童貞戦線異状なし

青出インディゴ

第1話

「見つけたわ、彼童貞よ」

 長い緑色の髪をさらりと流し、ユーグレナはスナイパー山田をふりかえった。山田はニヒルな笑みを浮かべてうなずく。ナノ・レーザーガンのセーフティをガチャリと解除する。

 日曜のネオ東京、アオヤマ・アベニュー。世界随一のファッションブランド店が立ち並ぶこの界隈は、いつもなら多くの人でにぎわっている時間帯だ。ところが現在いま、人々は散り散りになって逃げている。あちこちであがる悲鳴、血しぶき、肉が押しつぶされる耐えがたい音。

 原因は通りのまんなかにそびえ立つ、宇宙カイジュー・コジラセサウルスである。ただ立っているだけでナノ・アスファルトの道路がめりこむ巨体。太陽さえ遮るその体は、小高い山のようだ。超古代に絶滅したと言われる恐竜のティラノスルスに酷似しているが、ティラノサウルスは口から火炎など吐かなかっただろう。コジラセサウルスは、その巨大で、また信じられないほどの異臭を放つ口から、大量の唾液と共に火炎を吐き散らすのだ。(火と水が共存しているのは不思議である。これは宇宙カイジューが地球に飛来してから起こった現象の中で、唯一科学の発展に対する希望の光として、世界中の研究者に盛んに研究されている)。

 コジラセサウルスは休日のアオヤマ・アベニューを暴れまわり、炎をまき散らし、尾をふりまくって人間たちを駆逐していた。

 大喧騒のなか、ユーグレナと山田は素早く道を横切り、通りの向こうでガタガタ震えているひとりの青年に行き着いた。

 青年は腰を抜かしてカイジューの殺戮を眺めていたが、こちらに向かって駆けてくる男と女を見てさらに震えあがった。男は見るからに筋骨隆々だった。クルーカットの髪にサングラス、何を入れているか知らないがたくさんポケットのついている黒いベストを身に着け……まあ要するにあからさまに軍人っぽい恰好をしていた。緑色の髪の女は銀色のセクシーなボディスーツを着ていた。非常に胸が大きい。

「こんにちは、名前なんていうの!?」

 女が息せき切って尋ねる。青年は人見知りを発揮し、全く話すことができない。たださえ初対面の人と話すのが苦手なのに、胸の大きな女はなおさらだった。胸の大きな女が嫌いなわけでは決してない。ただ、胸の小さな女より胸の大きな女のほうが、どういうわけか話しづらく感じるのだ。

「まただんまりかよ、これだから童貞は」男がチッと舌打ちをする。

「もう、そんなこと言わないの。彼の力が必要なんだから」女はこちらを向いた。「ごめんなさいね。あたしはユーグレナ。この人はスナイパー山田。おそらくスナイパーが名前で、山田が名字よ。あたしたち、政府の要請でカイジュー退治をしてる臨時的任用公務員です。怪しい者じゃないわ。税金も払ってる。本当よ、嘘じゃない。

 実は力を貸してほしいの」

 女は笑みを浮かべる。山田がナノ・レーザーガンを肩に置いて軽く叩きながら、

「宇宙カイジューをやっつけるために、きみの力が必要なんだわ。見たとこ二十歳くらい? 大学生?」

「二十二で社会人です、一応……」

「あ、そうなんだ。名前は?」

「山田たかしです」

「かぶるな」

 山田は顔をしかめてひとり言のようにつぶやいた。

「彼はたかしにしましょう。地の文で山田と言ったらスナイパー山田のほうよ」女が助け舟を出す。

「じゃあたかし。そのクソ情けないガクガク棒を突っ立てて地面に立って、おれに両手を差し出してくれ」

「ガクガク棒?」

「ガクガクして、ひょろっ細い、そのおまえの二本の脚のことだ」

 たかしは、なぜ出会ったばかりの臨時的任用公務員にここまで言われなければならないのかと憤った。キレようかと思った。彼は怒ることはできないが、キレることはできる。いつも理不尽な目に遭ったときは大体キレてきた。

