまった。義手はもう使えない)


 そう思いながら、ゲッツは、ロルフが「この世で最高」と称する義手をじっと見つめた。


 その鉄で作られた義手は、ひじの位置まではまり、皮製のバンドで固定できるようになっていた。ロルフが工夫して最大限まで軽量化したことにより、重厚な見た目のわりに重みはたいしたことなく、屈強な男ならばそれほど苦もなく腕を振り回すことができるだろう。ただ、長時間の戦闘では疲れてしまう恐れはあった。


「この義手がこれまでの義手と大きく違うのは、生身の手と同じように剣や槍を握れて振り回すことができる、大発明品なんだ!」


「…………」


 ゲッツは半信半疑ながら、手が開いた状態の義手の指にぐっと力を加えてみた。すると、五本の指は関節が曲がり、好きな位置で固定することができたのである。もちろん拳の状態にもなった。ゲッツがクンツと戦った時に使用した試作型の鉄の義手も手動で指を開閉することはできたが、指の関節をひとつひとつ曲げることなどはできなかった。


 こいつはすげえとゲッツも素直に思い、タラカーやトーマス、ハッセルシュヴェルト、カスパール、エッボたちも「おお!」という歓声を上げる。


「す、すげえぞ、この義手! だ、だったら、同じ要領で指を広げることも……」


馬面うまづらの傭兵さん。指を内側に曲げるのは、左手でそれなりの力を加える必要があるが、指を広げるのは一瞬でできますぜ」


 ロルフはそう解説しながら、手首の親指側にあるボタンを押した。直後、ガシャンという音とともに親指が真っ直ぐに伸びたのだ。さらに、手首の小指側のボタンを押すと、残る四本の指が同時に開いた。それだけではなく、手首の外側にもボタンがあり、それを押しながら義手に力を加えると、手首を曲げたり伸ばしたりすることができたのである。


「こいつは、まるで魔法の義手だな! これなら、使い方に慣れさえしたら生身の手と遜色ない動きが……いいや、鋼鉄の義手の力を活かして、もっと大暴れできるようになるかも知れないぞ! なあ、ゲッツ!」


 いつも冷静沈着なタラカーが珍しく鼻息荒く言った。


 ゲッツも、予想をはるかに越える高性能な鋼鉄の義手に最初は驚き、目を見張っていたが、


 ――鉄の義手? そんなの、ただの玩具おもちゃじゃねぇか!


 クンツに嘲笑された時の記憶が蘇り、次第に冷めた目つきに変わっていた。そして、ロルフ親方の最高傑作である義手を左手ではねのけたのである。


 ガタ、ゴトン……と鉄のかたまりが床に転がる音がむなしく響き、ゲッツは顔を伏せながらポツリと言った。


「こんなの……玩具だ。戦場では役に立たない。作り物の手で、何ができるっていうんだ。俺はもう……騎士として戦うことはできねえ。こんなくそったれなろくでなしが、ドロテーア殿の愛をつかみ取ることなんて……へへへ……無理に決まっているさ」


