第二席 『新説・おみくの皿』

第一席 『新説・おみくの皿』


「まーた一杯食わされちゃったわ! まったくなにがのっぺらぼうよ! ハゲ親父の後ろ頭じゃないの!」


 俺の前をツッタカツッタカと歩いている女は肩をいからせ、頭から湯気を立てんばかりに激怒している。

 まぁ、暗がりでみたらそう見えないこともないだろうさ。それにあそこの蕎麦はなかなか美味かったじゃないか。それでよしとしとこうぜ。

 愚にも付かない慰めを幼馴染みに投げてみるが、まぁ火に油だろうね。


「バカいってんじゃないわよ! 確かにお蕎麦は美味しかったけどね! あたしは美味い物巡りの紀行文を書きたいわけじゃないのっ!」


 やれやれ、案の定だ。

 まぁまぁ落ち着けって。大体そんじょそこいらにそんな不可思議なもんが落っこってるわけがねえだろうよ。

 見世物のオオイタチだってデカイ杉板に鶏の血がぶちまけてあるだけ。目が動くっていう幽霊画は目の塗料に砕いた石が混ぜてあっただけ。首が伸びるっていう長屋のおかみさんはムチウチになってただけじゃねえか。

 世の中そんなもんなんだって。


「うー……でも、絶対どこかにあるはずなのよ! 混じりっけのないホンモノの不思議がっ! あたしはね! それを絶対見つけて江戸で一番売れっ子の戯作者になるんだから!」


 へいへいっとね。まぁ夢追いするのは構わんが、いくら寺子屋の幼馴染みとはいえ、いつまでも引っ張り回さねぇで欲しいもんだがねえ。

 さっきからプリプリしてるのは俺の幼馴染みのお春だ。頭は良いし器量も好い、竹刀を持たせりゃ町道場じゃ男顔負けの強さだ。現に俺も勝ったことがないしな。

 そんなお春が目指してるのは、夢はでっかく江戸一番の戯作者ときたもんだ。ガキの頃から天狗だ河童だ人魂だの話を聞きつけちゃ駆けつける物見高い女だったが、それに付き合わされ続けたまんま今にいたってる。


「キョン! 明日は大川の二本柳に行くわよ! なんでも身投げした人の幽霊が出るって話だからね!」


 全く……世を儚んで石を抱いたんだろ? 恨み辛みもあろうが、そっとしといてやれよ。ご供養するってんなら話は別だが、物見に行くのは感心しねえぞ。


「そりゃ出たら出たで供養もするわよ。でもその前に真偽を確かめなきゃいけないでしょ? そういうわけだから提灯忘れないでよね! それじゃおやすみ!」


 はぁ……全くやれやれだ。ガキの頃からのあだ名で人のことを呼びつけちゃ付き合わせて、挙げ句に送り迎えだ。甘味を奢らされたり今日だって蕎麦を三杯も食いやがった。


――あんなんで嫁の貰い手があったもんかね。


 大きく溜め息を吐きながら、俺は自分の家へと向かい始めた。陽はとっぷりと暮れてすっかり暗くなっている。やれやれ提灯が必要なのは明日じゃなくて今なんじゃないかねえ。


 そんなことを考えながら荒れ屋敷の土塀脇を小走りに歩く。川風が吹いたもんか、どうにも肌寒い。さっき蕎麦を流し込んだ身体も冷え始めてきた。

 こんな日は途中で熱いのでも一本入れたいところだね……なんて考えていると、突然ゾクっと全身に悪寒が走った。

 荒れ屋敷の壁はまだまだ続いているが、どうも今し方通りがかった崩れ塀の向こうから冷たい風が吹き込んできているらしい。

 ふと耳を澄ますと、冷たい風に乗せて女のすすり泣きのような声が聞こえてくる。

 よせばいいのに俺は二歩三歩と後戻りして、崩れ塀の内側を覗き込んでみた。

 すると月明かりに照らされた草もぼうぼうとした荒れ庭に、ぽつりと古井戸がある。

 ここは確か随分前に潰れた旗本屋敷だったはずだ。誰がここにいるわけもなし。夜鷹が客を引いて事に及んでるんじゃなかろうかとも思ったが、そんな気配もない。

 それでもなにやら女のすすり泣く声は聞こえてくる。

 よもや持病で苦しむ娘がいるんじゃなかろうか、辻斬りにでもあって助けを求めているんじゃなかろうか。

 そんなことを考えて、俺は崩れ塀から荒れ庭に足を踏み入れた。


「もし! どなたかいらっしゃるんですか?」


 返事はない。ただすすり泣く声がするばかりだ。


「具合が悪いんだったら、夜でも診てくれるお医者を知ってますから、いるなら返事してください!」


 荒れ庭を足下に注意しながら歩く。薄暗い月明かりだけでは細かい様子はわからないが、それでも相当荒れているようだ。


「なんだってんだ全く……井戸を吹き抜ける風音と聞き違えたもんかね」


 そう独りごちて踵を返そうとすると、突然身体が動かなくなった。参ったね、これが世に言う金縛りってヤツか。するってぇと次に来るのは……。


「ううっ……ひっく……あのぅ……いますぅ……」


 ひゅーどろどろなんていう音や人魂と共にうらめしや~ってのが出てくると思いきや、随分と可愛らしい声が聞こえてきた。

 目だけを動かして声の主を捜してみれば、蓋の開いた井戸の上に、淡い色をした髪の娘が立って小さく手を挙げていた。やれやれ、どうせならお春と一緒にいるときに出てくれりゃいいものを。

 確認するまでもなく足はない。オマケに人魂も浮いてるし、そもそも『蓋のない井戸の上にいる』んだから、混じりっけなしの幽霊なんだが……。


――うん、怖くない。


 なんというか、まぁ声に違わぬ愛らしい娘さんだ。幽霊なんだけどな。それになんというかこう、全体的に弱々しすぎる。

 門前の小僧の経でも三文字詠んだら悲鳴を上げそうな弱々しさだ。人魂なんて桃色だぜ? 触っても火傷もしなけりゃ煙管に火もつけられそうにないね。


「あのぅ……えっと……うらめしやぁ~……」


 はいはい。えーと、どんなご用件で?

 俺は緊張が解けたせいか金縛りもなくなったので、袂の内で腕組みして娘幽霊さんに向き合った。


「えっと、そのぅ。お皿を数えるので、聞いていって下さいぃ~……」


 はいはい、お皿ね。見れば娘幽霊さんは、井戸の中から木箱を取りだし、丁寧に蓋を開けている。


「いきまぁ~す……いちまぁ~い……にまぁ~い……」


 随分とごゆっくりだね。ちなみに娘さん、お名前は?


「あ、はい。おみくっていいますぅ~」


 ほうほう、おみくさんね。で、なんでまた井戸なんかに化けて出てきたんで? おまけに皿を数えるなんて、そんなんで恨み辛みが晴らせるんですかね?


