追いかけて 追いかけて

尾葉 柳

第1話 追いかけて 追いかけて

 そこはシンと静まり返っていた。

 微風すらなく、歩道に落ちている葉っぱはピタリと時間が止まっているかのようにじっとしている。

 空には黒い雲が視界の先まで広がり、その動きによって初めて時間という概念が失われていない事に気づく。


 いつもならば人と声が飛び交っているその町には誰もいない。


 一人の少女と人形を除いて――





 昼か、それとも夜か。

 その判断すら困難なこの状況で、一人の少女は走っていた。

 制服を着ており、それはこの町の進学校のものであることからまだ学生だと判断出来る。


 浅い呼吸を繰り返しながら成熟しきっていないやや小さな体を操る。

 全力なのかもしれないが、手足の動かし方はぎこちなく、呼吸のタイミングもおかしい。


 もし誰かが少女の様子を見たならば口を揃えて言うだろう。

 その様子ではすぐに疲れ走れなくなる、と。


 それを知ってか知らずでか、少女は動きをやや緩慢なものにさせる。

 呼吸を整えながら見回すように視線をさ迷わせ始めた。


 車の走っていない道路。

 歩行者の居ない歩道。

 店員も、客も、冷やかしすら居ない建物。

 扉は開かれたまま、閉じられていたり。


 少女は記憶を探る。

 そして緑地帯をまたぎ横断歩道もない道路に躊躇なく飛び出す。

 出入り口が二つ以上ある建物を選んで入る。


 建物に入る直前、少し離れた場所から音が聞こえた。

 壊れた玩具のような音が。


 カタ、カタカタ、カタカタカタカタ





 中は広く、そしてここも誰も居ない。

 宝石店の店員も、化粧品を選ぶ客も、サービスカウンターすらも空っぽだった。

 少女はそれらを気にすることなく誰も運ばず動き続けているエスカレーターの前へ。

 一階のマップが設置されており、それを一瞥するとそのまま上に移動した。


 二階に上がった先に再びマップ。

 この階層は子供から大人までの服があちこちにあるようだ。

 少女はたくさんある店の一つに足を進める。


 壁にも服がかけられておりまるで旗のような扱いがされている。

 視線を動かしつつ売り場を通り過ぎ、本来スタッフのみが入ることを許される空間へ。

 それなりの広さで隠れようと思えば場所もある。

 しかし出入り口は一つのみで少女はすぐに踵を返した。


 売り場へと戻り体を隠してくれ、服と服の隙間からエスカレーターが見える場所で止まる。

 つい先ほど少女自身が利用したもので、少女は息を整えつつ待つ。


 カタカタ、カタカタカタ


 スッと現れたのは、人形。

 大きさだけでいえば少女の何分の一か。

 片手で持つのはやや厳しいといったところ。


 黒い髪で和服を着ている。

 日本人をモチーフにしたのだろうが、問題は別にある。

 それは浮かんでいた。

 浮かぶ高さは少女の目線くらいだろうか、若干上下に揺れて不気味な雰囲気を醸し出している。


 カタカタ、とどこからか音を鳴らしながら通路を滑るように移動する。

 少女が走るよりも早く舞うようにくるくると回りながら。


 一瞬、ピタリと止まる。

 すると腹の底に響くような轟音と共に室内でありながら強烈な風が発せられた。

 服が一斉に叫んだかのようにはためく音が広がっていく。

 少女を隠す服はその余波で少し揺れた程度だったが、少し先の服はその被害にあい何着か地面に落ちた。


 息を殺して少女は時間が過ぎるのを待つ。

 一分が十分にも感じられる気がしたが、時間は平等であり錯覚だと理解する。

 可動式ではないのか体ごと少しずつスラししていく人形。


 目が合った気がした。

 けれどもそれは少女の勘違いで、人形は別の方向を向く。


 人形はしばらくその場にいたが、再びスッと予備動作のない動きで通路を移動していった。


 少女は人形の気配が消えたことを感じ取るとすぐに移動する。

 二階から一階へ。


 危惧した場面はなく、入ったところと同じ場所から出る。

 町は変わらず誰もおらず、どこを見てもただ静まり返っていた。


 一分と経たない内に少女は足を止めた。

 感覚を研ぎ澄ませるかのようにただ地面を見る。


 右足を反対側へと一歩。

 そのまま半身を使いゆっくりと振り返る。

 見ていた地面が移動し、出てきたばかりの建物の入り口が僅かに視界に入った。


 少しずつ瞳を上げていく。


 二階。


 三階。


 そして、四階。


