第34話 Flucht―脱出―

「貴様が殿を殺したのだろう! さっさと吐け!」


 獅子亭ししていの庭では、騎士やその従者たち二十数人がゲッツを取り囲み、無抵抗のゲッツに殴る蹴るの暴行を加えていた。


「……俺はやってねえ。今の俺に、ループレヒト公だけでなく宿にいた人間たちをたった一人で皆殺しにするような力はない」


「貴様は敵軍の中でも勇猛で知られていた男だ。本気になったら、それぐらいのことはできるはずだ!」


「暗殺者を主君に近づけさせてしまった、てめえら家臣の落ち度だろうが。……八つ当たりするな」


 顔だけではなく体のいたるところがあざだらけになり、頭を殴られ過ぎて意識が朦朧もうろうとする中、ゲッツは暴行者たちをにらみつけた。


「な、何だと? 貴様ぁ! もういい、殺してしまえ!」


 一人の騎士がそう叫んで剣を抜くと、そばにいた仲間が、


「どうせ殺すなら、右腕を少しずつ切り刻んでいってやろうぜ」


 と、残酷な提案をして笑った。それはいい、やってやれという声があちこちからした。


「手首から先を失い、使い物にならなくなった腕だ。あのボヘミアの老傭兵みたいに、綺麗さっぱり肩から先を切断してやるよ。その後で、左腕や両足も切り落とし、ゆっくりと殺してやる」


(こいつらは、騎士じゃない。ただの獣だ。主君がいきなりこの世から消えてしまって、正気を失っているんだ。……哀れだな)


 タラカー一味やゲッツが雇った傭兵たち、ランツクネヒト隊の兵士、それに、エッボ……。彼らは、世間の人々から見放された寄る辺なき根無し草で、自分たちの居場所を手に入れるために傭兵となった。


 人間は、帰るべき場所がなかったら、不安で仕方ない。生きていくのが辛いのだ。今、ゲッツを残酷な方法で殺そうとしている彼らも、自分たちの居場所であったループレヒトを失い、絶望のあまり蛮行に走っているのだろう。


(哀れだ。この乱世、居場所を失った人間は哀れだ……)


 自分を殺そうとする者たちをゲッツは憎むどころか、彼らのために涙を流していた。気持ちが分かるからだ。


 結局、ゲッツもこうしてむごたらしく殺されるまでの間に自分の居場所というものを見つけることができなかった。俺は何を守るために戦うのか、騎士としてどう生きるべきなのか。何度もおのれに問いかけ、答えをとうとう見つけることができなかったのは、命をかけてでも守りたいと思う帰るべき場所がゲッツにはなかったからだ。


(ループレヒト公。あんたも志半ばで死んで無念だろうが、俺も自分の人生に何の価値も見いだせないまま終わりそうだ……)


 ゲッツは心の中でそう呟き、目をつぶって残虐な行為が始まるのを待った。


「恐くて泣いているのか? フン、命乞いしても聞いてはやらんぞ」


 騎士はそう言うと、剣を振り上げた。しかし、その時、


「俺の主君に手を出すな! この下衆どもがぁぁぁ!!」


 怒号とともに一人の若者が獅子亭の庭に駆けつけ、ゲッツを取り囲んでいた騎士の一人を背中からバサリと斬り伏せたのである。


「ゲッツ様!」


「……と、トーマス? なぜここに!?」


「母上様のご命令で、ゲッツ様をお迎えに上がりました! 間に合ってよかったです! エッボを連れて来て正解でした。ランツフートに侵入してから獅子亭まで迷わずに来ることができましたよ」


「エッボもいるのか!」


 ゲッツが驚くと、トーマスに遅れてエッボも息せき切って現れた。


「はぁはぁ……。殿様、おいらたち傭兵隊はあなた様の帰りをずっと待っていたんです。一緒に帰りましょう!」


「みんなが、俺のことを……?」


 ゲッツは、自分が雇った傭兵たちは帰らぬ主をとっくに見捨てて逃散していると思っていた。それが、ゲッツが帰るのを待ってくれているというのだ。右手を失ったゲッツをまだ大将として認めてくれているのだ……。ゲッツの哀しみの涙は、嬉し泣きに変わっていた。


「何だ、貴様らは。ゲッツの家来か。ならば、まとめて殺してやる!」


 ループレヒトの家来たちは、たった二人で主人を救いに来ても何ができるのだと嘲笑あざわらい、トーマスとエッボに襲いかかった。


 トーマスは斬りかかって来た騎士の剣を素早くしゃがんでかわし、剣をいで騎士の左膝を斬った。


 そのトーマスを後ろから剣で突こうと狙う敵がいたが、エッボに飛びかかられて、その男は倒れた。怒った男は自分の体に馬乗りになっているエッボをぶん殴り、崩れ落ちたエッボを起き上がって刺し殺そうとした。