「あのぅ、えっと……それがよくわかんないんですぅ~」


 へぁ? よくわかんないって……。

 俺は方眉を上げて思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。



 ◇ ◆ ◇



「えっとですねぇ……」


 そういうと、おみくさん(幽霊、歳は数えで十八だそうだ)は、身の上話を始めた。

 なんでも奉公に来たこの旗本屋敷で働いていたそうだが、いかんせん生来の……まぁ言葉は悪いが粗忽者だったもんで、随分と失敗をしたらしい。

 それでも器量好しな上に人柄もいいもんだから、奉公人仲間にも主人にも可愛がられてたんだそうだ。

 ところがある日、この旗本屋敷の家宝の十枚組の皿を手入れしていたところ、なにをどうしたもんだか九枚しかなくって大慌て、無くしたもんだと思って家中探し回ったが出てこない。

 最後は神頼みということで、井戸で水垢離をして失せ物探しのお参りに行こうとしたらしいんだが、足を滑らせて井戸にどっぽん――ってなことらしい。

 やれやれ、随分な粗忽加減だねえ。


「で、それで皿を探して恨めしやってことなんですかね?」

「いいえぇ……そのう、それが違うんですぅ~」


 は?


「えっとですね、その、お皿は実は一枚、旦那様が持ち出してらっしゃったんですよぅ。お友達に見せるとか、そういうご用事だったそうで~……」


 ほうほう。


「でも、わたしが井戸に落っこちちゃったもんですから、責任を感じたらしくって……心労で倒れてしまったんですぅ」


 なるほどなるほど。随分可愛がられてたんですねえ。


「はいぃ。でも、その、そうしたらこう……わたしの祟りだって話になって……」


 ほー。まぁそういう考え方もできますね。


「わたし、違うんですって何回も夢枕に立って説明したんですけどもぉ……」


 ま、幽霊になっちゃそれくらいしかできませんよね。


「そしたらますます祟りだって事になっちゃって……お家もこんなになっちゃって……ひっく……ぅう……旦那様、悪く、ないのにぃ~……」


 やれやれ、幽霊に泣き出されちゃ手拭いも渡せないね。

 まぁまぁ事情はわかりましたけどね、じゃあ別にあなたに咎があるわけでなし、成仏したらいいじゃないですか。


「わたしもそうしたいんですけど……心残りになっちゃったもんですから……なかなか成仏できなくって……」


 それで今も皿を数えてる、と。


「はいぃ。でも、お皿はちゃんと十枚全部あるんですよぅ。何回数えても……だから別に恨みもなにもないんですけど……」


――そりゃあそうだ。

 相槌を打ってから俺ははたと気がついた。

 そういやそんな怪談をお春に聞いたことがあるな。奉公人の娘を手込めにしようとしたが、なかなか靡かないのに業を煮やした旦那さんが十枚組の皿を一枚隠し、その咎をなすりつけて井戸に吊して撫で斬りに……ってなヤツだ。

 それで斬られた娘さんは、お家に祟って旦那も家族も全員あの世行き。お家は取り潰され、井戸には斬り捨てられた娘の幽霊が悲しげに夜な夜なに一枚二枚と皿を数えてる。で、九まで数えて一枚足りないとすすり泣く……。

 確か、あれはお菊さん、だったっけかな。で、こちらは、おみくさん……なんだかよくわからないが、ひょっとしたらどこかでこんがらがって、そんな話になっちまったのかもしれないな。


「あのぅ……」


 あ、はい。なんですかね?


「お皿、続けてもいいですか?」


 ええ、構いませんけど。でも、十枚数えてどうするんですか?


「あ、えっと。できれば一緒に数えて欲しいんですぅ」


 はぁ。


「そうすれば『あ、十枚あるんだな』って安心して成仏できるかなぁって……」


 そんなもんですかねえ。まぁいいでしょ。幸い人魂で明るいことですし、一緒に数えさせてもらいましょう。請け合いますよ。


「わぁ~ありがとうございますぅ~」


 そう言って、にぱっとばかりに笑うと、さっきまでの陰気な雰囲気はどこへやら、楽しげに皿を数え始めた。しかし鼻歌交じりに皿を数える幽霊ってのもねぇ――。



 ◇ ◆ ◇



 翌朝。お春と顔を合わせたんだが、俺がフラフラしてるのを見てえらく心配された。まぁ明け方まで何度も数えさせられちゃあ寝不足で足下もふらつくってもんだがね。

『あのぅ、もう一回、もう一回だけいいですかぁ~?』なんて美人に言われるのは悪い気はしないが、やってることが皿を数えちゃ木箱に戻すの繰り返しじゃあなぁ。


「あんたどうしたのよ? 顔色も悪いし、目の下は隈だらけだし。夜っぴてヘンなことでもしてたんじゃないでしょうね?!」


 ヘンなこと、ねぇ。まぁこいつの思うヘンなことではないんだが、別嬪の幽霊と夜明け近くまで皿を数えてたなんてのは、確かにヘンなことだよな。

――さて、ここが思案のしどころだ。こいつにおみくさんの事を洗いざらい話しちまうか、黙って成仏するまで付き合うか……。

 寝不足の頭で考えてみたんだが、結論なんざ決まってるね。お春に隠し事がバレたらどんな目に遭わされるかわかったもんじゃない。

 しかもこいつが躍起になって探してる不思議な話なんだから余計だ。洗いざらい話して、ネタにでもなりゃそれでいいだろ。おみくさんの成仏にも繋がるかもしれないしな。


 というわけでお春よ、ちょいと話があるんだがな。


「な、なによ改まって……」


 かくかくしかじかで、こういうわけなんだよ。


「えぇ? あんた酔っぱらって幻でもみたんじゃないのぉ?」


 全くこいつは自分は不思議を探してるくせに、どうしてこう俺の話は信用しないかね。


――そんなこんなで真っ昼間の荒れ屋敷。

 二本柳の身投げ幽霊の話なんぞどうでもよくなったらしいお春は、俺に案内をさせてここに来たってわけだ。しかし、こんな明るい内から幽霊なんぞ出てくるもんかね?

 見ればお春はつかつかと井戸に近づいて「いないじゃない!」とか言ってやがる。そりゃそうだ。昼に出る幽霊なんぞ聞いたことがない。


「もー……ちょっと! おみくちゃんとやら! いるんでしょ? 昼間だからって遠慮することないんだからねっ! 話があるから出てらっしゃい!」


 井戸を覗き込んで叫んでやがる。立て籠もりじゃねえんだから、そんな乱暴な呼びかけがあるかよ。


「おみくちゃん! 出てこないと塩まくわよ! 効くかどうかわかんないけど!」


 どういう了見だ。話があるってのに祓ってどうすんだよ。

 呆れ果てた俺が、お春を止めようとしたとき。


「ふぁ……はぁ~いぃ~……なんでしゅかぁ……」


 と、大あくびをしながらおみくさんが井戸から顔を出した。なんだい寝てたんですか? いや、幽霊が寝るかどうかなんて知りませんけどね。


「はぃい……わたし夜型なんで……ふぁ……お昼は寝てる……ん……でしゅぅ……」


 むにゃむにゃ、とね。まぁ幽霊なんてのはそもそも宵っ張りなんだろうけど、昼の間は寝てるってのは驚きだね。ちょっとした新事実だ。

 まだ半分船を漕いでいるおみくさんに、ついっと近寄って顔をまじまじと覗き込むお春。別嬪な幽霊と、おきゃん娘が井戸の木組みを挟んで睨めっこだ。世にも珍しいとはまさにこのことじゃないかね。


「ふぁ……?……ひゃっ! ひゃぃいぃ! ど、どなたですかぁあぁ?!」


 ようやく目が醒めてきたもんか、目の前にあるくりくり目玉に驚いて声をあげるおみくさん。まったく、人を脅かす幽霊が、おったまげて飛び退いてりゃ世話ないね。おみくさん、井戸から出ちゃってますよ。ほら戻って戻って。


