四章 鋼鉄の闘志

第35話 Loyalität―忠誠―

 ゲッツがタラカー一味に守られてランツフートを脱出し、故郷のヤークストハウゼンに向かっている頃、ローマ王マクシミリアンは、


 ヴェンツェンベルクの丘の戦い


 と、呼ばれる一大決戦にのぞんでいた。


 マクシミリアンとミュンヘン公アルブレヒトが合流したのは、ミュンヘンから北西のドナウ川沿いにある要衝ようしょうの地ドナウヴェルトにおいてである。マクシミリアンは、そこで「ループレヒト死す」の報を聞き、驚いた。


「まだ若いというのに、なぜ死んだのだ。あの地では近頃、赤痢せきりが流行っていると聞いたが、ループレヒトの死因もそれか。とにかく、ランツフートに降伏を勧告する使者を送ろう」


 これ以上の戦乱は帝国の国土を疲弊ひへいさせるだけだと考えているマクシミリアンは、ランツフートに使者を送ったが、未亡人のエリーザベトはローマ王の降伏勧告を一蹴いっしゅうし、


「来るなら来なさい、帝位にもつけないローマ王」


 と、逆に挑発したのである。


「なかなかの女傑じょけつよ」


 そう感心したマクシミリアンは、ランツフート陣営との決戦を決意した。


 マクシミリアンの指揮下には、ミュンヘン公アルブレヒト軍、ブランデンブルク辺境伯へんきょうはく軍、ヴェルテンベルク公ウルリヒ軍ら諸侯の軍勢、戦力を再整備したシュヴァーベン同盟軍の軍勢、そして、帝国軍のランツクネヒト諸連隊の軍勢が集結し、まさに万全の構えだったのである。


 だが、ここで、またもや思わぬ事態が起きた。息子の死をまだ知らないプファルツ選帝侯せんていこうが、ループレヒトを助けるべく派遣した新たな援軍がミュンヘン陣営の諸城を無視して突っ切り、ランツフートの北部にある帝国自由都市レーゲンスブルク目指して進軍していることが判明したのだ。レーゲンスブルクを奪い、南のランツフートと連携れんけいを取って帝国軍と戦うつもりなのだろう。


「ランツフートを攻撃する前に、まずはレーゲンスブルクをプファルツ軍から守らねば」


 マクシミリアンの決断は常に迅速である。王がわずかでも迷えば、将兵たちは激しく動揺することを知っているのだ。すぐさまドナウヴェルトから出陣し、レーゲンスブルク近郊のヴェンツェンベルクという丘でプファルツ軍に追いついたのである。


「ろ、ローマ王だ! 王自ら、我々を討ちに来たのだ!」


 プファルツ軍のヴィスペックという将は、陣頭に立って将兵を励ますマクシミリアンの姿を見ると、恐れをなして逃げ出してしまった。このせいで、プファルツ軍の士気は開戦早々大いに下がった。


自らが戦場に立ち、誰よりも勇敢に戦わねば、将兵を奮起させることはできない)


 それが、マクシミリアンがこれまでの四十五年間の人生で得た教訓だった。


 人々の心というのは、とにかく権力者から離れやすい。王というだけで無条件に尊崇してくれる者などまれだ。王が少しでも弱みを見せたらすぐに裏切る。


 昔、マクシミリアンは、徴税ちょうぜいを嫌がったある都市の市民たちの反乱で捕まり、広場で公開拷問をされたことがあった。その時の傷はマクシミリアンの体に今も無数に残っている。


(弱き王は、目下の者に殺される。余は常に強くなければいけない)


 本来は心優しい性格であるマクシミリアンは、おのれにいつもそう言い聞かせ、どの戦場でも陣頭指揮をとっていたのである。そうすれば、将兵たちは彼にようやく王としての威厳を感じてくれて、懸命に戦うのだ。逆にそうしなければ、プファルツ軍のヴィスペックのように、帝国軍にも多くの敵前逃亡者が出てしまうだろう。