 突如、大轟音と爆風が起こる。道路端の三人はとっさに地面に伏せた。通りの向こうの店で大爆発が起こったのだ。コジラセサウルスの火炎が高級ブランド店のガスかなにかに引火したらしい。泣き叫ぶ声がこだまする。ミンカン・イタク・パトロールのサイレンが鳴り響き、救助用のヘリコプターが何台も飛んでいる様子が見えるが、この悪夢の宇宙生物を前にしては焼け石に水のようであった。

「さあ、たかし! おまえだけが頼りだ! 立つんだ、たかし!」

「お願い、たかし! 頑張って!」

 山田とユーグレナが口ぐちに言う。たかしは生命の危険にさらされている恐怖はいまだ覚めやらず、体の震えも続いてはいるが、この最悪の惨状を目にして黙っていられるほど冷たいわけでもなかった。いや、むしろ心根は優しいのだ。だからこそいままで女性を誘うことができなかった。自分なんかに誘われたら迷惑じゃないかとか、断るのもエネルギーを使うことだろうと気を遣って。

 しかしいま――勇気を持ってたかしは立ちあがった。

「その意気よ、たかし!」

 たかしは初対面の人たちに呼び捨てにされるのは不快だったが、まだそれを指摘することができるほどには積極的にはなれなかった。

「ひとつ聞いてもいいですかね」

「なんだ、たかし」

「なぜぼくがあなたがたの助けになると思ったんです? ぼくは山田さんみたいに筋肉がついてるわけでもないし、ただの会社員なのに」

 山田とユーグレナは顔を見あわせている。やがてユーグレナが前を向き、にっこり笑う。

「それはあなたが童貞だからよ」

「は? ぼくはどどど童貞じゃ……」

「いいえ、あなたは童貞よ」彼女は真剣な瞳で言う。「あたしには、童貞を見分けることのできる超能力が備わってるの。この休日のアオヤマ・アベニューで童貞を見つけるのは至難の業だったわ。不可能にすら近かった。だから初動が遅れて焦ってたの。そうこうしているうちに状況はどんどん悪くなっていく。そこにあなたが現れた。あたしにはあなたが体中にサクランボを生やしているように見えたの。童貞はそう見えるのよ。あなたの体は真っ赤なかわいいサクランボで埋め尽くされんばかりだったわ。これがあたしのパワー……」

 たかしはうなった。

「ううん……それはスゴイと思いますけど……だからって、なんで童貞が役に立つんですか」

「そこでおれの出番さ」と山田。ナノ・レーザーガンを片手にニヒルに笑う。「おれの相棒のD.T.30Eternityはホーンテッドアームでね。いまから二世紀前の平成時代に、三十歳で憤死した童貞の魂魄が憑りついてるのさ。こいつは大喰らいでな。常に童貞の精気を欲してる。精気を吸い取っただけ、こいつはべらぼうなレーザーを発することができる」

「えっ、じゃあぼく代わりに死ぬってこと……」

「そうじゃない。四百ミリリットルの献血をしたあとみたいな体調になるだけさ」

「そうですか……でもちょっと心配です。献血したことないから」

「つべこべ言いなさんな。これ以上人が死んでもいいのかい? しかも自分に助ける力があるってのに?」

 山田は力強くたかしの背中を叩いた。

 たかしはためらっていたが、やがて決心した。

「わかりました。ぼくやります」

「そうこなくっちゃ!」

 と、かわいいユーグレナがはしゃいでくれたので、少し報われた気分になった。


 三人は、暴れまわる宇宙カイジュー・コジラセサウルスの死角になる場所まで近づき、狙いをつける。山田が構えた銃の銃身に、たかしは両手を載せた。

「ううっ……」

 何か大切なものが吸い取られるのを感じる。指先がしびれ、だんだん力が抜けてきた。

「ぐっ……はっ……本当に四百ミリリットルなんでしょうね?」

「わからん。もののたとえだ」

「苦しい、死んでしまいそうです……!」

「たかし、たかし、大丈夫?」

 ユーグレナが心配そうに顔をのぞきこむ。たかしは涙のたまった目で彼女を見る。緑色の髪って、いったい彼女はどこの国の人なんだ。宇宙人か? 宇宙人でもいいが……それはともかく胸が大きい。横で山田が舌打ちをする。