「ふぅん。それにしても話に聞いてたのとは、ぜぇんぜん違うのねぇ」


 ま、噂好きは江戸人の性みたいなもんだからな。尾ヒレどころか、お頭まで着くってこともあるだろうさ。この場合は金魚が鯛になったようなもんかもしれんがね。


「それにしても、不憫は不憫よねえ。独りぼっちで皿を数えちゃ溜め息吐いてるなんて、いい歳の娘のやるこっちゃないわよ」


 いい歳っつったって、おみくさんはもう亡くなってんだけどな。


「あ、そっか。でもまぁ、なんとか成仏させてあげたいわねえ。どうしたもんかしら? おみくちゃん、なんか他にも未練があるんじゃないの? 叶えられることなら相談にのるわよ!」


「えっとぅ……そうですねぇ……」


 そう言うと、おみくさんは人差し指を頤に指し当てて思案顔をしてみせた。まったく、幽霊でなきゃ岡惚れしちまいそうな愛らしい仕草だね。

 ってて! なんだよお春! 肘でつつくな!


「ふんっ! 間抜け面!」


 まったく、なんだってんだ。で、どうですおみくさん。なにか未練に思い当たりませんか?


「そうですねぇ……う~ん。あ、そうだぁ、えっとですねぇ……そのう……お祭りに行きたかったんですよねぇ~……」


 お祭り、ですか。


「はいぃ」


 聞けばなんでも、例の家宝の十枚皿ってのは桃の節句の皿祭りに使うものだったらしい。桃の木の下で酒を酌み交わし、十枚皿に料理を盛って出す。いいやね、風情だね。

 んで、旦那さんが「祭りの皿はこれでよろしいか」と仲間に見せに行ったのを、無くしたもんだと思い込んで……ってなことだそうだ。

 おみくさんも、お祭りを楽しみにしていたと、そういうわけですか。


「そうですねぇ~。わたし賑やかなのが好きなもんですからぁ~」


 まぁどちらから奉公に来てたのかは知りませんが、江戸に住まってて祭りが嫌いなやつはいませんからねえ。


「なーるほどね。でも、桃の節句のお祭りじゃあ、ちょっと賑やかさが足りないわよねえ」


 まーな、祭りは祭りでも雛祭りじゃあな。女衆の祝い事だから悪かないかもしれんが、今は梅雨も盛りの季節だからなあ。

 俺は曇天を見上げて溜め息を吐く。こりゃまた降るね。

 それにしたって祭りっつっても、この時季は特にないしなぁ。まぁ一月も立てば夏祭りだってんで、またぞろ町中がざわめき出すんだが。


「それよ!」


 それまで思案顔でおみくさんの話を聞いていたお春が、突然大声を上げた。なんだってんだ? 梅雨がどうかしたのか?


「ちっがうわよ! この時季は祭りがない、だったら祭りをやっちゃえばいいのよ!」


 言ってることはなんとなくわからんでもないが、わかっちまうとまたぞろとんでもないことに巻き込まれそうな気がするんで、あまりわかりたくねえな。


「えぇっとぉ……わたしはどうすればいいんでしょうかぁ~……」


「そうね。おみくちゃんはいわば祭りの主人公、看板娘みたいなもんだからね! そのままでお皿を数えてくれたらいいわ! ただ、そうねえ。そのまま数えたんじゃ面白くないから、節をつけてちょうだい!」


 数え歌みたいにしろってことか?


「そういうこと! 察しがいいじゃない! 祭りに相応しく華やかなのがいいわね! ちゃあんと七五にまとめてくれたらいいんだけどねえ。あ、そうだ! キョン、あんた考えなさい!」


 無茶振りもいいところだ。俺なんかより榎津屋の姐さんたちにでも頼めばいいじゃないか。知らない仲でもねーんだから。


「それもそうね。じゃ、あんたは祭りの仕込みをしなさい! 若い男衆をとっつかまえて、こう、ぐおーって盛り上げるんだからね!」


 そう言うや、お春はおみくさんに、


「しっかり数える練習をしときなさいよ! 仕草も色っぽくねっ」


 なーんて言って、どこぞへ駆けだしていった。やれやれ祭りの仕込みったって、どうしたもんだかねえ?


「あのぅ……」


 あ、なんです?


「そのぅ、本当にありがとうございますぅ~……」


 ああ、いえいえ。こっちこそなんかお春が一人で盛り上がっちまって、見世物みたいなことになっちまいそうで申し訳ないくらいで。


「いえ~……それはその、いいんですけど……わたし、ずっと独りぼっちだったから……賑やかにお話しできて……すごく、うれ、しくてぇ~……」


 そう言うとまたはらはらと涙を流すおみくさん。なんとも愛らしいね。胸の辺りがきゅっと締めつけられて、幽霊でなきゃ抱きしめちまいたいところだが、まぁ残念ながらそうもいかないからな。

 さて、それじゃおみくさん、俺はちょっと祭りの仕込みとやらをしなくちゃいけないんで、行きますけどね。暮れる頃にはまたぞろ騒ぎ出す羽目になるかもしれないんで、しっかり休んどいてくださいよ。


「あ、はいぃ~!」


 涙を袖で拭きながらこくこくと肯く娘幽霊に軽く手を振って、俺は心当たりへと歩き出した。



 ◇ ◆ ◇



 さて、それからが大変だった。祭りをするったって、まずは人を集めなきゃいけない。まぁ何しろ相手は幽霊だ、見物といえば見物には違いない。

 そんなわけで、物見高い上に暇をしている男衆に声をかけては、怪談仕立てに誘い出し、おみくさんに合図をしては井戸から出てきて皿を数えてもらうってな仕掛けの繰り返しだ。

 まぁなんだね。「九枚しかない、一枚足りない」と襲いかかったり祟ったりってなことにするのもいいかと思ったんだが、十枚かっちり数えたおみくさんが、


「はぁい。今夜も十枚、ちゃあんとありましたぁ~。また来て下さいねぇ」


 なんてにっこり微笑めば、連れてった男衆はみんな鼻の下を伸ばして「はい! また来ます!」なんてな調子だからな。怖がらせるより効果的ってなもんだ。

 男ってのは悲しいもんだよな。まぁ人のこと言えた義理じゃないが。

 そんなわけで、長屋の暇人共に粗方声をかけては連れ立って行ったわけだが、二人連れて行けば、今度はその二人が四人を連れてくる。四人を連れて行けば、次は八人。そんな調子でどんどん増えていった。

 おみくさんには俺かお春が合図しない限り出てこないようにと打ち合わせてあるもんだから、暮れ六あたりになると「はいはい、皿屋敷はこちらですよ~!」ってな具合で、ちょっとした行列が出来るほどだ。