「ゲッツ……それ以上言うな。もうこれ以上、自分をおとしめるような言葉は……」


 戦士としての闘志が完全に消えそうになっているゲッツをタラカーが何とかして励まそうと考え、そう言いかけた時、


「諦めるのかい、ゲッツ! 女も、戦士の誇りも、お前の人生の何もかもを!」


 いつからそこにいたのか、開け放たれた扉の前で仁王立ちしている小柄な女性がゲッツを鬼の形相でにらみながらそう怒鳴ったのである。


「何だ? このおばさん? 今、大事な話をしているんだ。飯のおかわりはいらないから、ちょっと出て行ってくれ……」


 と、カスパールが言いながら、その小柄な女性に触れようとした。しかし、その瞬間――。


 カスパールは、ぐるりと一回転してひっくり返っていた。


 おばさんに投げ飛ばされていたのである。小柄なくせして恐るべき怪力だ。


「いやらしい子だねえ。私のおっぱいがでかいからって、触ろうとするんじゃないよ!」


「だ……誰が……あんたみたいな年増のおっぱ……げふっ!」


 カスパールは、四つんいになって起き上がろうとしていたところをおっぱいのでかいおばさんに頭を踏みつけられ、床と接吻せっぷんした。


「ゲッツ。年上の夫人に対して無礼な口の利き方をするような傭兵はクビにしな」


「……は……は……母上っ!!」


 ゲッツは、顔面蒼白になり、体をカタカタと震わせ、絶叫した。


「さっきから部屋の外でお前の話を聞いていたが、情けない! あんた、それでも、誇り高き帝国騎士ベルリヒンゲン家の血と、猛将ぞろいのデュンゲン家の血を受け継ぐ男なのかい!?」


 そう言いながら、ゲッツの母マルガレータは、タラカーたちがぼう然と見守る中、ドスン、ドスン、ドスーンという足音とともにゲッツに近づいて行く。いや、小柄なマルガレータがそんな巨人のような足音を立てるわけがないのだが、縮み上がっている今のゲッツには、母親が天を突く巨人に見え、建物中を震わせるような重く鈍い足音が幻聴で聞こえていたのである。


「このばかもんがぁーーー!!!」


 思いきり拳骨で殴られ、ゲッツは椅子から転げ落ちた。「ひ、ひいぃぃぃ!」とエッボが悲鳴を上げておびえている。


「い……いてえ! 右手を失くした息子に何てことをするんだよ!」


「うるさい! 私はね、左足のない人と結婚したんだ! 息子に右手がないからって、別に気にしないんだよ! お前の気合いを入れ直してやる! ついて来な!」


「ど、どこに連れて行く気だよ」


「父上のところさ! ……あんたらも一緒においで!」


 マルガレータがゲッツの首根っこをつかんでズルズルと引きずりながらそう言うと、荒くれの傭兵どもは、


「は、はい……」


と神妙な面持ちで返事をするのであった。



            *   *   *



 ゲッツがマルガレータに連れて行かれた場所は、ゲッツの父キリアンらベルリヒンゲン家の霊廟れいびょうがあるシェーンタール修道院だった。


 マルガレータは、ゲッツをキリアンの霊廟の前にひざまずかせると、霊廟のそばに安置されていた木箱を開け、その中身を見せた。


「これは、キリアン様が剣の訓練をする時に使っていた鉄の義足だよ。所々あるさびは、キリアン様が流した血のせいだ」


「え? 剣の訓練? でも、父上は左足を失って以来、体も病弱になって、騎士として戦場に出ることはできなくなったはずじゃ……」


「ああ、そうさ。けれど、あの方は最後まで諦めてはいなかった。体の健康を取り戻し、いつかきっと戦場に戻る日を夢見ていたんだ。本当に、最後の最後までね……。だから、家族や家来たちに隠れて、剣の腕が鈍らないように訓練をしていたんだよ。このことを知っているのは、私とこの義足を作ったロルフだけだ」


 マルガレータはそう言うと、その義足をゲッツに左手で握らせた。日当たりの悪い霊廟の前にずっと安置されていて冷たいはずなのに、義足からは人の体温が感じられたような気がして、


(父上の温もりだ……)


 と、ゲッツは思った。


「お前にも、父上が言っていた言葉を教えてあげただろう? 自分の人生を諦めたくない、命尽きる日まで懸命に生きると……。お前の父上は、片足を失くしても、決して自分の人生に絶望しなかった。希望を持ち続けた。それは、あの人が強かったからだけではない。あの人が自分の人生を尊く、愛すべきものだと信じていたからなんだ。たしかに、『貴様の人生は終わったようなものだ』と心ない人に言われ、苦しんだ日もあったさ。でも、キリアン様はそんなの絶対に認めなかった。他人に自分の人生を決めつけられてたまるかと歯を食いしばり、騎士としての誇りを忘れなかったんだ。いいかい、ゲッツ。お前の人生は、キリアン様と私が愛し合って生まれ、家族やここにいる仲間たちの愛情に守られて、今日まで続いてきた命なんだよ。お前の命は尊いんだ。お前の人生は愛すべきものなんだ。それを簡単に諦めたら、母である私が許さないよ! 命ある限り、おのれという人間に誇りを持って生き続けなさい! ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン!」