「D.T.30Eternityはよっぽどおまえが気に入ったらしいぜ。まだまだ吸い取る気でいやがる」

「たかし、大変! 顔が真っ青よ!」

 遠くでまた建物の崩れる音がする。火が通りを包みこむ。悲鳴があがる。

 たかしは首をふった。

「いいんです。ぼくの力を使ってください……」

「なぜだ、なぜ自分を犠牲にできる!?」

「ぼくは……」たかしは両手を銃身に添えながら、うっすら笑う。「ぼくが今日このオシャレ通りにいた理由は……好きな人へのプレゼントを買おうと思ったからなんです……指輪じゃ大げさだな、ペンダントやブレスレットはどうかな、花やスカーフって手もあるぞ……そんなことを考えながら歩いてたら、意外に楽しくって……好きな人が笑顔になるだけで楽しいなんて……初めて知りました。彼女は会社の同期です。彼女に喜んでもらいたくて、ぼくは頑張ってきました……来週は彼女の誕生日なんです……ふたりでお祝いすることになっていて……とても喜んでくれました……だからぼくは童貞とか関係ない……人を思いやる心こそが大事なんだって気づいたんです。だから……だから、もうコジラセサウルスに人を殺させないっ!」

 たかしは激しく銃身をつかんだ!

「チャージ完了! 手を離せ! 行くぜ、コジラセやろうおおおおおおお!!!」

 山田が放ったレーザーは、真っ白い軌跡を描き、宇宙カイジュー目がけて一直線に突き進んだ。

 ギャオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオス……!

 一撃必殺だった。

 コジラセサウルスは悲痛な叫びをあげ、最後の火炎を吐き出す間もなく、静かに倒れていった。巨体が地面にくずおれると、あたりに地震のような波動が伝わる。埃が舞いあがり、血と火を覆っていく。埃は数秒続いて、やがて青空が顔をのぞかせた。

 少しの間があったのち、通りのあちこちから、隠れ潜んでいた人たちが走り出て来て、歓喜の声をあげはじめた。さわやかな栗の花の香りが漂っている。

 たかしはその場にしゃがみこんだまま肩で息をしている。やった……のか。おれはやったんだ。

 山田は一仕事終えたナノ・レーザーガンの銃床で、ねぎらうようにたかしの肩を叩いた。

「初めてにしてはよくやったよ」

「そうでしょうか」

「みんな心に一匹の童貞を飼ってるのさ。多くの女と愛を交わしてきた男だって同じこと。だから臆することはないぜ、ボーイ。一皮剥けりゃ、誰だって童貞なんだ」

 意味のわからないことを山田は言った。なお、なんのメタファもないし、山田自身もなにも考えていない。

「ありがとう、たかし! 素晴らしい威力だったわ。本当よ。よかったらこれからもあたしたちと一緒に仕事しない?」

 ユーグレナが駆け寄ってきて声をかける。たかしは立ちあがり、はっきりと答えた。もはや胸の大きさも気にならない。

「いやあ、お申し出はうれしいけど、それはちょっと……。一応ぼく来週童貞捨てるつもりなんで」

「クソッ、とんだリア充やろうだ。見込み違いだったぜ」

 そうは言うものの山田の目は笑っていた。

「帰りましょう。業務報告が待ってるわ」

 美しい緑髪の女と軍人男は、廃墟を背に、満足そうに去っていった。


 一週間後、ネオ都庁のカイジュー退治課。人が行き交う雑然としたオフィスに、ユーグレナ、スナイパー山田、それに山田たかしの姿があった。

「考え直してくれるなんてね」

「捨てられなかったのか、アレ?」

「彼女、ぼくをお兄さんみたいって言うんです」

「ああ、ありがちというか……」

 山田が同情するように言うと、ユーグレナは両手を握りしめてふりながら、

「がんばろっ、たかし! でもなるべくいまのままのあなたでいてね!」

 とにかく頑張ってほしいものだ。以上である。

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