 伊勢講でもあるまいにってなもんだが、詣でる先が元旗本屋敷の荒れ庭で、お参りする相手が井戸の娘幽霊ってのはなんともねえ。

 その内、暮れ六前から集まって、井戸の側にゴザ敷いて待つ輩まで出てきやがった。まぁ荒れっぱなしの庭の草むしりまでしてくれたんじゃ文句も言えない。

 それでも、常に最前列にゴザ敷いてるのが、最初に連れてきた幼馴染みの谷口や国木田だってのを知ったときには、さすがに溜め息しか出なかったがね。


 十日ほど経った頃だろうか、半ドンを過ぎたあたりで皿屋敷に集まった俺たちは、そろそろ頃合いだろうということで、祭りの相談をしていた。

 集まった面子は、お春と俺に、最初にここに連れてきた大工長屋の谷口と、染め物問屋の国木田。旗本屋敷住まいの古泉に、三味線弾きで女易者のお有希。

 そして眠い目を擦ってる、おみくさんだ。すみませんねぇ、いつもなら寝ている時間に。


「いいえぇ~……大丈夫ですぅ……」


 はい、むにゃむにゃ、と。さ、おみくさんが今夜の出番に差し支えない様、さっさと決めちまおおうぜ。


「そうね! じゃ、手はずはこんな具合で……」


 昼間っから幼馴染みが六人集まって幽霊囲んで話してるってのは、さぞかし珍妙な風景なんだろうなぁなんてことを頭のどっかで考えながら、祭の段取りは次々と決まっていった。

 谷口は皿屋敷の常連になってる若い衆に声をかけて若連を組む。なにしろ暇を持てあましてる連中ばっかりだ。昼の内に集まって、崩れ塀からなにからキレイに普請してもらう。


「任せとけって。仕事はないが腕には自信のある連中ばっかりだ。しかし勝手に普請しちまっていいもんなのか?」


 確かにその通りだ。そのあたりどうなんだ?

 俺は向かいに座った旗本微笑男に聞いてみる。


「ええ、なにしろ廃屋になって久しいところですからね。“上”にも話を通して、よい様にしてあります」


 へぇ。しかし旗本の跡取り息子程度の身分で他人の屋敷跡をどうこう出来るもんなのか?


「ふふっ。勿論、僕の力では無理です。ですが、姫様の文字通り『鶴の一声』があれば、どうということもない、といったところですね」


 そう言って意味ありげに微笑む古泉。なるほど、いつぞやお忍びで町に来ていた、あのおひいさんがね……と、合点していると、古泉はお春に、


「姫様がくれぐれもよろしくと。一緒に騒げないのを大層残念がっておられました」


 と伝えて、俺には片目を瞑って見せた。よせ、気持ちの悪い。


「ま、それなら問題ねえってことだな。じゃ、かっちりきっかりと塀と庭だけなんて言わずにやっとくからよ。おみくさん、しばらく昼間が騒々しいかもしれねぇが堪忍してくれな」


 と、頭を下げた。とんでもないですぅ~なんて恐縮するおみくさんに、鼻の下を伸ばしているのが気になるが、まぁ頼むぜ。


「僕の方は、こんな感じで手拭いと法被を作ろうと思うんだけど、どうだろう?」


 そういって懐から紙束を取りだして広げる国木田。

 駄染め屋の若旦那のこいつには、同じようにおみくさんに熱を上げている、お大尽とこのバカ息子どもから金を出させて、若連に揃いの手拭いと法被を用意してもらうことになっていた。


「へぇ。いいじゃない! でも、皿若連ってのはちょっと安直じゃない?」


 まぁ、わかりやすくっていいと思うけどな。


「ああ、染め文字は『皿若連』だけどね、読みは違うんだ。そのまま読んだんじゃ洒落がないからね。まぁ手拭いの図案を見てもらえればわかるかな」


 そう言いながらもう一枚の紙を広げると、そこには手拭いの図案があった。


「重ね盃紋……いや、これは皿ですね。皿に○、送り仮名に『れん』ですか。なるほど、『さらわれん』。つまり『皿割れん』ということですね。こいつは粋だ。お見事です」


 遊び人らしく、すらりと解釈して肯き笑いあう古泉と国木田。やれやれ、野暮な俺にはよくわからんね。


「俺にも、さっぱりわからん」


 お前と一緒ってのは、ちょっと嫌だがな。


「うん。いいと思うわ! よーし、じゃ当日は揃いの装束でばーっと盛り上げるのよ!」


 と鼻息も荒く盛り上がるお春。揃いの装束って討ち入りじゃねえんだからとは思ったが、そんな野暮は言わないことにしておいた。

 しっかし、まぁなんだね、お春という女は全くわからんな。不可思議を追って戯作者を目指すはずが、これじゃ興行師だな。まぁ楽しんでるようなんで別に構わんがね。

――しかしなんだな、こりゃ祭りってより見世物じゃないか?

 その後も細々としたことを話し合った後、三々五々開けた俺は、川沿いを並んで歩いていたお有希になんとはなしに言ってみた。


「……騒いだ者の、勝ち」


 ぼそりと応えるお有希。そんなもんかねえ?


「そう。それに……彼女もそれを望んでいる」


 まぁ確かにそりゃそうだ。でも賑やかに騒いだところで成仏出来るもんかい? 祭りったって、神さまやらお稲荷さんやらの縁起があるわけでもねえしさ。


「それは彼女の想いの問題。心配ない」


 ま、江戸一番の女易者のお前が言うんだったら、そうなんだろうよ。


「そう」


 ちなみに当日の予定では、こいつが三味線を弾いて、お春が前口上をすることになっている。榎津屋の姐さん達に相談して作ったという口上は七五にまとめられていた。


『 井戸に転んで幾歳や 今日も今日とて皿数え

   一枚二枚と重ねます 割りませぬようご用心

  重ねた皿の向こうには 見えて咲くかな彼岸花

   さあさ皆さま ご静聴 これより十まで数えます 』


 何度も聞かせられた口上を諳んじてみせると。お有希はほんの少し、俺にしかわからない程度に口元を緩めて、


「……お上手」


 なんて言いやがった。止してくれよ。おだてても団子くらいしか出ねえぜ?


「なら……もっと誉める?」


 こいつはどうにも参ったね。よし、ちょうど八つ時だ、茶店にでも入るか。

 俺は袂から重みに不安のある財布を出して茶店の戸をくぐった。音もなく俺を追い抜いて先んじた、お有希の後にな。

 やれやれ、お有希。少しは容赦してくれよ?



 ◇ ◆ ◇



 さて祭り当日。旗本屋敷前には暮れ六前から随分な行列ができた。国木田考案の揃いの手拭いに法被姿の若い衆がずらりと並んでるってのは壮観なもんだが、これが全員幽霊に熱を上げてるってんだから、笑っちまうね。

 行列の行く先には崩れ塀があるはずだったんだが、谷口を筆頭にした大工衆が普請してくれたおかげで、すっかり綺麗になっている。

 だが、どこのバカ息子が銭を出したもんだか、立派な門柱まで建てられちまったのはどうしたもんだかねぇ。


 ちなみに、祭り本番の二日前、おみくさんはいつものように鼻の下を伸ばした連中を前に皿を数えたんだが、いつもより多めに二十まで数えた。

 不思議に思った連中が事情を尋ねると「明後日に備えて、明日はお稽古するので、お休みいただくんですよ~。だから今夜は明日の分までって思いましてぇ~」なんて照れながら言ったもんだから、来てた連中は大騒ぎだ。