「う、うわわ! やばい!」


 危険を察したエッボは鉄製の義足を力任せに振り上げ、男の腹を蹴った。


「ぐふっ……! て、鉄の足だと……!?」


 男が腹をおさえてよろけたところをトーマスが斬り伏せ、


「いいぞ、エッボ! やればできるじゃないか!」


 と、褒めてやった。


 エッボは嬉しそうに笑ってうなずき、横から襲いかかってきた騎士にもう一度鉄の足の蹴りを食らわせた。今度は力みすぎたせいで、敵を蹴り飛ばした後に自分も体の均衡きんこうを崩して後ろにぶっ倒れ、したたかに頭を打った。


「馬鹿! 調子に乗るな! 剣を抜いて戦え!」


「は、はい!」


 トーマスは、倒れて目を回しているエッボに斬りかかろうとした敵の顔面を剣でぶった斬り、エッボを助け起こした。


(トーマスとエッボは頑張っているが、相手は二十人以上いる。このままではいつかやられちまう。お、俺も戦わねば……)


 ゲッツはそう思い、立ち上がろうとしたが、寄ってたかって暴行されたせいで頭がフラフラするうえに体中がズキズキと痛み、とてもではないが戦える状態ではなかった。


「う、うわ! こんちくしょう!」


 短剣を抜いて戦っていたエッボは、腕の立つ騎士とその従者に同時に攻められ、危うく斬られそうになったところを何とかかわしたのだが、ドテンとまた転んでしまった。


「死ね!」


 騎士の剣がエッボに迫る。エッボが(もう駄目だ!)と顔をひきつらせた時、敵の騎士の後ろで「ぎゃっ!」という悲鳴がした。騎士の従者がある人物によって斬り殺されたのである。


 トーマスではない。


 馬面うまづらを真っ赤にして激怒しているカスパールだった。


「な、何者だ!」


 驚いて振り向いた騎士は、その直後、タラカーの剣の一閃いっせんで首をねられて死んだ。タラカーの足元に転がった首は驚愕きょうがくの表情のままだった。


「やれやれ……。ここが獅子亭か。ハッセルシュヴェルトからゲッツのいる宿屋の名前は聞いていたが、探すのに苦労した。やっぱり、方向音痴なカスパールじゃなくてハッセルシュヴェルトを連れて来ればよかったぜ」


「方向音痴は、タラカーの親父のほうだろ! 今はそんな愚痴を言っている場合じゃないぜ、親父。こいつら、ゲッツ殿をなぶり殺しにしようとしたんだ。皆殺しにしてやる!」


 タラカーとカスパールは、ケヒリにさんざん追いかけ回された後、しばらくの間、ランツフート市内に息をひそめて隠れていたのだが、街が急に騒がしくなって兵士たちが走り回っているのを見て、


(何かあったな。ランツフート市内で変事が起きたか)


 と、考えた。そして、市民たちの噂話に耳を傾けてみたところ、


「獅子亭で人がたくさん殺されたみたいだ」


「こんなにも多くの兵士たちが警戒しているということは、偉い人が殺されたのか?」


「獅子亭の事件の犯人が、捕まってリンチにあっているそうだ」


 と、みんなが不安がって語り合っていたのである。


 獅子亭という宿屋には、ゲッツがいる。そのことは、タラカーもハッセルシュヴェルトから聞いていた。暴行を受けているのはゲッツだろうか、それとも獅子亭で起きた事件で殺されてしまったのだろうかとタラカーは不安に思い、兵士たちの警戒網をかいくぐってここまで来たのだ。ただ、獅子亭への道が分からなかったため、何度も迷子になり、駆けつけるのが遅れたのである。


「こんなところで暴れている暇はない。さっさとゲッツを連れて逃げるぞ。ほら、見ろ。新手が来た!」


 タラカーがそう言った直後、獅子亭の庭に大勢の兵士たちが現れ、


「こいつらを捕縛しろ! ゲッツの仲間だ!」


 と叫びながら襲いかかって来たのである。


「カスパール、そこのうまやにシュタールがいる。他の馬も三頭いる。それで逃げよう」


 ゲッツがそう言うと、カスパールは「あいよ!」と返事をして、敵を二人斬り倒して厩に駆け込み、馬たちを外へ出した。


「それ! 行け!」


 カスパールは、あまり速く走れそうにない老馬の尻を叩き、驚いた馬が兵士たちに突っ込んで騒ぎになっている間に、シュタールに飛び乗った。


 そして、ゲッツを自分の後ろに乗せた。トーマスとエッボも二人乗りし、最後にタラカーが一人で馬に乗ると、兵士たちを馬で蹴散らしながら獅子亭から逃走したのである。


「タラカーの親父! ドロテーア殿はどうするんだよ! まだ城の中じゃねぇのか!?」


「こんな状況でドロテーア殿を連れて逃げられるか! 俺たちがランツフートを脱出するので手一杯だ! クリストフがそばにいるから、あの子は安全だ!」


(え? ドロテーア? ドロテーアがランツフートにいるのか?)