 その窓の向こう。


 人形が少女を見下ろすように浮いていた。


 その瞬間、建物の中で大きな音が鳴ったのが分かった。

 外にいる少女にも分かったのだ、中ではどれだけの音だったのか想像はしたくない。

 音が鳴ったとほぼ同時に人形の姿は消えており、ここにいればどうなるのかは嫌でも分かる。

 少女は反転すると再び走り出す。


 呼吸は整えられ足の動作は軽やか。

 少女の動きに疲れは見えない。

 交通ルールを無視し、道路を斜めに横切る。

 一瞬だけ後ろを振り返り人形の姿を確認する。


 二つ奥の横断歩道。

 丁度そこに人形はいた。

 こちらは向いていない。


 少女は飲食店だろう店に入る。

 真っ直ぐに奥へと進む。

 整頓された椅子にぶつかり均一が崩れるも足は前へ。


 客席からも見える厨房に立ち入った直後、店の入り口から音がした。


 カタカタ


 カタカタカタ


 少女がこの店に入ってまだ数分と経っていない。

 後ろを確認した時はまだ距離はあったはずである。

 しかし少女には分かった。

 あれが来たと、そして即座に行動に移す。


 厨房は四角い部屋で、中央に人が寝転べるくらい大きな調理台がある。

 大人の人間に合わせただろうそれは少女には高く、屈めば十分に身を隠せる。

 ぺたぺたと体を触りポケットの一つから手鏡を取り出す。


 カタカタカタ


 音は徐々に近づいて大まかな位置を少女に教えてくれる。

 僅かに手鏡を調理台から覗かせる。


 人形がいる。


 全方位を注視しているかのようにくるくると回り、ふと落ちるように降下してテーブルの下も覗いている。

 それがピタリと止まった。


 厨房の前で。


 一分、二分。

 栓がゆるいのか聞こえてくるのは水の落ちる音だけ。


 ピチャン


 人形は動かない。


 ピチャン


 ただただ中を見る。


 ピチャン


 僅かな動き、僅かな音を見逃さないといわんばかりに。


 しかしそれも永遠には続かなかった。

 ふわふわと小さな上下運動をし始めると来た道を戻り始めた。


 息を殺していた少女は胸に手をあてゆっくりと、深く呼吸する。

 そして厨房から外へと繋がっているであろう裏口へ向けて歩き出す。


 ガランガラン


 少女の腕が調理器具に当たり地面に落ちた。

 大きな音を反響させたのと同時――


 カタカタカタカタカタカタ


 見なくとも、大きくなる音を聞かなくとも。

 自らが大きな音を立てた時点で少女は走った。


 やや重い扉を開けて勢い良く閉める。

 まだドアノブを握っていた少女の手に新たな衝撃が走る。


 何かが扉にぶつかった。


 ぐぐぐ、とドアノブが下に下がろうとする。

 少女は逆の方向に力を入れることによってそれを抑えていたが、徐々に下がっていく。


 ごちゃごちゃとしている店の裏。

 少女の瞳が箱を映し出した。


 手はドアノブのまま、足で引き寄せる。

 中身が何か知らないがギリギリ動かせる重さ。

 少しずつ手繰り寄せるように動かしていく。


 しかし手も力を入れておかなければならない。


 ふとももで位置を微調整。

 ドアノブが一定以上下がらないようにする。


 しばらくガチャガチャと激しく動いていたが、ピタッと止まる。

 それを見て少女も扉に背を向けた。

 記憶を探り、行き止まりにあたらないように少女は走る。


 大通りから外れ、気づけば住宅街に入っていた。

 玄関のドアはどこも閉まっている。

 十字路を右に曲がる。


 ここで少女の足は止まった。

 少女が持つ情報とは違う景色だったからだ。

 急ぎ体を反転させる。


 初めて見る道。

 否、記憶にはある。

 けれども繋がっていない。


 目の前にはドアの開かれた一軒家。

 隣も、その隣も閉まっているが目の前の家だけが開いている。


 少女は体を確認する。

 動かし続けた足は痛みを感じ始めておりそれに応じて動かした手もダルい。

 普段運動はあまりしないのか疲労困憊とまではいかないが疲労の蓄積を十分に感じるほどだった。


 ざっと家を全体的に見ると少女はその家に入る。


 玄関には大きさの違う靴が何足かあり、靴箱の上には大人二人、そして子供が一人映った写真が飾られている。

 過去のものなのかやや色あせているが埃を被っているわけでもなく手入れされていることが窺えた。


 靴を抜いで家にあがる。

 人の住んでいる、生活の匂い。