 普請を手伝ったり染め物を作ったりして前から関わってた連中はともかく、ほかの連中やら新参やらには、祭りの話をしてなかったからな。

 まぁ噂くらいにはなっていたんだが、あんまり派手にやりすぎると、お上が煩くなるかもしれないってことで、内々に支度を進めてたわけだ。

 そんなもんだから、明後日になんかあるってんで、やれ木戸銭はいくらなんだだの、差し入れはなにがいいかだの、お花を贈っていいかだの何だのの質問責めだ。

 おみくさんは、はわはわしちゃって井戸の内に潜り込んじまったもんだから、案内人の俺がいちいち応えていったわけなんだがね。


 さて、出来立ての門をくぐって庭にはいるとこれがまた凄い。庭師の連中が荒れ庭をすっかり綺麗にしちまった。なにしろ門から井戸まで飛び石まで敷かれてる。

 屋敷の方はさすがに手を入れるわけにもいかないんだが、見栄えがよくないってんで、どこから植え替えたもんだか葦竹の生け垣で庭と屋敷をすっかり区切っちまってる。

 おまけにその前には、紅白の段だら幕が吊られた上に花輪がずらりだ。

 ○○衆一同だの、○○屋だの○○堂だの○○家だのの花はともかく、○○寺よりなんてのまでありやがる。おいおい、坊主だってんなら鼻の下伸ばして見物なんかしてねぇで、経の一つでも上げろってんだ。

 古井戸の方はどうかっていうと、左右に篝火台が置かれてるのはともかくとしてだ……全くやれやれ参ったね、井戸の後ろには金屏風が立てられてやがる。なに考えてんだかな。


「盛り上がってきたわねー! やっぱり木戸銭取った方が良かったかしら?」


 よしとけって。おみくさんの供養のための祭りだぜ? ただでさえ幽霊で人寄せなんて罰当たりをやらかしてるんだ。これ以上生臭いことを言うんじゃねーよ。


「ま、それもそうね! あたしはいつかこの話を戯作にできればそれでいいんだし」


 そんな薄情にもとれそうなことを言ってはいるが、戯作の題材にしちゃ、おみくさんに随分肩入れしてるんだよな。

 まったく面倒見がいいというかなんというかねえ。結局夕べも夜っぴて稽古だったしな。まぁそれに付き合った俺も人のことは言えんがね。


 そうこうする内に暮れ六の鐘が聞こえて開場となった。少しでも井戸の近くに陣取ろうとする連中を捌くのに手一杯だったんだが、なにやら我先にと飛び込んだ連中の間で、譲れだの譲らねえだのの騒ぎもあったらしい。

 まぁ駆けつけたお春によってすぐに分けられたらしいが。騒ぎの張本人は中に入ってすぐにわかった。

 谷口、顔に紅葉貼りつけて幽霊参りとは随分季節違いだな。


「うるせーや。おー痛ぇ。あのお転婆め、思いっきり叩きやがって」


 この場の仕切はお春だからな、逆らったお前が悪いってこった。それでも最前列に陣取れたんだからいいじゃねーか。


「まぁな! おりゃあ今夜はとことん燃え尽きるぜ! 盛り上げるために若連の奴らと仕込んできたもんもあるしな!」


 まぁいつもの伝だと、自重しろっくらいのことを言って水を差す俺だが、今夜ばかりは野暮は言わねー。おみくさんが笑って成仏できる様、思いっきり盛り上げてくれ。


「もちろんだよ。ねぇ谷口?」


「ああ! よっし、てめぇら盛り上がっていこうぜ!」


 谷口が、揃いの法被に手拭いを鉢に巻いた皿若連の連中に声をかけると、『うおぉぉおーッ!!』てな具合に地鳴りのような怒号の応が返ってきた。

 こりゃとんでもないことになりそうだな……。



 ◇ ◆ ◇



 さて、門外の行列を全部庭に押し込んだところで、いよいよ始まりだ。しずじすと現れたお有希の三味線にあわせて、お春が例の口上を唱い上げる。すると、生暖かいような風がぬるりと庭を抜け、井戸の左右にたてられた篝火台の側に桃色の人魂が、ぽっぽっと二つ三つ現れた。

 すると人魂から薪に火が移って、暮れ闇の中に煌々と井戸を照らし出す。井戸の傍らには木戸銭代わりの差し入れのつもりか、客が持ち込んだ皿が山と積み上げられている。ちなみにその数は、積みも積んだり三九六枚だ。なにをやっているんだかね。

 人魂は庭に据え付けられていた石灯籠にも灯を点けて、会場全体が薄明るく照らし出された。と、お有希の三味線、お春の鼓が一際激しく鳴らされると、井戸の内からおみくさんがゆっくりと姿を現した。

 ようやくの真打ち登場に沸き上がる会場。あちこちから野太い声で「待ってました!」だの「おみくちゃーん!」だのが飛んでくる。のっけからこんな調子で大丈夫かね。

 見ればおみくさんはすっかり気圧されちまったもんだか、曖昧な笑みを浮かべてわたわたしている様子だ。気持ちは分からんでもないですが、最初の一枚から割るなんていう粗忽はなしにしてくださいよ?


「み、皆さぁ~ん、今日は大勢のお運びで、あ、ありがとうございま~す」


『うおぉぉおーんッ!』


「お皿も沢山差し入れていただいて……ありがとうございまぁ~す!」


『うおぉぉおーんッ!』


「頑張って数えますのでぇ~、た、楽しんでいってくださぁ~い!」


『うおぉぉおーん! おみくっちゃぁーんッ!』


 そんな掛け合いの後で、おみくさんはお春とお有希に向かって肯いて見せると、皿を手にとって舞うように吟じ始めた。


「いっ いっ いちまい にまいさんまい♪

  よっ よっ よんまい ごまいろくまい♪」


 ちょっとばかし調子っ外れではあるが、三味線と鼓の伴奏に合わせて、唱い上げながら皿を数える。すると最前列の谷口が気合一声手を打ち鳴らしはじめ、皿若連の男達も雄叫びをあげながらそれに続いた。


『 ウリャオイ! ウリャオイ! ウリャオイ! ウリャオイ!

   ヤヨォー!! ヤヨォオォォーッ!!

  またオラ御手か! またオラ御手か!

   ああオラ御手さ! おらオラ御手さ! オラ要ラネ! 』


 地鳴りのような野太い雄叫びに打ち鳴らされる手拍子に呆気にとられてしまう。おいおい、なんなんだこりゃ。


「いーちーまーいーにまーいー さーんーまーいーしまーいー♪

  ご・ま・い・ろ・く・ま・い♪」


『 さーらやっしっきっ! おみくーーーーーーッ!! 』


「いーちーまーいーにまーいー さーんーまーいーしまーいー♪

  ご・ま・い・ろ・く・ま・い♪」


『 さーらやっしっきっ! おみくーーーーーーッ!! 』



「いちまいーにーまーいーさーんーまーいしーまいー♪

 ごまいーろーくまいー しーちーまーいー はちまいー♪ 」


『 おーみくっ!(オイ!)

   おーみくっ!(オイ!)