「は、母上……」


 子にとって親の励ましの言葉は魔法のごとき力を持っている。ゲッツは心底救われた気持ちになり、鼻水を垂らしながら泣いた。そして、


 ――大切なのは、誰かに認められることではない。俺が、俺の生き様を愛し、価値を見出すことができるかだ。


 というループレヒトの言葉を思い出し、


(そうだ。クンツの野郎に言いたい放題にさせたまま、泣き寝入りなんてできるか。俺という人間の価値は、俺が決めるんだ。このまま弱気になっていたら、俺は仲間たちとともに戦場に戻れない。ドロテーアに面と向かって愛していると言えない。……俺は、まだ戦えるんだ! 俺は、ドロテーアにふさわしい男になるんだ!)


 ゲッツは立ち上がり、父の義足を見つめながら、こう誓った。


「俺は……ロルフが作ってくれた鋼鉄の義手を身に着けて、もう一度、戦場に立つ! そして、ドロテーアを俺の妻にするために、ランツフートへ行く! 『俺はドロテーアと結婚する資格がない』などとほざいているクリストフにはあいつを渡さねえ!」


「ああ! そうして来な! 二十年近くかけても完成しなかった義手が、お前が右手を失ったこの時に完成したのは、きっと、天国の父上がお前を助けようとしてくれているからだろう。これは、天からの授かり物だ。その鉄の手で、愛と誇りを勝ち取るんだ! そして、今度ここに戻って来る時は、そのドロテーアという子を私に会わせておくれ。連れ帰って来られなかったら、むちでお尻を百叩きの刑だからね!」


 マルガレータはそう言うと、ゲッツのお尻をバシンと引っぱたき、アハハと豪快に笑うのであった。そして、タラカーに顔を向け、


「……あなたが、今までずっとゲッツのそばにいて、キリアン様の代わりにこの子を見守ってあげてくれたんだね。ありがとう。天国であの人もきっと感謝していると思うわ」


 と、優しく微笑んだ。タラカーは(彼女は、俺が何者なのか気づいているのか……)と察し、


「違うさ。俺のほうがこいつら父子に救われているんだ。感謝したいのはこっちのほうだよ」


 と、答えるのであった。


 この時のゲッツには、マルガレータとタラカーの会話の意味がよく分からず、二人は何の話をしているのだろうと思うのであった。



            *   *   *



「さあ、ゲッツ。鋼鉄の義手を装着してみな」


 ゲッツと仲間たちは、ヤークストハウゼン城の中庭に集まり、鉄の手の性能を試そうとしていた。タラカーにうながされたゲッツは、鋼鉄の義手をロルフから受け取り、その黒々と輝く鉄の手をじっと見つめた。


(母上の言う通り、これは天国の父上が授けてくれた新しい俺の手なのかも知れない)


 今まであれだけヤークストハウゼンに帰ろうとしなかったゲッツが、「母上様が待っています。帰りましょう、ゲッツ様」というトーマスの言葉にいっさい逆らわず、ここへ戻って来たのだ。この鋼鉄の義手が、ゲッツを「俺を使え」と呼び寄せたのだろう。


(ケヒリ。これは元々お前のために作られた物だが、今この義手を必要としているのは俺なんだ。悪いが、使わせてもらうぞ)


 ゲッツはつばをごくりと飲みこむと、右腕に義手を装着した。すると、鉄の手から燃えるような熱をゲッツは感じたのである。それは、闘志だった。騎士として復活することを諦めなかった父キリアン、隻腕せきわんとなっても戦い続けたケヒリ、そして、再び戦場に立とうと決意したゲッツ。三人の熱い思いがこの鋼鉄の義手には宿っているのだ。


「トーマス。少し試したいから、頼む。力いっぱい来い」


 ゲッツは剣を義手の手のひらに置き、左手で指を閉じて剣のを握った。そして、同じく剣を抜いたトーマスと向かい合い、


 カキン!