「プファルツ軍の弱腰の騎士たちなど恐れるに足りぬ。手強いのはボヘミア傭兵たちだ。奴らを何とかしなければならない」


 プファルツ軍には、ケヒリの傭兵隊とは別行動を取っているボヘミア傭兵隊があり、得意の荷車城塞ワゴンブルクを駆使して奮闘していた。彼らボヘミア兵は、本軍のプファルツ軍の陣形が今にも崩れそうなのを見て、


「頼りないプファルツ軍の騎士どもには任せておけない。我らがローマ王を討ち取れば全てが終わる」


 と考え、騎兵隊を帝国軍の陣頭に立つローマ王めがけて突撃させたのである。


「王様! 危ない!」


 マクシミリアンの本陣に雪崩なだれを打って押し寄せたボヘミア兵は、


「ローマ王よ、死ね!」


 そう叫びながらマクシミリアンに襲いかかった。


 その猛攻を負傷しながらも何とか防ぎ、王を守ったのは側近のエーリヒだった。だが、精強なるボヘミア傭兵の攻勢にいつまでも耐えられるものではない。エーリヒは自分が死んでも王だけは逃がさねばと考えた。


 そんな危機的状況のマクシミリアンを救ったのは、あのランツクネヒト隊の勇者フルンツベルクだったのである。


同朋どうほうたちよ! 我らの王をお守りするのだ!」


 王の救援に駆けつけたフルンツベルクとその兵たちは、剣身の長い両手剣ツヴァイヘンダーで騎馬兵たちの槍のを次々と叩き切り、強襲部隊を退けたのだ。そして、手勢五百を率い、ボヘミア傭兵の荷車城塞ワゴンブルクに突撃した。


 ボヘミア傭兵隊は、フルンツベルクの部隊と壮絶な戦いを繰り広げたが、ここでついにプファルツ軍の本隊が辺境伯軍によって撃破され、撤退を開始したのである。これを見たボヘミア傭兵たちは、さすがに動揺した。このままでは戦場に我々だけ取り残されてしまうと焦ったのだ。


「ボヘミア兵たちに隙ができたぞ。今こそ好機だ!」


 勢いづいたフルンツベルク率いるランツクネヒト中隊は、荷馬車の鉄の装甲を乗り越え、ボヘミア兵たちを次々と討ち取っていった。この時のランツクネヒトのめざましい働きぶりを世の人々は、


  豚を殺すように奴らをぶちのめしてやった

  そのせいで田畑には真っ赤な血が流れていた


 と歌い、この日からランツクネヒトの勇名は大いに上がったのである。そして、ランツクネヒトたちの先頭に立って戦った中隊長のフルンツベルクは、ローマ王の目にとまることになった。


 プファルツ軍を撃退した後、マクシミリアンはフルンツベルクを幕舎に呼び、


「そなたほどの勇士が、なぜ騎士ではないのだ。今この場で、余がそなたを騎士に叙任するゆえ、ランツクネヒト隊の連隊長となれ」


 そう言い、マクシミリアンは手ずからフルンツベルクに剣をかせ、盾と槍を授けたのである。


(まさか、貧しさゆえに騎士の叙任の儀式ができなかったこの私が、ローマ王の手で騎士に叙任されるとは……)


 震えあがるほど感動したフルンツベルクは、叙任式の締めくくりの祝宴の席で男泣きし、私はローマ王のためならば死んでもいいと心の中で何度も叫んだ。


 十六世紀初頭の神聖ローマ帝国にとっての最大の幸運は、マクシミリアンがこの忠烈無比の勇将フルンツベルクを発見したことであったと言っても過言ではない。後に、


「ランツクネヒトの父」


 と、呼ばれることになるフルンツベルクは、略奪三昧であった傭兵部隊に「帝国への忠義」という心を植え付けようと努力し、荒くれのランツクネヒト隊に大いなる改革をもたらすことになるのである。


「次こそは、ランツフート攻めだ」


 フルンツベルクを得たマクシミリアンは、最終決戦に向けて軍を南下させる準備を進めるのであった。

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