    おーみくっ!(オイ!) 』


『 みくちゃま みくちゃま お祟り祈梵ぬ!! 』


……なんというかもう溜め息しか出んね。

 血走った目で声を張り上げ手を打ち鳴らして舞い踊る(?)谷口達、皿若連の連中を見ていると、なんかもうこの世の終わりのような気がしてならない。

 みくちゃまってなんなんだ。お祟りってのもなんなんだよ。おみくさんは祟ったりしねぇぞ。っていうかお前ら、おみくさんの皿数えをちゃんと聞けよ。

 谷口が、今夜の祭りを盛り上げるために皿若連の連中に仕込んでおいたという『御手芸(おたげい)』とかいう囃子に圧倒された俺は、そんなことを考えながら、灯籠に油を足して回った。

 やれやれ、予想通り、どえらい夜になりそうだぜ。


 聞いての通り十まで数えるかと思いきや、また一枚目に戻っちまうもんだから、なかなか進まない。その上見事な粗忽で数え違いまでするもんだから、三九六枚を数え終わる頃には空が白み始めていた。

 数え済みとされた皿の山を整えるお春も俺もすっかり疲労困憊だ。お有希だけは平気の平左ってな顔をしているがね。まぁなんにせよ疲れちゃいるが不思議と厭はない。

 それはこの時間まで残っていた皿若連の連中も同じらしい。木戸が閉まるってんで名残惜しそうに帰った連中もいたけどな。疲れてはいるが、みんな幸せそうな笑みを浮かべている。

 おみくさんも、実に満足げな笑みを浮かべて、皿の山に最後の十枚目を重ねる。これはおみくさんが最初から持っていた旗本屋敷家宝の十枚皿だ。


「きゅうまい、じゅうまい……! はぁい、今日もちゃあんと十枚ありましたぁ~!」


 場内割れんばかりの大喝采だ。まだこんだけ元気があるとはねえ。


「皆さん、本当に今日はありがとうございましたぁ~。とっても、とっても楽しかったですぅ~」


 そう言うと、ちょこんっと頭を下げるおみくさん。場内からは温かい拍手が送られる。


「あたし、ずっと、ひとりだったから……寂しかったんだけど……こんな風に、お祭り、やってもらって……ほんとうに、ほんとうにぃ~……」


 最後の『ありがとう』は嗚咽に飲み込まれてしまったが、気持ちはよくよく伝わった。見れば谷口や国木田まで貰い泣きしてやがる。お春もだ。俺? 汗だよ汗。


「これでっ……思い残すことなく、成仏、できますぅ~。本当に、本当にありがとうございましたぁ~」


 東から差し込み始めた陽に照らされたおみくさんの姿は、次第次第に薄くなっていく。昼間に見たときの薄ぼんやりとした姿へと変わるというわけではなく――。


「おみくちゃあん! いかねえでくれぇ!」


 なんて声もそこかしこから聞こえてくるが、谷口がそれを制した、


「バッカ野郎! おみくさんはこんないい娘なんだぞ! それが未練なしに極楽へ行けるってんだ! 野暮いってんじゃねえ! 笑って送り出しやがれ! そーれっ!」


『 さーらやっしっきっ! おみくーーーーーーッ!! 』


 手拍子とすっかり嗄れきった濁声に泣き笑い顔で頭を下げるおみくさん。

 もう姿越しに、向こうもこちらもすっかり透けて見えるようになった中で、お有希、お春、立場上積極的に関わるわけにはいかなかったが見守ってくれていた古泉、谷口と国木田の皿若連筆頭。


 そして最後に俺へと、きちんと頭を下げて――。


 おみくさんは、姿を消した。


 朝日の朱に照らされた皿屋敷には、大勢の男共と女が一人啜り泣く声だけがしばらく聞こえていたが、ぐしっと袂で涙を拭いたお春が顔を上げて、


「さっ! いつまでもしょぼくれてんじゃないよ! 祭りはお仕舞い! 手締めでお開きにするわよっ!」


 と声をかけ、祭りの成功、みんなのご苦労をねぎらって、そしてなにより、おみくさんの極楽行きを祝して、と三本で締めて、祭りはお開きとなった。



 ◇ ◆ ◇



 片付けを終えて長屋に戻った俺は、着物を脱ぎ散らかすと、祭りに集った他の連中がそうであるように、さっさと布団に潜り込んだ。

 祭り支度の間、家に帰るのが億劫だってんで仮住まいにしていた向かいの部屋に「おやすみぃ……」なんて半分寝ぼけながら入っていったお春も同じことだろう。

 このまま昼半ドンまで寝ていようと思ったのだが、


「キョンさん、キョンさん」


 なんて愛らしい声で呼びかける人がいるもんで、ぱっちりと目を覚ます。

 するとどうしたことだろう。極楽に行ったはずの、おみくさんが俺の枕元にちょこんと座っているじゃないか。

 俺は慌てて身体を起こして問いかけた。


「どうしたんですか、おみくさん? 極楽へ行ったんじゃないんで? 得意の粗忽で道にでも迷いましたか?」


「ふふふっ。違いますよぅ。仏様にちょっとお時間をいただいて、夢枕に立たせてもらったんです。ちゃんとお礼を言いたかったし、お話もしたかったもんですからぁ」


 ああ、そうなんですか。ってことは、これはまだ夢なんですね?


「そういうことですねっ」


 そんな風に言ってにっこりと笑うおみくさん。見れば水垢離したまま井戸に転げたときの白装束ではなく、絹のお召しを上品に着ているし、髪も綺麗に結い上げられている。

 ああ、なるほど。いいとこの御武家屋敷のお女中さんだったんですもんねえ。


「そうですねぇ。本当に旦那様にも奥様にも可愛がっていただいていたんですよぅ。あっちに行ったら、きちんとお礼を言わなきゃいけませんねぇ」


 そうしてやってください。で、俺に話ってのは?


「ああ、そうそう! この度は本当にありがとうございました。あたし、ずっと寂しかったから。本当に本当に嬉しかったんですよぅ」


 いやいや、祭りの仕切りはお春がやったんですし、俺はちょこちょこ口ばっか出してただけで。


「ううん、それだけじゃないんです。キョンさんがあたしに気づいてくれなかったら、そもそもお祭りもなかったわけだし、人寄せもずっとキョンさんがやってくれてたし……それに何度も励ましてくれたでしょ?」


――いやぁ……。


 俺は頭を掻き掻き半端な応えを返す。どうにも照れるね。


「だから、キョンさんには、お別れする前にちゃんと面と向かってお礼を言いたくって……本当に、本当にありがとうございました」


 そう言って、きちんと居住まいを正したおみくさんは、三つ指をついて頭を下げた。

 いやいや! よしてくださいよ! そんなお礼を言われるようなことでもないんですから! 俺はただお春の思いつきに振り回されて付き合ってただけで……。


 そう言いながら俺は、自分の視界が歪んでいることに気がついた。ああ、本当にこれでお別れなんだなって思ったからかもしれないし、顔を上げたおみくさんの目に浮かんでいた涙を貰っちまったからかもしれない。


 忙しいながらも楽しく不思議だった日々。未だ身体に残る祭りの熱。そんなものが、どうしても込み上げてきて、粋な別れ言葉の一つも出てきやしない。


「いやですよぅ。泣くのは女の仕事なんですから。涙なんか見せないでください」


 どうにも涙が溢れ出てきて止まらず、嗚咽まで出てきている俺を、少し困ったような笑顔で宥めるおみくさん。

 ああ、夢でよかった。おみくさんの手、こんなに温かかったんですねえ。

 ガキみたいに頭を撫でられながら、そんな事を言うと、おみくさんは優しい優しい姉さん口調で、


「今だけですよ? しっかりして下さいね。きっと……またいつか逢えますから」


 なんて慰めてくれた。

 しばらくそうしていただろうか「それじゃあそろそろ」と腰をあげたおみくさんは、見慣れた長屋の土間へと降りて今一度頭を下げると、思い出したように話だした。


「そうそう、お春さんもそうだけど、キョンさんも大概なんだから、困っちゃいますねぇ」


 なんのことです?


「素直じゃないってことですよぅ」


 からかうように言ってころころと笑うおみくさん。まぁ、素直じゃないってのは確かにそうかもしれませんけどね、そんなに笑うことないじゃないですか。


「あら、ごめんなさぁい。ふふっ。でもねキョンさん。時には素直になってあげなきゃいけませんよ? お春さんはちょっとばかりお転婆だし、素直じゃないけれど……」


 ちょっと待って下さい。なんでそこでお春の話になるんですか?


「あら? あたしの見立て違いでしたかぁ~? てっきり、お互い好きあってるもんだとばっかり思ってましたけどぉ~」


 ちょっと意地が悪いように言って、にこりと微笑むおみくさんに、俺はさっきまでの涙も忘れて、慌てて手を振って否定した。

 いやいや! 冗談じゃないですって。あいつはただの幼馴染みで、俺のことは丁稚かなんかだと思ってるようなもんで。

 そりゃ器量はいいですけど口は悪いし、お転婆だし、目を配ってないとどこに駆け出すかわからんような奴で……。

 そんな風にお春のことを並べ立てる俺を、少し眩しいものを見るような表情で見ていたおみくさんだったが、それまでの愛らしいそれとは違う、実に優しげな声色で言った。


「そうですねぇ。今はまだそれでいいのかもしれません。でもね、いつかでいいんです。いつかお互い素直になって、お春さんのこと、ちゃんとしてあげてくださいね」


――それじゃあ、と言うと背中を見せて戸口を開く。その先に見えたのは見慣れた向かいの長屋なんかじゃなくて、真っ白い、ただただ真っ白い光。


 ああ、これが極楽の景色なのかねぇなんて思いながら、俺はおみくさんを見送った。追いかけて、お春との誤解を解こうかとも思ったが、どうにも身体が動かなかったんでね。


――目が覚めて最初に見えたのは見慣れた長屋の梁天井。目脂を落とそうと顔を擦ると手が濡れた。どうやら夢だけじゃなくて、泣いていたらしい。

 やれやれなんて口癖を呟きながら、視線を動かして土間を見ると、戸口がほんの少し空いている。


――ひょっとしたらまだおみくさんがいるんじゃないか。


 そんな風に考えた俺は夢の続きを追うように、布団から跳ね起きて土間に降りると戸口をがらっと開けた。

 と、その先にいたのは同じように戸口を開けた格好で突っ立っているお春だ。どうしたもんか、目を真っ赤に泣きはらして、ついでに顔どころか耳まで真っ赤になっている。

 お互い固まったまんましばらく顔を見合わせていたんだが、どうにも言葉が出てこない。ようやく目だけ動かせるようになったもんだが、お春のやつ、どれだけ慌てて出てきたもんだか寝乱れた襦袢姿だ。目の遣り処に困るね。

 お春の奴も同じだったんだろう。俺の下の方に視線をやったまま、赤い顔をさらに真っ赤にして、わなわなと震えだした。まぁ俺もふんどし一丁だしな……。


「あ、あ、あ、朝っぱらからなんて格好してんのよ! ヘンなもん見せるな! このバカキョン!!」


 ばちーんと景気のいい音を立てて俺の左頬に紅葉が張り付く。そのまま戸をぴしゃんと音立てて部屋に戻ったお春だが、戸口の向こうから四十も五十もの罵り言葉が聞こえてくる。


――やれやれ。


 俺は溜め息を吐いて頬をさすりながら起き上がると、快晴の夏空を見上げて、おみくさんに愚痴をこぼした。


――これが好きあってるもんのすることですかねぇ? やっぱりとんだ見立て違いですよ。



 ◇ ◆ ◇



 それからの話はこうだ。

 おみくさんに熱を上げていた中に、どこのお大尽がいたもんか、それとも件の寺だかが動いたもんだか、皿屋敷の崩れ塀跡に立てられた門柱から続く飛び石。

 その先の古井戸の隣に、大きな碑がおかれた。皿屋敷おみく慰霊の碑ってなことらしい。

 そこに祭りに使われた物以外、大なり小なりの皿が供えられて、気がつけば今度は鳥居まで立てられちまったってんだからお笑いだ。

 井戸の周りには椿が植えられて、何度目かの花を付ける頃には、井戸に落ちた粗忽な女中さんの慰霊所ではなく、どういうわけだか弁天様として祀られるようになったってんだから不思議なもんだ。

 これも噂や話に尾ヒレどころかお頭までつけて回るっていう江戸気質ってなもんなのかねえ。

 まぁ、その弁天様が、銭洗い弁天ならぬ『皿数え弁天』なんて通り名になったってのは、少々出来すぎのような気がしないでもないがね。

 なんでも夫婦になって所帯を持とうっていう恋仲の二人が訪れて、一度詣でる毎に一枚ずつ皿を納めて十枚になると、どこからともなく、


「はぁい、ちゃあんと十枚あります」


 なんて愛らしい声が聞こえて、それを聞くと一生仲良く結ばれるなんて御利益があるらしいなんて噂まで流れ出したから、詣でる人はひっきりなしだ。



 それから幾歳が過ぎたもんだか、そんな噂も落ち着いた頃。一組の男女が十度目のお参りにやってきた。手水をつかって皿を納めて、井戸を眺める目は、どこか懐かしいものを見るような眼差し。

 そしてもう一歳が過ぎると、夫婦になって所帯を持った二人に赤ん坊が授かった。

 いよいよ出産ということになって、お産婆さんを呼んで、湯を沸かしたりもしたもんだが、他にっていうと長屋の外でうろうろするしか能がない。

 男ってのは、こういうときになんの役にも立ちゃあしねえんだと、イライラウロウロしていると、気の早いもんで祝いの品を持って駆けつけていた仲間がそれを宥める。


「大丈夫ですよ。きっと元気な赤ちゃんが生まれます。少し落ち着いたらどうですか?」


 そうは言ってもだな! こう、落ち着かねぇんだよ! なんかやることねえのか! あんなに苦しんで頑張ってるってえのに!


「まぁまぁ落ち着けって。お前が慌てたところで、お前が産むわけじゃねえんだからさ。おかみさんへのねぎらいの言葉の百も千も考えとけよ」


「まぁねえ。キョンのお春さんへの溺愛っぷりを考えれば気持ちはわからないでもないけどね」


 軽口を叩いて和ませようとしてくれてるのはわかるんだが、俺の気持ちはどうにもざわついていけない。

 思い出すのは朝のお春の苦しそうな顔「大丈夫よ、お産婆さんを呼んできて」なんて言ったあいつの顔。

 ああもう、どうにかなっちまいそうだ。神さまでも仏さんでもお稲荷さんでもかまわねぇ。どうかお春も赤ん坊も無事に返してやっておくんなさい。


 そんな風にじらじらしていると、長屋から、おぎゃあ、あやあ、という元気のいい泣き声が聞こえてきた。

 少し遅れて戸口が開くと、お産婆さんの手伝いをしてくれていたお有希が顔を見せ


「無事に生まれた……珠のような女の子」


 そういって、若い頃より数段分かり易くなった笑みを浮かべて俺を手招きした。


 中に入って土間から駆け上がると、布団に寝かされていたお春の側に駆けつける。

 お春、お春! よく頑張ってくれたなぁ! 本当に、本当によく頑張ってくれたなぁ! 大ご苦労だったなぁ!