 それを感じながら階段を素通りし、リビングへ。


 何も映していない大きなテレビとソファーがすぐ目に入った。

 丁度三人程度座れそうな大きさで、間にあるテーブルの端に新聞、間に化粧水や乳液といった化粧品、反対側の端にはファッション雑誌が自分の場所とばかりに陣取っていた。


 少女がそれらを見たと同時に、玄関から物音がした。

 体は何度も聞いただろうその音は少女の意識にまるで初めて聞くような未視感を与えた。


 カタ


 カタカタ


 ゆっくりと近づいてくる物音。

 何度も、そして聞き逃さないように注意していたせいなのか、親近感すら覚える音。

 少女はそのまま奥の台所へと足を進めた。


 ドアノブの動く音、そして手入れのされていないのか蝶番がキィと微かに悲鳴を上げる。


 カタカタ


 まるで場を堪能するかのようにゆっくりと入ってきた。

 あちこちを見るように体ごと向きを変え、少しずつ前進する。


 そして見つける。


 人形が。


 少女を。


 カタカタカタカタ


 風を切り進む人形に近くの紙きれが飛ばされる。


 少女との距離が縮まる。


 キラリと何かが反射した。


「もう無駄よ」


 少女の声が誰も居ない家で僅かに反響し消える。

 怯えた声とは程遠く、淡々と事実だけを告げた。


 手に握られた包丁。

 人形の腹部に刃の半分が埋められていた。


「力の残りカスで出来るのはここまで。そして私は慣れたわ、この体に」


 人形は答えない。

 口がありながらもそれはただ縫い目が追加でつけられただけなのだから。


「たくさん愛情を貰っているのね、この体が全部覚えているわ。あなたは幸せなのね」


 少女は人形に問いかける。

 静かに、感情の篭っていない声で。

 答えが返ってこない事を気にした素振りは見せず少女は続ける。


「人形って主人も、居場所も、寿命すらも自分で決められないの。私を手に入れた人が主人、その人が決めた場所が私の居場所、その人が決めた時間が私の死ぬ時、それが全て。知ってる? この家に来てからあなたの部屋の机に飾られる時間よりも押入れに入れられていた時間の方が長いのよ」


 ここで初めて少女の声に感情らしきものが宿った。

 後半につれ語気は強くなり、細められた眼で人形を射抜くように見る。


「カタカタカタカタ。あなたが一度落としてどこか壊れてたのよね、だからあなたは押入れに私を入れた。そして今日、久しぶりの掃除で私を見つけた。いい機会だって、ついでに捨てようとした。でもね、『ついで』で殺されてしまうなんて許せない……絶対に、許さない」


 包丁を抜いて、刺す。

 それを繰り返しながら少女は呪いの込められた言葉を吐き続ける。


「人形も力があるの。でもそれは長い長い年月が必要。間に合って良かったわ、お寺に到着する寸前だったものね」


 ホッとしたような、けれどもどこか棘のある感じで。

 人形は何度も何度も刺されたせいか、腕は千切れかけ、足は変な方向に折れ曲がっている。


 カチ、カチ、と別の音が鳴り始める。


「お父さんとお母さん、そして私の三人暮らし。大丈夫よ、私なら嫌いなニンジンが出ても笑顔で食べてあげられる。毛嫌いしていたお父さんの肩だって叩いてあげるわ。だって愛されているのだもの、お返ししなきゃダメでしょう?」


 カチ


「人形の体でも痛いでしょ? まるで人間みたいな感覚があるでしょう? でも……喋れないでしょう?」


 カチ


「それが人形の運命なの。力の無い哀れな人形の」


 ボッ


「返して欲しかったんでしょ? だから追いかけてきたのよね。でもダメよ、人間の時と同じように動いては。せっかく力を使って周りの人に被害が及ばないようにしたみたいだし、思い切って行動しなきゃ。私は道を何も考えず横断して、お店の中を走った。飲食店の厨房にも勝手に侵入して、勝手に裏口から出たわ」


 包丁を持った利き手とは逆の手で少女は人形を持ちあげる。

 そしてゴゥ、と小さいながらも力のある音へと近づける。


 パチ


 パチ……パチ


「私の勝ちよ」


 少女はそこで言葉を終えた。

 しかし堪えられないとばかりに口を歪める。



 瞳として使われた硝子がパキ、と音を鳴らし一部が欠け落ちる。

 溶け始めていたそれはまるで涙のように頬を伝う。



 黒こげになった物体が転がる。

 狂ったように笑う少女に光が差した。

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