 と剣を打ち合ってみた。


「あぎゃぁ!」


「げ、ゲッツ様!」


 トーマスは剣を放り捨てて、うずくまった主人の元に駈け寄った。やはり、右手を切断して間もない腕では、最新型の義手でも剣を振るうことは難しいのだろうか?


「だ、大丈夫ですか、ゲッツ様! 痛みますか?」


「い……いてえ……。尋常ない痛さだが……耐えられないほどではない。痛みのあまり気絶しないし、小便もちびらねぇ。この程度の痛みなら、俺は正気を保つことができる」


 この程度の痛みと言いつつも、ゲッツの息は荒く、大量の汗をかいていた。トーマスは本当に大丈夫なのだろうかと心配したが、想像を絶する激痛を経験したゲッツにしてみたら、まだ序の口の痛みだったのである。


「義手がひじの部分で固定されているおかげで、手首の切断部分への衝撃は少なく、骨にもほとんど響かない。これなら、いけるはずだ。……トーマス、晩飯まで剣の稽古に付き合ってもらうぞ。一刻も早く、義手で戦う感覚を身につけたい」


 そう言うと、ゲッツはふらふらと立ち上がり、トーマスと日が暮れるまで剣を交えた。


 剣と剣がぶつかるたびにゲッツは右腕の激痛に顔をしかめたが、「この程度でぶっ倒れてたまるか!」と気合を入れ、血が出るほど唇を噛みしめて踏ん張った。


(痛み以外で問題なのは、戦闘中、武器を握ったり外したりする時に大きな隙ができることだな。あと、俺の体力だ。鋼鉄製のわりには軽いが、やはり、長時間振り回すと腕がしびれてくる。早く体力を完全に取り戻さないといけねえ)


 ゲッツは、その日から数日間、朝から晩までトーマスやハッセルシュヴェルト、カスパールを相手に真剣を使った特訓をし、戦いの勘を取り戻そうとした。


 しかし、もう少し特訓を続けるつもりだったゲッツは、そんな悠長なことは言っていられなくなる情報を耳にすることになる。ローマ王マクシミリアンが、レーゲンスブルク近郊の戦いでプファルツ軍を破り、いよいよランツフート攻めに取りかかるというのだ。


 その情報をもたらしたのは、プファルツ軍に従軍していて帝国軍との戦いで奮戦しつつも負傷した兄のフィリップとハンスであった。二人は傷を癒すため、ヤークストハウゼン城に戻って来たのである。


「フィリップ兄上、ハンス兄上、無事に帰って来てくれてよかったぜ。二人とも傷の具合は大丈夫なのか」


「なあに、俺もハンスも、この程度の軽傷ならすぐに治るさ。しかし、ゲッツよ。お前、右手を失って間もないのに、本当にローマ王のランツフート攻めに加わるつもりなのか?」


「ああ。あそこには、俺の愛する女がいる。俺はこの鉄の義手で戦い抜いて騎士として復活し、ドロテーアを妻にするんだ」


「女のために命をかけるというのか。お前らしいな。……いや、婦人への奉仕こそが騎士道精神というものか。まあ、お前は、騎士は騎士でも、盗賊騎士だがな。よし、行って来い。死ぬんじゃないぞ」


 ゲッツ一行は鋼鉄の義手で戦う特訓が中途半端なまま、マルガレータと兄たち、ヤークストハウゼンの人々に見送られ、帝国軍が駐屯しているレーゲンスブルクへと出発した。その一行には、ロルフ親方も加わっていた。精密な構造で作られている義手が故障した時に修理をできるのはロルフだけであったからである。


「いざ、レーゲンスブルクへ!」


 だが、レーゲンスブルクの近くのインゴールシュタットまでたどり着いた時、ゲッツはまたもや驚くべき噂を耳にするのであった。


 九月十五日に、エリーザベトが急死したというのだ。

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