ジュピター
Jack-indoorwolf
第1話ジュピター
「東京特許許可局、生麦生米生卵、赤巻き紙青巻き紙黄巻き紙」
カラオケボックスの一室でマイクに向かい、僕は一人で早口言葉をつぶやいた。カラオケマシンはもう大人しくしている。外から聞こえる誰かのくぐもった歌声だけがひびく。室内中央にあるテーブルには馬鹿騒ぎのエナルギー源であるイタリアンと中華料理そして酒。僕は料理をはさんで対になっている二つの黄色いソファーの片方にくだけた姿勢ですわっている。
ため息。
僕は企業やレストランに衛生サービスを提供する会社に勤めている。扱うのは事務所の水道浄水器やトイレの備え付けハンドソープなど。そのほかレストラン丸ごとを清掃したりするのも我われの仕事である。僕は入社2年目のまだまだ新人の身だ。
先日、僕は仕事でミスを冒した。あるレストランの頑固な料理長とケンカしてしまいお得意様一件を失ったのだ。上司には会社でこっぴどく叱られた。しかし酒の席で「いい勉強になったな」と爆笑のネタにも。つまり結果的には企業における新人の成長物語として丸くおさまった。だが落ち込んだ僕はしばらく停滞を続けていた。
そんな折、夜の街に連れ出してくれたのは友人シゲルだ。彼は荷物の宅配会社に勤めている。
「元気出たか?」
シゲルがトイレから帰ってきた。
急にシゲルが身支度を整えはじめ財布から取り出した一万円札をテーブルの上に置いた。
「じゃあ俺仕事行くわ」
「え、もう深夜だぞ」
あっけらかんと言うシゲルに僕は驚く。
「夜勤してる上司の手伝いに行かなきゃならん」
真面目になるシゲル。
「世の中こんなもんですよ」と一転、シゲルが笑った。
シゲルは仕事へ行ってしまった。どおりで奴は酒を飲まなかったわけだ。てっきり僕の悪酔い対策のためだと思っていた。直後に仕事があるというのに彼は僕を励ますためいっしょにいてくれたのだ。僕は自分が恥ずかしくなった。彼の事情も知らず仕事の愚痴に付き合わせて何て無神経な僕という感じ。
シゲルには敵わんな。
カラオケボックスに一人残った僕はとても情けなくなった。
「あ〜あ」
大げさに落胆した僕の声をマイクが拾う。安っぽいエコーとハウリングが室内に響く。そのまま僕はファルセットヴォイスで平原綾香の『Jupiter』を熱唱した。しばらくマイクを握って時間をつぶす。すでに明日の仕事のことを考えはじめている。僕は自分がしみじみクソ真面目な日本人だと実感するに至った。
カラオケボックスを出ると僕は朝日と同化した。
ジュピター Jack-indoorwolf @jun-diabolo-13
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます