9 カオリ
「美味そうな物、飲んどるし」
路地を眺めていた目を、声に向けると戻ってきたジュンが笑っていた。
「食べる?」
指でそっとソーダの中の苺を触る。
ジュンはグラスから苺を取って、立ったまま口に入れた。
「仕事だった? 行かないといかん?」
「あー食ったら行くわ……。金曜日、休みになった」
まだ熱いピザに手を伸ばしながら、ジュンは嬉しそうに言った。明後日の金曜日は今月に入ってからはじめての休みだそうだ。
ジュンの店にはもうひとり「使えんおじさん」のドライバーがいて
「地図もろくに読めんでよー。いつまでたっても仕事を覚えんから休めんのだて」
と笑顔で言っていた。
「休みは決まってないんだ! 大変だね」
「休みじゃねーと飲みにも行けねーし、仕事が終わる頃はクラブもやっとらんし。でもさぁ、社長に頼りにされとるで休んどれんて。おっさん入ってから給料上がったし」
そう言って笑うけれどジュンは仕事、頑張ってるんだな。
「送ってく」
食べ終わってジュンが言った。
胸ポケットにタバコとライターを入れて車のキーを取り出す。
ジュンはキャップを深く被りなおして「払ってあるから」と立ち上がった。
キャップで隠れている横顔に、ごちそーさま! って伝えると「いいって」と無愛想に返事をする。
「先月から給料が五十万になったんだ」
「すごいね!」
「いや……キミみたいに稼いどる人には自慢にならんか」
「稼いどるし使っとるしね」
名前で呼んでくれないのかな。
ヘル嬢だから「稼いでる」って言われるけれど、もらう金の分だけ大変な仕事だし、リスクも高いし、体力も使うし半端ない。
それこそ自慢にならないけれど。
店内の明かりを反射してアストロの黒いボディが光っている。ジュンが車のドアを開けてくれた。
もういちど助手席に座る。
運転席に乗り込むジュンはキャップからエンジニアブーツまで黒くて暗闇に溶け込んでいるみたいだ。
通りの向こうに飲食店の看板が光っている。
「あの白い看板の店、行ったことある?」
「ないよ」
「お好みと焼きそばがおいしいんだよ! 次はミナがごちそうするで今度行こ」
「また会えるんや……。営業?」
「ジュンに言った番号、営業の携帯じゃないよ」
「……そうなんだ。何で?」
「普通に友達になりたかったから」
「悪いけど友達にはなれん」
「そうなんだ……」
ジュンの横顔は意地悪そうに笑っている。
「友達のままでおるのは無理」
走り出した車の中には日本語のラップが流れていた。
「選んだの俺なんだ」
「え?」
さっきから馬鹿みたいに「え」しか言えなくて。
ジュンの向こうには街路樹やビルが通り過ぎていった。
「社長に言われたんじゃねーよ。俺がミナを指名したんだ」
「えー」
「今から何してんの?」
「寝る」
「早くねぇ?」
小学校で車を止めて少し話した。
「後で電話するから」
「じゃあね!」
車を降りて見送る。
ジュンは窓を開けて
「起きとったら出てな」
と笑って仕事に戻って行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます