第15話 ある男の記録3


 「何故この場所に気づいた」


 その声が証だった、探していた人物を僕は遂に見つけることができた。声に続き、水の中からそれが姿を現す。手が見え、頭が現れ、その全貌があらわになる。


 「何故って、知っていたからです」


 声にそう答える、僕は街のただ一つ存在する浄水場に来ていた。霧が飲み込まれ、全ての異常が去ってから、あれからひと月、ずっと調べていた。今度は父や母のことではなく、あの仮面の男について。


 「私は痕跡を残していないはずだ」


 柵を乗り越え、入り込んだ施設内、不法侵入だ、あまり悠長にはしていられない。目の前の男の体はぼろぼろだった。土気色、と言うより土そのもので、罅割れた皮膚は風化して崩壊を始めている古い建物のようだった。


 「僕は知っていました。父の記憶を覗き見て、地図の点の位置を覚えていました。そうでなくても、この街の施設の配置を見れば大まかな事は理解できた」


 後、全てを仕組み、この街を操っていた、僕の何もかもを変え、そして奪い去った男。


 「成程、ただの馬鹿ではないようだ。そこは形式にとらわれすぎたと後悔している。形などどうでもよかったのだ」


 「内側に六つの点、外側に六つの点、つなぎ合わせると歪な六芒星になる。私の借りた部屋、交差点、ビル街の空き地、商店街の井戸、廃病棟、美容室の内側の六つ。放置区、面工房、火葬場、電波塔、地下壕、外側の五つ。教団跡地は街の中心でした。だから、それを踏まえればおのずと最期の一箇所は見えてくる」


 後の仮面は消えていた。もう顔を隠すつもりはないらしい。乾いた瞳、全面黒で最早力の感じられない目、口に張り付いた笑い、頬が裂け歪んでいる。


 「あの交差点、あそこには元ペットショップがあったんだ。君の知るとおり、食べ物屋に変わってしまったがね。だから店長には代役に立ってもらった、急に体中の毛が伸びてきて驚いただろうな。だがあの男も楽しんでいた。生き物が死にゆく姿を眺めることを。ビル街の空き地も担当がいたんだがね。青年には代わりに立って貰わざるを得なくなった。苦せずして人外に慣れたんだ、感謝してもらいたい。元より自殺を煽っていたような人間だ、死んでも誰も困らないでしょう。井戸はあの子を利用させてもらった。復讐心は時に武器になる。受けた傷は倍返し、苦しみは分け与えるべき、いじめの相手を殺せたんだ、願いを叶えてやったのだから、むしろ感謝して欲しいものだ」


 その表情に余裕が見て取れた。ここまで来た僕を未だ嘲笑っているようだ。


 「そんな事を聞くためにここに来たわけじゃない」


 「はは、そう焦らなくても大丈夫です。もうこの結果は覆らない、君の勝ちだ、これはご褒美だよ。ここまで辿りつけた君へのご褒美だ。知りたかったんだろう、全てを。一体私が何をしたと言うんだ? 私は彼等の望みをただ、叶えてやっただけさ。鬱屈を晴らしたい、他人が苦しむ姿を見たい、傷つけられた痛みを返したい、蔑んだ奴らを痛めつけたい、バカにした奴らを見返したい、不死身になりたい、痛みから開放されたい、生き物を殺したい、何を犠牲にしても知識を手に入れたい。君だってそうだったじゃないか、私が導いてやっただろう、親に会えたじゃあないか、親だと思っていた二人、それに本当の親とも面会できただろう。言葉を交わす機会を与えたのはせめてもの報酬だと思ったからだ。


 どれもこれも、誰も彼も欲望の塊だ、己の欲のために他人を平気で切り捨てる、私は答えただけです、彼等の問いに、彼等の望みに。私は何もしていない、彼等がしたいようにしただけだ、こうして誘っただけなのですよ。踊りませんか、さあ楽しく踊りましょう。そうして踊りだした彼等を私は遠目で見ていただけなのです」


 「一体あなたは何者なんですか」


 「私は幾つもの顔を持つ混沌の影なのです。仮初の秩序、見せかけの平和、偽善に満ちた体裁、そういったものが大嫌いな這いよる混沌です。人間は生まれつき混沌を抱えているというのに、そいつを認めようとしない、己の醜さをひた隠しにし、醜さを露呈させた人間をこき下ろす。右も左も他人の目というものを気にして、妙に良人ぶろうとする人間ばかり。下らないと思いませんか、全てを曝け出して生きればいいのに。


 ところが民衆心理とは不思議なものです、暴力の常態化が進めば誰もが獣のように成り下がる。この街の姿を見たでしょう? 理性を断ち切れば世界は平和だと思いませんか、無駄に束縛され、搾取されるものが居なくなるとは思いませんか、一時の欲が満たされれば暴力は収まる、長期に渡り押し付けられる虐待や苦汁より余程平和的でしょう? 人は混沌より生まれたのだから、混沌に帰るべきなのです。したいようにし、されたいようにされる。私はそれを見ているだけ、人形は私に踊らされていればいい、演出家は舞台には出ない、私も舞台に上がるつもりはありませんよ」


 「あなたは自分を神様のように言うが、僕は貴方の正体を知っていますよ」


 僕がその言葉を口にした途端、後の表情が揺らぐ、張り付いた笑いが消えてゆく。


 「私は混沌そのものだよ、君が目にしたあの世界からやってきた神の様なものさ。それを知ったからといって何になる。君に私をどうにかできるのか、私はこの先も続けるだけだ。何年かかろうが私には関係が無い、私の時間は無限だからね、いくらでも機会はある。君が居なくなってから新たな接触を始めてもいい。そしていつかあの世界に橋を繋げる、真なる混沌の訪れをもたらすために」


 「貴方は神なんかじゃない。ただの人だ、いや、ただの人だった」


 後の顔が驚きに満ちている、そして少しして笑い始めた。


 「はは、それが君の結論か、何を根拠にその答えにたどり着いたんだ、馬鹿らしい、これ程の事が只の人間に可能かね? 人一人にあれ程の事が? 世界を変えるほどの力を生み出すことが可能かね」


 「僕はこのひと月、ずっと調べていました、貴方について。後さん、いや、府さんと言ったらいいか、それとも内留さん、あるいは布袋さん、ですか?」


 後の顔から表情が消えた。


 「言っただろう、私は幾つもの顔を持っていると」


 「貴方が初めに仮面を教団に普及させたんでしょう、幹部でもあるあなたの顔を隠すために。近代になってから貴方は各方面で決して上役には立たなかった。何故ならお互いに顔合わせができないからです。内留、後、布袋、府、誰もがこの街にとって重要な役職に就いていました。かつての市長、現在の市長の秘書、建設会社の役員、写真も各方面に残っている。


 不思議と今は写真が残っていませんが、彼らには面白い共通点があった。人嫌い、とは少し違いますが、あまりプライベートを他人と一緒にしないと言う所です。


 その誰もが各々に会おうとは頑なにしなかった。彼等は只管部屋に篭もりきり、食事を見られておらず、人前で物をろくに動かすこともしなかった。気味が悪いと思うのが普通でしょうが、ところが絶対的な信用を上や下の人間から得ていた。それは当然でしょう、上に立つ人間には彼らがそうなるずっと以前から付き合っていたのですから、そして餌も与えていた。常人には得られない力という餌を。


 そしてあの日、霧が晴れてから彼らは消えてしまった。存在の一片すら残さずに、更に奇妙なことに、写真の中の彼らの姿までもが消えてしまいました。貴方の力と人材は父の力と同様にあの扉の向こうに吸い込まれてしまった。このひと月貴方はさぞ焦ったことでしょう。何もできず、ただ自分を守ることもままならない」


 私は懐から紙をだし、それを広げてみせる。それをみて再び、後の顔が強ばった。


 「これ以上何を知っている」


 顔が歪む、現れたのは苦悩だった、消えた余裕、始めて目にする後の本当の表情。


 「私は市役所の役員や建設会社の社員に聞きました、彼等がどんな顔をしていたか、それを元にして私は似顔絵も用意しましたよ。彼等には親族だから似ていると言っていたそうですね、けれどもどう見てもこれは同じ顔だ。何十年も前に辞めてしまった市長までもが同じ顔、けれど、写真に映されていた顔も何もかもがあの一件のあと忽然と消えてしまった。彼等を写した写真は人の姿など無い、ただの風景写真に変わってしまっていた。


 それが、数日前から写真に姿が写り始めたと言うんです。私は写真を一枚借りてこの街の外の人間に見てもらった、するとどうでしょう、何も見えないという。だから僕は推測したんです、最期の一点が浄水場なら、何かそれに関連する物が使われているんじゃないかと、だから試しにこの街の水を飲んでいただきました。するとうっすらと姿が見えると言う。それで気がつきました。これと同じ原理が貴方そのものにも働いているのじゃあないかと。


 つまり、ここの水を飲み続けた人間には貴方の姿が見え、また水を飲んだ人間の前であればいつでも、どこにいてもその目の前に姿を現わすことができるのではないかと。でも、同時に複数人として姿を現すことはできないようですね。だから、ずっと僕の周りにはいられなかった。


 貴方はこうして自分の知識を武器に街の人たちを操った。あの日、街が霧に包まれた日も、貴方はこの街の境目で人々を扇動していましたね。外に連絡してはならない、連絡しようとするものを止めなければならないと。それだけのことが出来るならば、確かに人間というのは、無理があるのかもしれない」


 次に現れた表情は怒りだった。まなじりが釣り上がり、鋭い歯が口から覗く。


 「そこまで知っているのか、ならばなぜ、私が何もできないうちに排除しなかった。いまさらなぜここに、私の前に立った」


 「僕は貴方と話したかった。貴方に思い知らせたかった」


 「思い知るだと、何を思い知ると言うんだ。私はあの方から知識を授かってずっとあの地を追い求めてきた。長い時間を労して様々な異事を企て、それを成してきたが、どれも成功とは言い難かった。どいつもこいつも力を得たとたん暴走し、自ら滅んでいく。あの方はそれを楽しんで下さったが、けして私を褒めてはくださらなかった。そんな私にあの方は最期の機会を与えてくださった。扉を定着させる方法を教えてくださった。それなのに貴様が最期の一手を崩した、今度こそ認めていただけると思っていたのに」


 「本当に頼られていると思っていたんですか?」


 「どういう意味だ」


 「貴方は結局私達と同じだ。指示され、利用され、踊らされていただけだ」


 「そんなはずはない、私ほどあの方に貢献した者が他にいるか、居るはずがない」


 「貴方も薄々は分かっているのでしょう? あの扉はこの世界と向こうの世界を繋ぐものなんかじゃないと」


 「煩い、戯言をそれ以上吐くんじゃない」


 「あの扉はただ、こちらで貯めた負のエネルギーを向こう側に送るために開かれただけでしょう。現にこの街は過去と貴方を除けば、ごく普通の街に戻ってしまった。なんの異変もない普通の街に」


 後の、いや、誰でもない男の顔はもう、何も変化しなかった。仮面のように凍りつき、惚けたように開いた口から声だけが流れ出ていた。


 「何故だ、なぜ私を見捨ててこんな、これほどに尽くしてきたというのに。私を向こう側に行かせてはくれないのか。どうでも良い端役の連中があの世界へと行けたというのに、私はずっとこの水の底か。私はいつから準備を続けていたと思う、この浄水場が建設される以前からだ、一世紀も前からだぞ。術式を施し、飢えを乗り越え、死した後も精神の精錬を怠らず、漸く街全体を操れるほどの力を得て事を成したと言うのに、その先の仕打ちがこれだというのか」


 不意に後の姿が崩れ始める。頭が欠落ち、体が前のめりに倒れるとただの土に変わってしまった。あとには悪臭を放つ、黒ずんだ土塊だけが残っている。


 これで終わったのか、そう思って土塊から目を離し、何かが気になる水面を見ていると、すぐに浄水槽の下から飛沫が上がり、半ガラス化した翡翠色の人間が顔を出す。既に硬化が進んでいるのか体が動くたびにボロボロと破片を飛び散らせ、顔の表情は判断がつかない。唇のかけた口には同様の緑色のガラスのような歯が立ち並び、目のない眼窩から水が涙のように流れ落ちていた。


 フィルタの網にしがみつき、こちらに乗り出す、と、その顔に亀裂が入った。まるで私が踏みつけにした仮面のように、綺麗に中央から放射状に。


 「おのれ、全てを奪うというのか、なぜだ、ここで滅びよと、そうおっしゃるのか。その目、その目は。お前は直で見たのだな。あちらの世界を見たのだな。なんと羨ましい。私がこうまでして得られたものをお前は労せずして。おお、あなた様は、そこに、そこにおられましたか」


 声が割れ、言葉が潰れてゆく。後だったものは積み上げられた積木の塔が崩されるように端から細かに分解し、そして崩壊し、やがて全てが浄水層の水中に没した。


 僕は本当にこれで終わったのかと水面を覗く、水中にはもう、異常なものの姿はない。


 水面に映る僕の顔、その瞳の中には、あの瞼の間に見た風景が広がり、そこに何者かの影が差している、そんなものが一瞬、見えた気がした。


 そして瞳の周りには変わり果てた僕の姿が写り込んでいる。鱗状の肌、額から伸びる角、赤く光る目、僕だけが元に戻れなかった。他の人々はもとに戻れたというのに、あの風景を目にした僕だけが。


 全てを終わらせたというのに胸騒ぎは消えず、すっきりともしない。胸の中で何かがうねり狂っていた。絡み合い、熱を発し、蠢き続ける。化け物と罵られるたびに理性が飛びそうになる。


 僕は、私はいったい、僕は、わたしは、どうなってしまったのか……




 久しぶりに市の図書館に足を運んだ。近くの施設でコンサートが行われる、そこで友人と待ち合わせをしていたがまだ開演までには時間があった。私は時間を潰すために図書館に入り、ぶらりと歩き回りながら本棚を見て回った。


 すると歴史本のコーナーにそぐわない装丁の本を見かけた。タイトルには「ある男の記録」とある。手にとってみるとそれ程の厚さはないようだ。試しに二三頁捲ってみると、そこには恐るべき内容が記されていた。何年か前に別の街で起こった一連の事件を題材にしていることは解る、けれども報道されている内容とは随分と違っていた。確か、局地的な地震によって壊滅的被害を受けたのだとか、未だに行方不明者が随分と見つかっていないはずだ。


 最後の数頁にはこうある。あの風景を目にしてから声が聞こえる、それは彼等がどんな術を使い、こうした異業を成したのか、どうやって体を変貌させたのか、そうした知識を教えてくれるのだと。


 そして最後までの数枚にはそうした術の方法が記されている。私はこんな事、可能なはずないじゃないか、バカバカしい。そう思って本を閉じると、いつの間にか脇に人がいて、彼がこう言った。


 その記録に興味がありますか、その術に、どれも実現可能な術ですよ。望めば手に入れられる、貴方の欲望のままに、と。

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