 ゲッツは、タラカーとカスパールがそう怒鳴り合っているのを聞くと、朦朧もうろうとしていた意識がだんだんとはっきりしてきた。


(なぜ、ドロテーアがこの都市に?)


 そう思い、ゲッツがカスパールの背の後ろで、ふと顔を上げた時、獅子亭へと向かおうとしている二人の人影とすれ違ったのである。


「ゲッツ殿!」


 懐かしいあの声が、聞こえたような気がした。


 凛としていて、温かみのある彼女の声が……。


 ゲッツはハッとなり、振り向く。


 しかし、その小さな人影は、ゲッツたちを追って来た騎馬兵たちにさえぎられて見えなくなってしまったのである。だが、ゲッツには、確信があった。


「ど……ドロテーアーーーっ!!」


 ゲッツは、声の限り叫んだ。



            *   *   *



「申し上げます! ゲッツと奴を救いに来たその一味が、都市の南門を警備していた守備兵たちの不意を突き、門を突破しました! 騎馬兵たちがゲッツに追いついて現在交戦中ですが、市外にひそんでいたと思われるゲッツの一味十数人も我らに攻撃を仕掛けて来て苦戦しています! や、奴らは恐るべき強さです! どうか増援を!」


 城へ報告に来た伝令は、謁見えっけんの間の玉座に座るエリーザベトに切羽詰せっぱつまった声でそう言い、顔を上げて彼女の姿を見ると、ぎょっとした。


 エリーザベトは、長い髪を後ろに束ね、鎧を着ていたのである。


「その者たちは、逃がしてやりなさい。今は、それどころではないのです。……ローマ王の軍がついにミュンヘン公と合流し、総攻撃の準備を進めているとの報告が、たった今、入りました。我らは、ローマ王を迎え撃たなければいけません」


 夫を失ったというのに、「ローマ王来たる」の急報を受けたエリーザベトは泣いている暇もなかったのである。悲しみと衝撃のあまり目眩めまいがするのをこらえ、主君を失った兵士たちの士気を取り戻すために鎧を着て自ら軍の指揮をとろうと決意していた。


 その悲壮なるエリーザベトのかたわらには、ケヒリがいた。ケヒリは、ループレヒトの死を知ると、真っ先にエリーザベトの元へと駆けつけたのだ。


「し、しかし……。ゲッツはループレヒト様を……」


 謁見の間に控えていた騎士たち数人がそう言うと、ケヒリが、


「ゲッツは恩人を殺すような恥知らずではない。俺は、ループレヒト公を殺したと思われる別の男と街で遭遇した。しかし、あの男も今頃はこの騒ぎに乗じてランツフートを脱出しているだろう」


 と、ゲッツをかばったのである。エリーザベトはその言葉にうなずき、


「私は、夫の遺志を継ぎます。ランツフートと息子たちを守るというその遺志を。あの人の全てを受け継ぐのです。だから、夫が助けた命を私が奪うわけにはいきません。ゲッツを逃がしてやりなさい」


 と、家来たちに命令するのであった。



            *   *   *



 その日の夜更け。


 ドロテーアは、ゲッツがいた獅子亭の二階の部屋にいた。


 血の臭いがする、静まり返った真っ暗な部屋の中、人間の手が一本入るぐらいの大きさの木箱を抱き締め、黙りこんで椅子に座っていた。その木箱の中には、ゲッツの右手が塩漬けにされて入っている。逃走したゲッツが残して行ったものだ。


「……本当に右手を失ってしまったんですね。かわいそう……。ゲッツ殿が、かわいそう……」


 話には聞いていたが、こうして切断された右手を実際に見てしまうと、あんなにも元気で快活だった人が利き腕を奪われてしまうなんてあまりにもひどすぎると感じて涙が止めどなくあふれてきた。


 ランツフートに着いたら、真っ先にゲッツの元へ行って、彼をなぐさめてあげるべきだった。抱き締めてあげるべきだった。本当はそうしたいと思っていた。「私はクリストフ様の許嫁いいなずけだから」などというそんなこだわりにとらわれてしまったせいで、ゲッツに何もしてあげられなかったことをドロテーアは悔やんでいた。


(ゲッツ殿は、クリストフ様が失踪して落ちこんでいた私のそばにずっといてくれたのに……。私の心の支えになってくれていたのに……)


 許してください、ゲッツ殿。ドロテーアはそうポツリと呟くと、どうかあの人が無事に逃げてくれますようにと神に祈るのであった。

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