 横になったままのお春の手を取ってねぎらうと、自然と涙が溢れてくる。額に汗をかき、解れた髪が張り付いているが、こんなに綺麗なお春の顔は見たことがなかった。


「……抱いてあげて」


 湯をつかって産着を着せられた赤ん坊を抱いたお有希に声をかけられて、おっかなびっくりと受け取る。ああ、なんて可愛いんだろうか。なんて小さいんだろうか。

 俺は自分の腕の中の奇跡に感動して、またぞろ大粒の涙をこぼした。

 お有希に支えられながら身体を起こしたお春に赤ん坊を渡すと、俺は洟をすすって涙を拭いながら、真っ赤なほっぺやら小さな小さな手やらを、ちょいちょいとつついてやった。


「キョン、早速だけど名前を考えないといけないわね」


 赤ん坊をあやしながら、傍らの俺に頬笑みかけるお春。

 ああ、でも実はもう決めてあるんだよ。


「あら、あんたにしちゃ珍しく気が回るじゃない。でも、そうね。あたしももう決めてあるのよ。絶対女の子だってわかっていたからね」


 そう言うと意味ありげにお有希に目配せをして笑いあう。

 おいおい、でも同じ名前とも限らないじゃないか。


「バカねえ。何年連れ添ってると思ってるの? あんたの考えることなんか十年先までお見通しなの」


 やれやれ参ったね。でも、その名前で本当にいいのかい? 将来ちょっと粗忽もんに育っちまうかもしれないぜ?


「そうかもね。でも優しくて器量が好くて、誰にでも好かれる娘に育つわよ」


 違いねぇや。それじゃあ決まりだな。


「そうね」


 そうして二人で笑いあったところで、またぞろ泣き声をあげはじめた赤ん坊を覗き込み、俺は年頃に育っても絶対に井戸には近づけねぇぞ――そう胸に誓った。



 ◇ epilogue ◇



「そんなわけで、すくすくと育った娘さんは、両親の商うお茶屋の看板娘となって、江戸でも大層評判になったそうにょろ! 新説『おみくの皿』の一席、これにておっしまいっさ!」


 口上を切り上げると、鶴屋さんはいつものように深々とお辞儀をして『どんちきちゃんちつとててとだんたんどどどどどどど』なんて口囃子を奏でてみせた。

 もちろんSOS団部室は拍手喝采だ。


「いやはや、実にお見事でした。『お菊の皿』という古典落語の本編は知っていましたが、怪談を題材にした笑い噺を、こうも見事に人情噺にされるとは。本職顔負けですね」


「……とても素敵」


「っく……泣かせるねぇ! 鶴屋さん最高だぜっ!」


「いい噺だったねぇ。はい、谷口」


 そう言ってポケットティッシュを谷口に渡す国木田。


「ひっく……幸せな、お話、でしたぁ~……」


 見れば朝比奈さんも号泣だ。可愛らしいピンクのハンカチで目元を拭ってらっしゃる。いやはや、これもまた貴重なシーンだね。とりあえず脳内フォルダに保管保管っと。


「いっやぁ~! リクエストに応えて、古典をアレンジした新作を考えてみたんだっけど、喜んでもらえたみたいでよかったさぁ~!」


 照れ笑いを浮かべる鶴屋さん。いやいや期待以上でしたよ。古泉じゃないですが、本当に本職みたいでしたよ。


 以前、古典の授業の話から落語を一席打ってくれた鶴屋さんだったのだが、その後団員達のリクエストもあって「また是非!」とお願いしたところ、本日のお披露目となったのだが、実際期待以上だった。


「随分と練習もされたんですか?」


「ん~そんなこともないよっ! みんなの名前を借りたおかげで話の筋もすらすらっと出てきたからねっ! 二・三回諳んじてみてイケるかなぁってね!」


 いやいや二・三回で出来るもんでもないでしょうに。「途中何度かとちっちゃったけどねっ!」なんて鶴屋さんは言っているが、全然気づかなかったしな。

 まぁ鶴屋さんの言うとおり、登場人物の名前をSOS団メンバーと準団員にしたってのはご愛敬だ。本人がその方が噺を考えやすいし、演じるのも楽だって言うんだから、それくらいはな。

 だが、感動に包まれている部室の中で、例によってまた一人だけが顔を真っ赤にして、頭から湯気を立てている。


「……つ~る~や~さぁ~ん~?!」


 地獄の底から響いてくるような声で言うハルヒが、その例外一名ってわけだ。


「えへっへえ~! また名前借りちゃったにょろ!」


「えへっへぇ~じゃないわよっ! 毎回毎回なぁんであたしがこんな! バカキョンと! めめめ夫婦になって所帯持って、そ、そ、その上子どもまで産まなきゃいけないのよっ!!」


 やれやれ、落ち着けってば。今回はお前だって新作を演ってもらうのに名前出すの了承しただろうが。


「うっさいバカキョン! それはそれ! これはこれよ! 大体あんたがねえ!」


 耳まで真っ赤になったまま、うだうだと文句を連ねるハルヒ。おいおい、今度の矛先は俺かよ。古泉、なんとかしてくれ。谷口も国木田もそそくさと帰り支度してないで助けろよ。

 なんだよその「犬も喰わない」ってのは。あ、鶴屋さんまで帰り支度を!? おい長門! お前まで本を片付けはじめてっておいおい! 味方なしかよ!

 そんな風に慨嘆して、さてどうやってハルヒを宥めようか反論してやろうかと思案していると、


「ふぇえ~二人ともケンカしちゃダメですよぅ~!」


 と、未だ涙声の朝比奈さんが珍しく俺とハルヒの間に割って入った。

 目に涙を浮かべてふるふると頭を振って、俺とハルヒを交互に見てらっしゃる朝比奈さんに、ハルヒも毒気を抜かれたもんか、


「ふ、ふん! 今日のところはみくるちゃんに免じて勘弁してあげるわよっ!」


 なんて言い捨てると、部室の鍵を投げて寄こしながら


「あたし先に帰るから! 戸締まりと片付けちゃんとしておきなさいよっ!」


 と言い捨てて、鶴屋さんを追いかけるように部室を出て行った。やれやれ、せっかく楽しませてもらったんだから、あんまり突っかかるなよ?


「……あのぅ~」


 ああ、朝比奈さん。ありがとうございました。おかげで助かりましたよ。


「い、いえいえっ! でもキョンくんも、涼宮さんの気持ちも考えてあげてくださいねっ! 作り話とはいえ女の子なんですから、やっぱり気にしますよぅ」


 はぁ、そんなもんですかねえ……?

 首を傾げて見せる俺に、朝比奈さんはちょっと困った笑顔を浮かべて軽い溜め息を吐いて見せると、


「それじゃあ、着替えますから先に出ていて下さいねぇ~」


 と、俺に退室を促した。

 慌てて部室を出ようとしたのだが、ふと気になったことがあって、部室の扉を閉める前に朝比奈さんに質問を投げてみる。

 その……朝比奈さんは、どう思いましたか?


「へっ? なにがですかぁ?」


 えっと、俺とハルヒが結婚して……その子に、朝比奈さんの名前をつけるっていう、さっきの噺です。


「ああ、う~んと……」


 朝比奈さんは、頤に人差し指を当てて可愛らしい思案顔をしていたが、やがて何かを思いついたように表情を明るくしてから悪戯っぽく笑うと、こう言った。



「禁則事項ですっ」




<了>

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

涼宮ハルヒの落語 月館望男 @mochio

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