第3話 雨上がりに、君の笑顔を

 最初に八王子署に訪れた時、日向は何も言わずに取調室に入れてくれた。奴は奴なりに、只事ではない事を感じ取ってくれたのだろう。


 その日、佐伯は、この一週間の犯行を全て自供した。


 忍び込み二回、空き巣一回の計三回。全て同じ藍原家で、金品等を盗んではいないが、それでも窃盗未遂罪が適用される。出所直後の犯行なので、また執行猶予はつかないまま刑務所行きかもしれない。その覚悟はもう付いていた。

 日向は複雑な表情で、こちらの顔を眺めている。今までずっと黙ってこちらの話を聞いていたが、開口一番に喋った言葉は意外な一言だった。


「佐伯さん、どうしてここに来たんです。自供しなければまだ不起訴で済んだのに」

「それが刑事の言う台詞か? 全く、昔からお前さんは変わんねぇなぁ」


 呆れ顔で返すと、日向は笑いもせずに首を振った。


「だって──だって、これじゃ、何にもならないじゃないですか。亡くなった奥さんと子供さんの分まで、真面目に生きていくんじゃなかったんですか?」

「ああ、言ったよ」


 と、頷く佐伯。その顔はなぜか、今までで一番穏やかな顔をしていた。


「こんなザマじゃ、あの世に行ってもカミさんに叱られちまうなぁ」

「だったら! 分かっているんですか、事の重大さを!」


 言わなくても、分かっているつもりだった。

 代弁するつもりで、口を開く。


「もう、ムショに入ったら──シャバには出られねぇかもな」


 言葉を失ったのか、無言でこちらを見つめる彼の目は、言い様も無い悲しさを訴えている。

 それに答えるため、佐伯は立ち上がった。

 鉄格子の嵌った窓から外を眺め、微笑む。


「でもなぁ、日向。どうしてかは分かんねぇが、どうも俺、不思議と怖くねぇんだよ。浮世と離れて、塀の中で死ぬ。いかにもノビ職人らしいじゃねぇか。なあ?」


 自分に残された時間は少ない。それは分かっていた。その上で、罪を認めた。日向の奴も分かっているはずだ。だから、こんなに泣きそうな顔をしやがるんだ。

 もう長く続いた雨も上がり、晴れ間が差し始めている。

 日向に背を向ける形で、彼はそっと呟いた。


「俺はもう、足を洗う。仕事収めだったが──あの子と最後に出会えて、良かったと思ってるよ」

「藍原沙希……ですか」


 顔は見えなかったが、日向は頷いたようだった。


「ああ。なぁ日向、この世ってのは不条理だなぁ。幸せに人生歩いて死ぬ奴もいれば、あの子のように、不幸に遭っても生きなきゃなんねぇ奴もいる。中には、俺みたいに歪んじまった奴もいるだろうな。……だけどよ」


 鳥の声が聞こえていた。平和な音だ。長年、自分が望んでいた音だ。

 平穏に暮らす人生。

 それを一番忘れたがってたのに──本当は、欲しくて欲しくて仕方が無かった。


「不幸に甘えてちゃいけなかったんだな。自分の足で歩いて、傷ついた足引き摺ってでも、努力して歩かなきゃいけなかったんだ。それを俺は怠けちまった。ただひたすら、逃げ続けていただけだった。幸せな人生なんて歩めるわけがねぇ。三十年ノビやってて気付けなかった事を、沙希は俺に教えてくれたんだ」


 立ち尽くして笑っていた沙希の姿が、一瞬脳裏に閃く。

 最後に微笑んだあの顔は、間違いなく奈津子を思わせた。


「頼みがある、日向。あの子に伝えてやってくんねぇか?」


 佐伯は振り向くと、日向の優しげな眼をじっと見据えた。


「幾らでも人生やり直せるんだ。まずは──俺の分まで、歩き出せってな」


 その言葉を聞いて、神妙に頷く日向。

 柔らかな窓の光を身に受けながら、ただ佐伯はずっと、立ち続けていた。

  

  

  

 佐伯の後ろ姿が見えた。彼はこれから、裁判の日まで留置場で過ごす事になる。今までの罪を考えると、保釈すら難しいだろう。

 高橋は日向の隣で、刑事に連行される彼を見つめていた。日向は頑なにその背中を見つめている。最敬礼すらしそうなくらいの、悲壮なその顔。

 正直、今聞くべきではないと思ったが、高橋は意を決して、彼にその言葉を投げかけた。


「日向さん。なんでそんなに、佐伯の事を気にかけていたんですか? 単なる窃盗犯なのに……まるで、心底尊敬してるみたいだ」


 旧来の親友ならばともかく、なぜ自らが逮捕した犯人をこんなに気にするのだろう。初めに佐伯と出会った時から、その疑問だけが付いて回っていたのだ。

 静かに、日向はその伊達眼鏡を外す。噂には聞いていたが、確かに童顔だった。とても四十二には見えない。

 後輩の言葉に、彼はこちらを見ず──廊下だけ凝視しながら、言った。


「俺があの人を逮捕した時は、まだ刑事をよく知らない新米だった。でも、彼の犯行現場は何か普通の窃盗犯と違っていたんだ。決して場を荒らさない、まるで宝石でも扱うような美しい犯行だった」


 懐かしさを瞳に湛えて、彼は続ける。


「ある時、子供のいる家に彼は忍び込んだ。通報を受けて俺が行ったが、なぜか被害届は出さないって被害者から聞かされてね。子供が、ドロボーからプレゼント貰ったって言ったんだ。その家は貧しい暮らしで、子供に物も買ってやれなかったらしい。気になって調べたら、何十件とあったよ。そういった類の話がな」


 眼鏡をぐっと握り締める手に気付く。その手は震えていた──


「逮捕した後、既に奥さんと子供さんを亡くしてるって聞いて……この人は、単に金欲しさに忍び込んでた訳じゃなかったんだって、家族に近い位置にいたかっただけだったって。それに気付いた瞬間、なんだか、他人じゃ思えなくなってきてな。その生き様に、俺は惚れたのかもしれない」


 彼は笑っていたようだった。その悲しげな笑顔は、今まで見た事がない。この男が笑顔以外に顔を歪めるなど、高橋は想像すらできなかったというのに。


「彼に必要なのは、助けだったんじゃない。自分で幸せを掴み取る、強さだったのかもしれないな」


 しばらく、留置所に続く廊下から消え去るまで。

 その小さな背中を見つめていたが──

 眼鏡を掛け、彼はこちらに振り向く。その顔には、いつもの人懐っこい笑顔が浮かんでいた。


「さあ、行こうか高橋。佐伯さんの、最後の頼まれ仕事だ」

「……はい!」


 いつもより声に張りを出し、高橋は敬礼した。そのまま、玄関の外へと歩き出す。

 その威勢の良さに苦笑しながら黙々と隣を歩く先輩に、高橋は満面の笑みで答えた。二人の横顔が朱に染まって、輝いている。

 雨上がりの夕焼けは、いつしか全てを深紅に染め上げていた。

 

                                     了

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雨上がりに、君の笑顔を【完結】 雛咲 望月 @hinasakiyu

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